第4話 カフェバイト

 母子家庭になったのだから小遣いぐらい自分で稼がなければならない。すみれは高校に入学すると、このカフェで働き始めた。駅からアーケード商店街までの途中にある、上に学習塾が入っているビルの1階。客席数40ほどのこのチェーンでは比較的小ぶりな店舗がすみれの職場だった。


 基本は週3日、4時から9時半までの勤務。テスト期間は休みをもらう。学校の都合で欠勤したり遅刻したりする場合は、事前に申告すれば口うるさい店長も理解してくれる。ただし当日急にだと嫌味の一つも言われるのを覚悟する必要がある。


 作業は3人体制が基本で、レジ、ドリンク調理、洗い場を順に担当する。空いた時間を見計らって30分の休憩を回す。その分時給は引かれる。ランチタイムを除けばさほど混む店ではないから二人でも問題はない。9時に閉店し、清掃などの閉店作業をして終業となる。客の少ない時間でも諸々仕事があって、無駄な会話をする時間はあまりないし、勤務中は私語禁止。入店して1年が経過し、一通りそつなくこなせるようになっていた。


 すみれが一番好きなのは洗い場。といっても洗浄は基本的に機械がやってくれる。下げ台に置かれた使用済みのカップやグラスやソーサー類を回収して洗浄機に並べ、蓋を閉めたら数分後にはきれいに、ついでに熱々になって戻ってくる。ココアやホイップクリーム、口紅などのこびりつきは、スポンジで擦って再度洗浄機にかける。ただし電気代を食う洗浄機を回すのは食器が溜まってから。一度ヘルプで行かされた都心の店は、わんこそばのように次から次へ食器が下がり、ひっきりなしに回していたけれど、この店はそこまで忙しくない。

 鬱陶しいのは店と無関係のゴミを捨てる客で、カップやソーサーに紛れてトレイに乾電池が放置されていたりする。カフェに捨てる意味が分からないし、家で捨てろと言いたくなる。


 手が空いたら仕込みの作業で、まずはアイスコーヒー。これもほとんど機械がやってくれる。ペーパーを引いて粉を入れスイッチを押すだけ。抽出したらラップをかけて冷蔵庫に仕舞えばおしまい。アイスココアとアイスロイヤルミルクティーは原液を牛乳で割って、ボトルに入れればOK。割合は決まっているけど、ソムリエじゃあるまいし、多少狂っても問題ない。オレンジジュースに至っては紙パックからボトルに移し替えるだけ。


 喫茶店、特にチェーン店は、原価の安い美味しい商売と揶揄する人がいるけれど、思っているほど儲からない。カフェは客単価が低く回転率の悪い商売で、2、300円の飲み物1杯で3、4時間粘る客もいるし、連れに交じって注文せずに居座る人もいる。

 アルバイト3人使ったら、1時間で人件費が3000円。それだけ稼ぐのに何杯売らなきゃいけないか分かる?という店長の愚痴をここのバイトは一度は聞かされる。すみれもすでに3回は聞かされた。ここが初バイトで他業種を知らないすみれは、そういうものかなぁと言う感じで聞き流す。


 洗い場の次はレジで、主な仕事はもちろん会計。バーコードをピッとやるのではない口頭のやりとりは、今は慣れたものの最初はややこし過ぎて苦戦した。コーヒー、紅茶に、カフェラテにカフェモカに、ジュースにホットドックにケーキ等々、注文をレジの画面に見付けなければならない。飲み物はSMLのサイズとホットとアイスに別れていて、そこになければ切り替えて、そこにもなければまた切り替えてようやく見付けた画面にタッチする。まるでカフェ版百人一首。ちょっと手間取っただけで露骨に嫌な顔をする客もいて余計に焦ってしまう。


 注文を受けたら会計しつつ、ドリンク係に伝える。商品名とサイズとホットかアイスか。レジ係が自分で淹れるコーヒーと紅茶以外の調理は全てドリンク係の仕事、ホットドックを焼くのも。最初の頃にサイズを間違えたり、ホットドックを焦がしたりして、いまだに苦手意識があるドリンク係が一番嫌い。だけど今日は違った。


「ショートアイスラテお願いします」


 注文が入る度に交わすレジ係の石川とのアイコンタクトは、カフェインが混じったように脳みそを刺激する。注文が待ち遠しかった。


「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか」


 新たな来店に、石川が応対する。


「店内でお召し上がりですね。ホットコーヒーのサイズはいかがなさいますか?」


 客の声が小さい時は、確認を兼ねて注文を反復する。同時にドリンク係への伝達にもなる。コーヒーを淹れるのはレジ係の仕事だから、残念ながらすみれの出番はなし。石川は後ろにある機械にカップを置いてボタンを押し、コーヒーが抽出されている間に手早く会計を済ませる。


「ごゆっくりどうぞ」


 トレイに敷いたペーパーの上にカップとスプーンを乗せて差し出す。砂糖とミルクはカウンターの上から客が取るシステムで、この方が手間も廃棄も少なくてすむ。


「あっ」コーヒーを受け取った客に、すみれが目を留めた。


―早苗だ。中学2年の時同じクラスだった和田早苗わださなえ


 向こうは気付くことなく、着席した。

 調理場から横顔が見える。見慣れない私服姿だけど、ノーメイクの顔と髪型は中学時代のまま。手にしているのは何年も前に流行った雑誌の付録のトートバッグ。ダボっとした水玉のブラウスに下はタイトな薄色デニム、薄汚れたスニーカーの私服は地味っていうか、ダサい。

 和田早苗はコーヒーにミルクと砂糖を入れてスプーンでかき混ぜ、一口すするとバッグから取り出した本をテーブルに置いた。太字でデカデカと書かれたタイトルは『毒殺死体の行方』。


―出た。相変わらず好きだね―


 中学2年で同じクラスになって、席が近かったから最初は仲良くしていた。その頃から未解決なんたらとか、解剖なんたらとか、猟奇なんたらとかいう本が好きで、事件モノにやたらと詳しかった。警察官になりたいの?って聞いたらそういうわけじゃないけどって鼻で笑われた。普通の女子中学生じゃ絶対知らないようなことに詳しくて、でも話を聞くと意外と面白くて、影響されて勧められた本を読んだら実際面白くて一時期はまった。おかげでグリコ森永事件とか、帝銀事件とか下山事件とか、その辺の大人でも知らない知識まで身に付いた。


 でも夏休みにスマホを買ってからエスカレートしたっていうか、ネットで見つけた変な動画を勧めてくるようになって、一回見たらグロすぎて、こんなの見て喜んでるのヤバイって距離置くようになって。2学期から喋らなくなったんだよね。そのうちクラスでもキモイ奴扱いされ出して。本人はそんなに気にしてないみたいだったけど。


 クラス替えで最初に仲良くなった子って、しばらくするとそうでもなくなったりする。最初はとりあえず会話できる人が欲しいっていうのもあるし、段々本性が見えてくるのもあるし。


 そういえば高校どこにいったんだっけ。興味ないけど。


 和田早苗は『毒殺死体の行方』に没頭している。本が入っていたビニール袋は近くの古本屋のもの。


 あそこで買って、帰りに寄ったのか。焦って読む本でもないでしょうに、すぐに読みたかったのかな、ちょっと笑える。


 この店は、自宅から二駅しか離れていないのに知り合いは滅多に来ない。狭いと思っていた日本は案外広い。たまに知り合いが来て、こっちだけ気付いている時は、覗き見しているみたいでほんのり罪悪感を抱く。だけど面白い。

 中学の1個上で男子バスケ部のキャプテンだった田崎先輩は、よほど美味しかったのか、一口食べてチーズケーキに向かって親指を立てた、一人なのに。帰り際には名残惜しそうにフォークを舐め回した。

 店に入ると油断して、人目を忘れる人が結構いて、頭を掻いた指の臭いを嗅ぐおばさんとか、パズルを完成させるみたいに両手の指の関節をくまなく鳴らすOLとか。

 そういう自分も何かやり忘れている気がして洗い場で「あれやったでしょ、これやったでしょ」と呟きながら指差し確認していたら、後ろに店長がいたことがある。

 どうってことなくても、素を見られるのって結構恥ずかしい。

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