第25話 東京都在住20代男性教員

 妊娠を知った崎元が由実に与えた中絶費用の30万円―桂は手切れ金と口止め料込みと推察した―。手術費用を引いた残りに自腹分を加えて由実は17万円を用意し、すみれ、桂、比佐子がそれぞれ1万円ずつカンパして合計20万円となった。


 すみれはうっかり忘れていたが、受諾者への支払いのためダミーの取引をするフリマタウンは売買手数料がかかる。安くないその10%の上乗せ分、22000円は比佐子が負担した。父親が中規模ながら印刷会社を経営、裕福な割に無駄使いをしない比佐子には貯金があった。比佐子は断ったものの、由実は必ず返すと約束した。ともあれ、これで崎元の殺害依頼に必要な金は揃った。


 掲示板への依頼投稿はすみれに一任された。慣れた人に任せた方がいい、と理由付けしたが本音は怖いからだ。桂も由実も比佐子も、危険なサイトに近寄りたくないし、自分の手は汚したくない。誰しもが抱く当然の感情で、それを分かった上ですみれは引き受けた。


 すみれは預かった現金222000円を引き出しに仕舞い、机に向かった。パソコンを起動させるのも掲示板にアクセスするのも、祖父の殺害を依頼したあの日以来。インターネットを開き、ブックマークから選んだ掲示板が表示されると胸が高鳴った。数字と漢字の羅列がすみれの感情を呼び覚ます。殺害を依頼するスリルと実行された時の満足感は、この掲示板でしか得られないものだった。


 そしてこの掲示板では、全ての人間が抱える悩みの根源である、人間関係の煩わしさを金で解決することができた。まるでここには、雨を浴びずに生きていける方法が教示されているかのようだった。


 開いた掲示板には変わることなく、殺人依頼が躍っていた。


[8月5日21時28分 栃木県在住 50代 男性 会社員 50万円] 交渉中

[8月5日21時04分 群馬県在住 60代 女性 飲食業 30万円] 交渉中

[8月5日20時57分 宮城県在住 30代 男性 会社員 30万円]

[8月5日20時31分 奈良県在住 40代 男性 会社員 30万円]

[8月5日19時59分 長野県在住 40代 男性 公務員 20万円]

[8月5日19時50分 岩手県在住 30代 男性 会社員 20万円]

 やはり関東近郊の方が交渉中になりやすいと分かる。何事も東京は有利、殺人でも変わらない。問題は20万円という金額で受諾者が現れるか。すみれの指先が微かに震えているのは恐怖心よりも興奮のせいだった。


[8月5日 21時35分 東京都在住 20代 男性 教員 20万円]

「生きる気力が失せるほどの裏切りにあい、自分が死ぬより相手に死んでもらう方を選ぶことにしました。20万円は安いかもしれませんが、なんとか工面したなけなしのお金です。病死に工作して頂ける方よろしくお願い致します。依頼金はフリマタウンにてお支払いします。」


 病死を選んだのは4人で話し合って出した結論だった。崎元は由実に付き添い、病院で中絶の同意書にサインしている。不審な死を遂げ、騒ぎになって崎元の名前が報道されれば、産婦人科が名乗り出るかもしれない。そうすると崎元に連れられて中絶手術を受けた由実に疑惑の目が向けられる可能性がある。自殺にしても動機を探られ由実との関係が明るみになる危険があるから、不審死は避け、病死に工作するのが無難だ。

 20万円という金額に懸念があったが、1時間後には交渉が成立した。


 

【商品を発送しましたので、確認のうえ受取評価をお願いします】


 交渉成立から4日後の朝、受託者の後藤からメッセージが届き、すみれは崎元の死を知った。病死工作を依頼したから、テレビのニュース番組などで流れることはないだろうが、それでも教師の死はどこからか漏れて誰かの耳に入り、すぐに生徒たちに拡散されてしまうかもしれない。


【順子の件だけど、無事に合格したって連絡がきた】


 すみれが3人にLINEで流した。万が一誰かに見られた時に備えて決めておいた隠語。もちろん依頼が成功したことを知らせる内容だ。


【良かったね】は桂の返信。

【了解】は比佐子。

 由実は既読がついただけで返信はなかった。


 一晩中シャワーの音が鳴り止まない、という隣人からの連絡で、管理人がマスターキーを使って部屋を検めたところ、浴室で全裸の崎元勉が倒れていた。一晩中冷水を浴び続けてすっかりふやけたそれは生存確認が必要ないほど明白な”死体”だった。119番通報で駆け付けた救急隊員によって死亡が確認された。

 室内に乱れはなく、リビングのテーブルにビールの空き缶が5本並んでいて、飲酒後に冷水のシャワーを浴びたために、急性心筋梗塞を起こしたと判断された。

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