其の参・出会い

 冬が近い夜の森はかなり冷え、奥ではカラスの鳴き声が聞こえる。


 今はいったい何時だろうか、もうどれくらい歩いたのだろうか。まったく分からない。


 ただ、確実に言えることは遭難しているということだけだ。


 でも、足が止まることは一切無かった。

 周りが暗闇なことに加え、視界が歪んで見えているため、ときおり木の枝に頭をぶつけたり、地面に足を滑らしたりしていた。

 でも、とにかく下の方に、明かりが見える方向に、そう思って歩き続けていた。

 だが今歩いているのは坂道なのか、平地なのかも分からない。それに、明かりのようなものも一切見えない。


 もうだめか?もう助からないのか……?


 不安な表情をしてそう思ったときだった。


 奥の木々の隙間からぼんやりとした光がさしていた。


 それを見た僕は進む足を速めた。


 いや、まだ助かる。


 あきらめちゃだめだ。


 その光は、あきらめかけていた心に希望を与えた。

 もしかしたら光が差しているが、下には繋がっていないかもしれない。


 でも助かる可能性はゼロじゃない。


 藁にもすがる思いで僕は光の方へ進む。


 大丈夫、絶対助かる。助けるんだ。


 そう信じ、木々の隙間を抜け、光の下へ飛び出した。


 木々を抜けた先はそれぞれ赤と白の鳥居がある崖だった。


 先ほどから見えていた光は月明かりだったようで、その二つの鳥居を横から美しく照らしている。

 鳥居の傍には一枚の看板があり、そこには大きな文字で「展望台」と書かれていた。


 その名の通り、崖からは僕が暮らしている町が一望でき、今いる場所が山の麓とかけ離れた場所であるということを痛感させた。


 一旦、彼女を鳥居から少し離れたところに生えている芝の上にゆっくりと、ゆっくりと慎重に降ろした。


 まだ、呼吸はしているが、最初に見たときよりも呼吸が浅くなっている。


 かなりマズそうだ……、急がないと……!


 僕は崖際の下を覗いてみる。崖下は少し急な坂になっており、長い草がたくさん生えていた。

 だが、障害物になりそうな大きな木などはあまり生えてないため、降りて行けなくもなさそうだ。


 ここを通るしかない…


 そう思った瞬間、崖下から何か、群れのようなものが突然飛び出してきた。


 まさか⁉と思ったが、そのまさかだった。


 森で倒して動かなくなったはずの、あの人魂が歪な形をして目の前に、そして大きな違いがその人魂の後ろに大小さまざまな人魂たちがいることだった。


 急いで彼女のもとに駆け寄ろうとしたときにはもう遅く、いくつかの人魂がまず足に噛みつき、体勢を崩したところを狙って大勢の人魂が齧り付いて僕は地面に倒れた。


 今度は右腕だけでなく全身に激痛が走る。

 叫び声をあげるが、状況は一切変わることは無く、噛みつく強さがだんだんと強くなっていくだけだ。


 倒れたまま彼女の方を見ると、彼女の傍にあの、形が歪んだ人魂が浮いていた。


 血の気が引く。

 もし、あと一度でも襲われたら彼女は――


 僕は齧られながら地面を這って少しずつ彼女との距離を縮める。


 ダメだ、やめろ、噛みつくな。


 そう思っても人魂は噛みつこうとするのを止めない。

 左手を伸ばしても届かない。


 絶望


 その二文字が頭の中をよぎった。




 ケケッ‼ククケケカカカケケコッカケケクキケカカッ!ケケケキケクコカカッコケカキキキカコククケキコクッ‼


 カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカァァッ!!


 歪な人魂は笑いながら大きく口を開けた。


「やめろぉぉぉぉぉぉ‼」

 月明かりの下、無力な叫び声が響いた。














「見つけたっ……‼」


 そのとき、崖下から一つの人影が飛び上がって出てきた。


 声がした方を振り向くと、黒いフードのマントを羽織った人が腰につけたナイフポーチから無数のナイフを両手に取り出し、空中からこちらに向かって投げてきた。


 ナイフが当たると思いとっさに目を瞑った。


 が、何かに当たった音がしただけで刺さった感触が無い。

 おそるおそる目を開くと、横たわっている彼女の目の前にいた歪な形の人魂に突き刺さっており、その人魂は悲鳴を上げ、地面でのたうち回っている。


 突然、背中が軽くなった感覚がした。


 背中を見てみると、背中や足に齧り付いていたすべての人魂に突き刺さっており、齧り付くのをやめて叫びながら地面を暴れまわっている。


 その人はそのまま重力を無視するかのように赤い柱を駆け上がり、紅色の鳥居の上に登った。

 すると歪な形をした人魂を先頭に、悶絶していた人魂たちがその人を追いかけるように一斉に襲い掛かっていく。


「危ないっ‼」


 おもわず僕はその人に向かって叫んだ。


「はぁッ‼」


 だが、叫んだ次の瞬間、その人は短く声を上げて体を回転させながら、腰から長めのナイフを両手に取り出し、その回転の勢いのまますべての人魂を真っ二つに斬った。


 一瞬だった。


 何が起きたのか全く分からず、僕はその場をただ眺めていた。斬られた人魂は破裂して、白い霧を発生させる。


 その霧が周りを白く包んでいく。



 僕はただその光景を、呆然と立ち尽くして見ていた。


 すると上から目の前に小さな袋が落ちてきた。手に取って中を見てみると、液体が入った小瓶といくつかの種類の草、そして、さらしのような布が入っていた。


「消毒液とか薬草とかだ。急がないとその子も君も死ぬぞ。早く医者に連れて行きな」


 その声を聞いて我に返り、僕は立ち上がって彼女のもとへ駆け寄る。


 よかったまだ息はしているようだ。


 僕はお礼を言おうと鳥居の方を振り向いた。

 そこには風で黒いフードが脱げ、真っ白な髪をあらわにした女性が立っていた。


「じゃあね」


 白い髪の女性はフードをかぶり直し、そう言って軽く手を振ると霧の中に消えて行ってしまった。


「あっ……!待って‼」


 そう叫んでも返事は一切帰って来ず、白い霧の中、まるで何もなかったかのように夜の静けさが戻ってきた。


 何もできなかった。戦うことも、守ることも。ただ、見る事しかできなかった。


 弱者


 そんな感情が出てくる。


 だめだ!そんなこと考えている暇はない。急いで彼女を助けないと!


 そう思い、小さな袋を腰のベルトに結び付けた僕は、彼女をまた背中に抱きかかえる。


 もう右腕が使いものにならないのは百も承知だ。それでも、彼女を助けなくちゃ!


 崖際の方に近づく。

 だが、霧が濃く、視界が悪いこともあるが、一歩、また一歩進むごとに視界がひどく歪み、倒れそうになる。

 やはり自分も傷がひどいのだろう。一歩進むのにすら数秒かかってしまい、しっかり足に感覚を集中していないと前に進めない。


 進んでいくと、さきほど助けてくれた女性が昇った紅色の鳥居のもとまで来た。


 あと少しで崖だ。

 でも霧が濃く、足元が見えない。どこから下り坂になっているか分からない……


 頭がぼやけながらもそう考えた僕は、慎重に、慎重に足を進め鳥居をくぐった。


 右足を踏み出す。


 おそらくあと四歩、霧がだんだんと濃さを増していき街の光すら見えなくなってきた。



 次に左足




 あと三歩、足元が完全に見えなくなった。



 右足



 あと二歩、ここら辺から、より慎重に進まなくては。



 左足



 あと一歩、おそらく次だ。もはや完全に前が見えない。十分注意して……



 右足





 ゼロ。





 だが、足元はまだ平地だった。


 もう一歩、もう一歩と進んでいくが一向に坂道にならない。


 おかしい……何かがおかしい……


 そう思うと、だんだんと恐怖が表れはじめ、歩く速さがだんだんと早くなっていく。


 どうなっているんだ?坂が無い?終わりが見えない!?




 そう思いながら一分ほど歩いたときだろうか、突然、周りにあった霧が晴れてきた。


 やった、これでようやく前が見える。


 僕は少し安堵のため息を吐き立ち止まった。

 そしてそんな希望は一瞬にして絶望に変わったのだった。




 霧が晴れるとそこは、真っ赤な彼岸花が咲き乱れた小さな野原の中だった。

 その野原の周りは見たこともない景色の森で囲まれていた。


「まってよ……そんなことって……?」


 突然、体が地面に吸い寄せられるように膝から崩れ落ちる。僕は倒れ、彼女はその反動で僕の背中から落ち、僕の隣に横たわった。

 視界に彼女の姿が映る。彼岸花の赤と彼女の頭から流れている赤い血の色が目の前で混ざって見える。


 ここはいったい……?それにこの人が…………



 そう思いながら僕の意識は深い闇の中に吸い込まれていった。



 ********************


 一人の男が森の中を歩いていた。


 修行帰り、腰には長い刀を携えながらも悠々と歩いている。


 そのとき男は異様な音に気づいた。


 何かが倒れるような音、小動物ではない。少し大きい……中型の動物か?

 だが、それにしては重そうな音だった気もする……


 男は疑問に思いながらも、その音がした方向へ歩き出した。


 行きついた先で男が目にしたものは、真っ赤な彼岸花の花畑で血まみれになって倒れている少年と少女の姿だった。

 少年の方は右腕をひどく怪我しており、少女の方は頭などいたるところから出血している。

 いったい何があったんだ?


 男は不思議に思い、少ししゃがんで少年に触れたときありえないことに気が付いた。



 生きている



 男は驚きのあまり突然立ち上がり、奇妙なものを見る目で二人を見つめた。


「いったいこの子たちは……?」

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