第20話 そして計画は実行された
母の手料理を覚悟していた夕飯は焼き肉弁当だった。
「帰りにデパートに寄ったら安かったから買ってきたのよ」
30%OFFの赤いシールが貼ってあるにせよ、定価1500円の弁当は、とりわけ我が家にとっては高級品。見舞いに付き合った礼なのは言われなくとも知ったことで、今後のことを考えると心が痛まなくもなかったが遠慮なくいただく。
「高いだけあって美味しいわね」
自分の分を食べながら、母が舌鼓を打った。独り言か同意を求めているのか判断しかねるが、どちらにせよ返事はしない。でも美味しいのは同感で、弁当と言えど厚みもあるし味付けもいい高級感のある肉で値段にたがわない。普段はスーパーの惣菜ばかり食べているから余計に美味しく感じられる。これならまた折を見て見舞いに行きたいところだけどそうもいかない。
「2、3週間でギプスがとれて、それからリハビリして退院だって」
すみれはテレビを向きながらも、向かい側からの母の上目使いを感じた。
「だから1か月後ぐらいにここに来るから」
少しの間があってから継いだ言葉は、すみれの耳には刑期を終えた犯人の出所のように聞こえた。
同居の話は、見舞い当日は避けるか、流れのまま切り出すか、すみれの予想は前者だったが、いずれにしても近日中にしておかなければならないこと。焼き肉弁当を食べている最中なら自室に逃げ込まれない、と判断したのなら感心するがそこまで知恵の働く母ではない。
食卓に沈黙が流れる。急にテレビの音がうるさく聞こえたのは、ボリュームを上げたからではなかった。
「突然一緒に住むことになって嫌なのは分かるけど、もう一人じゃ生活して行けないのよ」
親を想う娘の気持ち。それが自分には欠如している自覚はあった。すみれは家庭に愛情を感じたことはなかった。子供の頃から両親は常に、壁を1枚隔てているようにどこかよそよそしかった。手袋越しに手をつないでいるような親子関係。与えられた役を仕方なく演じているような事務的な家族。母の手料理が不味いのも愛情がこもっていないせいに思えた。
友達が話す家族は、怒られた話でもそこには血が通っていた。温かい家庭に憧れた時期もあったが、それはこの両親の愛情を受けたかったわけではなく、愛情のある別の家庭に生まれたかったという願望。すみれも子供の頃は娘役を演じていたが、年を追うごとにその役を放棄するようになった。父が死んだ時も、悲しさより自分の今後への影響の方が気がかりだった。親に対してさえそうだから、遺恨のある祖父への愛情などあるはずもなかった。
―心配しなくても、ここに住むことはないから―
皮肉なことに、見舞いに行ったことで計画が実行に近づいた。
しかしこれから起きることへの関与を疑われてはならない。ゆえに拒絶は禁物で、数日前嫌がっていただけに、すぐに受け入れては違和感が生じる。多少の心変わりがあった様に振る舞うのがベストだとすみれは判断した。シミュレーションは済んでいる。
「老人ホームとか入れないの?」
ちらりと母の方を見て、テレビに視線を戻して、ため息混じりに言った。
「この前も言ったけど、お金がないと入れないのよ。安いところは順番待ちだし」
「そしたら本当に大学行けんの?」
不貞腐れた顔をつくった。大学に行くために受け入れる、フリをする。それがすみれの策略。
「そうしたら余計なお金かからなくてすむから、大学もなんとかなるわよ」
娘に雪解けの兆候が見られ、母の声に張りが出た。
「もしあれだったらもう少し広いところに引っ越そうか?おじいちゃんだってそれぐらいのお金は持ってるでしょう、年金もあるんだから。老人ホームに入るよりはずっと安く済むし」
引っ越しとは予想外だった。が、少しばかり広くなったところでたかがしれている。ジジイとの同居に堪えられるわけがない。頬が緩みかけたのは、先に希望があったとすれば、関与を疑われる可能性がさらに低くなるからだ。
「引っ越すの?」
「まだ分かんないけど。でもおじいちゃんの家のものを持ってきたらここじゃ狭いし。その方がいいんなら探してみるわよ」
娘の反応に手応えを感じたようで、今からでも不動産屋へ飛び込みそうな勢いで言った。先般まで嫌がっていたすみれが、祖父との同居を受け入れる要件が揃った。その気持ちは母にも伝わっている。
すみれは最後の一切れを食べ終えると、弁当の箱に蓋をして席を立った。部屋に入ってドアを閉めた途端噛み殺していた笑みを解放した。
後は掲示板に依頼するだけ。私を疑う人など誰もいない。
平沼正次の葬儀はしめやかに執り行われた。梅雨只中であることを知らしめる様に朝から雨が降り続き、夏本番を前に暑さも小休止、半袖では肌寒く感じる気候だった。
すみれが見舞いに行った日の3日後の夜。病室に姿がなく不審に思った看護師が病院内を探したところ、男子トイレの個室で倒れているのを発見した。すでに心肺は停止、急性心筋梗塞だった。
風呂上がりに鳴った夜更けの電話を、胸騒ぎを覚えながら受話器をとった母に、父親の死が告げられた。濡れたままの髪で、すみれを連れだって大急ぎでタクシーで病院に駆け付けた。病院の不注意だと看護師に食って掛かった母も、落ち着きを取り戻すと死を受け入れ、取り乱した詫びとこれまで世話になった礼を述べた。
街が白んでいく中、新聞配達を横目に走る帰りのタクシーで、すみれは母から、入院する前から度々一人で父親の住むアパートを訪ねていた、と打ち明けられた。一人っ子で、中学生の時に母親を亡くした母にとって、父親は生きていてくれるだけで有り難い存在だった。
「せっかくすみれも一緒に住むことにしてくれたのにね」
棺を見下ろしながら漏らした言葉は、遺体に向けたものか自分に向けたものか、判断がつかなかった。すみれはただ荼毘に付されるのが待ち遠しかった。焼かれてしまえば、全て消滅する。死後数日経過しても警察の姿が見えないことに安堵していた。
[6月14日22時34分 東京都在住 60代男性 無職 10万円]
見舞いに行った日の夜、すみれは掲示板に書き込んだ。
「都内の病院に入院している老人をお願いします。私を悩ませ続けた人です。ずっといなくなって欲しいと願っていてようやく機会が来ました。病室の番号も分かっていますし、写真もあります。病死に工作して頂ける方、よろしくお願い致します。お支払はフリマタウンでお願いします。」
手数料込みで111200円。アルバイトで貯めた預金を崩した。それだけあれば何が買えるか、考えてみたところで、ジジイ抜きの生活より貴いものなど何もない。幸せも時には金で買える。手が届くなら買えばいい。今までの生活が守られたうえ大学に行けるのなら10万円でも安いもの。
受託者は光石といった。光石もGoogleストリートビューで病院を確認した。母の部分を切り取った例の写真も見せた。ぼんやりした顔でこっちを見ていた写真。フリマタウンでは『ミッツ』のアカウントで取引し、無事成立、3日後に実行された。レンタル店の準新作みたいな、3泊4日の付き合い。光石からの【発送が完了しましたので、よろしくお願いします】のメッセージは、桐原の時と同じで、実行された翌日の朝に届いた。憔悴している母に隠れてこっそり【受け取りました。ありがとうございました】と返信した。
火葬の後に残ったのは、誰も拾わない形崩れの貝殻みたいな白い骨。耳に当てても何も聞こえない。これで全て終わり。バイバイジジイ。
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