其の肆・十五時三十分

 15:29

 もうすぐ時間だ


「ふう……、今日はこれで全員かな……?」


 右、左、そして正面、何度も確認するがやってくる人の姿は見えない。

 自然に顔がほころび始める。

(おっと、抑えて抑えて……。よし……、今日こそは……!)

 長い針が六の数字を指し示した。それとともに大きな鐘の音が一回鳴り響く。


 15:30


「よーし片付けしよーっと! 早く帰って飲みに……」


 身体をかがめて机の上の書類を全て足元の引き出しに片付ける。

(鐘の余韻がまだ残っているがそんなこと関係ない! 今日こそ残業しないでさっさと帰るんd……)


「ちょっと待ってーーーー‼」


 嫌な声が聞こえた、私は机の下からひょっこり顔を覗かせる。すると一人の少年が勢いよく走りながらこっちに向かって来ていた。

 私は急いで頭を隠す。


(えええええ⁉ なんでこんなギリギリに!? もっと早くに来てくれよー‼)


 私は机の下で髪の毛を掻き乱す。


(今日こそは早く帰ってやろうと思ったのに。じゃないと絶対あの上司が残業してくるように言って帰れなくなるじゃん……。嗚呼、何で私の人生とはこんなにも不運なのだろうか……)


 頭上ではあの少年が何度も「すいませーん」と必死で呼んでいる。


(なんだか罪悪感が出てくる。たしかに来たのは遅いけどまだギリギリだったし……。いや、待てよ……!? そうだ、ほかの人の任せればいいじゃん! 窓口はここにもあと四つほどあるしそのうちの誰かが……!)


「それじゃあ、お疲れ様でーす」

「おっさきー!」

「先輩! 今日もありがとうございました!」

「ほどほどで帰りなよー」


 私が心の中で葛藤しているうちに頼りの四人が目の前でさっさと出ていってしまった。


「え?」


 振り向いて四人の窓口を見てみると、既にシャッターと一緒に「本日は終了しました」と書かれた札が下ろされている。

 そしておそるおそる正面の、私の窓口に顔をやる。すると先ほどの少年が顔を覗かせていた。


「あの、遅れてすいません……」

「あ、はい……」

「えっと、第三ブロックで参加していた前野です」


 そう言ってデスクの上に折り目が付いた参加証を提出してきた。


(どうしよう……。「もう時間外なので無理です」とハッキリ言って断ろうかな……?)


 そう思った。だって早く帰りたいし。

 でも目線を彼の顔に移して考えが変わった。

 それは彼の目は申し訳なさそうに見えたから。という理由だけじゃない。

 なにか彼には重いものがのしかかっていて、それを果たさないといけないような覚悟の目が見えた。

 ここで突き離すのは簡単だ。


 ――でも


 私は椅子に座りなおして元気に答える。


「はい。分かりました! では、書類を受け取らせてもらいます!――」



 言っても、この作業も早く終わらせれば五分もかからない。私は急いで確認、ゼッケンの準備、受付を終わらせる。


「――以上で、受付は終了になります! ではここの右側にある通路をまっすぐ行ってもらうとそこに控室がありますのでそちらの方にご移動よろしくお願いします!」


 彼の番号が書かれたゼッケンを渡して彼を見送る。

 彼は姿が見えなくなるまで頭を下げていて、ずっと「ありがとうございます」と言い続けていた。


「ふぅ……」


 椅子に寄り掛かりながら一つため息を吐く。

 気持ちはなぜか、まるで良いことをしたときみたいにとても清々しかった。

(あの子……、何を背負っているのか分からないけど、頑張ってほしいな……)

 そう感じた。


「よーし! 終わった終わった! さて帰るか!」


 私は少し笑いながら、体を起こして伸びをした。

 今日はこれで営業終了。

 さて明日も……!


「あ、まだ残っていた。追加でこの仕事やっておいてくれない? 明日までに必要だからさ、どうせ時間あるでしょ? それじゃあよろしくー‼」


 嵐のように入って来て帰っていった上司、いきなり目の前に置かれた山積みの書類、無くなった定時退社。

 反論する暇すら無かった。


「はぁ……」


 私は泣く泣く机の上に山積みになった書類に手を付けた。

 私が定時退社できるようになる日はいつになるやら……。



 *******************



「なんとか間に合った……」


(……いや、全然間に合っていなかったな……、もう一度あの人に会ったらちゃんとお礼を言わないと……)

 冷静に考えるとかなり迷惑な人だと内心で感じる。


 僕は受付を済まして、案内された通路を走っていた。通っている人が全くいないし本当にこの通路で合っているのか不安だ。てゆうか、ほかの参加者はとっくに控室に入っているからほかに通路を歩いている人がいないのかもしれない。

 レンガでぼこぼこして足元がおぼつかない道を走る。壁には火が灯された松明が何本もかけられており、まさに「闘技場」というような雰囲気だ。


 ――緊張する。


 何かを競うなんて僕は今まであまりやってこなかった。

 体育祭などの学校の行事でも、テストの成績でも一位になるために全力でやったりしたことは無かった。

 ビリじゃなかったらいいや。そこそこ良かったらそれでいい。

 そう思っていた。


 だからこのような場に参加するというのがなんだか不思議な感覚でしょうがない。


(……あれ? そういえばそもそも僕はなんでこれに参加しようと思ったんだっけ?)


 無理矢理アレクサンドロスさんが参加させてきたというのが一番の理由だ。

 今は忍者さんと約束したもある

 でも本当に嫌だったら参加するって決まった瞬間、断って逃げればよかった。それもできたはずだ。


 なのに僕は参加を決めた。


 それが逃げるほどの勇気すらなかったからか、それとも心の底には「戦いたい」という小さな灯があったからか


 それはまだ僕にはわからなかった。


「あ……!」


 目の前に光が見えた。

 大きな扉の形をした光。

 僕はその光に向かって飛び込んだ――





 光の先は大勢の戦士たちの間だった。

 パッと見ただけでも百人以上は確実にいる。とても重そうな甲冑をまとった者、古代ローマで戦っていたと言われる剣闘士グラディエーターの姿をしたもの、はたまた西部のガンマンや、スナイパーライフルを持った人、オンラインゲームの世界に居るような装備をした人。

 武器や時代、そして人種さえも越えて様々な人がいる。


「うわぁ……! 凄い……」


 その様子に感嘆の息すら漏らしていた。


「おっ! 来たか! ギリギリセーフだったな!」


 声がした方を見ると、さっきカフェで一緒にいた金髪二人組が手を振りながら近づいて来た。


「あっ……! さっきの……」

「あ~! そういやまだ名前教えてなかったな」


 そういうと短髪の人の方が親指を自分の方に向けて名乗り始めた。


「俺の名はジョージ! ジャパニーズカルチャーが大好きなイケメンさ!」


 そう言ってニッと笑い、歯を輝かせる。

 笑顔がまぶしい。

 陽キャの波動を強く感じて浄化されそうになる。


「そしてこいつが……!」

 ジョージさんは隣に立つ長髪の男の肩に腕を乗せた。


「どうも、わたくしノアと申します。以後お見知りおきを」


 ノアと名乗る長髪の男は掌を胸に置いて微笑みながらお辞儀をする。


「ジョージさん、ノアさん、さっきはありがとうございました」

「いえいえ」

「どうってこたぁねえよ! それよりも……、あの忍者どうだった……?」


 顔を曇らせながらジョージさんが聞いてきた。

 ノアさんも平然を装ってはいるがどことなく気になっているようだ。


 脳裏に彼の表情が浮かんだ。


「彼は……、今回出ません……」


 僕は重苦しくも、そう現実を伝える。

 二人は「やっぱりか……」というような暗い表情になる。

 なんとも言えない空気が広がり、なんとなく居心地が悪い雰囲気になってきた。

 その中で僕は口を開いた。


「……僕が――」



 *******************



「僕があの人をやっつけて、彼女とあなたの敵を討ちます」


 僕は忍者の前でそう宣言した。

 忍者は涙を拭う手を止め、ポカンとした目でこちらを見た。


「は……?」

「僕があの人をやっつけてきます。忍者さんは大人しく待っていてください」

「いや……、待て……!」


 忍者は僕の方に手を出して静止してきた。


「バカなことを言うんじゃねぇ! アイツらを見ただろう? 見たところお前はまだ子供のようだがアイツらは子供だからって絶対に容赦はしない! 勝てるはずがない!」


 叫んで傷が痛むのか腹を強く抑えている。

 その様子を見てオーナーさんが忍者の傍に駆け寄って「大丈夫ですか?」と聞いた。忍者は顔を引きつらせながらも「大丈夫だ」とやせ我慢している。


 分かってる。

 今、まだ勝算は無い

 ――でも、


「たしかに勝てるか分からないです。 多分、このまま策も無しに立ち向かっても負けてしまいます……」

「だろう? だからお前は大人しく無視してくれたら良い。子供が大人の喧嘩に口を挟んじゃ……」


「でもあなたは『勝てるか分からない』状態でも、彼らに立ち向かっていきましたよね?」


 僕は彼に言い放った。


「いや……、確かにそうだが、それは……」


 忍者は言葉を濁しても口をモゴモゴさせている。


 僕は一息吐いて言う。


「勝てる、勝てないじゃないんです。これはただ僕の自己満足です」


 僕は巾着袋の中からゼンを取り出した。


「オーナーさん、お代、これで足りますか……?」

「え、あぁ……」


 先ほど食べた分のゼンを支払って僕は店を立ち去ろうとする。


「必ず敵を討ってきますので待っていてください。オーナーさん、彼をお願いします」


 そう言って足早にドアの方に向かった。


「待ってくれ!」


 ドアの取っ手に手が触れたとき、後ろでもう一度僕を静止する忍者の声が聞こえた。


「……あんたには関係ないことだろ? なんでそこまで……?」


 彼は不思議そうな顔でこちらを見ている。

 そりゃそうだろう。

 まったく知らない初めて会った人に、全然強そうにも見えないただの子供に、

「敵を討つ」

 なんて言われるなんて。


 僕はドアを開けながら彼の顔を見て言った。


「僕は――」


 思うと、こうやって人前で宣言するのは初めてなのかもしれない。確か、昔の有名な人が言っていた気がする。


『夢を叶えたいなら人前で宣言しろ』って


「――ヒーローになるんです」


 呆然とした二人の表情を見ながら僕は扉を閉めた。



 *******************



 僕は俯きながら二人が去った後のことを話していた。


「――って、してしまったので……」


 話を言い終わってチラと二人の方に目をやると、二人とも店の去り際に見た忍者とオーナーさんと同じように呆然とした顔で見ていた。


「えっと……、あの……?」


 二人の様子を伺って改めて声をかけた。

 すると二人は部屋中響き渡らんぐらいの大声で笑い始めた。


「あぁ~っはっはっはっはっは‼」

「ははははははははっ!」


 冷静になって考えてみたが、人前で「ヒーローになる」って宣言することが恥ずかしく感じてきた。

 少し頬が熱くなってくる。

 でも言ったことは本当だ。絶対に曲げない。


「なるほど、『ヒーローになる』か! いいと思うぜ! 俺はそういうの大好きだ!」


 ジョージさんは拳を僕の胸に軽く突きつけて笑いながら言った。


「なら、俺も手伝ってやろうじゃねぇか! もちろんノアも手伝うよな!?」


 ノアさんも口元を抑えて笑いながら頷いた。


「ええ。ただのバカは嫌いですが、あなたのように夢のあるお馬鹿さんは嫌いじゃないです。もちろん手伝わせてもらいますよ」

「……おい、ただのバカって」

「? どうしたんですか? もちろんあなたのことですよ?」

「てめぇ!」


 ジョージさんは笑いながらノアさんの首を絞め始めた。

 本当にこの二人は仲が良いんだと分かった。生前からの仲なのか、それともネノクニからの仲なのか。それは分からない。でも心が通じ合っているような、そんな仲なのだと感じた。

 なんだかとても清々しい気持ちだ。

 本当にありがたい。

 僕の夢を後押ししてくれるだけじゃなく協力してくれる人がいるというだけでこんなにも心が軽くなるんだと感じる。


『ヒーローになる』


 言うのは簡単だが、実際になるためにはかなり厳しいことになるだろう。

 忍者さんの敵を討つためにも、本当のヒーローになるためにも。

 僕はやらなくちゃいけない。


 そう覚悟を決めた。


 その時、奥からゆっくりと拍手をしながら誰か近づいてくる音が聞こえた。


「あぁ、いい話じゃないか! 全部聞かせてもらったぜ……、泣かせるねェ……!」


 聞き覚えがある声、聞きたくない声。

 その音の方へ振り返る。

 そこには予想通り、後ろに部下を引き連れた大柄の男が立っていた。

 僕は今回の目標である、倒すべきそいつの顔を睨みながら名を口に出す。


「ダリアッ……!」


「よぉ、逃げずに来たみたいだな。クソガキ」

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