第15話 昨夜のうちに実行された

 フリマタウンに意識を残しつつネットニュースを眺めていたすみれのスマートフォンが着信した。桂のLINEだった。


【今日何か用事あったの?】


 お互い用事があるといって駅で別れたが、犬の殺害を依頼していたとは言えるはずがない。

【ちょっとね。でももう終わった。桂は?】


【あるわけないじゃん】


【やっぱり】


【くだらない話聞きたくなかっただけ】

 長所でもあり欠点でもある桂のストレートな物言い。そういう性格だと理解されているから多少の毒舌は許容される。


【そうだと思った】

 明るさの裏に繊細さを隠す由実と、いつも勝ち気な桂。対称的でも上手く行っていた二人が、最近おかしくなった。


【昨日おとなしかったのに元に戻ったの何で?】


【ケンカしたけど仲直りしたとかじゃないの?】

 由実に頼まれた通り、桂には何も知らないふりをする。


【そんな感じだね】


【教師のくせに生徒とケンカしてどうするのって】


【どうせ由実が悪いんでしょ。ワガママいったんじゃないの?】


【崎元の方がワガママそうじゃない?精神年齢低そうだし】

 由実のボーリングからのホテルの話はリアルで、ケンカの原因を崎元に責任転嫁するための作り話とは思えなかったし、誇張もしようのない話だった。


 返信が来るのに、やや間があった。


【崎元、由実のこと本気だと思う?ただの遊びでしょ】


【本気じゃない気はする】

 ケンカの原因を知っているだけに余計にそう思えた。由実に言っても聞く耳持たないだろうけど。


【でしょ。そんなにつづかないって。すぐ別れるよ】


【そうかもね】


【教師と生徒の恋愛なんて上手くいくわけないでしょ】


【まあね。難しいね】


【ごめん。電話かかってきた】


【また明日】


 ここで話は打ち切りになった。

 すみれはそのままディスプレイを眺めていた。由実と桂、二人とのやり取りはどちらも核心を外れた、的の中心が滲んでいるようなもどかしさが感じられた。由実の歯切れの悪さとは異なり、桂は刃を向けることで目をくらませようとしているような。


 どうせ由実が悪いんでしょ。ただの遊びでしょ。すぐ別れるよ。教師と生徒の恋愛なんて上手くいくわけないでしょ。


 それらはむしろ桂の願望に思えた。桂が苛ついている理由は、由実の当たりかもしれない。由実が言った通り、桂も崎元に気があった。それで由実が崎元と付き合い始めて不機嫌になった。桂には彼氏がいたし、教師との恋愛は現実的じゃなかった。でも由実と崎元が付き合い出した。それが原因で、彼氏とも上手く行かなくなったのかもしれない。

 本人には確認できないし、絶対に認めないだろうけど、当たっている気がする。


 玄関で鍵を回す音がして「ただいま」と母の声が響いた。



 夕飯の唐揚げは、もちろんスーパーの売れ残り。この店の数少ない好きな総菜の1つで、冷えていてもレンジで温め直せば美味しく食べられる。完売することの多い唐揚げを貰って来るのは珍しく今日は当たりの日。すみれの箸のスピードもいつもより速かった。


「明日はバイトでしょ?」


 向かい合っている母がようやく口を開いた。さっきから話しかけるタイミングを見計らっているのには勘付いていた。


「そうだけど」


 視線をテレビに向けたまま無感情で答える。流れているクイズ番組にはあまり興味がないが他にみたいものもない。テーブルの上のスマートフォンも着信しない。


「土曜日は?」


「なに?」

 すみれは語気を荒げた。用件を先に言わない母のまどろっこしい言い回しが気に食わない。


「土曜日、一緒にお見舞いに行かない?」

 宝くじを1000円分だけ買うような、期待のこもらない聞き方だった。


 箸を持つすみれの手が強ばった。いつかくると予想していた誘いだった。答えは用意してあったものの、あえて思案しているように間を持たせる。それから努めてぶっきらぼうに答えた。

「別にいいけど」


「行くの?」

 視界の外れにある顔が、予想外の返答に驚いているのが分かる。


「行かなくていいんなら行かないけど」


「じゃあ行こうよ」

 食卓の気圧が高くなった。

 父親を見舞ってくれるのは、娘としては嬉しいようだ。見舞いの目的が、同居への慣らしであることもすみれは察していた。

 一時に話を進めたら機嫌を損ねると思ったのか、母はそれ以上踏み込んでこなかった。予定は立ったのだから詳細は日を改めてというところか。立ち上がって、やかんに水を足して火にかけた。

 防犯カメラを確認する万引き犯のように、すみれはその背中を見てすぐに逸らした。


 すみれの目的は見舞いではなかった。


『仲介掲示板』の[6月11日18時59分 東京都在住 40代男性 30万円]とあった書き込みの備考欄に「都内の病院に入院中」と記載されていた。書き込みはすぐに交渉中に切り替わり、やがて消滅した。

 入院患者へも依頼は可能ということだ。ただし掲示板のシステムからすれば病院の住所のみならず病室の番号も必要になるだろう。それを知るために病院に行きたかった。前に誘われた時はにべもなく断ったが、事情が変わった。母の性格から、もう一度ぐらい誘ってくると踏んでいたが思いの外早くチャンスが訪れた。

 祖父を見舞う孫娘に邪な気持ちを疑うこともなく、母はテーブルの上に湯呑みを並べて茶を注いだ。心なしいつもより二つの湯呑の間隔が狭いのは乾杯のつもりだろうか。



 絵画が持ち去られた美術館の壁面のように、鉄柵の中からドーベルマンが消えていた。

 通学中のすみれの足が屋敷の前で止まった。昨日の今日。交渉から十数時間しか経過していないし、連絡は未着信。散歩に連れていかれただけだろうか。しかし今までにこの時間に姿がないことはなかった。タイミング的に無関係とは思えない。

 じっとしていては不審に思われそうで、そのまま立ち去る。駅までの道すがら、散歩中のドーベルマンを見かけることはなかった。

 桐原の仕業だとしたら、どこかに連れ去ったのか。あるいは何らかの手段で柵の中の犬を殺し、気づいた住人の手で処理されたのか。うるさくて狂暴な犬だから、連れ去るリスクは大きい。夜の内に殺され、朝になって発見した住人が死骸を処理した、とするのが妥当に思えた。


 待ち合わせてはいないが一緒の電車になることの多い比佐子と、今日は会わなかった。混雑した車内で隙間を見つけては何度もスマートフォンをチェックしたが『KIRI』から音沙汰はなし。


 駅を出たところで「おはよう」と声をかけてきたのは由実だった。どこか冴えない表情なのは昨日のLINEのせい。疑ったことへの罪悪感と、蒸し返すことへの抵抗の間で揺れているようだ。突き放すそぶりでも見せようものなら、グジグジのスパイラルに陥るのは分かっているから、「おはよう」と笑顔で返した。一瞬の間は真意を読み取るためだろう。気にしていないととったか、あるいは自分の思惑は読まれていないと踏んだか、いずれにせよ蒸し返すべきではないと判断したようで、由実は何事もなかったように昨夜のテレビ番組の話を始めた。


 登校すると下駄箱で桂が合流した。「おはよう」の陽気な声とは裏腹なそっけない表情。由実も挨拶を返したが、桂は目を合わせなかった。そのまま二人に挟まれて歩く。どっちに何を話せばいいかの分からないまま沈黙が続く。


「ごめん。ちょっとトイレ行くから先行ってて」


 階段を上ったところで、しびれを切らしたように由実が教室と反対方向へ駆けて行った。桂が本日最初の笑みを浮かべた。


 着信したのは1時間目の国語の授業中、9時ジャストだった。ポケットの中でバイブレータが作動した。教科書で隠してスマートフォンを覗くと『KIRIさんのからのメッセージが届いています』の表示。頭の先から体の中心を串刺しにされたように背筋が伸びた。フリマタウンを開く。


【発送致しましたので、お受け取りされましたら評価をお願いします】


―やっぱり桐原が殺したんだ―


 朝殺して今帰って来たってこと?さすがにそれはリスクが大きすぎる。夜中に殺したけど報告は朝を待って、っていう感じか。9時ちょうどだから今まで寝てたってことはなさそう。それとも、ちゃんと死んだか朝確認してきたのか。


 授業どころではなかったが、いつまでもスマートフォンをいじっていたら先生に見つかりそうで、一端ポケットに戻す。


 どうしよう。すぐに返信した方がいいかな。でもどうなったか、ちゃんと確認してから返信するのが普通、まだちゃんと確認できていない。【確認してから評価します】ぐらいは返した方がいいかも。トイレに抜け出して返事しようかな。でもそんなにあせる必要はないか。


 すみれは休み時間を待ってトイレに駆け込んで返事を打った。


【さっそくの発送ありがとうございます。確認して受け取り評価します。少し遅くなってしまうかもしれませんが大丈夫ですか】

 今日はバイトの出勤日だった。


【お待ちしております。急ぎではありませんのでごゆっくりどうぞ】

 とすぐに返ってきて、安心して【ありがとうございます】と返事を打った。

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