第零章 現世
其の壱・願望
――いつになれば僕は死ねるのだろうか。
今、この踏み切りの中に飛び込んでしまえば楽に死ねるのだろうか
空が薄暗くなり、遮断機のサイレンが
そう考えたところで何も変わらないのは分かっている。今もまた電車が目の前を通り過ぎて行くのをみて、「また、駄目だったな」と頭の中で思う。
死にたい、けど死ぬのは怖い、いつもそうだ。
サイレンが鳴りやむ。
僕は遮断機が上がりきるのを確認して、歩くたびに体中に響く痛みに耐えながら踏み切りを渡り、重たい学生鞄を持ちながら、まだまだ先にある家の方に足を進める。
小さい頃は、「どんな人でも助けることのできるヒーローになる」と、そんな夢を本気で持っていた。
だが、そんなものは所詮、夢物語。叶うはずがない。今の僕の姿を見たら誰もが分かる。
街行く人たちが僕の顔をチラチラとみてくる。
今日は一段と大きな青あざを付けられたからそれが目立つのだろうか。
一人のおばさんが「ちょっとキミ、大丈夫?」と声をかけてきた。
おばさんはしつこく「病院につれていこうか?」、「相談に乗るよ」と話し続けたが、僕は「大丈夫です」の一点張りで突っぱねる。
次第におばさんは口調が強くなっていき、最終的に「じゃあいいわよッ‼」と怒って去っていった。まだ後ろのほうでブツブツ言っている声が聞こえる。
大丈夫なわけ無い
どこにいたって居場所がない
どこにいたって孤独なまま
そんなこと大丈夫なわけが無い
でも、そうしないと心の平穏が見つからない。
僕は白いため息を吐いて、暗い空を見上げた。
アパートの二階にある家の前に着いても中に入ろうという気持ちが湧いてこない。
家の窓から明るい光と叔母さん、そして男の笑い声が聞こえる。
今日もだ。
だが、二週間前の人とも違う。
どうせまた別の男を連れてきたのだろう。こんなとき家の中に入ると、毎回叔母さんから灰皿や空き缶、そして罵倒が飛んでくる。
僕の居場所はどこだろう。
僕は男女の笑い声が聞こえる家を後にして、少し離れた山の方にある神社に向かって歩き始めた。
もう冬も間近だからか日が暮れるのもすっかり早くなってきた。時間を調べようとスマホを取り出すと、画面は十七時半を指していた。冷たい風が体に吹きつける。
昔は幸せだった。それはぼんやりと記憶にある、あのころ。僕が四歳、五歳ぐらいのころだ。
優しい父さん、笑顔が素敵な母さん、そして頼りになる中学生の兄さんがいた。あのころは誰の目から見ても幸せな一般家庭だったと言われるだろう。
だが、その幸せな日々もある日を境に崩れ落ちた。
まず、父さんが兄さんを連れて出ていった。
理由は分からない。前日まで母さんとも仲良く話していたのに。朝、目を覚ましたら、涙を流した母さんと一通の手紙だけが部屋の中にあった。
それから母さんは、当時子供の頃の僕から見ても分かるぐらい、毎日必死で働いていた。
時には僕が寝た後に働きに出ていた日もあった。だから、その当時の僕は「母さんを守るのは僕しかいない。僕がしっかりして母さんを支えてあげなくちゃ」と思っていた。
だが、父さんが出て行ってから二か月が経ったときだろうか、
母さんは死んだ。
僕を殺そうとして死んだ。
その日は雨の降る日曜日だったらしい
突然息苦しくなり、昼寝から目を覚ました僕の目の前には、馬乗りになって僕の首を絞めている母さんの姿があった。
怒りのような、悲しみのような、絶望のような、恐怖のような。そして、泣いているかのような。
そんな母さんの小さな声が聞こえた。
苦しい中、僕は振り絞ってただ一言、「ごめんなさい」と声を出した。何故だか分からない。ただ、その時の僕は「僕がしっかりしていなかった」と感じていたのだと思う。その声を聴いて母さんは我に返ったのか、ハッとした表情をして絞める手を緩めた。
そこから先のことは詳しく知らない。
だが話によると、そのあと母さんは家を飛び出してすぐ近くの道路に飛び込んで大型トラックにはねられて亡くなったらしい。
そうして一人になった僕は叔母さんの家に引き取られた。でも僕は叔母さんの家でも一人のままだった。
そんな昔のことを思い出しているうちに神社の階段の前にたどり着いた。
痛む体に我慢しつつ階段を上る。
階段の横の方には少し長めで緩やかな坂道があり、そこを上ったほうが楽なのは知っている。だけどなぜか毎回、階段の方を上ってしまう。
およそ百段目のところで階段を上り終えた。振りかえってさっきまで登っていた階段の方を見てみると、階段と参道、そして神社へ繋がる道路が奥に見える海まで一直線につながっており、その海の上には綺麗な満月が昇っていた。
「あれ、今日は『
年に一回、この神社では神社の階段、参道、道路、海、そして満月が一直線に並んで見える「月の日」という日があり、その日は様々なところから観光客がやって来て、まるで神社で祭りがあっているかのように賑やかになる。
でもたしか「月の日」はまだ三か月も先のはずだったような……?
そう思いつつも、珍しいものを見た記念にスマホでその月を撮って本殿の方に進んだ。
本殿に着いた時にはまだ十八時だった。だが参拝に来ている客は全くおらず、社務所の電気ももう消えており、明かりが全く無い暗闇だった。
暗い中、目を凝らして進み、なんとか賽銭箱の前まで着く。
カバンの中にある財布から、なけなしの五円玉を取り出し、賽銭箱に入れ、鐘を鳴らす。
ガランガランと大きな音が暗闇の中に響き渡る。そして、二礼二拍手一礼。目を閉じ、願い事を思い浮かべる。
でも、どうせ叶いはしない。
神様なんてこの世には存在するはずがない。
神様なんて人間が自分自身の心の支えとするために作りだした、ただの偶像だ。そんなこと誰もが知っている。
それでもなお、人は願い事をする。
何故か、それは「本当は何処かにいるのかもしれない」と信じているからだ。
くだらない。本当に存在するのならここにいる一人のちっぽけな人間ぐらい救えるはずだ。だが、そんなことは一切ない。
結局のところ、自分を守れるのは自分しかいないんだよ。
神様なんていない
でも、もし本当にいるのならば叶えてほしい。
「この世界から跡形もなく消えたい」
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