四.

「せや」

 と、葉初が言った。

 私たちは、三人――ひとりは人じゃないかもしれないけれど、まあ、それはそれとして――並んで、夕方の河川敷を歩いていた。

 家に帰る葉初を送る途中で、それから、ついさっき、今朝、葉初が女の子ではないかもしれない女の子に出会った橋のたもとを通りすぎてきたばかりでもあった。

「マルちゃんは、なんでこのオーディション受けようと思ったん?」

「えと、それはですね……」

 ところで、彼女のマルちゃんという名前、朝、はじめてアパートに連れてきたときも、いまも、葉初はごく当たり前のように使っているけれど、どうやらこれは、葉初が勝手に呼びはじめたものであるらしい。

 女の子なのかどうかわからない女の子は、実は名前はないんです、と言っていた。

 たぶん、丸太町橋のところで会ったから「マル」なのだろう。

 いいかげんなあだ名だ。葉初らしい。

「……それは、ハハのためなんです」

 「マルちゃん」はそう答えた。

「ハハ? お母さん?」

「はい」

 ん。ここでいう「母」も、たぶん母なのかなんなのかわからないもののような気がするのだが、とりあえずは彼女の言葉にしたがって、母親ということにしておこう。

「母と私のきょうだいたちは、この川の川上にいるんです」

 彼女は、山並みが薄い影になって夕空に浮かんでいるあたりを指し示した。

「でも、昔は、もっと大きかったんです。あの糺の森も、このあたりにあった森も、それからこの川も、昔は母の一部でした」

 あ、ほら。やっぱり人間ではなかったようだ。

「私ときょうだいたちも、このあたりや、もっと川下のほうに広がって住んでいたこともあるんです。だけど、母はちいさくなってしまいました。木が切られて、ここの水の流れも、ヒトが操るようになってしまって」

「それは、護岸工事とか、そういうこと?」

 私が訊ねると、彼女はすこし首をかしげた。

「うーん、それも関係はありますけど、でも、そんな最近のことじゃなくて、もっと前、数千年前から、すこしずつすこしずつ、進んでいたことでもあるんです」

「わかったで!」

 私たちの数歩前を行っていた葉初が、突然、声を上げて踵を返し、本当の名前はマルちゃんじゃないマルちゃんに指をつきつけた。

「それで、マルちゃんがこのオーディションを勝ち抜いて信者を集めて、その力で土地を奪った人間に仕返ししようとしてるんや」

 そう言った葉初の声には、なぜか楽しげな響きがあった。

「えーと……」

 けれども、その言葉に本来は名前のない少女は顔をくもらせ、それから、ふるふる、と首を横に振った。

「ちょっとだけ、ちがいます。ヒトと私たちの境界線は、そのときどきのせめぎあいの結果に過ぎないです。どっちかに傾いているときもあれば、そうじゃないときもあります。混じりあっていたこともあるし、今だって混じりあっています。だから、取ったり取り返したり、というのは、別にどうでもいいんです」

「ふーん、そしたら、なんで」

 自分の予想を部分的にとはいえ否定された葉初は、ちょっと機嫌を悪くしたようだった。

「存在がちいさくなること自体はかまわないんですが、最近は、母がそこにいることも、忘れられてしまっているみたいなんです。母は、それを寂しく思っているみたいで……」

 それで、きょうだいの中で私が選ばれて、オーディションに出ることになったんです。そう、彼女はつづけた。

「母と、私たちが、そこにいることを思い出してほしいんです。それだけです。だけど、私たちきょうだいは、別になにか特別なことができるわけではないんです。だから、たとえば、クトゥルーの娘、とか、ヨグ=ソトースを父と呼ぶ子とかが出場していたら、もう、とても勝ちめはないと思うんです」

「でも、やで」

 葉初は、今度は私たちから数歩遅れて、歩道からはずれた草の上を歩きながら、どことなくしょんぼりしてしまった大いなる古きものの娘に言った。

一番ナンバーワンになろうとする必要は、ないんちゃう? だって……」

「……だって、生まれながらにまたとなき者オンリーワンだから?」

 私が口をはさむと、葉初は首を振った。

「この場合は、こうちゃうかな。『もともと特別な、旧支配者グレート・オールド・ワン』」

 言葉自体は、だいぶ前に流行した歌からの明らかなパク……流行歌からインスピレーションを受けたものではあったけれど、それは、葉初なりの励ましの言葉だったのだと思う。だけど、それを聞いて女の子ではない女の子は、余計に元気をなくしてしまったようだった。

「ちがうんです」

 彼女は言った。

「私たちは、オンリーワンでも、なんでもないんです。母は、私とおなじようなきょうだいたちを、私のほかに九百九十九体、生みました。私は、一千分の一なんです。なにも特別じゃないんです。なにも、できないんです……」

 歩道の真ん中でしゃがみこみ、すすり泣きを洩らしはじめた彼女に、葉初も私も、かける言葉がみつからなかった。

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