其の陸・彼女の名

「――そして目が覚めたらここにいた……って感じでした……」


 ――三十分ぐらいかけて全てを話し終わったとき、部屋の中はとても暗く重苦しい空気になっていた。


「すまん。少しいいか?」


 少しの静寂の後、最初に口を開いたのは侍さんだった。


「はい…何ですか?」


「つまり、お主たちはその人魂の化け物から逃げているうちにここにたどり着いてしまい、ネノクニにたどり着いた原因も方法も一切わかっていないというわけだな?」

「そうです……」

「うむ……そうか……」


 僕の暗い返事に侍さんは腕を組んで唸った。

 実際、僕はまだ何も分かっていない。あの化け物のことも、助けてくれた女性のことも。

 もし僕がこんな話を聞かされたら絶対に信じないだろう。


「じゃあ、私からも一ついいですか……?」


 今度は八重さんが尋ねてきた。だが、その表情は侍さんがしていた表情よりも険しく、こわばった表情をしていた。


「まず、私は彼女の容態のことであなたたちに一つお話ししていないことがありました。それは彼女の身体からだのことです」

身体からだ……?」

「ふむ……。八重殿それはどういうことでござるか?」

「安心してください。ちゃんと一から説明します」


 八重さんはバインダーに綴じてある紙を一枚めくって僕の方に渡してきた。後ろから侍さんがのぞき込んでくる。

 その一枚めくられた紙の上には人の全身図が描かれており、その図の中には無数の丸い印がつけられてある。腕、腹、背中、もも、身体中いたるところにある。


「あの、これは?」


 僕が聞くと八重さんは冷淡な口ぶりで返した。


「これは丸い印はすべて彼女の体にあったの位置です」


 その言葉を聞き背中に鳥肌がたった。


 痣⁉これ全てが⁉こんなの普通に生活してできるものじゃない‼


「まさか⁉」

「そうです。もうお気づきのようですが、この子は常日頃つねひごろから……。あなたの身体にも暴力をうけた跡がありました。本当は患者を比べることはよくないのですが、これはあなたの身体にあった痣の跡と比にならないほどの数です。おそらくかなりの大人数で……しかも毎日されていたと考えられます……。そしてそれをバレないように服の下だけに……」

「……」


 なにも言葉が出ない。

 つい俯いて、呆然となってしまう。侍さんも後ろで絶句している。


「そこで聞きたいのですが、武さんはこの子のことでなにか知っていることはありませんか?」

「知っていること……ですか?」


 僕は顔を上げて聞き返した。


「はい。……と言っても森の中で出会ったばかりなのに知っていることなんてないと思いますが……」


 八重さんが深いため息をこぼす。


「いえ……。彼女のことなら少し知っています……」

「えっ‼ 本当ですか!」

「はい……」


 昨日は暗い森の中だったので気づいてなかった。

 だがさっき、明るいこの場で見て気づいたのだが彼女は僕が知る人物だったのだ。


「彼女は僕と同じ高校に通っている同級生です。たしか名前は『つきみや 千代ちよ』さん、のはずです……」


 僕がそう言うと八重さんは僕の手元から素早くバインダーを奪い取り、紙に素早くメモをし始めた。


「ほかには?」

「えっと……。あまり話したりしたこと無いので分からないですが、とにかく『静かな人』って印象でした」


 そう、彼女とはクラスも違うから、今まで一回も話したことが無かった。だが、僕は図書室で何回も彼女を見かけていた。


 彼女はいつも図書室の端にある、堅苦しい内容の本がたくさん置いてありだれも近づかないような本棚の裏で寝ていた。

 いつも一人で、いつも静かに、喋っているところなど見たこともなかった。

 だけどまさか、彼女がこんな痣を持っていたなんて、僕は一切知らなかった。


「なるほど……ありがとうございます……っと、よし!」


 書き終えると八重さんはバインダーを着物の帯に挟んだ。

 てか、バインダーってそこに持っていたんだ


「まさか、その子がそのような状態だったとはな……。……あとは人魂の化け物とお主を助けた女のことだが……。八重殿は何か知っているでござるか?」


 侍さんが僕の後ろから元の位置に戻って言った。


「いえ、何も分からないですね……。どっちも見たこともなければ聞いたこともないですし、私が生きていた時代でもそんな生物いませんでした……」

「そうよなあ……拙者も同じでござるしなあ……」


 侍は首を捻りながらうんうんと唸って考えている。


「ここって死後の世界らしいですけど、魂みたいな生き物がいるって話とかは無いんですか?」

「「いや、一切無い」」「な」「ですね」


 即答された。


「それにもし仮にいたとしても、ここからそっちの世界へ行く理由が分からんしなぁ……」


 三人がそれぞれ考えているうちに、侍さんが一度大きく手を叩いた。


「よし、分からん‼」


 ですよね。

 でも実際いろいろ考えてもあの化け物と女性について何の答えも出てこない。このまま考えたところで時間の無駄にしかならないだろう。


「こうなったらこれからどうするかを話し合おう‼」

「今の状況ならやはりそれが一番ですね……」

「じゃあ、私はまずこの患者を『』にある病院に連れて行こうと思います。やったのは応急処置だけですし、しっかりとした治療を行う必要があります」


 八重さんは彼女を見ながら真剣な表情で準備に取り掛かろうとする。


『セントラル』


 また知らない名前が出てきた。おそらく名前の通り、このネノクニの中心地のような場所なのだろうか。

 それならしっかりとした設備もあるだろうし彼女も治るだろう。


 だが、なぜか心の底におかしなモヤモヤが残っている。




「待ってください!」


 僕はおもわず大声を出していた。

 八重さんも侍さんも僕の方を振り向いた。


 彼女が怪我をしたのは僕のせいだ。そんな感情、罪悪感が心の中で居座っている。それに僕はあの時決めたんだ。


『ヒーローになる』って


「彼女の怪我は僕の責任です! だから、僕も連れて行ってください!」


 胸の中が熱くなる。ここまで何かに真剣になったことなど今までにあっただろうかと思うほどだ。

 八重さんと侍さんはそんな僕を見て軽く笑った。


「ふふっ。もちろん連れていきますよ。安心してください」


 八重さんはそう言って微笑んだ。


「あ……!ありがとうございます‼」


 僕は立ち上がり頭を下げる。


「それに、あなたのその傷とその痣についてもしっっっっかり話をきかないといけませんしね……!」


 ……何故だろう。ニコニコ笑いながら言いつつも、その言葉の裏に何かが潜んでいるように聞こえる。……その目を止めてください!


 だが、なんでこの人たちはここまで親切にしてくれるのだろうか。初めて会った人なのに。本当に感謝の言葉しか出ない。


「お主たち二人が無事に元の世界へ帰るためにも『セントラル』へ言っておけ。あそこの方が詳しいことが分かるはずだ」


 侍は立ち上がって僕の傍まで近づいてきた。


「さあ、がんばれ‼」


 背中に衝撃が走るとともに「バン」と大きな音が鳴る。

 おもいっきり背中を叩かれた。少しひりひりと痛むがその背中に当てられた手には温かいものを感じた。


 そうだ、しっかり彼女を守らないと。

 そして彼女を一刻も早く元の世界に戻してあげないと……



 あれ?


 そのとき、ふと思った


 彼女を元の世界に戻してあげないといけない。


 だが


 頭の中にフラッシュバックする。

 痛い、きつい、辛い。


 消えたい

 そう思っていた日々が。


 僕は元の世界にのだろうか……?



 ********************


 八重は二人が話している間にバインダーを持って廊下に出ていた。顔に当たる日の光がまぶしく感じる。だが、八重の表情は晴れていなかった。


 (彼女の身体には見ていられないほどのたくさんの痣がありました……。でもそれ以上に気になるのが……)


 八重は懐から折りたたんである一枚の紙を取り出し、バインダーに挟んだ。


 その紙はあの二人に見せていなかった『


(秘密にする必要は無いのだけど……、なにか嫌な予感がする……。背中……、肩甲骨の間にあるこの痣のようで痣じゃない跡……まるで入れ墨……?)


 八重はその書類を見て悩みこんだが何も分からず、バインダーを閉じた。


(いつか……、彼女が目覚めたときに聞いてみましょう……)


 その書類に書かれた人体図には、背中に『』の模様が描かれていた。

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