其の拾弐・修行3

 周りはすっかり暗くなった。そんななか僕は小屋の前で焚火を焚いていた。

 小屋の中を探した際、マッチ箱が見つかったため頑張って火をつける必要は無かった。しかも、窯の中にはまだ石炭も残っていたから、これで燃料のことは心配する必要は無さそうだ。


 あの感覚は何だったのだろう。

 あの、相手のすべてが分かったような感覚はいったい何だったのだろう。


 あの後僕はもう一匹、別の小型のイノシシに会っていた。

 だがその際にはあのすべてが分かったような感覚が起きず、最初に出会ったイノシシよりも手こずった。

 本当は最後まで戦うつもりだった。だが、なぜか日が落ちて周りが暗くなると途中で相手が逃げていったのだ。

 一つ不思議だったのはそのイノシシのおびえ方だ。

 ……まるで僕ではない何かにおびえていたようだった。


 まあそんなことよりも、おそらくあの感覚がつかめれば今より何倍も強くなれるだろう。

 でもどうやったら……?


 僕は焚火の光で照らされた刀を見つめた。


 正直、あまり刀は抜きたくない。


 あのイノシシを切った瞬間、体に何かが纏わりつくように感じた。


 命を奪った。


 その罪悪感がいまだ重くのしかかっている。

 誰かを救うために断つ命、誰かを守るために加える攻撃


 大体のヒーローはやっていることだ。子供の頃はそんなヒーローの雄姿を見て感動していた。


 だが、実際に目の前で経験、体験すると違う。


 あの人魂の化け物を前にしたときは彼女を守るのに夢中で何も意識せず攻撃していた。

 だが、今回の修行。特に意味もなく殺した。

 自分が強くなるため

 言い換えれば、自分の利益のためだけに殺した。

 強くなりたい

 でも、誰かを傷つけたくない。

 そんな気持ちが交差しあって頭の中がモヤモヤしてくる。


「あ~‼ダメだダメだ‼」


 僕は頭を掻きむしった。


 どうしてもマイナスで物事を考えてしまう!

 この性格を何とかしないといけないことは分かっているのになぁ……


 よし、このままじゃダメだ。気分転換しよう。

 僕は立ち上がり事前に小屋の中から見つけておいた、まだ使えるランタンを持って焚火から離れた。


 向かった先は


 


 ********************


「ふ~……生き返る……」


 僕は滝つぼのすぐそばに沸いている温泉に浸かった。

 小屋にたどり着く前、この滝の近くを通った際に師匠が教えてくれたのだ。

 師匠の言葉を思い出す。



 ――「ここの温泉はあの川の水と同じ成分だから体の芯、心の芯から暖かくなるからおすすめだ!」



「今は無き師匠……ありがとうございます……」


 僕は少し大きめの岩に背をもたれて肩までしっかりと湯に浸かる。

 あまり深さは無いのだが肩まで浸かることによって、本当に心の芯から温まっている感じがして自然に気持ちも軽くなってくる。

 腕を上に伸ばして体をほぐす。


 やっぱりこうしていると。温泉に浸かることで体を治したり健康にするという湯治を考えた日本人は凄いと改めて感じる。

 僕は足を湯の中で伸ばして深く息を吐いた。


 ふと、空を見上げる。

 真っ暗だ。

 月もなければ星もない。

 周りを照らすのは持ってきたランタンだけだ。


「巨大な根っこ……」


 ただ、空には巨大な根が在った。


 あの根っこのことを知ったら消えるって言っていたけど、どういうことなんだろう……?もしかしたら、あの根には重大な謎が隠されていたりして……


 そんなことを考えていた時だった。

 岩の後ろから水しぶきのような音が聞こえた。


 もしかして何か動物が温泉に入りに来たのか?


 恐る恐る岩から顔を覗かせる。


 すると暗さと湯けむりで見えにくいが、そこに裸で立っている人の後ろ姿が見えた。


 その姿が見えた瞬間、僕は急いで岩の後ろに隠れた。


 待て待て待て、これは見てはいけないものじゃないのか⁉

 ていうかこんなところに人が?どうして⁉


 今度は岩陰に隠れながらこっそりと顔を出し、よ~く目を凝らしてみる。


 いや、たしかにあの姿は間違いなく人だ。


 身体は細く少し力を入れただけで壊れそうな華奢な体つきをしており、髪は真っ白で腰あたりまで伸びている。


 これは……!ダメだ……!


 僕は頭を下げながら、ゆっくりと道着とランタンが置いてある方に戻る。


 気づかれないようにゆっくりと……


 音が出ないようにゆっくりと……


 波が立たないようにゆっくりと……


 心臓がバクバクしている。

 もしもこれで見つかったら、不可抗力とは言え僕の人生は……!

 考えるだけでも恐ろしい……


 とにかく急ぎつつ、バレないように逃げないと……


「可愛い女の子だと思った⁉残念‼ただのジジイでした‼」


「ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁ‼」


 突然、白髪で全裸の爺さんが目の前に姿を現した。

 おそらくそのとき、僕の叫び声は森中に響き渡っただろう。


 ********************


「いやいや、驚かせてすまんな」


「いえ……こちらこそ大声を上げてすいません……」


 僕が見たあの人影は白く長い髪と髭の持ち主の爺さんだった。

 ていうか、僕はなんて見間違いをしていたんだ……

 思い出すだけでも辛い。というより、もう二度と思い出したくない……


「まあまあ、そんなに落胆するな。それよりもこんなところで人と出くわすとは珍しいのぉ。いったいどこから来たんじゃ?」


「あ……、僕は生き……」


 まて……。これって話して大丈夫なことなのか?

『実はまだ生きています』

 ……これは正直に話すべきじゃない気がする……。漫画とかではこういうなんともなさそうな人が実は危ない組織の人物だったりするし……

 そう思うとこの爺さんが怪しく見え始めた。

 大体なんで爺さんこそ、こんなところにいるんだ?

 とにかく今は何とか誤魔化しておこう……


「どうした?」


「いえ!何もありませんよ!ちょっと修行をしにセントラルから来ていて……!」


「ほう修行とな!それはそれはこんな遅くまで精が出るわい。どんな調子じゃ?」


 そんなことを聞かれた、だが何か返そうとするが言葉が出ない。


 調子は最悪だ

『集中』が分からない

 あの感覚が分からない

 正しい行いが何なのか分からない


 僕が黙り込んでしまったのを見て爺さんは髭を触りながら話し出した。

「……ふむ。何か訳ありのようじゃな。何か悩み事があるならこのジジイが聞いてやろう。だてに長生きしていたわけじゃないからのう!かっかっか!」



「……実は――」

 そう言われ、僕は自然と今の悩みについて話し出していた。

 しかし自分が生きているということは一切秘密にして、ところどころ誤魔化しつつ話した。


 僕は悩みを話し終わり、爺さんの方を見た。

 爺さんはいまだに髭を触りながら「ふ~ん」、「う~ん」と何か考えている。


「あの……どうかしましたか……?」


 僕は爺さん尋ねる。

 しかし爺さんの口から出た言葉は思いもしないものだった。




「つまらん悩みじゃな」




「え?」

 少し怒りが湧いてくる。

 僕は真剣に悩んでいて、「聞いてやる」と言っておいてからの「つまらん」だって?


「あの……、いったいどういう意味ですか?」


「いや、どういう意味も何もそのままじゃ。もう一回言ってやろうか?つ・ま・ら・ん!」

 爺さんは腕を組んで湯から上がり、岩の上で胡坐あぐらをかいた。


 正直掴みかかりたい。でも身体が動かない。身体が思いについて行ってない。


 爺さんは胡坐をかいたまま話し続けた。


「なぁ~にをつまらんことで悩んどる!『集中が分からん』とか、『感覚が分からん』とかそういうのは別にいい。そういうのは技術の問題じゃからこれから身につければいいだけの話じゃ。だが『正しい行いが分からん』じゃと?ふざけた事をぬかすでない!」


「ふざけた事⁉いい加減にしてください‼僕は真剣に悩んでるんです‼」


 僕はつい立ち上がって爺さんに反論した。


「これを真剣に悩んでいるじゃと?それこそちゃんちゃら可笑しいわい!」


「あんたはっ……!」


 僕は湯から上がった爺さんの方に足を進めていた。

 身体がついてきた。

 今までだったら、

 学校でならそのまま認めて引き下がっていた。

 でもなぜか今、自分の思いに体がついて来ている。


 そのときだった

「バカモンッ‼」

 爺さんの一喝が響いた。

 ついその声にひるんで足を止めてしまう。


「いいか!『正しい行い』と言うのはな、『自分が信じていることのために必死になって行動する』ことじゃ‼それをお主が信じないで何になる⁉おい!お主が今、一番信じていること、必死になることは何じゃ⁉修行をしている理由とはなんじゃ⁉」


 爺さんの言葉が響いて伝わってくる。


「千代さ……友達を守るため……。そのために強くなることです……」


「ならば!そのためにする行動はどんなことがあろうと、誰かに迷惑を被っても、それは『正しい行い』じゃ‼優先せねばならないことは何か、それをよく肝に銘じておけ‼」


 そんな簡単なことでよかったのか。

 まだ衝撃が抜けきれない。

 僕にとっては目から鱗だった。

 今まで自分が持っていた「誰にも迷惑をかけたくないから何もしない」という考えがどれほど甘えた考えだったのか考えさせられる。


 僕はその場にしゃがんで湯につかった。


「すいません……。その通りです、自分が未熟でした……」


「……いや、儂も少し言い過ぎたわい。すまんな。だが忘れるでないぞ」


「……はい。ありがとうございます」


 そうだ。僕が今、一番優先することは彼女を守るために強くなることなんだ。

 そのために犠牲が必要だと言うわけではないが、そのために自分がやらないといけないことはやり遂げなくちゃならない。


「さて、そろそろのぼせてきたからジジイは去ることにするか。長湯は年寄りにキツイわい」


 爺さんはそう言うと立ち上がって、全裸のまま湯煙の奥に消えていく。


「あっ!爺さん、ありがとうございます!」


 そうお礼を言うと、影だけだが爺さんが後ろを向いたまま手を振るのが見えた。


「……僕もそろそろ上がるか」


 そう思い、道着とランタンが置いてある岩場に戻ろうとしたときどこからか声が聞こえてきた。


「お~い!そういえば言い忘れてたことがあったわい!」


 僕は声が聞こえてきたほうに聞き返す。


「どうしたんですか~?」


「『集中が分からん』ことと『感覚が分からん』ことじゃが、それは考えをしてみろ。そうすればおそらく分かるはずじゃ。」


「え?どういうことですか⁉」

 爺さんの助言が聞こえてきたが全く意味が分からない。


「あとは自分で考えろ!じゃあな~‼かっかっか‼」


 爺さんの笑い声とともに、今度こそ爺さんは本当に消えていった。


「『』か……」

 僕は湯から上がり、道着を着なおして焚火のもとへ戻ることにした。


 温泉に浸かる前に比べると身体の疲労だけじゃなく、たしかに心の疲労も取れ、全身が軽くなったように感じる。


 ……あれ?

 そういえば、あの爺さんいったい何だったんだ……?


 僕はそんな疑問を抱えたまま、岩の上を軽やかに飛びながら焚火の下へ戻った。


 ********************


 白髪の老人は、袖が長くとてもひらひらした服に着替えて森の中を歩いていた。


 老人は温泉で出会った人を思い出して笑う。


「まだ心は強くなかったが、これからの成長が楽しみな奴だったわい」


 そう言うと彼は遠くから自分を呼ぶ声に気づいた。

 振り向くとそこには三人ぐらいの兵士の姿があった。


「陛下‼こんな暗い森の中で、一人でどこに行ってたんですか⁉」

 兵士が老人に向かって聞く。


「いやいやただの散歩じゃ。少し気晴らしにな」


「『気晴らしにな』じゃないですよ‼さあ、もう帰りますよ」


 ひとりの兵士がそう言うと残りの兵士は老人の腕を掴み、逃がさないようにした。

「分かっておる分かっておる」


 老人は渋々とその兵士たちに連行される。


 連行されながら、彼はポツリと独り言を吐いた。

「――ふふ、占いにあった通りじゃ……。『迷いし少年、月の魂を持ち世界を護らん』……か」


 だが、その独り言を聞く者は誰もいなかった。


 ********************


 屋敷の中で侍は新島八重に脅されていた。


「……で?あの子は洗濯物と一緒にどこへ行ったんですか?」


 八重はいつものようにニコニコ笑っているが、得体のしれない殺気も出している。


「いや~……!拙者にはさっぱりでござるな~‼いったいどこへ行ってしまったのだろうかなぁ……!」


 そう言いながら、彼の目は明後日の方向を見ている。

 言い終わってから八重の目の色を窺うが一切変わっておらず、むしろ殺気が増したような気がする。


「……なるほど。本当に知らないわけですね?」


 八重はため息を吐いて半ばあきらめつつ侍に尋ねた。


 侍はチャンスだと思い、ここぞとばかりに『知らない』アピールをしてくる。


「いや~。たしか洗濯が終わったら『自分で先に帰る』と言っていた気がするなぁ!いったいどこまで行ってしまったのだろうな!おそらく迷子にでもなったのかもしれんな!」


「……なるほど。……分かりました」


 八重はそう言うや否や、どこからかスペンサー銃を取りだして侍の頭に銃身を突き付けた。


「ちょ……ちょっと!八重殿⁉何しているでござるか⁉」


「正直に言ってください……。じゃないと打ちますね……」


 そのときの八重に表情は一切笑っていなかった。


(あ、これマジ切れしてるでござる)

 侍は一気に顔が青ざめた。


「言わないんですね……じゃあ打ちま……」


「すいませんでしたぁぁ‼」


 侍は八重の前でおもいきり頭を地面につけながら謝った。


 暗い森の中に一発の銃声と謝罪の声が響いた。


 ********************


 焚火の下に着いた僕はありえないものを目にしていた。


 焚火の火が消えている。

 だが、風とかで消えたわけではないのはすぐに分かった。

 ――焚火はただ消えたわけではなく、何かに押しつぶされたように、歪み、壊れ、朽ちていた。


「いったいこれは……?」


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