其の陸・コロッセオ

『コロッセオ・デュオス』


 ――フッハッハッハ! この『コロッセオ・デュオス』は偉大な我、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスによって建設された! 我は大量のゼンで転生してこの世界を去ることになったがこの闘技場は後世に残すことにした。ありがたく思うがいい!

 さあ! このネノクニで生きることになった諸君! この『コロッセオ・デュオス』で存分に戦い、そして存分に稼ぐがよい!


 世界一偉大な皇帝 ネロ  ここに記す



「……なんか……、この「ネロ」っていう皇帝はものすごく高慢な人だったんだということは分かった……」


「おいボウズどうした? 先に中に入っちまうぞ?」


 アレクサンドロスさんがすでに階段を上りながら呼ぶ。


「あ、今行きます!」


 僕は駆け足でそばにあるコロッセオの階段に向かう。

 そう、着いた先は八重さんが話していた場所、『コロッセオ』だった。ここからは中の照明の光が空に向かって伸びており、上空にある巨大な根っこを照らしている。それに中で行われている戦闘音や観客の声援も聞こえてきている。

 周りには見に来た観客もたくさんおり、出店まで並んでいる。まるで祭りのように賑やかだ。


「すいません、つい見入っちゃって……」


「フゥム……、まるで初めてここに来たような反応だな…」


 アレクサンドロスさんは階段を一緒に登りながら怪しげに僕のことを見つめてきた。


「あ、僕はここに来るのは実際に初めてで……」


「いやいや、そんなことはないだろう。誰しも死んだとき、最初にここへ来るだろう?」


「……!」


 しまった……、募穴を掘ってしまった……! ネノクニに着いたらまずここに来るような決まりとかがあったのか……?


 冷や汗が額に浮かぶ。


「あ、あの、えっと、いや! そうです!たしかにここには来たんですけど、あまりしっかりは見て無くて……」


 しどろもどろになりながら答えてしまう。

 だめだ……。こんなにギクシャクしていたらより一層怪しまれ……


「なるほど」


「納得した⁉」


 アレクサンドロスさんが素直に信じたことについツッコミを入れてしまった。


「ん? どうした?」


「あっ! いや、何もないです……」


「ふぅん……、おかしなボウズだ。まあいい、中に入るぞ」


 そう言って階段を上り終えた僕たちはコロッセオの中に足を踏み入れた。

 そのときだった。


 一瞬、空気が静まり返った。


 中にいた人たちが一斉に僕たちの方を凝視してきた。

 さっきまで楽しそうに会話をしていた男性グループ、手を組みながらいい雰囲気で歩いていたカップル、真顔で受付をしていた受付スタッフ、全員が鳩が豆鉄砲を食ったように口を開けて僕らの方を見ていた。


 すこし不思議に思いつつも、奥にズンズンと進んでいくアレクサンドロスさんを追いかけていると今度は周りがざわざわと騒ぎ出した。


「おい……」

「ああ…」

「待てよ待てよ……!」

「あのお方……もしかして……?」


 ヤバい……、今度こそバレたか……⁉


 僕はもはや無意味かもしれないが目を伏せながら着いて行く。

 心臓の鼓動が止まらない。

 修行していた時に感じていた緊張とはまた別の緊張が全身を覆う。


 つい思い出す。

 学校の廊下、こんな風にジロジロ見られながらヒソヒソ言われていた。

 悪意のない目だということは分かっていたが、どうも嫌だった。


 後ろから足音が聞こえてきた。

 一人二人じゃない、僕がさっき横を通り過ぎた人たち全員が来ているような足音だ。

 しかもその足音はだんだんと早足で近づいてきている。


 もうだめだ。

 僕は足を止め、顔を俯かせながら拳を握り、諦めを覚悟した。


 足音はもはや駆け足になっている。もう真後ろにいる。


 バレた



 と思った


 だが、僕の予想とは裏腹に駆け足で近づいてきた人は僕の真横を通り過ぎていった。


「え?」


 そして次の瞬間、大勢の人の波が僕の後ろから押し寄せてきた。


「えええええっ!」


「ん? おいボウズ何を叫んで……っておぉぉい!」


 アレクサンドロスさんは僕が叫んだことに振り向き、ようやく人の波に気づいた。

 そしてその波は瞬時にアレクサンドロスさんの周りを囲んだ。


 周りを囲んだ後、一瞬また静まりかえる。

 だが、すぐにその静寂は歓声に変わった。


「大王だ!」

「見ろよ! おい、本物だ!」

「うおおお! うっそ⁉ なんで⁉」

「さっきの戦い、マジでカッコよかったっす!」

「すいません……、よろしければ握手を……」


「はっはっは! わかったわかった! しっかり全員にファンサをしてやるからとりあえず落ち着け落ち着け」


 アレクサンドロスさんが気前よくそう言うと人だかりはまた大きな歓声を上げた。




 人ごみに押しつぶされた僕は這いつくばりながらなんとかその波から抜け出す。起き上がってアレクサンドロスさんの方を見てみるがほんの少しだけ頭のてっぺんが飛び出して見えるだけで、全身は人の陰に隠れて全く見えない。


 やっぱりこう見るとアレクサンドロスさんってかなり人気な有名人だったんだと再認識する。


「アレクサンドロスさ~ん‼」


 大声で名前を呼んでもその声は周りの声でかき消されてしまう。


「……どうしよう?」


 アレクサンドロスさんもこれからファンの方たちの対応をするらしい、それが終わるまで待っていてもいいのかもしれないがこの人数を捌くとなると何時間もかかってしまいそうだ……。月ノ宮さんのこともあるしそんなに遅くは待てないけど……どうしよう……?それにまず、先に帰るとしても声が届かないから伝えれないしな……。


 悩みながらその人ごみを眺めていると、ふとある人物に目が付いた。


「あれ……? あの人って……?」


 その人は後ろからアレクサンドロスさんの肩に手を置いた。


 ********************


「ハッハッハ! よし、次はお主か! なに?『ハグをして欲しい』だと? いいだろう、さあ! ワシの胸の中に飛び込んで来い!」


「キャー! 大王様~!」


 アレクサンドロスはその太い腕で若い女性を抱きしめる。

 ハグされた女性たちは嬉しさのあまり、その場で卒倒する者が後を絶たない。


 王たるもの、民の期待に応えるものである


 それが彼の考えだった。

 ファンサをしている途中ようやく彼は武の存在を思い出し周りを見渡してみる。だが、人の波で姿が見えない。


 ムゥ……、どうしたものか……?


 そのときだった

 誰かが後ろから彼の肩に手を置いた。


 アレクサンドロスはそれに気づき笑顔で振り向く。


「よし! では次はお主だ!」


 そして肩に手を置いた男の顔を見たとき、彼の全身から気持ち悪い汗が流れた。


「王・様? いったいどこへ行ってたのですか?」


 そう、その男は彼が先ほどから逃げていた相手


 彼の部下たちだった。


 ********************


「全く……いったいどこに言ったのかと思えば……」


「すいません……」


 僕とアレクサンドロスさんは兵士の姿をした人にその場で正座させられていた。


「なぜボウズが謝る必要がある? 今回の件はワシがボウズに匿うよう頼んだ。だからボウズが責められる理由は一切無いぞ!」


「そう思うのなら貴方はもう少し反省してください!!」


 アレクサンドロスさんの部下の人は大声で叱りつける。

 周りにいた人の波も今の様子を見て、だんだんと弱まってきていた。


 兵士はまたもう一息ため息を吐いた。


「はぁ……、あのですねぇ! 貴方は明後日、本選で戦うんですよ?ちゃんと理解していますか?」


「無論だ!」


「だったらなんでこんな危ないことをするんですか!!」


「だからワシは!――」


 アレクサンドロスさんとその部下は通路の真ん中だというのにもかかわらず言い争いを続けている。

 その論争を聞いてみると何となくアレクサンドロスさんの状況が読めてきた。


 アレクサンドロスさんは今日行われた『ニーヴルコロシアム』の予選を通過したらしく、明後日本選が控えているらしい。だから本当はその日に備えてしっかりと準備をしておかないといけなかったのだが、彼はそんな準備などを全て放り出してセントラルの市街に遊びに出掛けていたらしい。


 ……いや、それじゃあ追いかけられてもしょうがないじゃん


 と心の中で思う。


「あぁ!分かった分かった! じゃあ今から戻る!それで良いだろう!?」


 最終的にはアレクサンドロスさんが部下たちの説得に折れて、このあとすぐ戻るという流れになった。


 部下たちは先に戻っていくが何回もアレクサンドロスさんに念を押していく。


「絶対戻ってきてくださいね」


「わかっとるわい」


「本当ですよ!?」


「だーかーら!ちゃんと戻るから、お主たちは安心して先に戻っておれ!」


「ボソッ……信用できないんだよなぁ……」


「待て、誰だ小声で今『信用できない』と言った奴は?」


 兵士たちはそう言って次々にその場を離れる。

 離れていく兵士を見ているとある一人の兵士と目が合った。


「あ」

「あ!」


 その兵士はあのとき僕にアレクサンドロスさんの場所を聞いてきて、僕が嘘を教えた人物だった。


「いやぁ、まんまと騙されました」


「あの、さっきはすいません……」


「謝る必要は無いですよ、悪いのは大王なんで。それよりも大王と行動してくれてありがとうございました。あの人、一人になると何をするか分からないので心配してたんですよ……。本当にありがとうございます」


 彼はそう言うと深々と頭を下げてその場を去って行った。


 気づくとあの人混みもすっかりなくなり、周りは最初見たようなにぎやかな風景に戻っていた。


「……と、すまんな。本当はもっといろいろなところを案内してやろうと思っていたのだが……」


 頭を掻きながらアレクサンドロスさんが謝ってきた。


「いえ、このコロッセオがしっかり見られただけでもとても嬉しいです。今日はありがとうございました」


 お礼を言って頭を下げる。たしかにそこまでたくさんのものを見られたわけじゃないし、むしろトラブルの方が多かったかもしれないがとても楽しい時間だった。


「そういえば……、まだボウズの名を聞いてなかったな。別れる前に教えてくれんか? ほれ、この紙に書いてくれ」


 彼はそう言うとにやりと笑いながら一枚の紙と羽ペンを手渡してきた。

 その紙はとてもザラザラしたもので手に取ってみるとかなり高そうな紙だ。その紙の中心に名前を書く一行の下線があったのでそこにペンでスラスラと名前を書く。

『前野 武』


 その文字を紙の上に記す。


「ふむ、タケル・マエノだな……」


「はい。それじゃあ短い間でしたが、本当にありがとうございました!」


 僕はそう言って頭を深く下げた。


「フッフッフ……。ボウズ、これをよく見ろ……」


 頭上からそんな声が聞こえてきたため思わず顔を上げる。

 するとそこには先ほど名前を書いた羊皮紙の紙が掲げられていた。


 ん? あれ……?


 そのとき、その名前を書いた紙が一枚の紙を折りたたんだものだったことに気づいた。

 そしてアレクサンドロスさんは不敵な笑みを浮かべながら重なって隠されていたところを開いて見せた。


『参加証 ニーヴルコロシアム

 予選 第三ブロック 586番 』


「え⁉」


「よし! これで、また会う機会が増えたな! ボウズが戦うのは明日の16:00からだから遅れぬようにな!」


「ちょっと待ってください!これって……⁉」


「では、本選に出るのを待っておるからな! では幸運を祈る!」


 そう言うと彼はまた豪快に笑いながら外に向かって歩き出した。


「ええぇぇぇぇ……?」


 そして僕はもうツッコむ気力すらなくなり、弱弱しく声を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る