其の漆・不条理

「――ということがあって……」

「はぁ……、私がいない間に災難でしたね……」


 コロッセオの窓に腰を下ろしていると、仕事が終わった八重さんと偶然合流してさっきまで起きていたことを話していた。


「でもアレクサンドロスさんに出会えたのは良いことですよ! 彼が出場したときはいつも優勝していますし本当に無敗なんです。それに彼が出ていた『予選第一ブロック』ですが、今回はかなりの強者が集まっていたのにもかかわらず難なく予選突破していましたし……!」

「やっぱり凄い人だったんですね……」


 アレクサンドロスさんと話して思ったのだが、彼にはあまり「凄い人感」は感じ無かった。

たしかに彼を怪しんで攻撃しようとしたときに睨まれた際は不思議な「圧」は感じた。だがそれとは別に「王」というよりも「近所のおじちゃん」みたいにとても気さくな感じがあった。

 でも八重さんの話や、アレクサンドロスさんを囲んでいたあのファンたちを見るに察すると、彼はこの世界において本当に有名な人だったのだろう。


 ……ていうか、それよりなんで僕を「ニーヴルコロシアム」に参加させたんだよあの人は……

 思わずため息をついてしまう


「どうかしましたか?」

「あ、いえ……。何にもないです……」


 コロシアムに出る。


 つまり闘わないといけないのだろう。

 けど


 怖い


 森の中で恐竜と闘った時のことを思い出す。あのとき、僕は完全に意識が飛んでいた。でも目が覚めたら目の前にはボロボロの姿で恐竜が倒れていた。あのとき僕は何をしていたのだろう?

 攻撃しに向かっていった記憶はあるから闘ったことは確実なんだ。だがそれ以降の記憶は全く無くなっている。

 でも……、思い返してみるとなんであんなことに……?


「あ、そうだ!まだコロッセオの中とか案内されてないですよね?」

「え? あぁ、はい、そうですね」


 僕が考え込んでいるのを見て場を和ませようとしてか、八重さんがひとつ提案してきた。


「じゃあ一緒にここの中を見て回りませんか?」


 ********************


「ここが、さっき武さんが言っていた『死んだ人が最初にたどり着く場所』、通称『命の間』です」

「うわぁ……! 人が凄いですね」


 コロッセオの地下にある一つのドーム型の建物を僕らは二階から眺めていた。

 連れられた先はアレクサンドロスさんが言っていた『最初にたどり着く場所』だった。

 その建物からは大きな鎌を持ったまるで死刑執行人のように黒い布で顔を隠した人物の誘導に従って十秒に一度ぐらいのペースで男女問わず人間が出てくる。


 手すりに手をかけながら身を乗り出して見てみる。


「コロッセオの地下にこんな場所があったんですね」

「ええ、死んだ人間はここで肉体を捨て、魂だけの姿になってやって来ます。その後、このコロッセオの外にある役所で『生まれ変わるその時までここで生活します』という誓約書を書いてからこの世で生活できます。

「なるほど……、どおりでアレクサンドロスさんがこのコロッセオを『死んだら最初に着く場所』と言っていたはずだ……」


 出てきた人たちは何が何だか分からず、そこにいる死刑執行人に質問にする人物も少なくないらしい。

 でもそりゃそうか、

 いきなりこんな世界に連れられて

「はいここは死後の世界です。生き返るまでここで生活してください」

 なんて言われても信じることはできないはずだ。僕もそうだったし。


「あとここから少し離れたところに、今までのネノクニに来た人たちの名前が全て書いてある場所もありますからそれも見ていきませんか?」

「へぇ……。そんなものもあるんですね。たしかにそれで僕の名前が無いのを確認出来たら自分が生きているっていうことが確信できますし……。行けるのなら行きたいです」

「分かりました! じゃあ出発しましょー!」


 八重さんが元気に後ろへ振り向き、出口に向かおうとする。


 その後に着いて行こうとしたそのとき、後ろから何かを殴るようなが聞こえた。そしてそれと同時に悲鳴が部屋中に鳴り響く。


「キャァァァァァァア‼」


 すぐさま声の方を振り向き、手すりの傍まで行って下を見る。

 するとそこには一人の倒れている小さな女の子とその傍に男性が立っているのが見えた。その二人の周りを先ほど出て来たばかりの人たちが囲っている。


「ふざけんなぁ‼ ここが死後の世界だ⁉ んなの信じられる分けねぇだろ!」


 中央に立っている男性が大きな声で叫びだした。

 周りの人はその勢いに圧倒されて動けてない。


ですか……」


 八重さんが小さく呟いた。


「八重さん‼ これって……⁉」

「さっき話した人ですよ、『自分が死んだことを信じられない人』。たまに出るんです」


 八重さんは険しい顔つきでその様子を眺めている。

 下ではあの男性が喚きだす。


「俺にはよぉ……。家族がいるんだよ‼ 愛すべき妻と息子がいるんだ……。なぁ、帰してくれよ……」


 彼は泣きながらうずくまった。


「なんでだよ……。なんで俺がこんな目に合うんだよ……。俺は何にも悪いことはしてない! 俺が返っている途中、暴走運転をしていたトラックがぶつかってきたんだ……。それで目を覚ましたら『ここは死後の世界です』だぁ……? ふざけんなよ! 俺をもとのところに戻してくれよぉぉぉ!」


 その声は心からの本音

 苦痛の叫びのように聞こえ、この場にいた誰もが同情してしまっていた。


 男性の傍で倒れていた小さな女性が目を覚まして起き上がった。


「嬢ちゃん……! よかった……。すまねぇ……、ついカッとなってって殴ってしまった……」


 男性はその子に手を差し伸べ、体を起こしてあげようとする。


「武さん、行きましょう」

「えっ?」


 下で起きている状況に見入っていると八重さんが突然僕の腕をつかんで引っ張ってきた。


「ちょっ……、待ってください! どうしたんですか⁉」

「いいから‼」


 八重さんはなぜかとても強い口調で、そして何かにおびえたような表情で言ってくる。

 だが、その理由はすぐに分かることになった。


 下にいる彼が差し伸べた手、それは少女の手を掴むことはできなかった。




 ふと後ろを見た瞬間、彼の頭が


「え?」


 つい言葉を漏らした。


 あの大きな鎌を持った死刑執行人のような人がその鎌を使い彼の首を斬り裂いた。

 彼の首があった位置から何か透明なものがあふれ出ている。


 そして彼の首から上は少女の手の中に落ちていった。


 けたたましい悲鳴が鳴り響く。

 先ほどよりも明らかに大きな、そして恐怖に満ちた声が。


「ダマレエエェェェェイ‼」


 だが、その大きな声よりももっと大きな声でその死刑執行人は叫んだ。

 周りはシンと静まり返る。


「……彼ハ、場ヲ乱シタ……。コノヨウニナリタク無ケレバ……。ココガ『ネノクニ』ダト……、『死後ノ世界』ダト……、オトナシク……信ジヨ……」


 機械のように淡々と話した死刑執行人はその男の頭と体を抱えて建物から出ていき、それと同時に同じ姿をした人が出てきて周りに進むよう指示を出した。

 それに従い、下にいる人たちは出口に向かって歩き始める。


 気づいた時には八重さんはもう手を放しており、暗い顔でこちらを見ていた。


「……じゃあ、……行きましょうか……」

「はい……」


 僕はただ頷くことしかできなかった。


 ********************


 何も言葉を交わすことなく無言のまま、会場の歓声が響いている暗い廊下を八重さんと歩いていた。

 心が重い

 人が死ぬ瞬間、実際にはもう死んでいるのだろうが。

 人が殺される瞬間を初めて見た。

 本当なら周りが真っ赤に染まり、もっと気持ちが削がれるような感じなのだろうが、それだとしてもとても重苦しいものになった。


「あの……、八重さんすみません……」

「え?」

「あのとき大人しく八重さんが言うように戻っておくべきでした……」

「……そうですね、私はもう何回も見ましたが、武さんは初めてですものね……」


 八重さんの自分のことよりほかの人のことを心配するところは本当に尊敬しかない。


「言うのが遅くなりましたが……、この街はすこし『不条理』なんです」

「『不条理』……?」

「はい。セントラルは『善い行いをすることでゼンがもらえる』という仕組みで秩序が保たれているというのは知っていますよね?」

「はい、一応……」

「ですが、この街にはその逆は無いのです。一般的に見て『悪いこと』と言われる行為に罰が下ることはありません」

「……でも、それじゃあおかしくないですか⁉ なんで彼は殺されたんですか⁉ たしかにあの女の子を殴ったのは悪いことだと思いますけど……! それに罰は下らないって……!」


 僕は八重さんの前に立ち、顔を振り向いて話した。

 八重さんは足を止めて視線を落として話す。


「そこなんです。武さん、あの時あそこにいた大きな鎌を持っていた人を覚えていますか?」

「もちろんですよ……、あんな人忘れたくても忘れられません……!」


 あの人の姿を思い出し、つい歯を食いしばる。


「あの人はネノクニの国王直属の部下、『エグゼクト』と呼ばれる人なんです」

「『エグゼクト』……?」

「エグゼクトは王から『国のためなら殺害しても良い』って権限を持っているんです」

「はあっ⁉ それはどう考えてもおかs」


 僕が言い終わる前に八重さんは僕の口を手で塞いできた。


「どこで聞かれているかわかりません。静かに話しましょう」


 そう言って八重さんは口の前でもう片方の手の人差し指を立てた。

 八重さんが僕の口から手を離すと僕は小声で言い直した。


「それっておかしくないですか? なんでそんな権限を持っているんですか?」

「まだ、分かっていません。ですがそれを認めなかった人も、反対する人も消されました」

「消され……⁉」


 八重さんは静かに頷く。

 信じられない。この国の王はいったい何を考えているんだ⁉

 師匠がこの街のことを嫌いな理由がなんとなく分かった気がする。

 師匠が話したのはこのエグゼクトのことじゃないが、確かに師匠が嫌がっていたのもこの街が不条理なことに関係している。


 歯がゆい、心の底から本当にそう思う。


 八重さんはまたゆっくりと歩き始め、僕の横を通り過ぎた。

「私もこの制度はおかしいと思っています。ですがどうしようもないんです。私たちが反抗したらあの病院も全て消されます。おそらく、私が病院を辞めて彼らに戦いを挑みに行っても病院は人質に取られます」


 八重さんは振り向いて取り繕ったような笑顔で笑った。


「人間って大切な護るものが沢山あると、弱くなってしまいますよね」


 そして僕の目を見ながら言った。


「武さんは千代さんをしっかり護ってください。あなたが今護らなければならないのは彼女だけです。ならあなたは大切なものを護りながら強くなれる。そんな気がします」


 八重さんはそう言うとまた五月蠅く静かな廊下を歩き始めた。

 僕は何も言わず、その後ろについて行った。

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