其の弐・クリミアの天使

 気づくと馬車はレンガや石造りの建物が並ぶ道に入っていた。

 そしてその馬車は一直線にある建物へ向かって進んでいく。


 僕は馬車の幌の前方から顔を出しそれを眺めた。


「大きい……」


 その大きな建物には旗が掲げられているのが見え、旗には大きな木の枠線を背景にその上に一羽の鳥の絵が描かれていた。


「ようやく着きましたね! はい、それじゃあ皆さん降りますよ」

「八重さン、ちょっと待ってくださイ」


 降りるよう指示を出した八重さんの言葉をリードさんが遮る。


「どうしましたか?」


 八重さんも馬車から顔を出して聞き返してきた。


「アレを見てくださイ……」


 そう言って、リードさんは建物の正面をすっと指差した。

 その指の先を僕と八重さんはよく見てみる。


「あれ……? なんか人だかりができていません? しかも、なんか武装していません?」


 そう建物の入り口には無数の人だかりができていた。しかもその人だかりはおそらく救急車が格納されている車庫のシャッター前まで広がっており、容易に近づけない。

 姿は鎧兜を被った者、西洋の甲冑を身にまとった者、ほかにもまるで剣闘士のような人や、民族衣装のような人もいる。


「……ジェニーさん、仕方がありません。裏口の方まで行ってもらえますか? そこで先に私と武さん、そして千代さんだけ降りますから、二人はあとから来てください」


「了解でス‼」

「分かりました」


 リードさんと伊能さんはそれぞれ返事をし、リードさんは馬車の進行方向を変えて細い路地に進んでいった。

 僕は何が起きているのかも分からないが、とりあえず「先に降りる」ということだけは分かったため、とにかく降りる準備を進める。


 ********************


 馬車は路地の中を進んでいき、周りは建物の陰で薄暗くなってきた。

 あの大勢の人だかりも抜け、周りに人がいないことを見計らって馬車は建物のゆっくりと静止した。


「着きましタ。周りにも人影はありませン」


「ありがとうございます。武さん降りますよ」

「は、はい!」


 八重さんは必要最低限の荷物とバインダーを持って馬車から飛び降り、そのまま小走りで大きな建物の裏口から中に入っていく。

 僕は横になっていた月ノ宮さんを背中におぶって八重さんに着いて行く。

 あまり月ノ宮さんを揺らさないよう慎重に馬車から降りる。


 馬車から降りた僕の頭上に一本の手が差し出された。

 顔を上げると馬車の中から伊能さんが手を出していた。


「じゃあ、頑張ってください。馬車を止め次第そっちに向かいますから」


 さわやかな笑顔で伊能さんは言った。

 僕はその差し出された手を握り、握手をした。


「はい! ありがとうございます!」


 僕はお礼を言って握っていた手を放し、裏口に向かう。

 裏口の方に目をやると八重さんが扉を開けながら待ってくれていた。

 僕は素早く、静かに中に入る。


「すいません、遅くなって……」


「いえ、いいんですよ。じゃあ行きましょうか」


 八重さんがドアから手を離すと扉はゆっくりと音を立てながら閉まっていく。

 中は明かりがついていない暗い廊下だった。

 その廊下をまっすぐ歩いて行く八重さんに続いて、僕もその廊下を歩き始めた。


 コツコツとただ歩く音だけが廊下内に響き渡る。だがよく耳を澄ましてみると同じ建物内で遠くから少しざわつきが聞こえてきた。

 ……入り口にいた大勢の人の声だろうか?

 僕は足を止めて、声が聞こえるほうを見つめた。


「こっちですよ」


 八重さんが小声で手招きして廊下の十字路を右に曲がった。

 僕も右に曲がり、八重さんに着いて行く。


「できるだけ隠密に行きたいのでしっかりついて来てください」


「そういえば、今どこに向かっているんですか? 今の状況じゃ待合室にも行けそうにないですし……」


「あれ? 言っていませんでしたか? 『院長室』ですよ」


『院長室』……、院長室⁉

 行きのときに話していたあの院長のところに向かうらしい。どんな人か気にはなっていたけどまさか……!


「でも僕たちのことがバレたら……!」


「大丈夫ですよ。彼女は悪い人ではありませんし、絶対漏らすようなことはしません」


 八重さんは親指を立てながら自信満々に答える。

 まあたしかに院長なのだから、患者の個人情報をばらすような人ではないのは分かる。でも、今の時点で僕らが『生きている』ということを知っている人は何人いるのだろう……? 

 だんだん多くなってきたような気もするけど大丈夫だろうか?


 そう思いながら歩いていると僕らは一台のエレベーターの前についた。


「あとはこのエレベーターで最上階に行ってすぐです。さあ乗りますよ」


 エレベーターは最初から一階にあったようで、ボタンを押したらすぐに扉は開いた。

 僕と八重さんは静かに乗り込む。


 ********************


 コンコン


 赤いカーペットが敷き詰められ、とても豪華な装飾がされている明るい廊下の先にある木の扉を、八重さんは軽くノックする。

 エレベーターに乗ってからは本当にすぐだった。

 運よく誰一人としてエレベーターに乗ってくることもなかったし、最上階についてからも誰にもすれ違うことはなかった。


「すいませーん。私です、八重です。院長いらっしゃいますか?」


 めちゃくちゃラフな挨拶だけどいいのだろうか……?

 僕は渋い表情をしながらその様子を見ていた。

 すると部屋の奥から返事が返ってきた。


「どうぞ」


 すこし冷淡で冷たい声にも聞こえる。


「失礼しまーす」


 八重さんが木の扉を開けて中に入る。その後ろに続き僕も月ノ宮さんを背負ったまま中に入った。


 部屋はそこまで広いわけではないが部屋の両端には書類が入っているであろうフォルダの本棚、そして真ん中には大きな机があり机の上には山のように積み重なった書類があった。

 そして、その机で黙々と書類を書いている一人の女性がいた。


「院長、お待たせしました。私が電話で連絡していた人たちです」


 八重さんが机の前まで行ってその女性に声をかける。

 女性は書類を書いていた手を止めて一息吐き、一度座っている椅子に寄り掛かった後、姿勢を正して僕の方を向いた。


「初めまして。ようこそここまで参りましたね、そしてお二方」


 その女性はとても丁寧にあいさつを始めた。

 その顔を見て僕はハッとした。

 ……あれ? この人教科書で見た事がある……。

 たしか名前は――


………………さん……?」


「おや、私のことを知っている人でしたか」


 女性は椅子から立ち上がり、軽く頭を下げた。


「いかにも、私はフローレンス・ナイチンゲールです。ようこそネノクニの医療組織『SAVESセイヴズ』へ」


 すごい……! 本人だ……!


 ナイチンゲールさんが手を差し出してきたので僕はその手を握り返す。


「あっ、初めまして……。えっと、前野 武です……」


 ナイチンゲールさんは挨拶をした僕の顔を

 静かに

 じっと

 ただただ


 見つめていた。


 なんか視線が痛い……。

 八重さんの方に目配せして何が起きているのか聞いてみるが、肝心の八重さんも分かっておらず首を横に振る。


 十秒ほど経っても手を放さず、一向に見つめたままでいるナイチンゲールさんに僕は声をかけようとする。

「あの……」


「なるほど、確かにあなたたちはね……」


 ナイチンゲールさんは静かにそう言った。

 その言葉に面食らってしまう。


「えっ……⁉ なんで…」


 だがナイチンゲールさんは僕のその言葉遮った。


「無駄な話をしている暇はありません。急いで彼女を病室に連れていきます。ついて来てください」


 そう言ってナイチンゲールさんは月ノ宮さんを背負った僕と八重さんを連れて部屋をでた。


 ********************


「……って、ここ私の部屋じゃないですか!」


 着いた先は「新島 八重」と書かれたプレートが下がった部屋だった。


「ええ、そうですよ。詳しい話は中でしましょう。バレてはいけないんでしょう?」


「うっ……! 分かりました……」


 ナイチンゲールさんが入っていくのに続いて八重さんは口を尖らせながら渋々と入っていく。

 部屋の中には配線がたくさん繋がっている大きな機械がベッドの横に置かれており、その機械からは酸素マスク、脳波を計るヘルメットみたいなものなどなど様々なものが付いていた。


 見たことが無いものでいっぱいだ。ここで八重さんはどんな治療をしてたんだろう?

 僕は横にいる八重さんの顔を見た。


 その顔は真っ蒼だった。


「ちょっとぉぉお! 何ですかこの機械は?」


 部屋の外まで聞こえるほど大きな声が鳴り響いた。


「え? これ八重さんのじゃないんですか?」


「違いますよ! ちょっと院長、どういうことですか‼」


 八重さんに問い詰められたナイチンゲールさんはため息をこぼした。


「これから全て説明するので、まず彼女をこのベッドの上に寝かせなさい。話はそれからです」


「……わかりました」


 僕は月ノ宮さんをベッドの上にゆっくり降ろす。

 柔らかいベッドは月ノ宮さんの身体の形に軽く沈み彼女を包む。


「……で、どういうことですか?」


 八重さんがナイチンゲールさんに詰め寄る。


「ええ、じゃあ話をしましょうか」


 ナイチンゲールさんは八重さんの部屋にあるデスクの椅子に座った。


「まずはっきり言いましょう。私は二人を


 そして、いきなり冷酷な言葉が飛んできた。


「なんでですかっ⁉」


 八重さんがナイチンゲールさんに食って掛かる。

「理由はいろいろありますが、まずあなたたちは『ここにいてはならない存在』だからです。生者がネノクニに来たという話など今まで聞いたことがありません。前例がないからして私たちにとっても、あなたたちにとっても何が起こるかわかりません」


「…………」


「八重は人が良いから二人をここまで連れて来たようですが、セントラルの方が人が多いから相対的に二人が生きているバレてしまう危険度も上がるのですよ? そこも考えましたか?」


「それは……」


 八重さんが口ごもる。


「だから、私はできる事なら早くここを立ち去ってほしいと思っています」


「…………」


 何も言い返せない。

 病院側からだけでなく僕たちの立場にもなって物事を考えている。行きの馬車の中で聞いた通りの人だ。

 たしかに、僕らがここにいることで何が起こるか分からない。何も起きない可能性もあるが、逆に何か起きる可能性もある。


「…………」


 僕らはただ、黙ることしかできなかった。


「ですが、」


 その空気をナイチンゲールさんが斬った。


「患者は患者です。それで治さないといったことは一切しません。必ず治しますのでそこは安心してください。それに、あなた方が無事、元の世界に戻れるための手助けもさせていただきます」


 ナイチンゲールさんはそのとき、はじめて笑顔を見せた。


「……良いんですか?」


「ええ。その代わり、彼女の治療は八重、あなたがこの部屋で行うこと。そのための設備も全て持ってきてあるので」


「この設備はそういうことだったんですね、院長……」


 八重さんは深く息を吐き、疲れ切った顔でナイチンゲールさんを見ていた。

 ナイチンゲールさんはフフッと笑うと椅子から立ち上がった。


「では、私は仕事が残っているので戻ります。八重、何かあったらあなたかあなたの弟子を連れて私のところまで来なさい」


「はい、分かりました」


「そして……、『タケル』……と言いましたね。あなたにはこれを差し上げます。」


 そう言ってナイチンゲールさんはポケットから革の手袋を取り出して渡してきた。


「これは……?」


「あなたが『』と分かったのは心臓の『』です。ネノクニの人々は心臓が無いので鼓動がありません。手袋をしていたら握手をした際にも気づかれることはないでしょう」


 そう言われて挨拶をした時を思い出す。


 そうか、あの時に鼓動があるかを調べていたのか


「あのっ、本当にいろいろとありがとうございます!」


 僕は深々と頭を下げる。

 ナイチンゲールさんは優しく微笑むと、僕の頭を軽く撫でた。


「では、失礼します」


 出ていったときに見えた彼女の姿はたしかに『天使』にふさわしい慈愛の心を持った美しい女性だった。


「……よし、じゃあ今から千代さんの治療を始めましょう! 武さん!手伝ってください!」


「あっ、はい‼」


 僕は八重さんの掛け声に元気よく返事をした。

 そうして、月ノ宮さんの治療が始まった。

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