其の拾肆・修行5

 頭の中が真っ白になった。


 考えてもみなかった。だが手の中には実際にそれがある。

 そう、刃が折れた刀が。


 これで戦い続けられるのか?

 一度逃げたほうがいいんじゃないのか?

 このままで大丈夫なのか?

 勝てるのか?


 頭の中に不安が沸き上がる。

 動悸が激しくなってくる。呼吸の数が確実に増えてきている。手汗も凄い。汗のせいで刀をしっかり持てない。冷や汗も出てきた。


 やばい。戦わなくちゃ。どうやって?

 やばい、やばい、

 やばいやばいやばいやばい

 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい


「ガギュアアァアァ‼」


 恐竜の鳴き声が周りを包んだ。

 耳の奥までその声が響いてくる。


 それで僕はようやく我に返った。


 このままじゃだめだ。

 一旦距離を取って態勢を整えよう。


 僕は真っ暗な森の奥へと走り出した。


 恐竜は僕の後を追って、同じ暗闇の中に入っていく。


 暗闇の中、目を凝らして木々を避けつつ考える。


 あの恐竜は刀が折れるほど硬い装甲を持っている。

 普通に攻撃しても相手には一切ダメージが入らない。最初にやった「口の中に突き刺す」みたいに、相手の内部を攻撃するのが一番良いかもしれない。


 でも、どうやって?

 もう一度あいつの口の中に突き刺すのはもう無理だ。

 恐竜も同じ技が二度通用するほど馬鹿じゃない。次、同じことをやったらすぐに噛み千切られて終わりだ。


 じゃあどうするか


 それは


 


 その二文字、そして


 


 この二文字だ。


 集中を逆転する……?

 あの爺さんから言われたことを思い出す。だが、どういうことか全く分からない。

「集中の逆」ということは「集中しない」ということか?

 だが、それも違う気がする……。

 とりあえず、いったん集中するんだ。


 恐竜は地面を強く蹴りつけながら、まっすぐとこちらに向かってきている。進む道に枝があっても気にしない。倒木があったら踏みつぶす。まるで暴走機関車のように止まるということを知らない。


 なんとかしてあの恐竜と距離を取り、集中する時間を作りたい。さすがに走りながら相手に意識を集中するのは無理がある。


 どうすればいいんだ……?


 そんな時だった。足元が何かに引っかかった。


「うわっ‼」


 おもわず頭から地面に倒れこむ。

 いままで走っていたスピードも相まってかなり痛い。しかも目の中に砂が入ってしまったため、目を開くことが出来ない。


 マズい!とにかく戦う準備をしないと!


 そう思い、折れた刀を構え、すぐさまその場に起き上がる。

 だが突如、違和感が僕を襲った。


 


 今まで追いかけていた恐竜の足音、鳴き声、振動、すべてが聞こえず、ただただ静かな森

 になってしまった。

 目を開いていないから何も分からない。

 今、相手はどこにいるのか。どこから狙っているのか。


 とりあえず、正面に刀を何回か振ってみる。

 空気を斬る音だけがその場に残った。

 ということは近くにはいない……のか?

 いったいどうなっているんだ?


 何も見えない。それだけで今まで以上の恐怖心が体を覆っている。


 前で茂みが揺れる音が聞こえた。

 だがあいつは僕の後ろを走っていた。前にいるはずがない。


 いや、待てよ……⁉自分が倒れたことで方向を勘違いしている可能性もある……!


 どこにいるんだ?いったいどこから襲ってくるんだ?


 恐い、怖い、こわい、コワい


 そのときだった。

 正面から一陣の風が吹き付けてきた。


 顔が、頭が冷やされる。

 冷たい……。そして少し湿っていて気持ちいい風の感覚……。

 ……水……滝?


 たしか自分は滝がある方向に走っていたはずだ。そして正面から水のような湿った空気がきた。


 つまり、自分の今向いている方向は走っていた方向と同じまま。


 じゃあ、恐竜は後ろ側にいるはずだ……


 前を向いたまま後ろの方に意識を飛ばしてみる。


 遠くで葉が擦れる音……。

 木の上で鳥が飛び立つ音……。

 足元で虫の鳴く音……


 そしてすぐ後ろ、大体五メートルほど後ろで聞こえる呼吸音と臭い獣臭。


 まるですべての位置が分かる感覚。

 全ての時間が止まったような感覚。


 この感覚……⁉


 呼吸音がいきなり止まり、後ろから空気が前に押し出される感覚がした。

 僕は目が見えないまま身体を翻し、そのまま刀を前に押し出す。


 刀が何か柔らかいものに、少しずつ、じわじわと入っていく。周りが生臭く、血の匂いがする空間に変わっていく。

 そのまま刀を右手で突き刺しつつ、僕は左手を伸ばした。


 何かが指先に当たる。

 それは先ほど手放した、恐竜の口に刺さった物。

 そしてそれを握る。


 


 僕は目を見開いた。



 突然目の前に恐竜の口の中が映し出された。

 恐竜は口に刀が突き刺さっているのをお構いなしに飲み込もうとしており、その口はもう閉じ始めた。


「っつああぁあぁぁぁっ‼」


 僕はその突き刺さった二本の刀をそのまま左に動かす。動かしたところに二筋の線が入り、そこから多量の血が雨のように噴き出して身体中にかかる。

 だが、それでも僕は刀を動かすことを止めない。

 刀の移動をいま出せる最大限の速さまで加速させ、一気に恐竜の口角を斬る。そしてその斬った口角の隙間から急いで脱出する。


 口の中の蒸れた空間から、外の涼しい空間に出る。

 生臭い鉄の匂いが僕の周りを包んだ。


 恐竜は口から血を吐きながらもがき苦しんでいる。


 身体中にどっと疲れがのしかかってきた。

 恐怖のプレッシャー、瞬間的な速度上昇

 僕は荒々しい呼吸をしながらそのさまをみつめる。


 身体が疲れた。

 神経が磨り減るほど意識を外側に向けたせいだ。


 だが、分かった。


 できた。


 いままで、僕は「集中」というのを、ある一点だけを狙う「一極集中いっきょくしゅうちゅう」でしか考えていなかった。たしかに一極集中も大切だ。だがそれだと、予想外の行動や、瞬時の判断が追い付かなくなってしまう。


 だから、「集中を逆転」させるんだ。


 集中を逆転。それはすなわち、「神経過敏しんけいかびん」だ。

 視覚だけじゃない、嗅覚、聴覚、などなど五感全ての神経を尖らせて相手の位置や動きを予測して対応する。

 例えるなら、自分を中心に足元から蜘蛛の巣を張り巡らせ、そこに掛かったのを捕らえる……。


 だけど……これはかなり神経をすり減らす……。

 精神の負担が身体にまで襲ってくる。


 けど……ここで決めなきゃ‼


 僕は恐竜の方を狙って右手に折れた刀を、左手に最初の刀を握り身体を構えた。

 恐竜がまた口を開けて近づいてくる。


 今!


 足に全体重をかけて地面をおもいきり蹴る。

 カタパルトで発射されたように体は一気に加速して、間合いを詰める。


「やあぁぁっ‼」


 僕はもう一度強く地面を蹴って、飛び上がりながら恐竜の腕に斬りつける。


 相手は全身が硬い装甲に覆われているため普通に攻撃したら刃が折れてしまう。


 だが、その装甲の繋ぎ目ならどうだろうか?


 そう。

 硬い体、硬い骨同士を繋げている関節だ。


 その考えは見事に当たっていた。

 腕は綺麗な肉の断面を見せながら、真っ赤な血とともに地面に落ちた。

 恐竜はその場で叫喚を上げて暴れだす。


 次は尻尾、

 その次は足、

 そして巨大な胴体だ


 僕はそのまま恐竜の身体を両手に持った刀で斬りつける。


 何故だろう。身体が軽い。

 初めての二刀流。

 そんな感じがしない。

 まるで誰かに耳元で動き方を教えてもらっているような、そもそも二刀流のときの動きを知っていたかのような、そんな感覚がある。


 慣れてきたのか速さがどんどん増していく。

 一太刀振って次へ、もう一太刀振って次へ。

 身体が自然に動いていく。

 恐竜の身体からはどんどんと血が流れ落ちていく。

 その血が顔に、身体中に掛かっていく。


 だが、動きは止まらない。




 ――もっと斬れ。


 もっと。もっと。

 血を見たい。


 苦痛で歪ませる表情を見たい。


 もっと。


 もっと。


 泣き叫んでくれ。




 ――足掻いてくれ!


 そんな声が聞こえてきた。


 ********************


 身体中に鳥肌が立った。

 いったい何をやっていたんだ⁉

 あの声は、あの感情は何だったんだ?



 気づいたとき、目の前にはまるでぼろ雑巾のように崩れ落ちて、その場でうずくまっている血塗れちまみれの恐竜がいた。


 ――今だ。とどめを刺せ。


 また聞こえてきた。今度ははっきりと頭の奥から聞こえてくる。


 ――殺してしまえ。奴は俺を殺そうとしてきたんだぞ?なら、殺し返すのが道理だ。


「そんなことは無い‼いったいお前は誰だ‼」


 ――俺か……?俺はお前の……


 僕は持っていた刀を手から離す。


 その瞬間、彼の声は遠くに消えていった。


 刀は音を鳴らしながら地面に落ちた。




 こんなの……

 こんなの『正しい行動』じゃない‼

 ヒーローがする行動なんかじゃない‼


 僕は恐竜の方へ、一歩足を進める。

 恐竜はその音が聞こえた途端、より体を縮こませて少し高い声で鳴き始めた。


 その鳴き声はまるでのようだった。


 僕は恐竜の傍まで近づきそっと撫でる。

 ほとんど虫の息だ。

 このままじゃ死んでしまう。


 ネノクニで死ぬことは彼らにとって良いことなのかもしれない。

 でも、本当に


 本当に殺してしまってもいいのか?


 僕は涙を流しているようにも見える小さな恐竜の瞳を見つめていた。


 ********************


「いてて……。まさか、本当に撃って来るとは思ってなかったでござる……」


 たんこぶを付けた侍は小屋の方に向かって、暗い森の中を黙々と歩いていた。




 ――大きな銃声が鳴り響いた。


 銃弾は侍の頭から五センチ横のところに埋まっていた。


 そして銃を持ち換え、持ち手の部分で侍の頭を叩いた。

 大きな音が鳴り響く


「痛い‼」


「こんなの痛くありません‼いますぐ武さんを連れ戻してきてください‼」




 そういって、侍は屋敷から追い出されたのだった。


「八重殿は少し心配症なんでござるよな。医者だから心配なのは分かるが、もっと人間が丈夫なことを……」


 そんな愚痴を呟きながら歩いていた侍の目に酷い光景が飛び込んできた。


「なんだ……これは⁉」


 それは屋根に巨大な穴が開いており、壁にはいくつもの傷がついた小屋。そして、その周りでは何か大きなものと人が争ったような痕跡があった。


 侍は武のことを思い出し、小屋へ向かって走り出す。


「小僧‼無事か⁉」


 あわてて小屋の中に向かって声をかける。だが返事は返ってこず、そこには屋根の材木や刀で荒れた部屋と倒れた洗濯籠があるだけだった。


 まずい……‼いったい何があったのだ⁉


 侍は小屋から出て森の方に名前を呼んだ。


 かすかだが焚火にまだ火が残っているからそう遠くにはいないはずだ。

 いったいどこに⁉


 ふと足元を見ると巨大な紅葉型の足跡を見つけた。


 これは……!もしかしてあの大蜥蜴か⁉

 ネノクニにはもういないと言われておったがまさか‼


 侍はその足跡の後を追いかけていった。


 森の中はもうすでに静かだった。すなわちそれは「争いが終わった」ということを想像させる。


 つまり、「どちらかが死んだ」というわけか……

 小僧……。無事でいてくれ‼









 数分走って着いた先に、侍は思いもしなかった光景が映し出されていた。


 侍は両腕を組み、少し口角を上げた。


「『男子三日合わざれば刮目して見よ』というが……。まさかこの半日足らずここまで変わるとはな……!」




 侍が目にした光景は、両腕が無く、傷も一切ついていない恐竜と、その傍で寝ている、血液によって真っ赤に染まった武の姿だった。



 寝ている武の手には、川の水が入った竹の水筒が握られていた。

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