第5話 バイトの休憩中

「じゃあ次横山さん1番行っちゃって」

 バックヤードから戻った野上がすみれに声をかけた。


「1番」とは店の隠語で休憩のこと。休憩の交代ぐらい客に聞かれたところで問題はなさそうだけど、そう呼ぶ決まりになっている。

 ローテーションが1つ回ってすみれが休憩の番。石川がレジからドリンクに移り、休憩から戻った野上がレジに入る。夜は混まないから洗い場は無人でも下げ台が溢れる心配はない。


 すみれは引き継いだ石川に見送られて一旦バックヤードへ行き、紺色のナイロンジャンパーを羽織って店内に戻った。1日1杯だけ、賄いとしてドリンクがもらえる。ただしコーヒーかカフェラテのSサイズ。紺のジャンパー着用は店員が商品購入する際の義務。他の商品も社員割引が利くが、近所にコンビニもあるし、あまり使わない。


 石川の作るカフェラテが飲みたかったけれど、ちょうどホットドッグを作っているところだった。邪魔しないよう野上にコーヒーを淹れて貰い、誰もいないバックヤードに戻る。ベテランの野上に対する店長の信頼は厚く、今日はもう帰宅したようだ。

 すみれはコーヒーを一口飲んでスマートフォンを開いた。由実からLINEが来ている。受信は20分前。


【お疲れさま。まだバイト中だよね?】


 9時半までって知ってるでしょうに。分かっている癖に由実はこういう聞き方をする。


【ようやく休憩に入れた】

 バイト帰りでもいいが、暇つぶしに休憩時間を使って返信する。


【おつかれ。時間大丈夫だった?間に合った?】

 間髪入れずに返信がきた。由実も暇らしい。


【ギリギリ間に合った】

 おかげで駅の階段で転びかけたけど。


【ちょっとしゃべりすぎちゃった?】


【別に平気だけど】

 おしゃべりはいつものこと。何をいまさら。


【でも桂なんか怒ってなかった?】


【そうかな?】

 すみれは気付いていないフリをした。


【桂最近冷たいっていうかちょっと感じ悪くない?】

 返信に少し間が空いたのは、書くべきか迷ったようだ。陰口めいているが、正直に打ち明けてくれるのは信頼の証でもある。


【いわれてみればちょっと機嫌悪いかも】 

 変に否定して桂を庇っていると思われても面倒だから同意しておく。決して、いわれてみれば、ではない。


【わたしの話聞きたくないのかな】


【まだナオヤと別れてそんなにたってないからね。もしかしたらそういうのもあるかも】

 桂が彼氏の直也と別れたのは、由実と崎元が付き合いだした後だった。


【でも桂だってナオヤの話してたじゃん】


【たしかにね】

 あんたほどノリノリじゃなかったけど。


【ともだちの幸せ素直に喜んでくれればいいのに。桂に新しい彼氏できたらわたしはちゃんと応援するよ】


【あの子ちょっと冷たいとこあるからね】

 教師との交際は素直に喜べるものでもないけど。


 返信してからさっきより長い空白が出来て、すみれは温くなったコーヒーに口をつけた。壁に掛かった6月のカレンダーの写真は、真っ青な空に白く伸びた飛行機雲。昼の流れ星はランチセットみたいにリーズナブルで、願い事はたぶん対象外。


【もしかして桂もつとむクンに気があったのかな】


【それはないでしょ】

 間を溜めて何を言い出すかと思えば。絶対にない。


【だよね。変なこと聞いてゴメン】


【桂が好きなのって俺様タイプじゃない?ナオヤもそうだったし】

 タイプ以前の問題だけど、恋は盲目か。由実には崎元がイケメンに見えるらしい。


【全然違うね。そんなわけないよね】

 照れとか恥ずかしさとか安心が入り混じり、顔を紅潮させているのが見えるようだった。


【正直すみれはどうなの?ああいう話聞くのヤダ?】

 話題を替えるついでに確かめたいらしい。『わたしは』と入力したのを消して、打ち直す。

【全然いいよ。由実の話聞くの好きだし。面白いし】

 気持ちのいいものでもないけど。


【ホント?ありがとう。そろそろ休憩終わりだよね。ごめんね。変な話に付き合ってもらっちゃって】


【全然大丈夫】


【このこと桂にはいわないでね】


【分かってる】

 言えるわけがない。


【じゃあバイトがんばって】


【ありがとう。もう少しがんばる】

 ちょうど休憩の終わる時間になった。冷めてしまったコーヒーを飲み干して売り場に戻った。



 すみれの次に休憩に入った石川が戻ると、ラストまで3人体制。すみれは洗い場に入る。

 閉店作業が一番面倒くさい。洗い場は、使った食器はもちろん、洗浄機も中の部品を取り外して洗うし、床は洗剤撒いてブラシでこすって水洗い。店内のゴミは全て回収して新しいゴミ袋に付け替える。

 レジは清算しなければいけないし、ドリンクの機械も毎日洗浄する。それが終わったら客席のテーブルを全部拭いて、床は掃き掃除とモップ掛け。トイレ掃除もある。開店中には出来ないことが山積みで、最後にまとめて片付ける夏休みの宿題のようだった。


「明日も出勤でしょ?」

 一段落して、店頭ポップを朝用のものに替えながらすみれが尋ねた。


「昨日も出勤だったから、久々の3連チャン」

 石川はレジ前の籠にチョコレートを補充して、その上に暗幕を被せた。


「大変だね」


「テスト前に稼いでおきたいからちょうどいいけどね。夏休み遊びたいから金いるし」


 すみれの頭を、由実が作ったチラシチュロスがよぎった。


「もう予定決まってるの?」


「こんなに早く決めないでしょ、まだ6月だから」と笑ってから「でも海は行くでしょ」と続けた。


 誰と?と聞こうか迷って出来た小さな隙間を縫うように、「横山さん先着替えてもらえる?」と野上の声がかかった。


 閉店時刻を過ぎても客が居座り、終業が10時を過ぎることもある。男女共用の更衣室は、女性が先に使うのが遅番の決まり。二人を待たせているすみれは手早く着替えを済ませて更衣室を出た。今はまだいいけど、真夏は汗の臭いが残っていそうで、混んだトイレで大きい方をするのに似た気まずさが残る。


 店内に戻ると、石川は客席に座ってスマートフォンをいじっていた。


「お先です」

 声をかけたすみれに、「お疲れさま」と顔をあげて手をふった。


「明日もがんばってね」

 すみれも手をふり返して店を後にした。

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