其の弐・夢ならば

 気が付くと神社についてからすでに二十分も経過していた。


 僕は賽銭箱の前から離れ、敷地内にあるベンチに座っていた。

 どうせ今日は帰れる場所は無い。ここで野宿をするしかないか。

 そう思い、カバンをベンチの上に降ろしたとき、どこからか怪しげな小さな音が聞こえてきた。


 じゅるりじゅるり


 何かをすすっているような音。


 そんな音が絶え間無くずっと聞こえてくる。この近くで屋台があっている訳でもないし、何か怪しい。


 じゅるじゅるり こりこりこりかり


 おかしい、明らかにおかしい


 音は神社の裏の奥、山の方から聞こえている。途中、何かを噛んでいるような音も聞こえてきて、怪しさが増してきた。

 僕はその音の鳴るほうに向かって山を登り始めたのだが、奇妙なことに音の発生源と思われるところに一向に近づいている気がしない。


 僕はどんどんと山の中の森へ進んで行くことになった。


 じゅるり がりごり


 音がだんだんと生々しい音になってきた。


 山の中は木々に覆われているためすでに真っ暗で、スマホのライトをつけていても足元がおぼつかない。地面はゴツゴツしているし歩いている道の横は崖になっていてかなり危険だ。すでに息は切れており、足も疲れてきた。


 人気ひとけのない山の中で、しかも日も暮れた暗闇の中でいったい何をしているんだ?

 そう思ってまた一歩踏み出したとき、落ち葉がたくさん敷き詰められている少しひらけた平地にたどり着いた。


「ここは……?」


 ひらけた空間には、すでに使われておらず、何年も人が来ていないような小さな社があった。


 僕は一度スマホをポケットにしまい、近づいてみることにした。

 鳥居はボロボロ。神社の柱もすでに腐っており、もし蹴りでも入れたらすぐに崩れてしまうと感じるほど廃れている。

 遠目で見てもすぐ分かるほどだ。


「山の中にこんなところがあったなんて知らなかったな……」


 僕は周りの木々、足元の落ち葉、そして目の前に見える社を眺めつつ近づき始めた。その社の正面まであと十歩ほどという距離に着いた時、僕はあることに気が付き足を止めた。


 音が止んだ


 その瞬間だった。社の裏から、なにかがものすごい勢いで右腕にぶつかってきた。


 僕は小さな悲鳴を上げてその勢いのまま後ろの落ち葉の上に仰向けに倒れこんだ


 じゅるり がりがりがりがりごりじゃり


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 齧られている。何かが僕の腕を齧っている。


 すぐさま顔を右腕に向けたが、そこには白い靄がかかっていて齧り付いている本体の姿がない。

 だが、今も絶え間なく感じる痛み、齧られているという感覚、そして腕にくっきりと付いている歯形とそこから流れる自分の血。


 目に見えないが、たしかにここにいる!


 そう思った僕は歯を食いしばり、齧られている右手を持ち上げおもいきり地面に叩きつけた。

 すると、右手の周りにかかっていた白い霧が晴れて、痛みと齧られている感覚が無くなった。


 すぐさま体を起こし、腕を見る。やばい、えぐられているような深い傷だ。


 僕は社の方を睨みつけた。すると、目の前にさっきの白い霧が集まって、何かの形になってきている。

 それはまるで白い人魂のような姿で側面から細長い手、そして正面に巨大な口が付いている。


 ケケケケッ‼


 人魂は僕の方を見ると舌を出してせせら笑うと、空中をくるくると回った。まるで、僕が追い詰められた餌のように見えているのだろうか、人魂は大きな口の端からよだれを垂らしている。


 まずい、逃げなきゃ。


 そう思い、その人魂を睨みつつ足を後ろに進めたとき、社の裏に何かが見えた。

 それは倒れた女性の姿、そしてその女性のすぐそばに血だまりのようなものが出来ている。


 こんなところに倒れた女性……⁉


 もしかして、神社にいるときからずっと聞こえていた音って、この女性が人魂に襲われていた音なんじゃ……⁉


 そう思ったとき、足が女性のもとに駆け出していた。


 その瞬間を見計らったかのように人魂も大きな口を開けながら僕に向かって素早く襲い掛かってきた。

 速さは人魂のほうが速く、僕が女性のもとに着く前に襲われるのが容易に予想できる。


「イチかバチか……‼」


 僕は左手を使ってスマホを取り出し、襲い掛かってくる人魂に向けて投げつけた。

 白い霧状のときは触ることが出来なかったが、あの実体のような姿のときなら当たるかもしれない。


 その発想は見事に的中した。


 投げたスマホはきれいに正面から人魂に当たり、人魂はそのまま地面に落下してきた。

 人魂は悶えており、落ち葉の上でのたうち回っている。

 その間に僕は無事彼女のもとにたどり着いた。


「しっかりしてください!大丈夫ですか⁉」


 女性の肩をつかみ揺さぶって声をかけてみたが反応が無い。

 だが、かすかに息はしている。


 その女性は僕と同じぐらいの年齢で巫女のような服装をしていた。

 しかし、服の白色、朱色のところが真っ赤な血で染まっており、腕や足、頭や胸のところなど、いたるところに傷があり、そこからかなり出血している。


 医学の知識とかは持っていないがかなりまずいということは分かる。

 このままじゃこの人は死んでしまう。急いで山を下りて病院に連れて行かないと……。


 僕は着ていた制服のブレザーを脱いで、彼女を背中に担ぎ、自分の体と女性の体をブレザーで結びつけた。

 体が締め付けられ、腕の痛みも少し増したが今はそんなことを気にしている暇はない。


 この人魂も、いつまた襲い掛かってくるか分からない。急いで山をおりないと!


 僕は来た道を走り出した。

 だが周りは木々に覆われており視界は真っ暗なため、正しい道を通っているのかも分からない。とにかく下の方に下っていく道へ進んでいった。


 走りながら疑問が生じる。


 どうしてこんなことになったんだ?もしかして僕が神社であんな願いなんてしたからか?それなら、この人は関係ないじゃないか!なんで他人を巻き込んでしまったんだ!


 もしもこれが夢なら覚めてくれ!!




 だが、結論は変わらない。


 僕のせいだ。


 そう思うと胸の奥が締め付けられるように痛くなる。


 自分が傷つくのはまだ良い、それを自分が決めたのなら。

 でも、自分のせいで他人が傷つくことだけは絶対嫌だ‼


 走る速さが少しずつ速くなっていく。暗く、足元が悪いが確実に速くなっている。


「どんな人でも助けることのできるヒーローになる」


 小さい頃の夢だ。


 絶対叶わない。なれるはずがない。そう思っていた。


 でも今は違う



「叶わない」じゃない「叶える」んだ


「なれるはずがない」じゃない「なる」んだ


 これが本当に僕のせいなら、僕が死ぬことが一番良い結末だろう。

 でも、人を一人救えなくて誰が死ねるものか‼


 後ろから、異様な鳴き声が聞こえてきた。

 一瞬、振り向くと人魂がものすごいスピードで追いかけて来ているのが見えた。

 少し速度を落とし、走りながら小石をいくつか拾う。そして人魂をギリギリまで引きつけ、真後ろに来たと感じた瞬間、正面に障害物が無いのを確認して後ろを振り向いて、手に持っていた小石を全部、一斉に投げつけた。

 だが人魂は少し速度を落としただけで、石は一つも当たらず、すべて避けてからまた加速し、僕たちの方へ襲い掛かってきた。


 同じ手は通用しないとも思ったが、まさか全部避けるなんて……


 その瞬間、人魂がまたしても僕の右腕、さっき齧られたところと同じところに噛みついてきた。


 腕に激痛が走る。

 最初のときと比じゃないほどの痛みだ。つい、口から呻き声が漏れる。


 その痛みのせいで女性を支える手が緩み、バランスを崩した。しかも、そのとき僕と彼女を繋ぐブレザーがほどけ始めてしまった。

 彼女が背中からずり落ち、地面に落としそうになる。


 危ない‼

 そう思ったときにはもう遅かった。


 僕はつまずいて転び、うつ伏せになって地面に倒れた。

 彼女も少し離れたところに倒れたが、僕の体が少しクッションになったのか無事そうだ。だからと言って大けがをしていて、命に関わる危機な状況に変わりはない。


 がりがりごり


 腕を齧る音が周りに響き渡る。


 全身が痛い。


 倒れた時に頭を木にぶつけたからか、頭からも血が出ており意識が朦朧としてきた。そして右腕にはもう力が入らない。


 でも、


 この人は守らなくちゃ。


 僕のせいなんだ。なら、僕が命を懸けてでも守らなくちゃ。


 僕は倒れこんだまま左手で人魂を掴んだ。

 だからと言って人魂は齧るのを止めず、むしろ細長い腕を使ってへばり付いてくる。


 僕はそのまま腕に齧り付く人魂を引き剥がそうとする。だが、まるで人魂と僕の腕が一体化しているかのように剥がれない。

 血も沢山溢れ出しており、右腕の下には血だまりが出来ている。


「こうなったら……」


 左手を使い、手探りで周りを調べると、すぐそばに尖った石が落ちていた。それを掴むなり、僕はすぐさま自分のその石を人魂に突き刺した。


 グギャゲゲガッ⁉


 人魂は奇妙な悲鳴を上げると、腕を噛む力が急激に弱くなった。


 そのまま石で右腕と繋がれたままピクピク動いている。


 右腕の出血がより酷くなってきた。立ち上がって、右腕に突き刺さっている石を引き抜くと、人魂はビチャリと音を立てて地面に落ちた。


 右腕はもう動かない。

 視界がぼやけ、体がふらついてきた。

 足をふらつかせながら彼女のもとに近寄り、意識を確かめた。

 良かった。まだ、息はしている。


 それを確認した僕はもはや感覚が無い右腕も使って彼女を背中に背負い、ボロボロになったブレザーと動かなくなった人魂を置いて暗い木々の中を歩き始めた。

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