第26話 喪服と制服
崎元勉の通夜には制服姿が散見された。担任を受け持っていなかった上に夏休み中とあって、その数は20人ほど。中にすみれたち4人の姿もあった。行くべきではないとの説得も、最後の別れをして区切りにする、と由実は断固として参列を譲らなかった。
己で手を下したのではなくとも、その死は自分たちの依頼によるもの。参列したいはずはなかったが、すみれたちは仕方なく由実に付き添った。
葬儀場には、先日のすみれの祖父の時よりはるかに多くの弔問客が訪れていた。崎元の実家は地元長野の産婦人科医院。親族にはそれなりの品位が感じられるものの、参列者の中にはいかにも地方の権力者といった貫禄を纏った、あまり柄のよろしくない人も見受けられた。喪服が品位を落とすのに一役買っているようだった。
その中に校長、教頭を始めとする淳教女子高校の教員達も首を揃え、折り目正しく着席していた。
ここで不穏な動きをみせれば要らぬ勘ぐりをされかねず、取り乱すのが気がかりではあったが、由実は思いの外冷静だった。それがメンタルバランスを崩しているせいだと知るのは後になってからだった。
参列者が多く、生徒は焼香のみ。高校生はこの手の儀礼には慣れておらず、父と祖父を相次いで亡くし勝手を知ったすみれを先頭に比佐子、由実と続く。異変があれば即対応できるよう桂は由実の後ろについた。
祭壇に飾られた遺影は笑みを浮かべることもなく、まっすぐに前を向いていた。
普段はよくしゃべるよ、と由実は話していたが、学校では寡黙な印象で、すみれの記憶に残っている砕けた表情は、パスタ店で楽しげにメニューを選んでいた時のものぐらいしかなかった。
28歳だったから遺影の用意はあるはずもないがいつ撮影したのだろう。亡くなる前より幾分若く見える。免許証の写真のようにも見えるから、実際それを加工したのかもしれない。
祖父の時と同様すみれにその実感は乏しかった。掲示板への書き込みと崎元の死が頭の中ではリンクしても、触感としての具体性が欠けていた。掲示板を開いてすらいない桂や比佐子には空疎な正夢のようなものかもしれない。
遺影を囲む花には、産婦人科名義のものもいくつか飾られていたが、すみれたちの不安をよそに、由実は淡々と焼香を済ませた。
「気が済んだ?」
桂の問い掛けを無視し、由実は駅の自動改札を通過するように無機質に会場を後にした。あれほど来たがったのにあっさりしたものだと、すみれと桂は顔を見合わせ、背中に苦笑した。
所々で喪服に身を包んだ関係者が話し込んでいるロビーの中ほどで、由実が不意に足を止めた。
「あの人でしょ?」
その方を顎でしゃくった。
視線を向けたすみれの顔が強張った。窓際で一人佇んでいるのは、確かにパスタ店で同席していた女性だった。容姿について話した訳でもないのに、どうして分かったのか。第六感のようなものが働いたのかもしれない。
「やっぱりね」
すみれの反応を見て確信し、制止するのも構わず、由実はその人のもとに歩み寄った。
ようやくすみれたちにも、由実が参列に固執した理由が分かった。自分から崎元を奪った女に会うため。この葬儀場に来てからずっとアンテナを張り巡らしていたようだ。
「すみません」
由実が喪服の女性に声を掛けた。泣き腫らしたのが良く分かる真っ赤な目だった。
「崎元先生のお知り合いですよね」
「そうだけど」
女性の顔に、慣れない土地で道を聞かれた時のような困惑が浮かんだ。
「彼女さんですよね」
その問いに、女は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「何言ってるの?ただの幼馴染だけど」
「この前見たんです。中野のパスタ屋さんに一緒にいましたよね」
さも自分で見たように言った。こんなに強気な由実は見たことがなかった。
「何言ってるの?」
同じ言葉を繰り返した。
「とぼけないでください」
由実は鋭い上目遣いを向けた。
「ほんとに何言ってるの?一緒に食事したのは本当だけど、次の日地元の友達の結婚式に出るから、あの日は一緒に車に乗せてもらったの。家まで迎えに来てもらったから、お礼にお昼をご馳走しただけだけど」
女性は露骨に不快な顔をして由実を見下ろした。パスタ店では分からなかった身長は、崎元よりも高かった。
付き合っていたとしても隠す必要はない。テレビドラマのように、この人が殺したのであれば別だが、そうではないことは自分たちがよく知っている。
この人は嘘をついていない。
由実は顔を真っ赤にして踵を返した。階段を駆け下りる。すみれたちは「すみません」と女性に頭を下げて後を追った。
由実は弔問客を物ともせず、身体がぶつかるのもお構いなしで人波を突っ切った。
「由実!待って!待ちなって!」
息を切らして追いかける。
葬儀場が小さくなったところでようやく追いた。
「放してよ」
手を振りほどこうとするも、桂が握る力の方が強い。
「1回冷静になって」
「なれるわけないでしょ!」
由実は怒気を露わにした。
「ごめん。わたしの勘違いだったみたい」
すみれが頭を下げる。
「もう遅いから!」
「この辺にいたら誰かに見られるかもしれないから、とりあえずもう少し離れよう」
事情は知らなくとも、葬儀場のそばで制服姿で揉めている姿は、学校関係者に見られたくない。
「話すことなんてないから!」
「聞くだけでいいから聞いてよ」
「もういいって」
「聞いてくれるまでこの手放さないから」
桂は目を見詰めて、両手で手首を強く握った。汗が滑り止めのようにべたついて掌に張り付いた。由実は目を逸らす。
道路の向こう側に公園が見えて、青信号を待って横断歩道を渡った。ちょうどいい具合に、備え付けのトイレに多目的の広い個室があった。比佐子を見張りに立たせて中に入る。ここなら周囲の目を気にする必要がない。幸い清掃の行き届いたトイレだった。
「本当にごめん。わたしのせいで。本当にごめん」
「もう遅いから」
すみれの謝罪を、由実は顔を背けて拒絶した。
「他に彼女がいたのは間違いだったかもしれないけど、酷いことされたのは事実でしょ。赤ちゃんだってああいうことになったんだし、脅しみたいなことも言われたんでしょ」
子供に道理を教えるように落ち着き払った口調で桂が諭す。
「でもそれなら殺す必要なかった」
「そう?それで今まで通りに戻れたの?普通に生活できた?学校行けた?」
覗き込まれた由実の目が虚ろで、桂は思わず仰け反りそうになったが冷静な表情を保った。
「でも他に彼女ができて捨てられたわけじゃなかった」
「そのことはあんまり関係なくない?」
「じゃあなんでフラれたの?」
「私に聞かれても分かんないけど。やっぱり生徒と付き合うのは良くないって思ったんじゃない?本当はいけないことなんだから」
由実は突然声を上げて頭をかき回した。
「なんかもーやだ。わけわかんない。もーやだ。もーやだ」
お気に入りのショートボブが、掌から零れ落ちたパチンコ玉みたいに、あちこち跳ねた。ここ数日の間に由実の身に起きたことを考えれば、精神が参ってしまうのもしかたなかった。
「わたし警察行こうかな」
「何言ってんの?」
桂の眉間に深く皺が寄った。
「全部しゃべっちゃおうかな」
「そんなことしたらどうなるか分かってるの?」
「どうなるって、どうなるの?おかしくなるの?もうなってるから!人殺したんだから!本当にもーやだよ」
由実は公衆便所の床に崩れ落ち、地べたに膝をつけて大声で泣き出した。
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