第32話 冷製パスタ

 比佐子はキッチンに下りてパスタを茹でた。夕飯はトマトとバジルの冷製パスタ。得意料理の一つで、すみれにも振る舞ったことがあった。美味しいを連呼しながら食べてくれた。お世辞じゃないことはバジルの欠片とオリーブオイルだけが残った皿が物語っていた。全く料理をしなかったすみれはパスタが案外簡単に作れることも知らなかったし、母の手料理が嫌いなせいで余計に美味しく感じたようだ。


 出来上がった冷製パスタを真っ白な皿に盛り付けて、今日は一人リビングで食べる。覚えたての頃は自分でも美味しく感じたものだが、食べ慣れた今は特に感想はない。テーブルマナーにうるさい母親にフォークの使い方を習い、一人きりの今もリビングは静かなものだった。


 物寂しくてテレビを点けても、7時前のこの時間はどの局もニュース番組を流していて内容も代わり映えしない。

 質屋にブランド品を売りに来る人たちの悲喜こもごも。査定価格に不満を露わにするモザイク越しの女性たち。この時間のニュース番組ではしばしば目にする光景。


 チャンネルを替えると取り上げていたのは万引きGメン。これも夕方のニュースではおなじみ。保安員がターゲットをとらえた。防犯カメラも、ポケットに缶詰を入れる様子を映している。店を出たところで保安員がその男に声を掛けた。見られていたのを知らない男はとぼけている。


 フォークを回していた比佐子の手が止まった。テレビの映像が呼び水となり、半年ほど前の記憶が蘇った。


―桂がバイトしてるガソリンスタンドに強盗が入ったことがあった―


 冬、さっきの写真を撮った少しあとぐらい。売上金の入った金庫から100万円近い金が奪われた。深夜に起きた事件で、勤務時間外だった桂に直接的な被害はなかった。


「怖くないの?私なら絶対辞めるけど」


 自分のいない時間であっても、強盗に狙われた店では怖くて働けない。放課後いつもの店で、つまんだポテトを指し向けて由実が言った。比佐子も同感だった。


「私に被害あったわけじゃないし別に平気だよ。じゃあお先」


 桂は自分が飲んだカップを手にして立ち上がり、ゴミ箱に捨てて普段と変わらない様子でアルバイトに向かった。


「ホントよく続けられるよね。私なら絶対無理」

 階段の上に消えたのを見届けて、感心とも呆れともとれる物言いの由実。


「包丁突きつけたんでしょ?私も怖くていけないかも。でも桂なら大丈夫かもね」

 すみれはどちらかと言えば、桂のメンタルの強さに感心しているようだった。


「ここだけの話だけどさ」

 テーブルに身を乗りだし、由実が声を潜めた。

「ナオヤがやったんじゃないの?」


山崎直也はその頃桂が付き合っていた彼氏。由実の中学校の2つ上の先輩で、高校を2年で中退した後定職に就かずに、アマチュアバンドでベースを弾いていた。桂とは違う中学校だが、友達に誘われてライブを観に行ったときに知り合ったという。由実は桂の前では「山崎先輩」、いないところでは「ナオヤ」と呼び捨てにしていた。


「まさか。それはないでしょ」

 すみれは片方の口角を上げて言った。


「内部の人間の犯行みたいだし」

 由実は身を乗り出したまま上目遣いですみれと比佐子のリアクションを窺っている。


 強盗が入ったのは、ちょうど店員が一人きりになる時間だった。外から見えないよう窓のブラインドを下ろしたことや金庫の存在を知っていたことからも内情を知った人間による犯行の可能性が指摘されていた。


「でもナオヤはそこで働いてないでしょ?」


「だから桂が教えたんじゃないの?一人しかいない時間とか金庫の場所とか」


「桂もグルってこと?」


「ないかな?」

 そう言うと由実はようやく身を引っ込めた。


「ないでしょ。そんなことして何になるの?別にお金に困ってないでしょ」


「分かんないよ。子供ができちゃったから中絶費用とか」


「そうなったらまずうちらに相談するんじゃないの?いきなり強盗はないでしょ。リスクデカすぎだし」

『強盗』の部分はすみれも声を小さくした。


「じゃあナオヤに脅されたとか。またバイト辞めたっていってたじゃん」

 居酒屋のアルバイトを2ヶ月で辞めたと桂が話していた。何をやっても長続きしないから食事に行っても自分が出すことが多いとぼやきながら。


「お金欲しさにそこまでする?」


「ナオヤならやりかねないって。中学の時もバイク盗んで捕まったし」


 山崎直也は中学時代から素行の悪さは地元で評判だったと、桂のいない時に話していた。強盗犯は盗難の原付バイクを使用していた。


 防犯カメラがとらえた犯人は目出し帽を被っていたが、若い男の声だったと刃物を突き付けられた店員が証言している。映像はテレビのニュースでも流れた。比佐子はナオヤに会ったことがないから分からないが、由実は雰囲気が似ていると言った。

「だから平気で続けられるんだよ。犯人分かってるから」


「そういわれると、そんな気がしなくもないかも」

 すみれはニヤケながら唇を舐めた。


「でしょ。さっきレジで見たら、桂の財布、札束つまってたし」


「ウソ?」


「ウソ!」


 最後は笑い話で終わった。

 その話はそれ以来していないが、犯人は未だに捕まっていない。


―本当に山崎直也の犯行だとしたら。それを桂が手引きしたとしたら―


 事件のあとしばらくして二人は別れた。すみれが言っていた、由実と崎元が付き合いだしたのが影響した、のではなく、本当は事件のせいで上手く行かなくなったのではないか。


 事件に関与していたのが発覚すれば、桂は高校を退学になるだろう。それだけではすまない。強盗事件だ。直也主導で、桂は乗り気ではなかったとしても、警察に逮捕され、重い罰が科されるかもしれない。


 由実は直也の中学の後輩。同じ地元なら、よそには知られていない情報が入ってきたとしてもおかしくない。事件の真相を知って、それを餌に桂を脅して、すみれ殺害に加担させた。逆ならまだしも、由実が桂を脅すなど考えもしなかったが、強盗に関与したのが事実であれば殺害依頼に加担させる材料として不足はない。強盗の分け前を貰って、それを依頼金にあてたとも考えられる。


―なにより、あの掲示板へ依頼しても他人にバレることはない―


 比佐子は残りのパスタに手をつけた。フォークで円を描いて絡めとる。最後の一切れのトマトを咀嚼した。


 ただの想像に過ぎない。確証は何一つない。

 しかし桂はすみれのアパートに行っていた。すみれのいない時間に。音信不通の由実は、すみれに恨みがある。そしてすみれの家を知っている。これらの状況を踏まえれば、二人がすみれの死に無関係とは思えなかった。

 空になった皿をシンクに置いて水を流すと、皿の上で水と油が弾きあった。

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