其の拾弐・病室の夜

 ――遠くから何かが聞こえる。

 暗闇の中、かすかにだが女性の声が。

 ……以前にもこんなことが、似たようなことがあったような気がする。


 だが今回の声は泣いていない。


 なにかを問いかけているような声だった。


 ――誰か、誰か……


「あの……、聞こえているよ。いったいどうしたの?」


 ――聞こえる? ほんとに?


「うん」


 ぼくは優しく返事をする。


 ――ここはどこ……?


 僕は一度あたりを見渡す。

 周りは一面真っ暗闇の暗黒でどこなのか分からない。


「ここは……、僕にも分からない……。けど、おそらく夢の中……?」


 ――違う


「え?」


 ――私は生きているの? それとも……、死んでいるの?


 その言葉を聞いてようやく質問の意図が分かった。


「……ここは死後の世界、『ネノクニ』っていう世界だよ」


 ――じゃあ……、私は死んだの?


「ごめん、それは分からない……。まず、君は誰?」


 ――私? 私はだよ。


 突然、ノイズが入ったように名前のところがかき消された。


「……ごめん、もう一度言って……? うまく聞き取れなかった」


 ――私の名―は―――や―――――よ――、


 やはりうまく聞き取れない。何度も耳を凝らすがむしろノイズが激しくなってきて徐々に言葉が全て飲み込まれていく。


 暗闇にはテレビの砂嵐のような雑音だけが残った。

 僕はどうしよう。

 たしか以前は大勢の人に囲まれて、聞くに堪えない五月蠅い罵詈雑言を浴びせられた。それに対して反抗したら目が覚めたのだが、今回はそんな人影もない。


 ――――テ―


 その時、ノイズの中から何かが聞こえた。

 もう一度耳を凝らす。


 ―――スケテ――――


「助けて」

 確実にそう聞こえた。

 僕は上空に向かって声かける。


「どうしたの!? 大じょ……!」


 だが、その投げかけた声は救済の声にかき消された。


 タスケテタスケテ

                タスケテ  タスケテタスケテ

タス    ケテタス    ケテタスケ テタスケテタ

       スケテタ               スケテタ

  スケテタ           スケテタスケ           テタスケ      テタスケテタ

 スケテタス 


ケタスケテタ    スケテタスケテタ 

             スケテタスケテ


 その声は鼓膜を破かんばかりの大音量で助けを求めに来ている。

 おもわず耳を塞いでしまう。

 だが、耳をふさいだ瞬間気づいた。


 いや、


 塞いだら

 この声は助けを求めている声なんだ。


 ヒーローは求められた助けを捨ててはいけないんだ。


 耳から手を離す。


「待ってて! いま助けるから!」


 僕は暗闇の中を走り出した。

 どこに向かっているのか分からない。でも、なぜだか行くべき方向が見えた気がした。

 しばらくすると光が見えてきた。その光に近づくにつれ声も耳元で叫ばれているほど近くにいるように感じる。


 足を止めた。

 僕の目の前に、光の先に、人の姿が見えた。

 逆光になっているため顔は見えない。だが、確かにそこにいる。


 それに気づいた瞬間、助けを求めていた声も同時に消えた。


 ひとりの女性、しかしその女性の身体には何か白いものが巻き付いていた。


 僕はゆっくりと足を進める。


「助けに来たよ」


 そしてそっと手を差し伸べた。


 その時、彼女の顔が見えた。


「君は――」



 *******************



 目が覚めるとそこは見覚えのない天井……、

 ではなく、一度見たことある天井だった。


「痛てて……」


 まだ若干痛む左肩を抑えながら僕は簡易ベッドから体を起こした。

 ふと横に目をやるとベッドの上で横になった、未だ目を覚まさない月ノ宮さんがいた。

 どうやら僕が今寝ていた簡易ベッドは窓沿いの壁に月ノ宮さんのベッドと平行に置かれているらしい。


「あ、起きましたね!」


 部屋の中で聞き覚えのある声が聞こえた。まあ聞こえるのは当たり前だろう。

 だってここは彼女の部屋なのだから。


「少し帰りが遅くて心配していたら隆宏さんが怪我したあなたを背負って帰ってきたんですよ! いったい何があったんですか⁉」


 八重さんは真剣な眼差しで腰に手を当てて叱ってきた。


「あ……、すいません。実は――」


 かくかくしかじか


「はあああぁぁぁぁ!? なんですかその人! 人の魂をなんだと思っているんですか⁉ たしかに合成魂は人としての権利を剥奪されているらしいですけど、だからと言って自分の所有物のように売り物として扱うのなんて‼」

「八重さん八重さん!」


 僕は時計を指差してもう夜が遅いことを伝える。それと同時に僕自身ももう真夜中になっていたことを知った。


「はぁ……、詳しくはまた明日聞きますから、今日はしっかり休んでその方の怪我を治してくださいね!」

「はい……」


 八重さんはそう言うとコート掛けからコートを取って羽織った。


「あれ? どこか行くんですか?」

「どこって……、家ですよ。私の家。千代さんのこともありますし、しばらくの間病院で寝泊まりするための荷物を取ってこようと思って……」


 たしかにそう言われてみればたとえ医者や看護師でも病院で生活している訳ではない。

 住む家があれば戻る家がある。

 八重さんにも家があるのは当たり前だ。


「じゃあ私は荷物取ってきたらそのまま仮眠室に直行するので、夜の間、千代さんになにかあったらナースコールでも使って連絡してください」

「はい。本当にいろいろありがとうございます」

「いえいえ、ふあぁ……それじゃあおやすみなさ~い……」


 八重さんは眠そうにあくびをして目を擦りながら部屋のドアを開け外に出た。ドアはゆっくりと閉まっていくが少し隙間を開けてピタリと止まった。

 隙間から顔を出さずに八重さんの声だけが聞こえてくる。


「それと……、一応ですけど二人だけだからと言ってやましいことなどはしないように……、一応ここは病院なので……、その……」

「そっ……! そんなことしませんよ‼」


 つい声を荒げて否定する。


「で、ですよねー‼ じゃあお休みなさーい‼」


 八重さんはドアの隙間から手を伸ばして電気を消し、ドアを勢いよく音を立てながら閉めた。

 部屋の外で八重さんが小走りで去っていく音が聞こえる。


「はぁ……」


 いったい、突然何を言い出すんだ八重さんは……

 恥ずかしくて顔が熱くなってきた……。

 だが、この部屋には僕と八重さんだけなのも事実。


「…………」


『…………』じゃないよ‼ 

 僕は顔を自分で軽くはたき、頭の中にある邪な考えを消す。


 一度落ち着きを取り戻して、僕はもう一度横を見た。

 そこには窓から差し込む外の光で、照らされながら眠っている月ノ宮さんがいた。

 月ノ宮さんにつけられたコードの先にある機械が一定の間隔で少し高めの音を鳴らし続けていた。


 ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……


 月ノ宮さんは一切反応をしないが、その音が「月ノ宮さんが生きている」ということを確証してくれている。


 君は――

 さっきの夢に出てきた女性


 それは紛れもなく月ノ宮さんだった。


 彼女は眠ってもなお、助けを求めていた。

 他の人からしたらただの夢だと言われるだろう。でも僕の中ではそんな気は一切しなかった。


 あれは彼女からの信号だったのだろう。

 どうにかして彼女を助ける方法を見つけないと……。

 僕は窓から外を眺めて、少し物思いに更けた。


 どうやったら月ノ宮さんを助けられるのだろう?

 それに裏路地の出来事、あの少女たちを救うもっといい方法はあったんじゃないかと後悔してしまう。

 あと家、そう簡単に元の世界へ戻る方法が見つかるはずがない、いつまでも病院でお世話になっている訳にもいかないし、そのためにも拠点となるような家を用意すべきなのだろうし……。


 やらないといけないこと、考えないといけないことが多すぎて頭が痛くなる。

 でも、やらないといけない。



 元の世界に戻るかどうかは別としてとりあえず戻る方法を探して拠点となる場所も探す、今のような後悔をしないためにももっと強くなる、そして何としてでも月ノ宮さんを助ける。


 もう辛い思いはさせたくない。

 僕は痛む肩をぎゅっと握った。


 元の世界のことが頭の中によぎる。


 痛い、つらい、誰も信用できない、孤独

 そんな僕のような人はもう出させない。出したくない。


 もっと強く、もっと優しい、

 みんなに笑顔を届けられる、

 守りたいと思ったものをしっかり守れる、

 そんなヒーローになる。


 僕は窓から見える上空に浮いた巨大な根にそう誓った。


 とりあえず明日は突然出場することになったニーヴルコロシアムの予選があるし、その前に午前中にはあの司書さんが集めてくれた本も読みに行かないといけない。


 もう寝よう。


 僕は月ノ宮さんの寝顔をもう一度眺め、また毛布の中に体を潜らせて目を瞑った。




 一定で聞こえる機械音とともに僕は次第に眠りについていった。

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