其の伍・一人の侍とハンサムウーマン

 え……?


 いきなりのことで頭の中が真っ白になった。


「『ネノクニ』……⁉ それに死者の国っていったいどういうことですか⁉ でも、僕は生きているって言ってたし、それに、さっき自分で調べたときも心臓は動いていたけどどういうことですか⁉」


 僕は立ち上がり声を荒げた。

 我ながら何を聞いているのかわからなくなってきた。


「待て待て待て⁉ 頭がこんがらがってきた。落ち着け、いったん冷静に考えないと……。ここは死んだ人が存在する世界なのに僕は生きている……。ていうか、死者の国って何ですか⁉ それならあなたたちは死んでいる人って事ですか⁉ でも今、目の前で動いているし喋っているし、一体どういうことですか⁉変な冗談はやめてください‼」

「まぁまぁ、落ち着け。自分で『落ち着け』と言っておきながらまったく落ち着けてないぞ」

「分かっていますよ‼」


 一気に喋ったせいかせき込み、少しむせてしまった。


 女性が心配そうな顔をしながら僕と侍の顔を交互に見ている。


 待て……⁉ 一体どういうことなんだよ⁉


 僕は呼吸を整え、大きく深呼吸をした。

 そのとき、侍が僕のことを呼んできた。


「安心しろ、お主が知りたいことは拙者たちが分かる範囲のことならすべて答えてやる。だからそのためにも坊主の話を聞かせてくれないか? どうやってここにたどり着いたのだ?」


 侍は真剣な目をしており僕の目をしっかり見据えている。

 その目は嘘をついているようには見えない。


 正直なところまだ信じることが出来ない。


 でも、自分のことを話すことで解決に繋がるのなら……。

 僕はもう一度深く深呼吸をして体を落ち着けた。


「分かりました……。じゃあ……」

「そうだ‼肝心なことをしてなかったではないか‼」


 あの夜の出来事を話し始めようとしたとき、侍が大きな声で僕の言葉を遮った。


「いったいどうしたんですか?突然大声出したりして……」

「『自己紹介』だ! 自己紹介! 初めて対面した者がお互い名乗り会うのは戦の場でなくても当たり前だろう! いや~拙者とあろうものがすっかり忘れておったわ!」


 侍はあからさまな作り笑いをして言っている。


「まぁ……、凄い今更ですけどたしかにそうですね」


 姿勢を正して、二人の方を向いた。


「僕は『前野まえの たける』って言います。助けてくれてありがとうございます」


 僕は自己紹介と同時に改まって、頭を下げて助けてくれたことへの感謝の言葉を述べた。


「なるほど、『まえの たける』だな。じゃあ次は拙者……と言いたいところなのだがな……」


 侍は少し言葉を濁しつつ、だんだんと声を落としていった。


「……何か問題があるんですか?」


「いやいや、そういうことではない‼ただなぁ……」


 侍は頭を掻いて少し気まずそうな表情をする。


「いや、自分から自己紹介をしようと言っておいてなのだが……」




「拙者、もはや名前をんでござるよ」




 名前を憶えていない?


「えっ?それってどういう……?」


「それはだな……」


「ここ、『ネノクニ』では自分の名前を忘れる人は多いんですよ」


 僕が聞き返すと、侍の言葉を遮って女の人が解説を始めてくれた。僕は女の人の方に目を移す。


「詳しいことは分かっていないのですが、おそらく『前世の記憶を消すため』と言われています。『ネノクニ』は『生まれ変わるのを待つ場所』ですから、そのための準備として自然と失われていくのだと考えられています」


「……うん。…………まあ、そういうことで……ござるな」


 あからさまにへこんだ顔をして侍がそう呟いた。おそらく自分で説明したかったのだろう。


「はぁ……そうなんですね……」

「ですが! 例外もあるんです!」


 僕が返事をするや否や、女の人は突然立ち上がり、拳を握りしめながら、はきはきとした口調で話しを続けだした。


「例えば、『大勢の方に名前が知られている人』とかですね! 自分が忘れかけても名前が知られている分、他人に教えてもらえることがよくあります! しかも! 『ネノクニ』で新たに他人に教えられたことは、なぜか忘れにくいという傾向があるんです! そのため何十年間、何百年間ここにいても名前を忘れることが無いという人もいるんです! 私のように!」




「そう! 『新島にいじま 八重やえ』とは私のことっ! なのっ! ですっっ‼」




 静寂が生じる。


 うん……ていうか……はい……?


 早口の解説とそのままの自然な流れでの自己紹介、そしてその自己紹介の内容、全てに頭が追いついてない。


 そんな僕の表情を見てか『新島 八重』と名乗る女性は頬を膨らませて、明らかにへこんだ声で言った。


「……やっぱり信じてないですね」

「いやいや! そう言うわけじゃないですけど……。もう一回だけ名前を聞いていいですか?」


 僕が弁明しているさまを見て侍が笑いを堪えている。

 なんかムカつく。


「ふふふっ。冗談ですよ。じゃあもう一回自己紹介させてもらいますね」


 女性は最初の自己紹介のときの勢いとは正反対で、しかしハキハキとした口調で改めて自己紹介を始めた。


「私は『新島 八重』と申します。普段は街の方で医者として働いていて、月に一度ここに薬を届けに来ているんですよ。気軽に「八重さん」とでも呼んでください。では、以後お見知りおきを……」


 そう言い終わると八重さんはなぜか、したり顔のような満面の笑みをしながら座った。


 というか、待て。やっぱりだ。さっきの名前……


「あの、ちょっと待ってください。さっき、聞き間違いじゃなかったら『新島 八重』って言ったように聞こえたんですが……」

「はい。私は『新島 八重』ですが……それがどうかしましたか?」

「いや、『新島 八重』って名前……。たしか歴史の授業で聞いたことがあった気がして……。すいません、多分気のせいですね」


 若干気まずそうに僕は苦笑いを浮かべた。


 そうだ、たぶん同姓同名なだけだろう。珍しいこともあるもn


「あ、たぶん私ですね!」


 八重さんはニコニコしながらキッパリと答えた


「え?」

「別の人からも言われたことあるんですけど、私って教科書とか本とか様々な文書で書かれているらしいですよね‼」


 八重さんは少し照れながら、また立ち上がって両腕を組んだ。


「いや~やっぱり鉄砲と刀を持って奮闘していた頃のことも知られているんですかね~。あッ‼ もしかしてじょうさんとのことも書かれていたりするんですかね⁉そうだとしたら少し照れますよ~‼」


 テンションが上がっているのか体をくねらせながら一人で盛り上がっている。




「えっと……じゃあやっぱり本人なんですか?」

「ええ! もちろんです‼」


 やっぱり本人なのか……。

 正直まだ半信半疑だが、言っていることはおそらく彼女の史実に当てはまる。


 僕は言葉を失っていた。


「どうだ?驚いたであろう。何と言ってもあの『新島 八重』殿であるしな」


 侍がそう言うのに合わせて、八重さんは腰に手を当て堂々とした立ち振る舞いをしている。




 本当にここは死後の世界なんだ。


 そう思わざるを得ない。だってそうじゃないとここまで本人らしい振る舞いができるわけが無い。それにこれがすべて嘘だとしてもクオリティが高すぎる。


 自己紹介をしている間、僕は冷静になって、周りを見たり、今の状況を考えたり、おかしなところを探したりしてした。

 だが話の中で目が泳いだり、話していることの矛盾が起きることが一切なかった。


 今まで多くの嘘を言われ続けてきた僕だ。本音と嘘の違いは分かる。




 この人たちが話していることは間違いなく本当のことだ。



「……とまあ、自己紹介も済んだところだが……どうだ?」


 侍が僕の顔色を窺うかのように聞いてきた。


「え……? 『どうだ』とは?」


「いや、これで少しでもお主の気が紛れてくれたかと思ってな、……まあよかった。さっきまでのしかめっ面が消えておる」


 その言葉を聞いて気づいた。

 あの自己紹介は少しでも場を和ませようと、僕の緊張をほぐすために行ってくれていたのだと。

 たしかにさっきまでの緊張感は消えてて、とてもリラックスできている。


「あ……、ありがとうございます!」


 侍は少し微笑んで話を続けた。


「気にするな。では本題に入ろうか。いったい何があってここにたどり着いたのだ?」


「はい。じゃあまず昨夜のことから――」


 僕は昨夜起きたことを全て話し始めた。


 僕が日ごろから考えていたこと、


 神社でしてしまった願い事のこと、


 そこで聞こえてきた異音のこと、


 森の中で見つけた古びた社のこと、


 霧のように蠢く人魂の化け物のこと、 


 血まみれの状態で倒れていた彼女のこと。


 そして、

 助けてくれた白髪の女性のこと。


 昨日の記憶を遡りながら、思い出しながら、すべてのことを話す。

 右腕の怪我が痛みだす。


 話すうちに自分の中でも昨日の出来事が整理されていくが、我ながら「ありえない」というような内容であると気づかされる。


 すべてを一つ一つ話していく。


 話が進むにつれてだんだんと二人の表情が険しくなっていく。


 だが僕が話すことを止めることはせず、二人は最後までずっと無言で聞いてくれていた。

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