第一章 ネノクニ 西の森

其の肆・ネノクニ

 ――遠くから何かが聞こえる


 女性の泣いているような声

 そんな声が延々と響いている。


 その声はときおり悲鳴を上げたり、「やめて」と懇願したりしており、聞いているだけでかなり気分が悪くなってくる。


「もうやめろ‼」


 つい声を荒げて、暗闇に向かって叫ぶ。すると女性の声が止んだ。


 だがそう思った瞬間、暗闇の奥から大勢の人が近づいてきた。


 お爺さん、お婆さん、中年の女性、若い青年、そして小さな子供まで、歳も違えば性格も全く違うような人が集まった群れはまっすぐと向かってくる。

 僕が少し後ろに退くと背中が何かにぶつかった。

 振り返って見てみるとそこにもすでに大勢の人が立ちふさがっていた。


 囲まれた


 身を翻して、先程ぶつかった人から離れたがもう逃げ場は無い。完全に包囲されている。


 暗闇から向かってきた集団の先頭を歩いていたお婆さんが僕を指さして喋りだした。


 「あなたに何が分かる?」それを合図にしたように、突然他の周りの人も指をさして喋りだす。


「お前に彼女の何が分かる⁉」「あなたは何を知っているの?」「お兄さんには関係ないよ!」「さっさと消え去れ!」「邪魔をするな!」


 そんな様々な五月蠅うるさい罵詈雑言が響き渡る。

 耳をふさいで聞こえないようにするが、そんなものは意味を成さない。


 「お前は「あなたが「邪魔だ「消えろ「生贄だ「彼女がいないと「分かる⁉「貴様は


 五月蠅い、五月蠅い、もうやめてくれ。


 人の泣いている声。

 人の悪口。

 もう聞きたくない。


「もう、嫌だ……いやだぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 そう叫んだとき、周りの人たちは暗闇とともに遠くへ消えていき、明るい光が目の前に返ってきた。


 目が覚めると僕は布団を汗でぐっしょりと濡らして横になっており、その布団の傍には一人の男性が座っていた。



「起きたか、小僧」


 ********************


 外はすでに明るく、障子から光が差し込んでおり、鳥のさえずりが聞こえていた。


「かなり、うなされておったが大丈夫か?」

「はい……もう大丈夫です」


 僕は少し息切れしつつ返事をした。

 いったいあの夢は何だったのだろうか。まるで、真っ暗な闇の中に包まれているようだった。

 立ち上がろうと体を起こすと、突然右腕に激痛が走る。


「痛ッ‼」


 身体を見てみると制服ではなく、まるで道着のような和服を着ており、右腕は白い包帯でぐるぐる巻きに巻かれていた。


「あまり無理をするな。骨は折れていなかったが、重傷であることには違いない。なんせ、腕を貫通した怪我があったのだぞ?」


 そう言うと男は湯飲みに入ったお茶を一気に飲み干し、置いてあった盆に力強く降ろした。

 男は深く息を吐いて立ち上がり、障子を開いた。


 外の景色は昨日までの怪しげな様子がきれいさっぱり無くなっており、すがすがしい風が吹いていた。


 布団の中の左手を胸の上に置いてみた。


 ドクドクと静かに心臓が動いているのを感じる。



 まだ、生きている。

 おもわず僕は安堵の息を吐いた。



 そういえば、あの後、僕はどうなったのだろうか?

 たしか、いきなり倒れてしまい、意識がだんだんと薄れていったところまでは覚えている。

 それよりも、ここはいったいどこなんだ?たしか全く見たこともない森の中だった。それに、この人の格好……。


 藍色の道着のようなものを着ており、腰にはおそらく本物の刀が携えてある。

 今の現代日本では絶対にありえない姿。まるで侍のような姿だ。


 そんなことを考えているとき、大切なことに気づいた。



 彼女の姿が無い



「あのっ……!」



 僕は慌てて布団から抜け出て畳の上に正座になった。

 侍は僕の声を聞き、視点を外から僕の方に移す。


「ん……?どうした?」

「あ……えっと、まず、助けてくれてありがとうございます!」

「あぁ、気にするな。たまたま通りかかっただけだ。それより……」

「あと!僕と一緒にもう一人、女の人が倒れていませんでしたか⁉」


 少し食い気味に尋ねると。侍は僕が大きな声で聴いてきたことに少し驚いた表情を見せ、すぐにまた優しい表情に戻した。


「あぁ、あの少女なら奥の部屋で眠っておるはずだ」


 侍は僕の後ろにある襖を親指で指差しながら言った。

 僕はその指を見ると話が終わる前に立ち上がり、襖の方へ向かっていた。



 襖をおもいきり開けて中に入ると、そこには頭に包帯を巻いた彼女が布団の上で眠っていた。

 見たところすでに治療がされているようで、呼吸も安定しており、静かな寝息が部屋の中で聞こえる。


「よかった…………!」


 彼女の姿を見て安心したのか、僕はその場に膝から崩れ落ちた。


 無事そうだ……。森の中では暗くて傷の様子もはっきりとは見えなかったが――


 そう考えながら、ふと彼女の顔を見た。


 ――あれ?この人……?


「いいえ、ぜんぜん良くありませんよ!」


 そのとき僕の背後から声が聞こえてきた。

 声の方に振り向くとそこには着物を着た一人の女性が腰に腕を当てて立っていた。


「なんで、もっと早く病院に連絡しなかったんですか⁉もし私が昨日ここに来ていなかったらどうなっていたかわかります⁉この人治療のひとつもできないんですよ!」

「す……すみません……」


 女性は奥にいる侍を指さしながら怒って言った。僕はその勢いに飲み込まれ、自然とその女性に謝っていた。


「いやはや、八重やえ殿は厳しいでござるなぁ」


 侍はそう言うとハッハッハと笑いながらこちらの部屋に入ってきた。

 「八重やえ殿」と呼ばれる女性は呆れたようにため息を吐いた。


「こんな風になったらダメですよ」


 その女性は僕の方に近づき、確実に侍にも聞こえる声量で耳打ちをした。


「ところで、彼女の容態はどのような感じでござるか?」


 侍が尋ねると女性はどこからかバインダーのようなものを取り出してきて、それを見ながら話し始めた。


「とりあえず出血は治まって、呼吸も正常。安定はしていますね。あなたが持っていた小袋の中にあった薬草の効き目も良いみたいです」


 小袋……。そういえば、あの人はいったい何だったのだろうか。


 あの夜のことを思い出す。

 月明かりの中、あの人の戦っていた姿を思い出す。とても人とは思えないような身のこなし、戦闘技術、そして危険を顧みない強い精神。


 もしも僕にもあんな力があったら……。


 思い出すと、右腕が痛む。

 僕は俯きながら奥歯を噛みしめていた。


「――あの‼聞いていますか⁉」


 ハッとして顔を上げると女性が顔を膨らまして僕を見ていた。


「はい!聞いています!」


 僕は姿勢を正して女性の方を見た。

 後ろでは侍が声を抑えながら笑っている声が聞こえる。


 だめだだめだ、今はこの人の話に集中しないと。


 女性は一度深いため息をついて話を始めた。


「じゃあ話を続けますね……。とまあ、彼女はいま回復に向かっていると思われます――が……」


「――が?」


 その、意味有りげな話し方におもわず聞き返した。


「――なぜか、理由は一切わかりません……。ですが……」


 女性はそう言うと少し間をおいて、考えたような表情を見せた。



 数秒経った後、女性は口を開いた。





「彼女は『生きています』そして、あなたも……」


 女性は僕を指さして怪訝な表情を浮かべてそう言った。









「え……?」



 いっときの静寂が僕らを包んだ。

 部屋の中は静まり返り、ただ彼女の安定した寝息と外から聞こえてくる鳥の鳴き声だけがその静かな空間に聞こえてくる。

 おそるおそる僕は女性に聞き返す。


「それが、どうしたんですか……?」

「坊主……。やはりお主はここがどこだか分かっておらぬようだな」


 すると、ずっと静かに話を聞いていた侍が突然口を開いた。


 振り向いて侍の方を見ると、侍は腕を組みながら胡坐をかいて座り、一息吐いてから話を続けた。

 彼の顔は先ほどまでとは違い、とても険しい顔つきになっていた。


「簡潔に言おう。ここは『』という、『死んだモノ』が生まれ変わるのを待つ場所。いわゆる『』というやつだ」






 え……?






 死者の国?






 ネノクニ?

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