第33話 疑心暗鬼
―どうしてアパートへ行ったのか。桂に直接聞いてみようか―
何か別の、知ったら笑い話になるような他愛もない理由かもしれない。すみれのいない時を見計らって行く理由など、比佐子には何一つ思い当たらなかったが。
部屋に戻って、机に置いたままのスマートフォンを手に取った。すみれが亡くなってから弄る機会がめっきり減り、リビングに下りる時も持って行かなかった。開いても新着のメッセージはない。
何て送ればいいんだろう。ストレートに、すみれのアパート行ったでしょ?と訊けばいいか。
―でも、何らかの形で関わっていたとして、正直に認める?―
掲示板に依頼するために住所を確認しに行った、なんて白状するはずがない。葬儀で会って、すみれの母に見られていたと知ったならなおのこと言い訳は用意する。
本人に問うたところで、真相が分かるはずなどなかった。
比佐子はスマートフォン片手に、ベッドに身体を沈めて天井を見上げた。
直接じゃなくても、それとなく聞こうか。すみれの家に行ったことあるっけ?とか。今度一緒にお線香あげに行こう、みたいに。
電話じゃなくて、直接会って聞いた方がいいかも。その方がリアクションから何か読み取れる・・・
物音に気づいた野兎みたいに、比佐子は身体を起こした。
―もし本当にすみれの死に関与しているとしたら。そして、真相を探っていると知ったら―
カフェで由実への疑念を話したら、判断力をなくしてると言われて、その時はすぐに引き下がった。でもまだ疑っていると知ったら。桂のことまで疑っていると知られたら。
由実はここに来たことがある。住所を知っている。
―次は私が殺されるかもしれない―
友だちだった、あんなに仲の良かったすみれを死に追いやったのなら、私のことなど躊躇う理由はない。二人だけで、誰にも知られないよう計画し実行したのなら、計画が露呈しないよう警戒しているだろうし、善後策も立ててあるだろう。依頼金も桂なら強盗した金やバイトで貯めた金があるはずだ。
比佐子ははっとしてスマートフォンを開いた。
【葬儀が終わりました。すみれのことで話があるので連絡下さい】
桂とカフェで話した後由実に送ったLINE。返事はなくても、既読はついている。これを見て、何を思ったか。すみれの死に対する疑惑が向いていると悟ったのではないか。
―すでに掲示板に依頼済みかもしれない―
比佐子はベッドから飛び降り玄関に走った。玄関の鍵は上下二つ共締めてあるが、ドアロックは開いたまま。慌てて金属の衝突音を響かせる。
刑務官が囚人の点呼をとるように、家中の窓の施錠を確認する。軍隊の敬礼のように、整然と固定された錠にキーを落として二重ロックをかける。実験経過を観察するように、全ての部屋に明かりを灯した。
何かあれば契約している警備会社が駆け付けてくれるが、その時間はあるだろうか。
父親のゴルフバッグは物置か車のトランクか、家中には見当たらず、1本だけ玄関に立てかけられている素振り用のクラブを手に部屋に戻った。ドアを閉めると一瞬にして静寂に包まれる。
ここに来るのは一人か二人か、車かバイクか、徒歩か自転車か。戸外の状況に耳を澄ます。すっかり日の落ちた外に、人の気配は感じられない。
―風呂場の窓を忘れている―
ゴルフクラブを頭の上に振り上げて、部屋のドアを開けた。一段一段慎重に階段を下りる。
脱衣場の電気を点けた。すりガラスに人影はない。誰かがいたら躊躇なく振り下ろす。クラブを振りかぶって、勢いよくドアを開けたが誰もいない。窓は閉まり、ロックも下りている。電気を点けたまま、ドアを開けたまま風呂場を後にする。クラブを構え直し、動線を遡って部屋に戻った。
机上のノートパソコンを開いた。唾を飲み込む音が鼓膜を掻く。掲示板にアクセスした。すみれに内緒で、何度か閲覧したことがあった。
画面は以前と変わらない、簡単な個人情報の羅列。
マウスを手繰って書き込みを遡る。自分の殺害依頼があるとすれば、すみれの葬儀があった日以降。「東京都在住」「10代」「女性」「学生」を目当てに1件1件見定める。交渉が成立すれば消滅する書き込みは、駅を離れるほど寂れていく町並みのように、閑散としていく。葬儀のあった日付に残っていたのはたった1件。引き受け手のない、わずか1万円の会社員殺害依頼が、乗り捨てられた自転車のように錆び付いていた。
自分の殺害を依頼する書き込みは見当たらなかった。しかしそれは何を保証するものでもない。交渉成立済みなら、今にも誰かが殺しに来る。
とっさにクラブを握って振り返った。凝視してもドアは微動だにしない。耳を澄ましても何も聞こえない。パソコンに向き直る。新しく書き込まれる度に自動更新されるが、待ちきれずに何度もリロードした。
さっき見た写真の、由実が桂を抱擁する姿が蘇った。あの笑みを浮かべながら、今まさに投稿の最中かもしれない。
逸らすことを禁じられた奴隷のように、比佐子の視線は画面の中に、一心に注がれた。
私を依頼するなら[東京都在住 10代 女性 学生]と書き込まれる。[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]・・・
頭の中で反復するうちに潜在意識に刷り込まれ、書き込まれるのが必然のような幻惑に陥った。トランプの山をめくり続ければいずれジョーカーを引き当てるように。
[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]、[東京都在住 10代 女性 学生]・・・
更には、目を逸らせば書き込まれてしまう強迫観念に襲われた。瞬きをする度に足音が近づいて来るような。時計を見ることすら、己の首を絞めるように感じられた。
路傍の蟲に集る蟻のように、夜更けに従って書き込みが増えて行った。そしてそれらは立ち所に消えて行った。比佐子の目は充血し、顔には脂が浮かんでいたが、綱の上に立って揺られている今、画面を閉じることなど出来るはずがなかった。
やがて思考は停止し、ただ目の前の画面を追うだけの僅かな指先の力と視力だけを残したマネキンと化していた。
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