其の拾・修行1

「では今から修行を始める。準備は良いか?」


「はい!」


「うむ。いい返事だ!」


 滝の前にある岩の上で師匠が方に竹竿を担ぎながら屈伸をしている。僕は師匠と向かいあって立った。


 そう、今から修行が始まる。


 師匠曰く、「そこまで厳しくないから安心しろ」とのことだが……いったいどんなことをするのだろう?


 師匠は担いでいた竹竿を手に持って話し始めた。


「じゃあまずは基礎知識について話しておくか」


「基礎知識……」

「あぁ、じゃあ少し問題を出そう。戦いをする際、最も重要な事はなんだと思う?」


 師匠が人差し指を立ててにやりと笑う。


 僕は少し考えた後答えた。


「最も重要な事……。やっぱり『力』とか、『技術』とか、じゃないんですか?」


 そう答えると師匠は人差し指を左右に動かした。


「ちっちっち。たしかにそう思うだろうが違うな」


「じゃあなんですか?」


「拙者が思うに最も重要なのは『』。そして『』だ」


「はぁ……」


 軽く相槌を打つ。

 侍が岩の上を左右に行ったり来たりしながら話を続ける。


「どんなに力が在ろうと、先に攻撃されたら負けだ。どんなに技術が在ろうと、それを使いこなす体力が無ければ無意味だ」


「なるほど……」


「と、言うわけで、今お主がどれくらい体力があるか知りたい」


「じゃあ、今からちょっとここの周りを走ってきたほうがいいですかね?」


 僕は周りを見渡しながら答える。

 足場も不安定だし、木々や滝もあるため走ったらたしかに体力はつきそうだな。


「まあまあ、そうくな。今からお主は拙者と立ち合ってもらう」


「え?」


「俗に言う『地稽古じげいこ』というやつだな」


 侍はまたにっこりと笑いながら言い放った。


「ええぇぇ!いや、待ってください!いきなりですか⁉ていうか地稽古って⁉」


「安心しろ、拙者はこの竹竿でやるから大した傷にはならん。お主は鞘に納めたままその刀を使え」


 師匠はそう言うと竹竿を両手に持って正面に構え始めた。


「いやいやそういうことじゃなくて!僕、刀を持ったことすら無いんですけど⁉」


「まあ、戦い始めたらなんとなく分かる。さあ準備は良いな!こちらから行くぞ!」


「ちょっと待っ……」


 言い終わる前に侍さんは動いていた。


 さっきの竹竿が突然巨大に見える。

 僕はとっさに体の前で刀を斜めに構え、師匠の攻撃を止めようとした。

 だがそう思って正面を見たら師匠の姿は消えていた。


 いない⁉さっきまで目の前に居たはずなのに……!



「遅いぞ」



 左から声が聞こえた。


 と思った瞬間、左の横腹に激しい痛みを感じたとともに体が吹っ飛ばされていた。

 吹っ飛んだ体は砂利の上に叩き落ちる。


 痛い……それに速い……


 僕は痛みに堪えながら体を起き上がらせる。手が震えるし、口の中で鉄の味がする。


「どうした。もう体力が切れたか」


 声がする方を向くと、さっきまで僕が立っていた場所に師匠が竹竿で肩を軽くたたきながら立っていた。


「あっけない……。拙者が教えても無駄そうかもな」


 師匠の目はいつもより恐ろしい目に見えた。今までの目とは違う。優しい目でも真剣な目でも無い。


 あの目は『の目』だ

』を生きた者の目だ


 身体中を恐怖が駆け巡る


 でも、


 戦わなければならない


 刀を使い、体を引き上げる


 そうだ、強くならないと!彼女を守れるほど強くなるためにも戦う!


「……っまだ、いけます……!」


 身体がふらつきながらもなんとか立ち上がり、鞘ごとの刀を正面に構える。

 狙うは師匠。気を抜いてはいけない。


「はぁっ‼」


 僕は地面を蹴って師匠の方へ走りだした。


「上出来……」


 師匠は舌なめずりしてニヤリと笑い、また僕に向かってきた。


 今度は竹竿を大きく振りかぶってきた。つまり……上から!


 僕は頭を守るように刀を頭上で横にした。

 強い衝撃が来る。竹竿が当たった振動が刀から腕を伝わって体全身に響き渡る。


「そうだ!その調子だ!」


「たぁっ‼」


 僕は鞘を握っている右手を離し、柄を左手で握ったまま大きく振り払った。

 竹竿が弾かれるのが見える。


 今だ‼


 僕は振り払った刀の柄に右手も持っていき両手で握り、下から斜めに切り上げる。


 だが、師匠は跳躍してその攻撃を避けた。

 しかもただ避けただけでなく、そのまま上から竹竿を振り落としてきた。


「面ェェン‼」


 頭に竹竿がダイレクトに当たる。

 一瞬周りが白くなって光に飲み込まれたように感じた。


 僕は地面に膝をつく。

 頭がふらふらする……!地面がどっちで空がどっちか分からない。


「どうしたどうしたぁ‼お主はその程度か⁉」


 そんな声がどこからか聞こえる。

 僕は足をふらつかせながらまた立ち上がる。


「まだ……まだぁ……‼」


 もう一度刀を構えなおし、また師匠を狙って走り出す。


「うおおぉぉ‼」


 今度は刀を頭の横から振りかぶって横向きに斬る。


 だがそれを難なく受け止められ、今度は腹を思いっきり蹴られて吹っ飛ばされる。


「まだ、まだぁ‼」


 僕はまた立ち上がり、また走り始める――


 ********************


「よし、ここまで‼」


 師匠のその声を聞いて体がピタリと止まる。

 既に空は橙色になりかけており、カラスの鳴き声も聞こえてきた。


 僕はそのまま地面に仰向けになって倒れこんだ。


「はぁっはあっ……‼」


 息切れと汗が止まらない。

 途中から身体が全くついて行かず、気力だけで動いていたような気がする。

 身体が動かない。足が痛い。腕が痛い。頭が痛い。全身が痛い。


 一方、師匠は息切れや汗は出ているものの、普通に動いているし。今は道着の上だけを脱いでストレッチも始めだした。


 やっぱり凄い……


 戦っている時に聞こえてきたが師匠はネノクニに来てから毎日修行をやっていたらしい。つまり、ネノクニで何百年も修行し続けていたと言うことだろう。


 僕じゃ到底真似できないし、追いつける気がしない。

「おい、大丈夫か?」


 師匠が竹の水筒を持ってやってきた。


「大……丈夫じゃ……ない……です……!」


「はっはっは、だろうな。川の水を入れてきたから飲んでおけ」


「ありが……とう……ござい……ます!」


 僕は仰向けのまま水筒に手を伸ばし、水を飲む。

 乾いた喉にとても冷やされた水が入っていき、まるで全身が潤っていくように感じる。


 しかも、実際に疲労が回復されている。さっきまで起き上がることすら困難なほど疲れ切っていた身体が軽く感じる。


「身体が……軽くなった……!」


 僕は体を起こして立ち上がった。滝が近くにあるためか程よい湿度が心地よい。


 本当にこの川の水は不思議だ。なぜ、こんな効果があるのだろうか?

 そんなことを考えながら僕は師匠の傍に向かう。


「師匠、僕の体力……どうでしたか?」


「ん?そうだなぁ……」


 師匠はストレッチでしっかりと筋肉がついている身体を捻ったりしながら答えた。


「正直なところ驚いた。刀の持ち方、足運び、構えは、てんでダメだ」


 うっ……!

 そう言われても今まで刀を持ったことも、戦ったこともないしなぁ……

 そんな気持ちを胸の奥にしまいつつ、師匠の話を聞き続けた。


「だがな、驚いたのはそこじゃない。お主のその『目』と『体力』だ」


「……何でですか?」


 僕は首を傾げた。たしかに目が良いのは自分でもなんとなく分かる。動体視力どうたいしりょくも、相手への観察眼かんさつがんもあるほうだと思っている。


 でも体力?

 終わった時でさえあんなに満身創痍の状態だったのに……?


 侍さんはストレッチを続けながら解説する。


「まず『目』だが、何度か拙者の動きについていけていたところだ。拙者ははっきり言って本気だった。だがその動きにしっかりとついていけており、それどころかお主はどこを狙ってきているかをしっかり予測して対処出来ているときもあった」


 褒められた……

 なんだか新鮮な気持ちだ。褒められることなんて、今までほとんどなかった。


「そして一番驚いたのはお主のその体力、『スタミナ』だ」


「スタミナ……」


「お主は剣道をしたことが無いから分からんのだろうが、本気の地稽古はキツい。しかも言うなれば今回は『掛かり稽古』の要素もあった。それなのにお主は一時間以上ずっと動けていた。実のところ、拙者は最初の一発目でお主を動けなくするつもりでいた」


 なんか怖い発言が聞こえた……。ていうか掛かり稽古?いったい何のことか分からない。それに普通がどのくらいなのかが分からない。


「お主は尋常ではない体力の持ち主だ。つまり、今回の修行において合格だ!」


 師匠はストレッチを終え、道着を着直しながら言った。その顔はいつもの優しい笑顔に戻っていた。


 なんだかよくは分からなかったが『合格』という言葉が聞こえておもわずホッとした。ここまでしてもらっておいて何もできないようだったら申し訳ないところだった。


「学校とかでたくさん殴られていたから、慣れていたのかもしれないですね」


「こら、自分のことを自虐するな。自虐したところで何も生まれんぞ。自虐するぐらいならもっと自分のことを褒めてやれ!」


 師匠は笑いながら背中を叩いてくる。


「痛い痛いですって。分かりました。そうします」


 僕も笑いながら返事をする。


 洗濯してた時は危ない人だと思っていたが前々言撤回


 師匠は本当に素晴らしい人間性の人だ。まるで僕とは違う……。

 いや、僕も僕らしい生き方があるはずだ。それを見つけるんだ。


 侍さんは竹竿を拾い、首を鳴らす。


「よし、じゃあ日も暮れてきたところだ。そろそろ修行本番に入るとするか!」


「はい!」





 ……はい?

 おもわず二度見した。


「え?今から本番ですか?」


「ああ、そうだ。そして内容だが……」


 おもわず唾を飲み込む。さっきのでも死ぬほどきつかったのにこれ以上なにをするのだろう……?


「これから三日間、お主にはこの森でサバイバルをしてもらう!」


「え⁉」


「あ、もちろん一人でだ。拙者は屋敷に帰るから頑張れ!」


「えぇぇ⁉」


「そういえばここ周辺では夜になると獰猛な生き物も出てくるから、しっかり生き延びろよ!」


「ええぇぇぇぇぇぇぇ⁉」






 前々々言撤回


 この人、人間じゃない。

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