其の拾壱・修行の成果
脚は地面から離れ、すでに僕は奴隷商人の下へ駆け出していた。
彼は近づいてくる僕の姿を見てもう一度大きく鎖を振る。僕は横からやってくる鎖をしゃがんで避け、さらに彼の下に近づく。
集中、
相手に『集中』して隙を見つけ、
全体に『集中』して攻撃を避ける。
森での修行で身につけたこの二つの集中『一極集中』と『神経過敏』を使って近づいて行く。
奴隷商人は少し焦りが出てきたのか、どんどんと大振りで鎖を振ってくる。だが僕はそれをしっかり見て、上に飛び跳ね、下にしゃがみ、ときには少し立ち止まりながら難なく避ける。
いける。修行の成果がしっかり出ている。ちゃんと人間相手にも通用する。
「なんだテメェッ‼ くそっ……! ちょこまかと避けやがって……!」
だが避けつつも、着々と距離は縮まっている。
やってくる鎖もスローでゆっくりと見えてきた。
「チィッ……! くたばりやがれェ‼」
奴隷商人は鎖を強く握り、今までの力を全部込めたように恐るべき速さで大きく振り下ろしてきた。
ここだ。
相手が焦って無駄に大ぶりな行動をしたこの瞬間を待っていた。
僕の脳天をめがけて落ちてくる鎖をよく見る。
いや、『見る』じゃ足りない
『視る』だ
落ちてくる鎖にあるいくつも繋がっている部品の中の一つに、まだ動く右腕を上に突き上げて刀の刃を差し込む。
刃は突っかかることなくきれいに輪の中へ入っていった。そして刃が輪にはまったのを確認してそのまま刀を背後に向かって引き上げた。
奴隷商人はその鎖と一緒に体を前に引っ張られバランスを崩す。
僕はその瞬間を見逃さない。
すぐさまはまっている輪から刀の刃を引き抜き、もう一度地面を強く蹴って間合いを詰めた。
倒れそうになりかけて、脚を前に出してなんとか耐えることのできた奴隷商人は僕が素早い動きで近づいているのを見て危機感を覚えたのか、また手から鎖をはずしてローブの中に手を突っ込んだ。
もう一度撃ってくるつもりだ。
だが、そう簡単にはいかせない。
拳銃を取り出させる前に僕は奴隷商人の傍まで近づく。
「もう銃を構えても間に合わない」彼はそう思ったのかもしれないが身体はもう反射で止まれなくなっているらしく銃を取り出す動きは止まらない。
そうしてローブから拳銃が見えた瞬間、僕は刀の柄尻で彼の拳銃を持つ手をはじいた。
奴隷商人の手には衝撃が走り、彼は小さくうなり声をあげると手から拳銃がはじき上げられていくのが見えた。
その拳銃はきれいな放物線を描きながら人の群れの方に飲み込まれ、消えていった。
勢いを殺さずにそのままもう一度刀の柄尻で、今度は奴隷商人のみぞおちあたりを狙うが今度はそう簡単にはいかず、おもいきり足で蹴り飛ばされてまた距離を取られる。
「痛ぇじゃねえか……。ガキの癖に舐めたマネしやがって……‼」
奴隷商人はおそらくかなり焦っている。銃を失い僕を確実に仕留められる可能性はゼロに近づいているはずだ。
このまま時間をかけてごり押したらまだこちらにも勝機はある。
だが、僕も少し限界が近いのが現実だった。だんだんと呼吸が荒くなってきていた。
やはり左肩を撃たれたのが大きかったみたいだ。
激しく動くことで血のめぐりが良くなったのか、血は止まらずドクドクと出てきている。
僕たちは何も発すること無く、互いに対峙していた。
その時間のおかげで少し頭の中が冷静になってきた。
「もう、やめにしませんか? 最初に言ったように僕はそもそも戦う気はありません。もう彼女たちから手を引いてください」
「ハッ、まだふざけたこと言いやがって……! 嫌だね! それに今はもっと気になることが出来たぜ……」
彼はそう言うとにやりと薄気味悪い笑顔をしながら僕の方を指差した。
「なんだその血は? なんで魂だけの奴から血が流れている?」
瞬間、血の気が引いた。
そうだ、この世界に住む人たちはみんな『魂』の存在
血なんて出るはずがない。
僕はハッとして刀を持ったまま左の銃創を押さえた。
「隠しても無駄だぜ……? ガキ、テメェ何者だ……?」
マズい、気づかれる。
呼吸が突然震えだした。
ダメだ、こんな時こそ落ち着いて平然とした態度でいないと……。
そう心の中で思っても簡単にはうまくいかない。
「答えねぇか……、まあそれならそれで、とっ捕まえて締めあげるだけだなぁ!」
その声で周りも盛り上がる。
「おい、まだ続くようだぞ!」
「あっさり殺したらつまんねぇからな‼」
「ガキもうまく逃げ切れよ~‼ ギャハハハハハ‼」
奴隷商人は両手を使って鎖を頭の上で振り回し始めた。
その勢いはどんどんと増していき、目に見えなくなってきた。
ダメだダメだダメだ、しっかり見ろ、『集中』しろ。
落ち着け、落ち着くんだ。あれはさっきまで見えていたものとおんなじ鎖だ。
見えないなんてことは無い。必ず見えるはずだ。よく見ろ視るんだ
視ろ 見ろ 視ろ 視 ろ 視 ろ 視ろ 視ろ 視ろ 視ろ 視ろ 視 ろ視 ろ 視ろ視 ろ 視ろ
「はい、そこまで」
頭の中が真っ白になった時にその声が聞こえた。
我に返った僕の前には茶色いチェック柄のロングコートを着た白髪の老紳士が立っていた。
「え……?」
そしてその老紳士の傍には先ほど逃がしたはずの二人の少女が彼のコートをしっかりと握ったままこちらを向いて立っていた。
「なんで……?」
「ほらキミたち、あの少年を治療してあげなさい」
そう言って老人はコートの中から包帯と透明な液体が入った小瓶を取り出して少女らに渡した。
受け取った少女たちは小走りで僕の傍まで駆け寄ってきた。
「二人とも……、どうして……?」
「お兄ちゃん、動かないで」
そう言うと茶髪の少女が僕の服を引っ張ってその場に座るように指示してきた。
言われるままその場に座ると、今度は黒髪の少女は包帯に透明な液体を浸けて僕の左肩に押し当ててきた。
二人ともボロボロと大粒の涙を流していた。
「痛っ……」
傷口に液体が染みる。
だが、その感覚は何処かで感じたことがあるかのように、なにか懐かしいものを感じた。
「お兄ちゃん……、私たちのせいでこんな怪我を……」
黒髪の少女が包帯を抑え、涙を流しながら言った。茶髪の少女もとなりですすり泣きながら頷いている。
「大丈夫だよ、二人が無事なら良かった」
若干、やせ我慢も入っている。
本当はとても痛かった。できるなら逃げたいとも考えていた。
でも、それ以上にあいつが許せなかった。
それ以上に二人を守りたいと思っていた。
僕はなぜか自然と二人の頭の上に手を置いていた。
その手が頭に触れた瞬間、緊張の糸が切れたのか二人は大声で泣き始めた。
「「うわぁぁぁぁ~ん‼」」
「えっ、ちょっと⁉ 泣かせるつもりは……」
二人は泣きながら僕の肩に包帯を巻いてくれている。
ふと正面に目をやると奴隷商人があわあわしながら老人を見ていた。
「な……、なんであんたがこんなところに……?」
「いやァ、ただの買い物サ。歩いていたらこのかわいい少女たちが何かにおびえるように走っていたところに出くわしたものでね、なにやら大変なことが起きていると聞いてやってきたわけだよ」
どうやら二人は顔見知り……なのかな?
だが、周りの様子もおかしい。
さっきまで歓声を上げていた人たちは一気に静まり返って老紳士の方を見ながら小声で何か話している。
「おい……、あの人って……」
「ああ……、本物だ」
「まじかよ……! 実在したんだ……!」
どうやら、この路地裏での有名人なのかもしれない。
奴隷商人は急に仰々しくなっている。
「で? 何があったのかな?」
「いや、あのですね、俺の商品が逃げ出したので追いかけていたんですけど、そのガ……、その少年が邪魔しに来て……」
「ほぉ」
老紳士は横目でこちらを見てきた。
青色に輝く彼の瞳はとても澄んでいた。
「ふむ、つまり事の発端はこの少女たちが逃げた事……、でいいんだね?」
「あ、はいっ! そうなります」
そう言われて少女たちはビクッとして泣くのをやめた。
「なるほどね……」
老紳士はそう言うと、今度は僕の傍に歩いてきた。
「大丈夫かい? ……と言いたいところだがあまり大丈夫ではなさそうだねぇ」
「いえ……、あの、止めてくださってありがとうございます……」
「礼なんていいさ。それより一つ聞いてもいいかい?」
「え?」
そう聞きなおすと老紳士は体をかがめて耳打ちしてきた。
「キミはあの商人から二人を解放してあげたいんだよネ?」
「……はい。そうです……!」
小声でそう返すと老紳士は笑みを浮かべてウインクした。
老紳士は身体をもとに戻し、また僕と奴隷商人の間に立った。
「ヨシ、決まった」
「彼女らは私が買おう。何ゼンかね?」
*******************
それからはあっという間だった。
奴隷商人は驚いてなんども聞き返していたが、老紳士は顔色一つ変えることなく頷き、コートの中から小切手を取り出して渡した。
しかも老紳士はこの二人の少女だけでなく、奴隷商人が扱っていた
おそらく十分ほどだっただろうかそれぐらい経つとすべてが終わったのか奴隷商人は意気揚々と笑いながら「命拾いしたな」と言って去っていき、路地にはもとの静かな空間が戻っていた。
「イヤー、久々に大きな買い物をしたヨ」
老紳士はあくびをしながら。僕の傍までやってきた。
「あの……」
「あぁ、安心したまえ。子供たちは私がしっかり育てるから。決して奴隷のような扱いをさせないと誓おう」
「あ……ありがとうございます!」
「さぁ、ここは君のような一般人が来ていいところじゃない出口まで送ろう」
老紳士は子供たちをぞろぞろと引き連れて歩き出す。
僕は二人の少女と手を繋いで一緒に出口まで歩く。
この人はいったい何なんだ?
この子たちを全員買うって……、とてつもない額のゼンが必要のはずだ。それをこんなにもあっさりと……。
「あのっ……」
「ん? 何だい?」
「あなたはいったい……?」
「『いったい』……か。そうだねェ……、ただの子供好きなしがないおじさんだと思ってくれたら構わないよ」
「でも……!」
「それよりキミィ……、日本風に言うと『カタギ』の人間がこんなところに来るもんじゃないよ」
「それは……」
「この路地では『ゼン』が、『金』がすべてなんだから、子供を助けたいといってあんな無茶はもうしたらダメだよ!」
老紳士は人差し指を立てて注意してきた。
「はい……、でも……」
「まぁたしかに気持ちは分かるがね、でも気を付けたまえ」
「はい……」
会話はそれだけだった。
本当はもっと聞きたいこともあったのだが、なぜか言葉が出なかった。
ようやく出口に着き、元の歓楽街に出た。
「じゃあ、ここは子供たちの教育にもよくないし私たちはもう帰ることにする。さあ二人とも」
老紳士のその声を聞き少女たちは僕から手を放し、ほかの子供たちのところへ駆け寄る。
「あっ……」
だが、少女らは途中で立ち止まり振り向いた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「またね」
二人は涙を流しながらもとてもにこやかな笑顔だった。
僕もそれを見て手を振ってかえす。
「うん、また会おうね」
良かった。笑ってくれていた。
それだけで自分のやった行いが報われたような気がした。
「では少年、私もまた会えることを期待しているよ」
「はい。本当にありがとうございました」
僕がお辞儀すると老紳士はにっこりと笑ってかえした。
僕は子供たちが見えなくなるまでその場で手を振っていた。
元気な子、おしとやかな子、いろんな子がいたが、みんな無事でよかったと心から思う。
あの老紳士もいい人だし、もうあの子たちは安心だろう。
少しほっとして緊張が解けたのか少し立ち眩みがする。
そういえば、まだ伊能さんを見つけていなかった……、早く探して戻らないと……
頭がひどく痛む、視界が揺れる。
そういえば血も沢山出ていたなぁ
と頭の中で思い浮かぶ。
はやく
みつけないと
身体が倒れる
脚から崩れて体に衝撃が走る。
そのまま僕はだんだんと意識を失っていった。
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