第11話 50代男性会社経営300万円
【休憩中?】
カバンから取り出したスマートフォンは予想していた通り、由実のLINEを受信していた。受信は40分前。
【やっと休憩入れた】
店の近くで同窓会でもあったのか、年相応のおめかしをした中年が団体で来店し、珍しく夕方に混んだ。それでいつもより30分ほど遅れての休憩。バックヤードで賄いのカフェラテ片手に、すみれは返事を打った。
【お疲れさま。いまいい?】
スマートフォンの前で待ち構えていたかのように、すぐに返信がきた。
【何かあった?】
朝から由実は元気がなかった。理由は想像がついている。学校で話せないことなのは、こうしてLINEを送ってきたことからも分かる。
【つとむクンとケンカしちゃった】
だと思った、という返事は心の中に留める。理科の授業中、崎元もやりにくそうで生徒の方を向く機会がいつもより少なく感じた。
【何かあったの?】
【昨日ボーリング行って。そのあとホテル行こうって誘われたんだけど生理だから断った。ボーリングの時もガマンしてたし。そしたら俺の事好きじゃないのって。それで気まずくなってボーリング終わってそのまま帰って。それから連絡取ってない】
いい年した男が、バカじゃないの。教師のクセに。生徒に手を出す時点でどんな男か知れてるけど。下手に崎元を責めても気を悪くするかもしれないから無難に返事しておく。
【由実は悪くないじゃん】
【そうかな】
【悪くないって】
【でも一応謝った方がいいかな】
【何で謝るの?】
【つとむクンのこと傷つけちゃったかもしれないし】
傷つくって。怒ったりむくれたりはしてるかもしれないけど傷ついてはいないでしょ。そういう風だから付け上がるんでしょうに。
【由実は謝らなくていいと思うけど】
【でも絶対別れたくないし】
そんなに大切にされてると思えないけど。
【とりあえずちょっと様子見てみれば。由実が思ってるみたいな優しい人だったら向こうから謝ってくれると思うよ】
【そうかな】
【そうだって】
優しい人だったら、ね。
【じゃあ少し待ってみようかな】
【そうしてみな】
【ありがとう。休憩ジャマしてごめんね】
【大丈夫。元気だして】
【ちょっと元気でた。このこと桂にはいわないでね】
【言わないよ】
【じゃバイトがんばって】
確かに桂に教えたら食いつきそう。っていうか今日の感じ見てたら気付いてそうだけど。こっそり教えてもいいけど、由実も落ち込んでるし、それはさすがに止めておく。
休憩は残り5分。すみれはカフェラテ片手に、何の気なしにスマートフォンをいじり、インターネットを開いた。ポータルサイトのトップ画面にはニュース記事が並んでいる。
『会社社長変死 埼玉』
見出しの一つに目を奪われたのは、漢字の羅列が他から浮いていたのともう一つ、意識の片隅にある記憶が呼び起こされたからだ。
[埼玉県在住 50代 男性 会社経営 300万円 交渉中]
記事を開く。
「10日午後1時10分ごろ、埼玉県××市の林道に止まっていた車内で、男性が死亡しているのが見つかった。窓が目張りされ、中に七輪と練炭があったことから、埼玉県警は自殺の可能性もあるとみて調べている。
××署によると、死亡したのは埼玉県××市の57歳男性。同市で印刷会社を経営していた。車は男性が所有するもの。
この日出社時刻になっても姿を見せず、従業員は不審に思ったものの連絡がとれない状態が続いていたという。」
カフェラテの残り香が、口の中にまとわりついていた。
もしかして掲示板に書かれてたやつ?たしか3日ぐらい前。それでもう実行されたってこと?早すぎでしょ。偶然、だよね。埼玉に社長なんていくらでもいるし、社長ってみんな50代ぐらいでしょ。それに、自殺っぽいし。
でも・・・自殺に偽装されたのかも。
画面の上の時計が休憩の終了を知らせていた。
ヤバイ。もう戻んなきゃ。
すみれはスマートフォンをカバンにしまい、慌てて持ち場に戻った。
おろしたての洋服に付けてしまった染みのように、仕事中もずっと頭の片隅から離れなかった。終業後すみれはいつもより手早く帰り支度を済ませて退店し、駅まで歩きながらスマートフォンを開いてネットニュースを検索した。会社社長の変死はいくつかの記事になっていたが、内容は似たり寄ったりで、新たな情報はない。いずれも自殺を示唆していて、他殺に言及したものは見当たらなかった。
空いた電車の席に座ると、向かいの窓に、夜を背にした自分の姿が白く反射していた。
こんなに早く実行されるものなの?ちゃんと下調べとかして念入りに計画するんじゃないの?偶然でしょ。
でも、300万円だったんだよね。他よりも全然高かった。社長だからって思ったけど、なるべく早く殺してほしいから大金を用意したのかもしれない。急ぐ必要があって、それで予め行動パターンを調べておいたとか。同じ会社で働いてる人ならできるよね。
やっぱりあの掲示板は本物なのかな。
家に帰ると、母は風呂に入っていた。それでアイスを買い忘れたことに気が付いた。テーブルに用意された夕飯の餃子を食べると、すぐに部屋に入り、パソコンを開く。『仲介掲示板』にはまた書き込みが増えている。
会社社長の変死が本当にここを見た人の仕業だとしたら、その人は今ごろ何をしているんだろう。300万円受け取ってどこかに逃亡したか。今も掲示板を開いて次の獲物を物色しているのかもしれない。
不意に机上でバイブレータが作動し、すみれは身体を硬直させた。
【つとむクンが電話で謝ってくれた。わたしも謝って仲直りした。心配かけてゴメンね】
由実からのLINEだった。
【よかったね。気になってたからほっとした】
適当に返事を打ってパソコンに向かう。直後に机上でまた振動した。
―勝手にしてって。いまは痴話ゲンカに付き合ってる場合じゃないから―
視線を掲示板に戻したが、バイブレータは鳴り止まない。由実からのLINEではないようだ。画面を覗くと『店長』と表示されていた。時刻は22時半を回っている。バイトに関することだろうが、店長から電話がかかってくること自体が珍しく、こんなに遅い時間は初めてだった。胸騒ぎを覚えながら通話ボタンを押す。
『お疲れさまです。夜分遅くにごめんね』
「大丈夫ですけど」と言って間を空け、用件を待つ。
『急で悪いんだけど、明日出勤出来ないかな』
誰かが欠勤になったのか。
「すいません。明日ちょっと用事があって」
本当は何もない。せっかくの休みに出勤したくないだけ。
『だよねぇ。急に言っても無理だよね』
「誰か出れなくなったんですか」
『実はさ、野上くんのお姉さんが亡くなったみたいなんだよ』
「えっ」と言ったきり、すみれは言葉を詰まらせた。胸騒ぎが激しくなった。バイトの先輩、野上は20代半ば、そのお姉さんならまだ若いはず。
『急に亡くなったみたいでさ。交通事故みたいなんだけど。あんまり詳しく聞けないじゃん。だから、よくは分からないんだけど』
―交通事故―
『それでさ、実家に帰るから当分出勤できないみたいなんだよ』
「実家ってどこですか」
『仙台なんだよ。だからそんなに行ったり来たりも出来ないからさぁ』
仙台―宮城県だ。
[宮城県在住 20代 女性 会社員 100万円]
また掲示板の書き込みが頭に浮かんだ。埼玉の社長と同じ3日前に書かれていた。
『他当たってみるわ。いつ帰ってくるかわからないから出れる日あったら宜しくね。じゃあおやすみ』と言って電話が切れた。
すみれはマウスを取って、掲示板をスクロールした。
[宮城県在住 20代 女性 会社員]
たしか夫の不倫相手を殺して欲しいって内容だった。見たのは3日前の夜9時ぐらい。その時はまだ交渉中になっていなかったけど・・・。その日時に、その書き込みは見当たらない。もう少し遡ってみたけど見当たらなかった。
交渉が成立したってこと?これも偶然?偶然が続いたの?
そうでしょ。毎日何処かで誰かが死んでるんだから、同じようなことが起きることもある。掲示板の印象が強かったから、意識しちゃってるだけ。心霊写真って言われるから人の顔に見えるのと同じ。
でも、偶然が2つも続くかな。場所も歳も性別も同じものが。どっちか1つだけでも掲示板で依頼されたものかも・・・。
そもそもこの掲示板は誰が運営しているんだろう。注意書に「管理者が」って書かれてたし、当然管理人はいるんだろうけど、広告が貼られてないから、広告収入は入ってこない。運営費はどうしてるんだろう。ただの物好きの道楽ってこと?それでこんなヤバイサイトやる?
本当は仲介みたいなことして金もらってるのかも。「仲介料もらってます」なんて言えないもんね。犯罪に加担してることになるから。
もしかして、管理人自身が実行犯なのかな。自分が人殺して金儲けしたいから、この掲示板を作った。殺し慣れてるから、2、3日で実行するのも無理じゃないとか。
そうしたら、野上さんのお姉さんは本当に殺されたってこと?不倫して、奥さんに恨まれて殺された?
野上の連絡先は知らないし、知っていても身内の死は詳細を聞ける話ではなかった。
すみれは掲示板を離れて、ネットニュースを検索した。仙台、事故、野上、20代などのキーワードを入力すると1件だけ引っ掛かった。『宮城新聞』が配信したローカルニュース。
「28歳女性が路上で死亡 ひき逃げか
10日夜、宮城県仙台市の県道で、女性が倒れているのが見つかり、死亡が確認されました。警察はひき逃げと見て調べています。
××警察署によりますと、10日午後6時頃、仙台市××町の県道で、「横断歩道に人が倒れている」、と近くを通りかかった男性から警察に通報がありました。
倒れていたのは近くに住む会社員の野上香織さん(28)で、病院に搬送後、死亡が確認されました。
野上さんの服が擦り切れていることなどから、警察はひき逃げ事件として逃げた車の行方を追っています。」
氏名、年齢、日時、場所、状況から亡くなった野上香織はバイトの先輩の野上の姉で間違いないだろう。そして、野上という苗字が独身だったことを示している。28歳という年齢も、妻子ある男性との恋、に説得力を付与していた。
ただの事故?違う。夫の不倫相手の殺害依頼。他殺だと妻に疑惑の目が向く恐れがあるから、交渉して交通事故に仕立て上げた。興信所に依頼して調べたと書いてあったから、夫はまだ不倫がバレていることに気づいていない可能性もある。だとしたらなおさら妻に嫌疑は向かない。初めから掲示板への依頼が狙いで、夫にも秘密にしているとも考えられる。興信所なら行動パターンも把握できていただろう。
あの書き込みと決まった訳ではない。しかし、それほど間違った推測とも思えなかった。
この掲示板はやはり本物かもしれない。
―依頼すれば殺してくれる―
すみれはしばらく掲示板を傍観した。それから、抽斗に凶器を隠すように、そっとパソコンを閉じた。
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