第3話

 喫茶店を出て、その足で近くのスーパーマーケットに赴いたあたしたちは、母に頼まれた夕飯の材料をあらかたカゴに入れ終えていた。

 予定通り、必要なことのあれこれは妹に任せきりになり、姉二人は指示にしたがって材料を持ってくるだけで、働きアリにも嘲笑されそうな風情だった。

 歳上の力の発揮どころは、最も似つかわしくないお菓子売り場のコーナーで、あたしと姉はすでにその場をうろついていた。


「さて、なにを買おうかなぁ」


 姉は小さな棚の周りをくるくる回り、陳列されたスナック菓子を端からじっくり観察している。喫茶店ではサクッと系のお菓子を求めていたようだけど、たとえばどんなものなのか。

 確認するべく、あたしは姉の背後について回っていた。

 ちなみに、妹は律儀にも母に再度電話し、他に入り用な物はないかと聞いた末、その品の調達へスーパー内のどこかを歩いていると思われる。


「やっぱサクッと系ならクッキーか……」


 顎に指を添えて考え込む、姉。

 そんなに迷うものかと思っても、その姿が最年長らしくなく楽しそうなので、そんな姉を見るのもちょっとした興があった。クッキーってサクッと系だろうか。


 ふと姉はこちらを向いて、思考を一旦止めたようだった。


「スズちゃんは?」


 決めないの、と目で訊いてくる。

 そうは言われても、お菓子ってあんまり食べないしな、と思いつつあれこれ考えていると、頭の片隅にくるみの顔が浮かんできた。あいつだったらすぐに、今食べたいものを思いつきそうだ。


 昨日のことを思い出して、ビニールで一つひとつ包装されたお菓子を思い出す。棚に同じものを見つけて、あたしはそれを手に取った。


「ハッピーターン? スズちゃんそれ好きだったっけ?」

「ん、いや、そんなことないんだけど」


 くるみの顔が浮かんだから、なんてことはさすがに言えず、不思議そうにしていた姉も意外だなとしつつ、また棚に視線を戻した。


 まあ、なんでもそんなに食べないから、なにを選んでも意外そうな顔をされていたんだろうけど。


 それに、たまにはくるみのことを気遣ってやってもいい。今頃、必死になって文化祭の絵を描いているんだろうし。渡すのはちゃんと描ききれたらにしようと思っている。


 お菓子の袋に目を落としていると、姉がまた移動を開始した。

 んー、と唸りつつ、姉は目線の高さほどしかない棚の一角で視線を固定させる。気になって覗いてみると、懐かしいものが目に入ってきた。


「キャラメル?」


 おもむろに黄色い箱を手に取った姉は、うなずいてそれを凝視する。甘い物好きの姉にとって、キャラメルは大好物の一つだろうけど、求めているサクッと系とは程遠い感触を持っている。

 気分でも変わったのだろうかと観察していると、彼女の目が屈託なく細められた。それは、さっき喫茶店で見た表情とよく似ていた。


「どうかした?」


 訊いてみると、ややあって姉が反応を示した。


「懐かしいなぁって思ってね」

「喫茶店でもそんなこと言ってたよね」

「そうだった?」


 あたしのことを一瞥すると、視線は動いて手の中の箱に向く。


 一拍置いて、ぽつりぽつりと姉の口から出てくる言葉の数々は、姉の心のなかにある懐かしい記憶が順を追って呼び起こされていることを感じられた。


 そんなこともあったか、と頼りない自分の記憶を顧みても、疑問符が雲のようにもくもくと浮かび上がってくるだけで、姉の話にはとてもついていくことができなかった。


「その時にね、これを渡したんだよ」


 ぐっと伸ばされる腕に、首を引いて焦点を合わせる。


「キャラメルを?」

「そう。そのままではなかったけどね」


 そのままでなかった、ってどういうこと? そう訊こうとしたところで、商品棚の向こうから妹が顔を出すのが見えた。そちらに目を向けると、彼女は笑顔を絶やすことなくこちらに近寄ってくる。


「ごめんね、待たせちゃって」


 妹の手には買い物かご以外にも、ティッシュペーパーなど日用品まであった。


「お。お疲れさん。結構たくさんになったね」

「この際だからって容赦なく頼まれたから」


 えへへ、と笑いながら重そうな両腕を少しだけ持ち上げた。確かに幼気な妹に持たせるには、手一杯に見える。買い物カゴをよく見れば、醤油のボトルまで入っているから、それもそのはずだった。


「ひとりで回らせちゃってごめんね。持つよ」


 あたしは妹の手から買い物カゴを奪い取る。持ち上げた瞬間、ぐんっと重力に引っ張られて、カゴが床と接触し損ねる。


「大丈夫、スズちゃん? わたしがそっち持つよ」


 そう言うなり、あたしの腕にあったカゴは、妹の細い腕に簡単に掻っ攫われた。


「スズちゃんはこっちね」


 涼しい顔をした妹からキッチンペーパーが渡される。

 なんとも情けない姉である。


 そんな思いが顔に出ていたのか、妹はあたしに視線を合わせて微笑んだ。


「わたしは力あるから。それに、ひとには得意不得意があるからね」


 慰められてしまう。ちらっと姉を見ると、そちらもそちらで微笑ましそうに頬を緩めていた。


「あ、そういえばさっきお姉ちゃんとスズちゃん、なんか話してたの?」

「うん。ちょっとした昔話」

「へー、なんだろ」


 あたしが話そうとしたところで、コツコツコツと小さなものがぶつかる音が聞こえた。

 姉の方を向くと、キャラメルが入った黄色い箱を何度も揺らしている。


「ん? キャラメル?」


 疑問に思ったのか、妹はわずかに眉をひそめる。


「お姉ちゃん、今日はサクッと系のお菓子とかって言ってなかった?」

「んー? そんなこと言ったっけ」

「うん。確か言ったよ。ね、スズちゃん」


 同意を求められたので素直にうなずく。


「ほら」


 えー、とつまらなそうに声を漏らした姉は、軽やかに近寄ってきてキャラメルの箱を買い物カゴに収めた。


「これがよくなった」


 その様子を見守っていた妹は、姉とあたしとキャラメルの箱を回し見て、首をひねった。


「サクッ、には程遠い気がするけど、まあいいか」


 そういうところには融通が利くらしい妹は、あたしの手許を指差して、


「スズちゃんはそれ?」


 と訊いてくるので、咄嗟に買い物カゴにお菓子の袋を入れた。これまた珍しい、と感想が聞こえてくる。気に入っていた服を自慢したら微妙な反応をされた気分だ。それと同時に、あたしの趣味はくるみと真反対なんだろうなと知るきっかけにもなった。


 迷いながら棚からチョコ菓子を取った妹は、「それじゃあ行こうか」と歩きはじめる。遅れて歩くあたしの腕が後ろに引っ張られ、足を止めて振り返ると、満面の笑みの姉がふわふわとした空気を周りに漂わせていた。

 思わず「天使だ」と声が出て咄嗟に口を手で覆うと、姉は不機嫌そうに下唇を少し尖らせた。


「それ言わない約束なのに」

「ごめんごめん」


 つい、と続けると、また姉の表情が柔らかいものに崩れていく。再来だ、とか連想できる言葉を言っても、同じように不貞腐れてしまうのだろうと思って、今度は固く口を噤む。

 なんだろうか、と待っていると、おもむろに姉の口が開かれた。


「スズちゃんがね、あの日笑ってくれたから、今の私たちも笑っていられるんだよ」


「……………………う、うん」


 何歩か先にある姉の思考に理解が及ばず、なんとなく置いてけぼりになってしまう。


 背後であたしたちの名前を呼ぶ妹の声が聞こえ、返事をした姉はあたしの二の腕を軽く叩いて通り過ぎていく。


 叩き起こされた感じになったあたしは、のろのろと二人の後をついていく。

 なにかはわからないけど、あたしのなかでズレが生じていることだけは理解できていた。

 時期とか場面は、忘れている甘い味の思い出に合っているように思うのだけど、確かその甘いはくるみから渡されたような。


「んー。わからん」


 まあ、またくるみに聞けばいい。あいつが覚えているかは定かではないけれど、なにかしらの有益な情報を与えてくれるだろう。


 レジ前であたしのことを待つ姉妹二人の下へ、早歩きに向かった。

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