バカの戦い

 鼻の奥に塩の塊を突っ込まれたと感じる程の潮の匂い。

 

 バルコフの沈香茶色の魔法陣、その中から甲高く響き重なる虫の羽音が膨れ上がった。

 姿を顕わしたのは、カボチャ程の大きさを持つ無数の琥珀色をした蠅の軍勢。

 

(この前戦った時と顕現体が違う?)


 半年前の決戦の場で使いやがった時に顕れたのは巨大な琥珀色の蜘蛛だった。

 天顕魔法の行使には一人につき顕現体は一柱という制約がある。


 今回のバルコフの詠唱はあの時とほぼ同じ。

 恐らく顕現体がかなり特殊な存在なのだろう。


 そのような存在を自在に扱うクソ狼の魔法士としての腕はまさしく天才。

 それが気に食わない。

 

 自分の望む奇跡を自在に起こす、その魔法に憧れた。

 

 虚空に眩い炎を現し。

 意のままに水を従えて。

 土で瞬く間に城を作る。


 そして鳥のように、大空を風と共に自由に飛ぶ。

 

 魔力が在り、魔法の理の記された世界で、俺はただ剣だけを振るうしかなかった。

 

 かつて地球で思い描いた『幻想を支配する魔法使い』の姿は諦めた。

 しかしそれでも『魔法無し』と嘲られたコンプレックスは、ずっと熾火おきびのようにくすぶり残っている。

 

 表のしがらみから自由に生きながらも、裏では秘密結社の幹部を務め裏の名誉と地位を持つ。

 表裏の社会の一流の剣士や魔法士達から畏怖される、強大な存在であるバルコフの姿は、俺がいつの昔にか妄想した姿の一つだった。

 

 強い妬みがあり、そして俺とバルコフの相性は最悪の一言。

性格も、戦い方も、在り方も。

 

 ……だけれども。


「いいぜクソ狼! ぶっ飛ばしてやる!」


 バルコフと戦っていると、際限なく気分が高揚していく。


 普段の俺なら頭を下げてでも避ける『無駄な戦い』。

 

 ただ戦う為に戦う、そんなバカの戦いに郷愁を覚える。

 

 しがらみがあって、抱える問題があった。

 負けの責めが俺以外にまで及ぶ戦いは、慎重で臆病で、姑息でなければならなかった。

 

 いや、俺がそれをできない単純な男だという事は知っている。

 だから日々苛むストレスに、ただ安い煙草の葉を吹かしていた。

 

 だからこそ、俺の目の前の強者の存在が嬉しい。

 

 しかも申し分のない犬猿の仲の仇敵。

 

 本当に遠慮なく剣を叩き込むことができる。

 それはとても。


(楽しいこと、だな)


 需們に魔力を込める。

 すぐに風連玉が緑の魔力洸を放ち、演算装置たる精霊機が駆動を上げる。


「我が剣に光よ言祝ことほぎ輝よあれ」

「我が刃に追い風よ走りきらめきと共にあれ」


 魔導機構が俺の生体魔力だけでなく周囲の自然魔力も吸収する。

 精霊機の魔術式が二種の魔力を混合し魔法式へと収束させていく。

 風錬玉がその増幅を行い、魔法式が因果律へ干渉して魔法となった力が顕れていく。


 魔導機構とは、ただの剣士が強大な魔獣や災威、悪邪との魔導戦闘を可能にするする、魔導学が生み出した兵器なのである。


 小さな、しかしハッキリと輝く紺碧の魔力洸が需們のホーン鋼の剣身を覆う。

 両手中段に構える俺の魔導剣に、俺の魔法が完成する。


陣風御免じんぷうごめん 【呵々絶衝かかぜっしょう】」


 これは魔導機構があってこそ使える俺の奥の手、俺の師【鏖風奇刃おうふうきじん】より伝えられた秘奥の一つ。

 効果は斬撃の巨大化であり、極めれば旧約聖書に記された奇跡のように海さえ断つことができる。

 

「ウオォ、」


 ただ一歩の踏み込みで風の速度を超える。

 百メートルの距離を一歩で超えて、琥珀色の蠅の群れに剣を叩き込む。

 

 数十匹の蠅が砕け散り光の粒子となって消えるも、その後から途切れる事なく視界を埋める程の数の蠅が飛び出て来る。

 

「ラアアッ!!」

 

 縦横無尽に需們を振るい無尽蔵の羽音の主へと刃を叩き込む。

 蠅とその魔力の粒子が入り混じる琥珀色の濁流を、俺の剣の輝きが絶ち斬っていく。

 

(!)


 潮の匂いが別れた。

 一つは目の前にあり、もう一つは俺の頭上へと飛び上がっていく。

 

(本命は、上か!!)


 下よりも上の殺気の方が微かに熱を帯びている。

 つまり、眼前の魔法は囮。

 

 気付くと同時に左手に持った需們の切っ先を魔法の先へと向け、右足を半歩引く。

 蠅の壁が俺を押し潰そうとするのへ……。

 

「カッ!!」


 右足の爪先で、需們の柄頭を蹴り抜いた。

 需們は矢となって飛翔し、蠅の群れを砕き、先にある発生源の魔法陣を貫き割った。

 

 需們が残した風錬玉の緑光の軌跡と、散り去った琥珀の輝きが消えず残る一瞬の間。

 柄頭を蹴った右足をさらに回転させて、それが頭上にいるバフコフを捉えたと同時に左足で地面を蹴った。

 

「クソ狼っ!!」


 俺の蹴りが空を貫く様に翔け上がる。

 

「クソ野郎がっ!!」


 バルコフが両手に生み出した、莫大な破壊の炎が俺へと放たれる。

 

 紺碧の蹴りと沈香茶の炎が激突する。

 

 視界を塗りつぶす程の閃光。

 蒼穹が砕けたと思う程の爆発。

 

 それによって弾き飛ばされた俺の身体は木々の枝を砕き、地面を抉り幾つもの木の幹を砕き、遂には大木の中にめり込んでやっと止まった。


 ……………………………………………………。

 

「マジか……。生きてるよ俺……」


 ……死んだかと思った……。

 

 ……。

 

 大木の中から身体を出す。

 俺が飛ばされて来た方向は、抉られ荒れた地面が続いている。その空の果てには、不自然に雲の消えた、穴のような青空が見えた。

 

(体に違和感は、無い)


 痛みは感じる。しかしそれは運動に支障があるものではない。

 

(俺の魔力が『紺碧』じゃなかったら死んでたな)

 

 まさか自分がここまでバカになるとは思わなかった。

 

(特に最後の蹴り、我ながら何だありゃ?)

 

 曲がり形にも剣士を自称する俺が、剣を放り捨てて、魔法とステゴロ……。

 見習い兵士でも、もっと考えた戦いをするだろう。


(ああ、羞恥心が襲って来る……)

 

 パフェラナやグロリア達に顔を出し辛いが。


(戻るしかない……な)


 地面を蹴って走る。

 朝の森、木々の匂いに満ちる清涼な風が心地良い。




 今更ながらに、今日はいい天気だなと思った。

 

 

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