第6話 自殺動画
夜は更けているのに外は蒸し暑かった。エアコンの効いた店を出ると、寒暖差に自律神経が乱され、すみれの情緒は不安定になった。心配事を思いついた時のように胸の奥が落ち着かなくなる。時折こういった不快感を引き起こすことがあったが、胸裏に立つ鳥肌のようなものだからすぐにおさまる。歩くうちに外気に慣れ、駅のホーム着く頃には正常に戻っていた。
電車を待つ間に、すみれはカバンに手を突っ込んだ。おみくじのようにかき回し、手探りで見つけたのは由実のお土産のチョコレートクランチ。小袋を破って口に放り込むと、固さと香ばしさと甘さが絶妙にマッチしていて本当に美味しい。適度なボリュームもあって、2つ食べたらバイト帰りで空いた腹のいい足しになった。たまには由実も役に立つ。これで遅刻しかけたのをチャラにしてあげる。
電車が到着すると、たった二駅だけど疲れているし、空いているから座席に座る。向かいの席の小柄な中年男性は首にアイドルグループのタオルを掛けていた。この時間は仕事帰りの疲れたサラリーマンに交じって、ライブ帰りの人を見かけるが、ニヤケることもなく意外と冷めた顔をしている。楽しかったであろうライブも、家路までは引きずらないらしい。
すみれはスマートフォンに視線を落とした。新しいメッセージはなく、SNSでも覗こうかとアイコンに触れようとして、指を止めた。画面を切り替えてLINEを開く。スクロールして・・・一番下にあった。
―和田早苗―
トークは3年前の日付で止まっている。使用しないが削除するきっかけもなく、鉛筆立てのインクの切れたマジックみたいに残っていた。
電話番号とか変わってないのかな。もう一生掛けないけど。
―あれも残ってるかな―
3年前に届いた早苗からのLINEは、柱の傷のようにそこに刻まれていた。
【この動画見て。すごいから】
添えられたURLはネットで拾ったという動画。送られて来た時はどんなものか知らずに開いてしまった。
劣化したビデオテープのようにノイズの交じる映像。手入れされていない草木と、画面の左側に古びた物置小屋を映し出している。BGMもなく殺風景で、どこかの外国のように見える。家屋の裏の普段は立ち入らない場所だろうか。陽が当たっているのに鬱々としていた。
そこへ画面の右から、やや小太りの白人の男が歩いて来た。半袖の白いTシャツにジーズンを履いたその男は、画面に向かって怒鳴り始めた。外国語だから意味はわからないが、かなりの剣幕で、身振りからも激しく興奮しているのが分かる。
画面中央まで来ると、男の体が一段上がった。不鮮明な映像に溶け込んで見分けがつかなかったが、足元に木製の踏み台が置かれていた。
台に乗った男の顔が歪んだ。違う。そう見えたのは顔の前に何かがあるからだ。男はそれを両手で掴んだ。垂れたロープの先に括られた輪っかだった。
男がまた何か叫んだ。悲鳴のようにも聞こえた。それを最後に口をつぐんだ男は輪っかに頭を通し、踏み台を蹴飛ばした。
ロープに締め付けられた白い顔が瞬く間に真っ赤に、そしてパンパンに膨れ上がって行く。
すみれはとっさにスリープボタンを押した。よだれのような呻き声を漏らして、画面が消えた。
パジャマに着替え、布団の上に寝転んでいたすみれは、たまらず灯りを点けた。
―なに考えてんの。なんでこんなもん送ってくんのよ―
苛立ちながら、布団に伏せたスマートフォンをおそるおそる手に取る。スリープした画面は真っ黒のまま。しかしもう一度開けば続きが流れ出す。さっきの男がスマホの中で静止し、再開を待ち構えている気がした。
―どうしよう。もうあんなの見たくないって―
両手で顔を覆ったすみれだったが、はっと気付いてスリープボタンを長押しした。電源を切れば、リセットされるかもしれない。一度オフにして、電源を入れ直す。スタート画面が表示される。暗証番号を入力してインターネットを開くと、動画のURLが表示されたが、読み込みに時間がかかっている。その隙にブックマークから、他のサイトに切り替えた。
うまく行った。ほっとした瞬間、LINEが届いた。早苗からだ。
【見た?】
何の変哲もないただの文字なのに、ニヤケて見えた。
【何あれ?】
感情的な指先で打ち込む。
【すごくない?映画とかじゃなくてリアルな自殺だよ】
怒りが伝わっていないのか、早苗はまだ楽しげだ。
【変なもの見せないでよ】
【ビビった?】
【ビビったとかじゃなくてキモいから】
怖がらせに乗っかったら思うツボ。
【でもこれ軽い方だよ。こっちはもっとヤバイ】
またURLが添えられている。
【そういうのいいって】
【夏になるとこういうのが人気出るみたい】
夏休みで、暇をもて余してネットで調べまくっているようだ。
【興味ないから】
【本は好きだったじゃん】
【本はいいけど動画はキモいから】
【画像なら平気?いいのあるよ】
しつこい。
【見たくないから】
【じゃあこれは?画像でも動画でないけど面白いよ】
またURLが貼られている。
【もういいって】
一人でやっとけ。
【だから動画じゃないって。聞いたことない?殺人依頼サイト。偽物じゃなくてリアルだよ】
【もう寝るから。おやすみ】
その後の返信は全部無視。夏休みが終わって学校に行っても口をきかなかった。
早苗は他に友達が出来なかったようで、それからは休み時間もずっと一人で本を読んでいた。3年生は別のクラスになったけれど似たようなものだった。今日も一人であんなものを読んでいたぐらいだから、高校にも友達いなさそう。
駅を降りると、すみれはいつもコンビニに立ち寄る。空腹で早く帰りたいところでも、風呂上がりにアイスを食べるのがこの時季の楽しみ。
2件向かい合わせになっているコンビニの、左側に入った。こっちの方が店員が元気で挨拶も気持ちがいい。店長がしっかり教育しているか、気の回るベテランがいるか。接客業を始めてそういうところにも気がつくようになった。
店に入るとさっそく「いらっしゃいませ」が飛んで来た。明るい店内に明るい声が響く。一直線にショーケースに向かった。
アイスが美味しい季節は『ダイエット』の文字が躍る季節でもあるけれど、ダイエットはアイスを食べながらでもできるし、夏は汗をかくからアイスの分は元がとれている、ということにしている。実際体重も増えていない。
美味しいアイスは何回食べても飽きないのに新商品も発売されて、どれにするか選ぶのも楽しみの一つ。
今日は由実のお土産があるから、チョコ系じゃないのにしようか。でもバニラの気分じゃないし。抹茶とか小豆もなくはないけど、どっちかっていうと今日はすっきり系が食べたい、ソーダとかオレンジとか。でも夕飯食べてお風呂出たら気分変わってたりするしなぁ、と何気なく顔を上げた瞬間、窓ガラスの影が動いた。
外は暗くても店の照明が横顔に反射していた。
こっちに気づいていたのか、偶然通りすぎただけかは分からないが、和田早苗だった。
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