第35話 一生ともだち

 蛍光灯が眩しくて、比佐子は開けた瞼をまたすぐに閉じた。カーテンの隙間からは朝の光が差し込んでいる。枕元の時計を手繰り寄せて薄目を向けると、8時を回っていた。朦朧とした頭で記憶を辿る。食事をしたのが午後6時の前だったから、半日以上眠っていたようだ。


 身体が怠いのは、寝過ぎたせいか。机上のパソコンが目に入り、掲示板を確認しようとしてふらふらと立ち上がったものの、その横にあるスマートフォンが目に入って先に手が伸びた。電源が入れっぱなしで、充電は残り2%しかなかった。それよりも、比佐子の目に飛び込んできたのは、由実からのLINEだった。


【ずっと返信できなくてごめん。崎元先生のことでショックを受けている時にすみれまでああいうことになって。もしかしたら私のせいかもしれないって思ったら本当に自分でもわけがわからなくなって。人に会うのが怖くなってずっと家にとじこもってた。やっと少し落ち着いて桂に連絡したらすみれはただの事故で私のことは関係ないっていってくれて。お葬式にも出られなくてすみれには本当に申し訳ないと思ってる。お線香だけでもあげに行きたい。よかったら一緒に行って下さい】


 受信は昨日の午後6時3分。眠った直後に届いていた。

 要するに、自分はすみれの死とは無関係というアピール。単なるカモフラージュ。それとも油断させてどうかしようと企んでいるのか。額面通りに受け取ってはいけない。


 ただ【私のせいかもしれないって思った】が引っ掛かった。カモフラージュで、僅かでも自分の関与を仄めかすだろうか。


 続けて桂からもLINEが来ていた。午後6時12分、由実の直後だ。


【やっと由実が元気になったみたい。2学期に間に合ってよかった。夏休みが終わる前に1回3人ですみれにお線香あげに行こうよ。すみれの家知ってるでしょ?由実もお葬式出れなくてすごい後悔してるみたいだし。よかったら今から3人で会わない?久しぶりに顔をあわせて色々話したいことあるし。時間ない?】


【すみれの家知ってるでしょ】って。自分も知ってるくせに白々しい。それに今から会わないって、会って何をするつもりだったの?二人から同じタイミングで連絡が来るなんて、何を企んでいるの?


 続けてもう1つ桂のLINEが来ていた。午後6時53分。返信を待ち切れず次を送ってきたようだ。


【実は今日バイトなかったから、一人で家でスマホにあった画像とかをプリントアウトしてアルバム作ってたんだ。それを比佐子にも見てもらいたかったんだよね。すみれが亡くなって一番辛いのは比佐子だと思うけど私もすごく辛い。でも心の中ですみれはずっと生き続けてるから】


 添付された画像はそのアルバムだった。画用紙にプリントアウトした写真を貼りつけ、包装用の赤いリボンで綴じた、いかにも手作りな、夏休みの自由研究のような匂いがした。表紙の写真は写真立てにあるのと同じ4人で撮ったもの。違うのは4人がハートで囲まれ、『一生ともだち!』と書き添えられていたことだった。


―昨日確認したあの家のあの部屋で、桂はこのアルバムを作ってたんだ―


 これもカモフラージュだろうか。カモフラージュで、こんなに気持ちのこもったものが作れるだろうか。殺害を依頼して、一生ともだち、なんて嘘でも言えるだろうか。


 比佐子は手が震えて画像を直視出来なくなった。


―取り返しのつかない過ちを犯してしまったかもしれない―


 でも、それなら桂は何しにすみれの家に行ったのか。すみれのいない時間を見計らって、すみれが亡くなる数日前に。掲示板に依頼する以外に、家を確認する必要があるだろうか。すみれの母は間違いなく桂だと言った。見間違いではないと。はっきりした顔立ちの桂は目に留まりやすいし、黒子の位置も一緒だった。嘘を吐くはずもないし・・・


 嘘を吐くはずもない・・・嘘を吐くはずもない・・・


 比佐子は自分の呼吸が乱れていることに気付いていた。荒い息遣いと激しい鼓動が耳まで届いていた。


―嘘を吐いているとしたら―


 存在すら忘れていた扉が突然開いて風が吹き突けてきたようだった。


 すみれは母と上手く行っていなかった。嫌っていたと言っていい。家に人を入れたがらなかったのもそのせいだ。すみれは何でも話してくれた。殺人依頼掲示板のことも、ドーベルマンを依頼したことも、祖父の殺害を依頼したことも、私にだけは話してくれた。すみれのことは誰よりも分かっていたつもりだ。

 すみれは母が、時々こっそり祖父に会いに行っていたことを知っていた。臭いを持って帰ってくると愚痴っていた。母が父親を大切に想っていることを知っていた。その父親の葬儀で、すみれの母は泣き崩れていた。今にして思えば、すみれが亡くなった時以上に憔悴していた。

 すみれは掲示板に書き込む時、スマートフォンだとウイルスが怖いと家のパソコンを使っていた。そのパソコンは亡くなったすみれの父親が遺したもの。

 すみれの知らないところで、母がそのパソコンを開いていたとしたら。そしてそこについた足跡を辿って掲示板を見つけたとしたら。自分の父親の死との関係に気づいたら。そして・・・


―すみれの殺害を依頼したとしたら―


 桂を見たというのは、自分が依頼したことをくらますために、目先をそらすために、吐いた嘘だったのではないか。

 遺影の写真が新しかったのも、掲示板に依頼するために撮ったものの使いまわしだったから?


―どうしてすみれの母を信じて、桂と由実を信じてあげられなかったんだろう―


 バイブレーターが作動して、とっさにスマートフォンを目の前にかざした。受信したのはフリマタウンのメッセージ。


【商品を発送しましたので、届きましたら確認をお願いします】 


 それが何を意味しているのか、分からないはずがなかった。


 視界が大きく歪み、床に崩れ落ちた。目を閉じると頭が割れそうなほどの耳鳴りに襲われた。そのままうずくまり、両手で耳を塞いでも間近にスピーカーを突き付けられているように鼓膜を掻き鳴らす。雨が嵐に変わるように激しさを増していった。


―耳がつぶれる―


 聴覚の維持を諦めた瞬間、水際で波が引いて行くように、耳鳴りは治まって行った。両手を放すと静寂が戻っていた。


 いや、まだ何か聴こえる。遠くの方で、何かが反響している。まだ十分ではない聴覚を澄ますと、リビングの電話が鳴っていた。


 かろうじて立ち上がり、倒れそうな身体を手すりに預けながら階段を降りた。


「もしもし」

 受話器を取って声を振り絞った。


「比佐子ちゃん?横山です」

 すみれの母だった。返事をした比佐子の声は今にもかれてしまいそうだった。

「テレビ見てる?今ニュースでやってるの、淳教じゃない?」


 比佐子はリモコンをとってテレビの電源を入れた。浮かび上がっていく画面が映し出したのは朝の情報番組、表示されているテロップは『女子高生二人、飛び降り自殺か』。校名は伏せてあるが、校舎の造り、校庭の色、そこはたしかに毎日目にしてきた淳教女子高校だった。


「やっぱり淳教よね、亡くなったのも淳教の生徒かしらね」

 すみれの母の声が耳の奥で反響した。


 淳教女子高校で二人が死亡した。


―依頼が実行されたのだ―


「誰か心当たりあるの?」

 意味深長なその問い掛けに、比佐子は問いで返した。

「すみれが亡くなる前に家の前で桂を見たって言いましたよね?」


「え?ああその話?それがどうしたの?」


「本当に桂を見たんですか?」


「そうよ、あの子を家の前で見たのよ」


「間違いなく桂だったんですか?」


「あの子だったと思うけど」


「本当に見たんですか?」


「そうだけど、それがどうしたの?」


「何でもないです」

 比佐子は電話を切った。


 テレビではリポーターが現場の様子を伝えていた。朝を迎えた夏休み中の学校で、二人の少女の死体が見つかった。現場の状況から、屋上からの飛び降り自殺とみられる。二人並んだ死体は、強く手を握り合っていた。

 氏名は報じられていないが疑いようがない。殺害を依頼したのは自分だ。一刻も早く実行してもらいたくて、方法は指定しなかった。それがこういう結末を迎えた。

 二人は、命が途絶えても離れないほど強く手を握り合っていた。


 しかし、すみれの殺害を依頼したのはおそらくこの二人ではない。この現実をどうやって処理すればいいか、何も見えないまま呆然と画面を見詰めた。


「遺書が見つかっていないことから、何らかの事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて警察は調べを進めています」

 アナウンサーがニュースを締めくくったコメントに、比佐子は胸騒ぎと言う生易しいものではない、身体が内側から溶解しそうなほどの恐怖を覚えた。それは何なのか、理由がすぐには理解できず、ただその恐怖に揺さぶられていた。


 ようやくその正体に思い当たった比佐子は震える足で階段を1段1段上り、部屋に置きっ放しだったスマートフォンを開いた。


【よかったら今から3人で会わない?】

 昨日桂から届いたLINE。アルバムのことをこう綴っていた。

【比佐子にも見てもらいたかったんだよね】


 それだけ伝えると、スマートフォンは役目を終えたように充電が切れた。


 昨夜、桂と由実は会った。私から返信がなかったから二人だけで。待ち合わせたのは学校の側。いつものファストフード店か、カラオケボックスで由実にアルバムを見せた。その帰りに殺されたのだろう。

 警察が事件の可能性に着手すれば二人のスマートフォンを調べ、このLINEに辿り着く。まるで犯人が誰か、指差しているようなこのLINEに。

 もうすぐそこまで来ているかもしれない。

 比佐子はおぼつかない足取りで窓に歩み寄り、カーテン越しに外を見下ろした。

 玄関の前で誰かが家を観察している。表札を確認し、外観を見回すと足早に去っていった。

 すみれの母に違いなかった。

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