三.

 彼女――と呼ぶのが正しいのかどうかはやっぱりわからないのだが――の触手の表面は、見た目のぬるぬるした印象に反して、ひんやりと乾いていて硬く、蛇の表皮を思わせる質感だった。

 首の周囲、人間でいうと肩あたりの高さに五本生えている、太くて長い、黒い触腕は、それほど器用に動かせるものではないらしく、いまもベッドの上に、だらん、と乗せられているだけだ。

 立ち上がったり座ったりしている姿勢のときは、この五本の触腕が垂れさがり、背は低いものの、人間の体に近いシルエットに見えるのであるらしい。

 その上から、朝、着ていたようなワンピース状の服を着ると、ほぼ人間のそれと変わらない顔と髪の毛――これも、実は近くでしっかり見ると、肌に爬虫類の皮膚のようなテクスチャがあったり、目が不自然に黒目がちだったりするのだけれど、すこし離れるとあまりわからない――とあいまって、一見では人間の子どもと見わけがつかない容姿になるようだ。

 脚に該当するあたりには、灰色っぽい、より細くて短い触手が何本も寄り集まったものがあって、地上を移動するときは、これをどうにか動かして歩いているらしい。

 そして、上半身の太い触腕の隙間からも似たような灰色の触手が数本のぞき、細かい作業はこちらが担当するようだった。

 それはそうとして、こんなことになるとは思わなかった。

 私は自室のベッドの上で、彼女の触手に体を玩ばれていた。

 触手のうちの一本が、お腹のまわりに一周、絡みつき、さらにはその先が脇腹をするするっと這い上がってきて、私は声が漏れそうになるのを懸命にこらえた。

「あっ、その表情、ええでっ。ほな、次はさ、もう一本で、パンツの中も攻めてみよかっ。そうそう、そこらへんから……」

 すこし太く柔らかくなっている触手の先端が、こんどはショートパンツをはいた私の、むき出しになっている内股を撫でていき……。

「いいかげんに、しなさーいっ!」

 そこで私がベッドの上に勢いよく起き上がったので、割りを喰った触手の主――女の子じゃない女の子――は、マットレスのはじっこから落ち、フローリングの床にころころ、と転がった。

「ええー、残念。触手攻めを実写モデルで撮影できるなんて、たぶん一生に一度、あるかないかのチャンスやで」

 スマートフォンを手にした葉初が、不満げに頬をふくらませる。

「そういう問題じゃないから! だいたい、こんな写真を撮って、なにをするのよ」

「リアルな絵を描くんやったら、写真をモデルにするのがいちばんやん。ピックマン先生もそうしてはったやろ」

「その描いた絵は、どうするの」

「それはもちろん、次の新刊に」

「やめなさい……。あと、あなたも、言われること素直に全部聞かなくていいから」

「ご、ごめんなさい」

 私は深くため息をついて、もういちどベッドに横たわり、ぐったりと枕に頭を埋めた。

 もっとも、結果としては私たちがひどい目にあって、葉初だけが狂気……じゃなくて狂喜することになってしまったけれど、途中までは計画通りだったのだ。

 途中までは――。

 ――全身に生えた触手があるのなら、それを使わない理由はない。

 それは、誰しもが考えることであっただろう。

 だけど、触手を持っている、という、それだけでは、見るものを恐怖に陥れるには不十分であるらしく、いや、もちろん、特に巨大だったり醜怪だったりすれば無条件で怖がってもらえるのだろうけれど、彼女の場合、そもそも体が人間の大人よりも小型サイズなので、そこまでの効果がないようなのだった。

 現に私も、彼女がワンピースの裾をすこしたくし上げて触手の先端を露出させてみせたとき、別に恐ろしいと感じたりはしなかった。

 私の場合、もう彼女がふつうの女の子ではないと知っていたから、そのぶんを差し引いて考えないといけないとして、でも、予備知識がなかったとしても、やっぱり、たいして怖くはなかっただろうと思う。

「そうすると、見せかたが大事なんじゃないかな」

「見せかた、ですか」

「そう、たとえば、目の前で、ばーんっ、と広げてみせるとか……」

 女の子とは呼び難い女の子は、それを試そうとしたのか、私の前でしばらく、もぞもぞと動いた。けれども……。

「む、無理です。足の触手は、そんなに一気に動かせないんです」

「そ、そうなんだ。うーん、じゃあ、手のほうは?」

「えっと……」

 少女ならざる少女は、ワンピースの袖におおわれた両腕を見つめ、それから、ぶん、と腕を左右に開き、次に、伸びをするように上に振り……そして、あきらめたかのように元の位置に戻した。

「あのう、腕まくりするのを手伝ってもらえないでしょうか」

 彼女が私の前に差し出してきた左右の袖は、触手であることを隠すためでもあるのだろうけれど、先がだぶだぶで余っている。

 どうやら、そこをまくりあげないと、触手を見せることができないらしい。

 私は袖口についているボタンをとって、長すぎる袖を、くるくる折りかえしてやった。

「これなら……」

 と、彼女は腕を肩と平行になるくらいまで上げて、袖の中にあった触手――左右、それぞれ三本あった――を、ぱっ、と広げてみせた。

「ん、それだと……」

「不気味になりますか!?」

 女の子ではない女の子は、嬉しそうな声をあげる。

「いや、でも、毎回、袖をまくりあげないと見せられないんだよね?」

「そう、ですね……」

 私は彼女が自力で腕まくりをしようとする光景を頭に思い浮かべてみた。

 それは、どちらかというと、不気味というより、かわいい姿のように思えてしまう。

「ううーん」

「うーん」

 腕を組んだ私のまねをするかのように、彼女は腕ぐみをして首をかしげた。

 身長差があるので、私はそんな彼女をななめ上から見下ろすかたちになった。

 長く垂れた、深い深い緑色でほとんど黒に見える髪の毛の間から、白いうなじがちらり、ちらり、とのぞき……。

「あ」

「なんですか?」

「ちょっと、そっちを向いてごらん」

 女の子なのかどうかわからない女の子は、言われたとおりに私のほうに背を向けた。

「このワンピース、ここのところが開くのよね?」

「は、はい」

 私は彼女の髪をかきわけて、人間でいえば背骨にあたるところに沿って、人間でいう首の付け根のところから、人間でいう背中の半分くらいまで並んでいるボタンをひとつひとつはずしていった。

「ここから、触手を出すことはできる?」

「えっと……えいっ」

「おおっ。それでちょっと、床にうつぶせになってみて」

「こ、こうですか?」

「そうそう。それから、この長いほうの触手をもっと伸ばして……短いほうは横に広げてみたらどうかな……うん。これで這い寄っていったりしたら、けっこうビックリすると思うな」

「そうですか!」

「うん。ところでさ」

「なんでしょうか」

「葉初は、あなたのこと、どれくらい知ってるの?」

「どれくらい、と言っても、今朝、はじめて会って、ここに連れてきてもらうまでに話したことぐらいで……」

「じゃあ、あなたがこういう体なことは、葉初は気づいていない?」

「たぶん……」

「よし、だったら実験台もバッチリだ」

「は、はい……?」

 時計に目をやると、ちょうど三時をまわったところだった。そろそろ学校を出たころのはずの葉初に、私はメッセージを送った。

『帰りにウチに寄ってって』

『うい』

「……というわけだから」

 すぐに返ってきた返信を見せながら、私は女の子と呼ばれるべきではない女の子に作戦を授けた。

 そして、私たちはその作戦を予定通りに実行にうつした。

 葉初が帰宅するのと同時に、私は、アイス買いにいってくる、というのを口実に部屋を出た。

 何も知らない葉初は、やった、コーヒー味ね、と、のんきなことを言って送りだしてくれた。

 そのあと。

 部屋にひとりきりになった葉初の前で、女の子が女の子ならざる正体を明かす。そして、触手を広げて葉初に這い寄るのだ。異形のものを目のあたりにした葉初は正気を失い……。

 ……正気を失ったらどうなるかまでは考えてなかったな、そういえば。

 でもまあ、それはともかく、葉初は女の子――この時点では、もう、そうではないかもしれないけれど――のはじめての犠牲者になるはずだったのである。

 ところが、だ。

「あ、ちょうどいいとこに! ねえ、ちょっと、そこに横になってくれへん?」

 頃合いを見計らって部屋に帰った私を待っていたのは、カメラを構えたテンションの高い葉初と、どういうわけか彼女のモデルにされてしまっている触手少女だったのだ。

「やっぱり、攻めには受けがおらへんとねっ……」

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