剣戟

(どうにかここまで対処できたが)


 このままでは何れ詰む。

 A級以下の開拓者は出て来た。

 しかし、ペシエに居る八人のS級開拓者はまだ姿を現していない。

 

 逃げに転じたいのだが、アリーナを包む結界とさらには都市を覆う結界が俺達の退路を阻んでいる。

 

(「パフェラナ、この町から逃げるのに何か手は無いか?」)


 ……。

 

(「都市結界を破ります。ただその準備に時間が掛かるのですが……」)


 緊張に満ちた声。

 彼女もここが乗り越えるべき最後の局面と理解している。


(「どれ位だ?」)

(「三分、いえ、二分もあれば……」)


 お互いの視線は正面のボンノウへと向いている。

 

 右手に白木の、魔導機構の無いただの鋼の刀をだらりと下げて。

 先程の激昂が嘘のようにただ自然体を成す姿。

 

 背後には盟王の姿をのみ残し、周囲に倒れ伏していた騎士や兵士、開拓者達は既にボンノウの魔法でアリーナの外へと出されている。

 

 閑として音の途絶えた場。

 その静けさに肌がひりつく。

 

 青の剣を中段に構え。

 右手は鍔のすぐ下を握る。

 

 重く漂う潮の匂いを脳裏に嗅ぎながら。

 パフェラナに、この戦いの最後の念話を掛ける。

 

(「二分、どうにか持たせて見せる。頼むぞっ」)

(「はい!!」)


「ヨハン、相談は終わったかな?」

「ああ」


 剣と敵。

 そこに俺の全ての感覚を集中させる。

 

「結局はお前一人で俺達の相手をするってことか総長様?」

「まあね。これは開拓者の問題だからね。国に所属する兵士達は邪魔だし……」


 ニヤリと、ここで初めてボンノウが笑った。

 

「未熟者達には良い経験をさせる事ができた。最後は僕がこれを収めて決着、かな」

「言ってろ」


 呼吸を繰り返す。

 大気に散る魔力、所謂『自然魔力』を生物ヒトの恒常性を超えて身体へと取り込んでいく。


 これから使うのは、ある裏の一族に伝わる秘奥に連なる技。

 術者の器を超えて取り込んだ自然魔力を、術者の生体魔力に上積みさせて直接に使うもの。


 本来、自然魔力は生物の持つ生体魔力と混じることは無い。

 それぞれは性質を異にし、自然魔力の過剰な摂取は身体へ強い負担を掛ける事になる。

 僅かに誤れば自爆ともなる、まさに諸刃の技。

 

 しかし、俺の器を超えて積み上げ続ける僅かな自然魔力が、圧倒的な強者であるボンノウとの戦いにおける、俺の生死を握っている。

 

「さて、では行かせて貰うよ」

「……」


 ボンノウの姿が揺れ、生まれた百の幻が、白く輝く刀を構えて襲い掛かって来る。

 それぞれが殺気を放ち、真偽を定めるのは至難。

 

 だが。

 

 一際きつい潮の匂いを、右横に嗅ぎとった!!

 

 ギインッ!!

 

 青の剣が神速の一撃を受け止める。

 

「流石はヨハン。この程度ではフェイントにもならないか」

「ぬかせっ」

 

 斬撃を流したと思ったら殆ど同時に別の角度から刀が打ち込まれる。

 体感では、ボンノウの刀の一振りで五十の斬撃が襲って来る。

 

(剣技・揺鐘ゆれかね

 

 荒ぶる風の音に揺れる鐘が、その力を自らの音色に変えるように。

 襲い来る力を受け流して集め、自らの剣の威力へと変換する。

 すなわちカウンターの極技。

  

「ハアッ!」


 五十手分の力を青の剣へと漏らさず集め、ボンノウの技の境目に必殺の突きを放った。

 

「おっと」

「クソッ」


 光の速さへ届けとばかりに放った青の剣の切先に、瞬時に引き戻された白木の柄の頭が合わされる。

 ボンノウの超常の魔力で強化されたただの白木は、古竜の鱗よりも遥かに硬い手応えを伝え、俺の技は完全に防ぎ止められてしまった。


 しかし、ボンノウが攻から防へ転じた間を狙って強い踏み込みを行い、刀が振り切れぬ場所へと身を寄せる。

 お互いの身体の位置が入れ替わると同時に、さらに加速して間合いから脱し、彼我ひがの距離をまた剣の間合いの外へと広げた。

 

(剣が遠い)


 ボンノウが繰り出した刀の絶技、これらはA級開拓者さえ簡単にその命を斬り捨てられる程のもの。

 決死を思い、なおそれでも覚悟が足らぬと、冴える刀の刃の輝きは嘲笑あざわらう。

 

 視線に込められたその意思は、真冬の雪舞う朝に氷水に身体をひたすよりもなお冷たく寒く身体を震わせ、殺気と呼ぶには木の葉揺らす風の様にり方全てただ自然。

 

 上段に構えた白刃が、俺の正中をひたと見据える。

 

 対する俺の青の剣、構えるは再びの中段。

 

 眼はボンノウの眼を見据え、また目の中の全てを俺の意の中に捉える。

 

 閑さの中の静かな寂たる鋼の語らい。


 湯舟は冷めて熱さは無く、しかし、侵し来る寒さを忘れるだけにかる微温湯ぬるまゆの中のように。

 一歩外にある極寒の殺気が支配する場所へと踏み出すことに、俺の心に怯えが走る。

 

 心臓の音がゆっくりゆっくり聞こえ、頬を僅かずつ伝う汗の感覚が消える。

 この死を明確に感じる場所で、攻めへの一歩の恐怖が纏わり付き、守りの愚へと足が向かいそうになる。

 

 俺の剣の間合いに満ちる潮の匂いは重くも澄んでいるが、その外は荒れ狂い渦巻く黒き曇天どんてんの如くに潮の匂いが猛っている。

 それはつまり、活路は全て、斬り進む先にしか無いということ。

 

 だが俺の剣は、ボンノウの刀に対して先の先に遅く、後の先に遠い。

 彼我の実力の差は、刃を打ち合わせたことで、これ以上ないくらいにハッキリと理解できた。


―― ボンノウはその実力の一分も出していない。

 

「さて、ヨハン。睨み合いも飽きたし次行くよ。ちょっと速度を上げるから死なないでね」


 ゾワリとした。

 

 それでもボンノウの剣の起こりは微かに見えた。

 振り下ろされる刀身へ、それを弾くために身体の動きで振った青の剣を打ち付ける。

 

「!?」


 その速度に比しての刀の一撃は軽かった。

 青い魔力を迸らせた青の剣が、俺の意の通りに鋼の刀を弾く。

 凄まじい違和感に悍ましい程の寒気を覚えた。


 突き刺さるような潮の匂いを感じ取った瞬間、俺は全力で前へ飛び込み、身体を地面に強く打ち付けながら転がり進む。

 

 その俺の背後で、斬撃の風が虚空を斬り裂く鋭い音が鳴った。

 

(斬撃のみの空間転移!!)


 転がった勢いのまま飛び起きて、遠くボンノウが刀を振る姿を見た。

 届かぬはずの空を斬った一閃は。

 

「そっちか!」


 空間を超えて俺の首の後ろから現れた。

 身体を捻り辛うじて避けるが、空間を超える斬撃の嵐は続く。

 

 三手、四手、五手でやっと空間魔法の兆しを捉える事を覚えた。

 六手目に現れたのは右脇下からの、俺の右腕の肩の付け根を狙った一撃。

 

 ワザと左足から落ちるように態勢を崩して斬撃を避け、それが現れた空間の隙へ青の剣の切っ先を差し込んだ。

 

 ガキイイイイイン!!

 

 響く鋼の激突音。

 軽々と俺の一撃を防いだボンノウが楽しそうに笑う。

 

「やるねぇヨハン」


 青の剣の魔力出力を上げる。

 現れた水が獰猛な鮫の姿を象る。


「こいつはどうだ!!」


 突き出した青の剣、その剣先から生み出した膨大な水が、巨大な鮫の形となってボンノウへと向かう。

 凶暴な大型の魔獣さえ容易たやすく溶解させる程に強力な酸の、タンクロリー車よりも巨大な青い水の塊。

 その戦術級の攻性魔法に対して、ボンノウはサッカーボール大の白い火球弾を一つだけ放った。


 宙を飛ぶように泳いだ鮫の顎門が、ボンノウの手前でそれを呑み込む。


「!!」


 一瞬だけ燃え上がった眩い白の火柱。

 それに包まれた水の鮫は、蒸気も残さずに消し飛ばされてしまった。


「ハァ、ハァ。流石は総長様だけあるってか。ホントに勝てる気がしねえな」


 ……魔力はまだ持つ。

 しかしボンノウの剣だけではなく、自身に張り巡らせた防御障壁も厚く堅い。

 突破し、剣を突き立てるにはそれを削り切らなければなならない。

 

 幸い、今の俺の勝利条件はパフェラナが一撃を放つまでの時間稼ぎ。

 周囲に不穏な気配や潮の匂いは無く、青く輝くテンティクルの結界に包まれたパフェラナを止めるのは並みの者では不可能だ。

 

 俺の言葉に答えは無く。

 ボンノウは剣を見て。

 俺を見た。

 

「ヨハン、君さ。何で……本当に何で剣を捨てるような生き方を目指すの?」

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