其の拾壱・修行2


 が本格的に傾き、森の中も橙色に照らされていた。

 まてよ?そもそもこの世界に太陽は無いはずだ。なのに橙色になるってなんか不思議だ。

 そう思いながら僕はただ一人、小屋の裏に作られた練習場で刀を振っていた。


「四百八十二!四百八十三!……」


 まだ刃を抜くことが恐ろしく、鞘には納めたままだ。だが、むしろそれが重りになって練習にちょうどいい。


 あの後師匠は本当に帰っていき、僕は一人森の中に残されていた。

 しかも、師匠は最後に一番大切なことを言い残して行った。


 ********************


 ――「そういえばここ周辺では夜になると獰猛な生き物も出てくるから、しっかり生き延びろよ!」


「ええぇぇぇぇぇぇぇ⁉」


「じゃあ、早速だが拙者は帰る!じゃあな!三日後、無事に会えることを楽しみにしておくぞ!」


「いや!ちょっと⁉ちょっと待ってください!」


 僕は帰ろうとする師匠の服を掴んで離さない。

 いや、ちょっとは説明してくださいよ⁉

 なんでいきなりサバイバルすることになってるんですか⁉

 さっきまで何の前触れも無かったじゃないですか⁉


「なんだなんだ、そんなに一人が寂しいのか?やはりまだこぞう……」


「違います‼」


 既にさっきの修行で体力を消費しているというのに、なんで今こんなに突っ込みをして疲れないといけないんだ……


「とまあ冗談は置いといて……。サバイバルをさせるのにもしっかりとした意味がある」


「まあ……そうですよね」


 特に意味もなくサバイバルをさせようとしていたのなら本当危ない人だ……


「まず、第一に『』、お主にはそれが足りてない。森の中にはこちらを襲ってくる動物がたくさんおり、必然的に戦うことになる。簡単に強くなる方法はとにかく実践あるのみだ」


「はぁ……」


 言っていることはたしかにそれらしい理由だから反論ができない。


「あともう一つ、これはただ拙者の実感であるから一概にそうとは言えんが、一回サバイバルをしておくと『』が変わる」


「心……ですか?」


「ああ、サバイバルというのはいわば『自然』との勝負。そんな強大な存在と一回戦っておくことで戦うことへの心構えが変わる気がするのだ」


 自然との勝負。

 たしかにそう考えるとその通りだ。普段身近な存在だが、それは目に見えないほどの強大な力を持っているはずだ。


「そんなわけでお主ひとり、ここで三日間サバイバルをしてもらう。なにか異論はあるか⁉」


 正直言うと異論はありまくりだ。『戦う』ということを覚えたばかりの人間がそんなこと出来るわけが無い。

 だが、これが速く強くなれる最良の方法ならば


 やるしかない


「分かりました。やります!」


「よし!じゃあ拙者はもう帰るからくれぐれも死ぬなよ」


「はい!……そういえば、人間はここで死んだらどうなるんですか?」


 そう言えば、人間以外の生き物がここで死んだ場合は現世に転生できる。といっていたが、人間が死んだ場合はどうなるのか聞いていなかった。


「ああそうか、話していなかったな」


 この場を去ろうとしていた師匠は身体だけを振り向けて話した。


「消える」


「え?」


「だから、きれいさっぱり消えるらしい。ネノクニからは消え、現世にも戻らない。そう言われておる」


 言葉が出ない

 要するに、本当の『終わり』がやってくるということか?

 そのとき、冷たい風が僕の首すじをなぞった。

 鳥肌が立つ。


「お主はまだ生きておるから詳しいことは分からん。だが、死なないように注意することに越したことは無い」


「はい……」


「じゃあ一つ最後に、課題を出しておこう」


「課題ですか?」


「ああ。その課題は『』ことだ」


「集中…?どういう意味ですか?」


「意味を考えるのも課題だ。じゃあ、頑張ってくれ」


 そう言うと師匠は笑いながら森の中に消えていった。


 ********************


 集中


 普通に考えれば何か一つのことに真剣になることだろう。


 だが、わざわざそんな簡単なことを課題に出すだろうか?師匠はなぜそんなことを課題に出したのだろうか?

 だが、とにかく僕は刀を振る。一本一本、一回一回集中して振り続けた。


「五百‼」


 一旦刀を降ろし水筒に入った川の水を飲む。

 瞬時に身体が癒される。

 とりあえず目標の五百回は振った。


 さてこれからどうしようか……


「そうだ、火をつけないと」


 だんだんと夜が近づいて来ており、周りも冷えてきた。

 たしか野生動物は火が苦手で火を焚いていれば近寄ってこない。

 って話を聞いたことがある。


 僕は刀を腰に携え、練習場の至る所に落ちている枝を拾って小屋に戻ることにした。


 小屋に行けば火をつける道具はあるだろうか?僕じゃ侍さんのような真似はできないだろうし……


 ……


 …………


 ……いや、あとで一回やって見るだけやってみよう。もしかしたら出来るかもしれないし……。

 拾い集めた僕は枝を一か所に集めて何回かに分けて持っていくことにした。


 そのとき、後ろで何か物音がした。


「ん?」


 風の音……?いや、足音?


 その足音は猛スピードでこちらに迫ってきている。

 僕は手に持っていた薪をその場に投げ落とし、音のする方を振り向いた。

 それを見た瞬間、僕は横に飛び避けた。


 その直後、僕の横を茶色く大きな毛むくじゃらの獣が通り過ぎた。

 僕は地面に着地した後、その獣の方を向いた。

 獣は僕を通り過ぎた後、急ブレーキで止まり、もう一度僕の方を狙いすました。

 正面からその獣を見て、ようやく正体が分かった。


「これは……イノシシだ」


 体長が僕よりも大きい巨大なイノシシが、けたたましい鳴き声で鳴きながらもう一度突進してくる。


 これが、師匠が言っていた『実戦』か……。まさかこんなに早く起きるなんて……

 僕はそう思い、刀を腰から外して構えた。


 刃はまだ抜かない。

 まだ、抜くのが怖い。

 もしかしたら抜かなくても勝てる可能性はあるわけだ。

 僕は鞘がついたままの刀でイノシシを狙う。


 次の瞬間、イノシシがまた突進してきた。


 集中だ、しっかりと相手を見て行動するんだ。

 イノシシの速さがだんだんと増しているように見える。


「集中……!集中……!」


 瞬間、イノシシが巨大に見えた。

 悪寒が全身に走る。

 僕はまた、横に飛び避ける。


 だが一瞬遅かった。今度は避けきることが出来なかった。

 足にイノシシの牙が当たって跳ね飛ばされる。


 身体が回転しながら木に当たる。

 背中が痛い。


 だけど


 平気だ


 これしきの威力、師匠の攻撃に比べたらまだ耐えられる。

 イノシシは勢いを落とさぬまま、また迫ってくる。

 僕は急いで起き上がって刀を右手に持ち、その手を奥に引く。


「集中しろ……、相手をよく見ろ……、よく見て分析するんだ……」


 相手は直線でしか移動できない。

 だが、下手に動いたらそこを狙われて終わりだ。


 イノシシが暴走列車のように勢いを増し、もはや目の前までやってきた。。


 それなら、避けなければいい‼

 一点集中、狙うは眉間!


「たあっっ‼」


 僕は刀をおもいきり正面に突いた。


 その突き刺した最高速の瞬間、突進してきたイノシシが鞘の先に当たる。

 当たった反動で身体が後ろに押される。だが、その構えは解かずその体勢のまま耐え抜く。


 絶叫が響いた。

 イノシシは雄たけびを上げながら頭を振って暴れはじめた。


「浅かった⁉まずい!」


 イノシシはそのまま突進を続けた。

 その突進に僕は避ける暇などなく直撃してしまった。

 今度は地面に叩きつけられる。

 受け身の取り方も分からないためまた全身を強打する。


「いてて……」


 身体を置き上げようとしたときだった。イノシシが仰向けになった僕の身体の上に来て、馬乗り状態になってきた。

 イノシシはそのまま噛みつこうとしてくる。


「っ‼」


 僕はおもわず刀を横に持って攻撃を防ごうとする。するとイノシシはその刀の鞘を噛んで離そうとせず、そのまま頭突きや蹄で踏みつけようとしてくる。

 一切の力も抜くことが出来ない。常に腕に力を入れ続け、イノシシの攻撃を守ることしか出来ない。


 だが、相手の攻撃を避けながら守っているため、疲労が溜まっていき、だんだんと腕の力も入らなくなる。


 まずい、このままじゃ


 死ぬ


 死ぬ


 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ


 死ぬ。


 普通に生きていたら『死』というものに出会うことは滅多に起こりえないだろう。だが、この場においては違う。まったくと言っていいほど人の手が付けられていないこの森において、僕のような人間は良い獲物だ。ここ、自然の世界には『死』という存在が常に隣り合わせにいる。

 もうだめだ


 腕に力が入らない

 腕が少しずつ降りていき、イノシシの顔が少しずつ近づいてくる。


 いや、だめだ。

 その考えが


 僕はいつもそうだ。


 やられっぱなし

 意気地なし

 すぐにあきらめる


 いつも逃げている


 このままじゃダメなんだ

 強くなるんだ!


 その瞬間だった。

 全ての時間がゆっくりと感じた。

 腕にのしかかる重力

 イノシシの荒い息

 周りの音


 全てが無くなった。


 今しかない


 自然とそんな考えが出た。

 僕は噛みつかれたままの鞘から刀を引き抜く。


 初めてみたこの刀の刃、周りの色を吸い込んでいるかのようにとても美しい橙色を放っていた。


 そして刀を引き抜きつつ、今度は右の足を天めがけて高々と突き上げる。

 馬乗りになっていた獣が軽々と吹き飛ぶ。


 あれ?こんなに軽かっただろうか?

 そう思いながら僕は足を振り上げた反動を使い、体を回転させて起き上がる。

 イノシシがひっくり返ってジタバタと暴れている。


 僕はゆっくりとイノシシの傍に近づく。


 イノシシは何とか起き上がり、また僕の方を狙いはじめた。

 臭い獣臭、荒い息、そして、血眼な瞳

 なぜかは分からない。

 だがこの時、相手の全てを見えた気がした。


 イノシシは僕をロックオンしてまた飛び出してくる。

 だが、今はもう逃げる気が起きない。


 僕は左足を一歩、前に出し、刀を立てて頭の右側に寄せた。


「ごめんな。生まれ変わったら、元気に生きてくれ」


 僕は突進してくるイノシシに一言謝った。


 ぼくは死ねない。まだ死ねない。

 なんとかして生き残って見せる。そして強くなる。


 そう心に決め、僕は目の前に映る光景を斬った。

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