第1話 ようこそ、新世紀へ(9)

――はぁ……はぁ……はぁ……


 二つの影が、急こう配のアスファルトを息を切らせて歩いている。


一体どれくらいの距離、歩いてきただろう。

 シリンダー状になったコロニーの最先端部。コロニーヘッドを重い足を持ち上げ、もつれたりよれたりを繰り返しながら、まだ歩き続けている。



三、――脱出(1)



 コロニー「都市」とは名ばかりの、田舎の舗装された山道といった感じだ。

 鬱蒼としたブナの人工林を切り裂くように、ウネウネと曲がりくねった片側2車線の車道が、山の麓から続いている。

 

 先頭を行くハルの左手と、後に続くカスミの右手はしっかりと繋がれハルがカスミを引っ張るようにして山道を行く。

 時折、「もう少しだよ」とハルがカスミに声をかけるくらいで、先ほどから二人の間に会話らしい会話はほとんどない。

 軽く作られているとはいえ、ゴワゴワとした素材でお世辞にも「通気性が良い」と言えるような代物でないオスカルスーツが、彼女たちの体力をジリジリと削っていく。

 

 ついに排気システムが追い付かなくなったのか、先ほどからチラチラと、何かを燃やした灰のような軽い物質が、一帯に(もしかしたらコロニー全体に)大粒の雪の様に降り始め、ブーツのソールの厚さくらいまで積もりだす。

 セントラルエリアの方向からは、相変わらず怪物の咆哮のような爆音が、コロニーヘッドの山間部まで響き渡っている。


 山道の入り口が、特別に通行規制されている様子はなかった。

 避難ブロックとして機能していれば、もっと人の気配があってもいいはずだ。それなのに、全く人の気配が感じられない。


 いつもは車窓から見慣れたはずのコロニーヘッドの山道は、所々崩落して崖崩れを起こしていたり、木々が落雷を受けたかのように裂けて不自然になぎ倒され、いつもと随分様子が違う。

 

 山のいたる所に、大きなクレーターがいくつも開いている。

 ――ここも、戦場だ。

 

「カスミ。頂上のターミナルビルまであと少しだよ。がんばろ」

 

 そのビルには超高層エレベータの乗り口がある。エレベーターは高さ2.5㎞上空にあるエントランスブロックの入り口まで続いている。


 そこまで逃げる事が出来れば、あるいは父親が乗艦する船に乗せてもらい、コロニーから脱出できるかもしれない。


 淡い期待が重い足を、片方ずつ前に送り出す。

 この坂を登り切ればターミナルビルの入り口がある。

 心が焦りだす。思わず早足になる。

 

 次第にターミナルビルの屋上が見えてきた。

 次に中層階の窓ガラス。

 最後にエントランス。が――見えるはずだった。


 二人が坂を登りきると、タクシーやバス、送迎の車が行きかい、人々で混雑した賑やかなエントランスビルのロータリーが、いつもならあるはずのそこに、静まり返った穴ボコだらけの広場があるだけであった。


 その奥には、コンクリートでできた灰色の塊が、重く、まるで二人を拒絶するかのように積み重なっていた。


「あの! だれか、誰かいませんか!?」


 ハルが、広場の外からその塊に向かって大声で問いかける。

 静まり返った広場に声が反響する。


 ターミナルビルの屋上からまっすぐに高く上空に続く、何本かのガラス張りのエレベーターシャフトを見上げる。


「……エレベーターが、動いてない。あれ、まだ人が乗ってる」


 エレベーターシャフトの中ほどで、まだ人を乗せたエレベーターがそのまま、静止していた。

 オスカルスーツを着た砂粒ほどに見える数人の避難民が、一塊に不安そうに眼下に目をやっているのとハルの目が合う。

 何かを伝えようと必死にこちらに訴えかけているが、何を言っているかまでは分からない。


 カスミは、へにゃりと地べたに座り込んだ。 

 あの時から、カスミはずっと元気がない。無理もない。あの瞬間カスミのお母さんは……。


 ハルは力いっぱいに首を振り、頭の中で何度も繰り返されるイメージを振り払おうとした。


 ――何か、何かきっと脱出できる手段があるはず。


 辺りを見渡すと、歩いてきた方向に、無数の煙が何本も上がっている街並みが見えた。

 すっかり様変わりした大通りや、住宅街が眼下に広がっている。

 轟音がコロニー全体を覆う。

 戦場は急速な広がりを見せる。

 山の麓に流れた砲弾が何発か着弾して爆発する。地面がユラッと震える。

 すすけた灰が、一層激しく頭上に降り注いで積もる。

 既に数百メートル先が霧がかかったように見えない。セントラルエリアも、バンコク街大通りも、対岸の陸や河も。


 生き残った人たちは、無事にシェルターにたどり着けただろうか?

 猛禽のパイロットは、ここから脱出できるかもしれないと言っていたけど。

 生き残った人たちと別れてここまで来たのは、やっぱり間違いだったのかもしれない。

 もし、スペースポートまでたどり着けたとして、まだ船がそこにあって、お父さんと会える?

 エレベーターも動いていないのに?

 そんな奇跡みたいな話、ホントにある?

 

 ――もしかしたら、二人ともここで死んでしまうのかもしれない。

 

 爆発の轟音が、生ぬるい爆風とともに、今になって二人に重くのしかかる。

 戦場での人の死にざまが脳裏に焼き付いて離れない。

 ハルの頭に絶望の二文字がよぎり、押しつぶそうと襲って来る。

 

 でも、そのたびにあの時の、肩を震わせてうずくまっいる、小さなカスミの姿を思い出した。


 今も力なく座り込むカスミを見る。


 私にもできることが何かあるはずだ。

 私が何とかしなくちゃいけない。 


 お母さん。あなたがホントに私のお母さんなら。

 お願いします。

 

 非常用携帯バッグのリッドを開けると、家を出るとき乱暴に放り込んだ、母の写真を取り出す。


 ――今だけ力を貸してください。カスミを助けたい!!


 澄んだ瞳で私を見つめる写真の中の母さん。

 

 何故だろう。

 この人を、母さんの瞳を見つめていると、ただのデジタルプリントされた一枚の写真にまるで心が引きずり込まれるような、現実感を伴わない、どこか別の遠い世界に体と心を置き去りにして吸い込まれる、そんな不思議な感覚を覚える。


 ザっと背筋を貫く未知の感覚に戸惑い、すぐにその写真から目を反らせる。


 ――だめ。目を反らせてはいけない。何か大切なことを、この人は教えてくれようとしている。向き直れ。逃げてはいけない。


 運命を受け入れるんだ!


 ハルは、もう一度写真の中の彼女の瞳をじっと見つめなおす。


 一歩づつ確実に、バンコク街大通りの凄惨な人の終わり方の様なそんな絶望的な現実が、距離を縮めているのを肌で感じている。

 にもかかわらず、頭は冷ややかなほどに落ち着きを取り戻す。

 

 ――そうか、そうだったんだ。

 さっきまで心を埋めていた『私が何とかしなくちゃいけない。』という使命感こそが、実は絶望の二文字に飲み込まれた私の心の叫び。

 

 それに飲み込まれてはいけない。

 それに飲み込まれたら、ホントに何もかも、全てが終わってしまう。

 

 コロニーに降り積もる灰は、踝の高さを越えようとしている。霧がかる視界は最早、数十メートル先を見渡すこともできない。    

 だけど、それとは逆に私を包み込む世界は、少しづつ、少しづつ、でも確かに、ハッキリと澄み渡り広がり始める。

 鋭敏にさらに大きな声で、私に何か大切なことを訴えかけてくる。瞳。


 世界の感じ方を私に教えてくれている。瞳。

 

 力を貸してくれている。

 

 大丈夫。大丈夫なはず。

 ハルは澄み渡った世界に、その身をゆだねる様にゆっくりと目を閉じる。

 迫りくる恐怖や絶望に逆らう様に深く、丹念に呼吸する。

 

 ブナの人工林が、サラサラと音を立て冷たい風を追いたてる様に葉を揺らす。

  

 意識が風に乗り広がっていく。

 見渡せなかった対岸の河を突き抜けて、宇宙の彼方、その遥か向こうで私を呼ぶ声が聞こえる。


「――あなたは、だれ?」


 瞬間、ザッっと音をたてて人工林から、曇天に向かって一斉に飛び立つ鳥の群れ。

 

 ハッとして目を開けると、街を覆った濛々と上がる一筋の煙から一本の彗星が青い光を放ち、こちら側へ猛スピードで飛んでくるのが目に入った。

 

 ハルは前かがみになり、力いっぱいに目を凝らす。


「なに?」

 

 その彗星を、瞬きもせずにジッと目で追う。

 

 集中力が自然と高まり、こめかみが火を噴くほど熱くなる。

 加速する耳鳴り。

 感覚が風景を追い越し、やがて光を追い越し、世界がハルとその彗星だけになる。

 

 彗星がさっきよりもずっと大きく、鮮明に見える。

 ズングリとした人型のシルエット。

 青い迷彩。右肩に揺らめく亡霊のエンブレム。

 左肩には『B-03』の識別番号。


「あの人の、あの人のセレシオンだ。

 あの山の向こう!

 ほら。不時着する」


 指さした方向、コロニーヘッドの近く。霧がかっていて全く見通すことのできない山の向こう側に、流れて見えなくなった。


「……?」


 うつむいていたカスミが、顔を上げる。   


 ズゥゥゥ・・・

 

 轟音をたてて、地面がかすかに振動する。

 そう遠くない。

 山の尾根の向こうに、新しく舞い上がる土煙の頭の部分だけがうっすらと見える。

 音がするよりも早く、ハルは走り出していた。

 

「カスミッ! 行こう!」


「え? 何? まって。ハル?」

 

 カスミが重たい身体を持ち上げる。 

 

 ハルは広場を囲うガードレールを身軽に飛び越える。

 広げた無数の葉に、白い灰を蓄えたブナの人工林に覆われた急こう配の山肌を幹に捕まり、地面に突き出た根っこを足場にして器用に降りていく。

 分厚いソールが枯れた枝と、落ち葉越しに柔らかい土を踏みしだく。

 

「カスミ、しっかり!」


 途中途中で、遅れがちなカスミを見やる。

 

「ハル! 急になに、キャッ!!」


 足を滑らせて、転げ落ちそうになるカスミを受け止めて、助けおこす。


「もう少し。頑張って。こっちだよ」

 

 崖を降りきると、開けた谷間に一見して人工に作られたとは思えない、清流をたたえた小川が、鬱蒼とした人工林の中を流れていた。

 澄んだ水中にたなびく水草や、流れに逆らって泳ぐ小魚の群れがキラキラと光り、ここだけ清浄な空気で満たされている。

 

 まるで人の争いなど関係無い、どこか別の世界に迷い込んでしまったかのような風景。

 

「こんな所が……コロニーにあったんだ」


 ハルは、思わずその光景に息をのむ。   

 川岸まで近づいて、恐る恐る片足を川面に近づける。底までゆっくりとつけてみると、踝くらいの深さだ。


「大丈夫そう!」 


 一歩、一歩、確認しながら慎重に渡る。

 川底にある、ゴツゴツとした岩の感触を厚いソールでしっかりととらえて前に進む。

 川の中ほどまで来て振り返ると川岸でカスミが、川面をジッと眺め不安そうな表情で入るのを躊躇している。


「ほら! カスミ。早く!!」


「マジで? 冷たくない? 流されたりしない? 水苦手なんだよね」


「大丈夫! 大丈夫!! ほら!! ここまでは来れそうだよっ!」


 ハルはザブザブと早足に、膝くらまでの深さまで浸かって見せる。


「わっ!!」

 

「ハルっ!」


 突然、川底の藻に足をとられたハルが、バランスを崩し両足を天に挙げて派手にスッ転ぶ。

 蹴り上げた水面から派手に打ちあがる、水しぶき。

 水面に激しく背中を打ち付け尻もちをつくと、後から打ちあげた水しぶきを頭からかぶった。 


 少しの間、シラシラと流れる清流の音が二人を包み込んだ。


「……プ……クフフ…フフ……キャハハハハハハ!!」


 堪えきれなくなった笑いが、堰を切ったように突然二人を包み込んだ。 


「アハハハハッハハハ!!! だから言ったのに。

 バカねぇ。アンタって奴は」


 ずぶ濡れで尻もちをついたハルを見て、カスミが腹を抱えて吹き出したのだ。


「――もぉー! 早く渡って来いって言ったじゃん!! バカッ! アホッったれ!」


 ずぶ濡れで頬っぺたを膨らませてハルが、両手一杯に水を掬ってカスミに引っかける。


「イヒヒ!! ちょ! やめぃ!! 冷たいなー!!

 オーライ。オーライ。

 そうならない様に、私は気を付けて渡らせてもらうわ。

 まぁ見てなさいって」


 慎重に、一歩一歩、川を渡り始めるカスミ。

 尻もちをついたハルをやがて追い越し河を渡り切る。


「ハル。ほら! はよ来い?」


 言うと片手を、まだ尻もちをついたままのハルに差し出す。

 差し出されたその手をじっと見つめるハル。

 

「――ほれ」 

 

 掌を握ると、力強くハルを引っ張りあげた。


「まったく、ハルちゃんは私がいないとやっぱりダメね。」

 

 ジッと込み上げたものが視界をゆがめ、次第にこぼれ落ちそうになるのをハルはグッとこらえた。


「ハル? ちょっと、こけた位で泣くことないじゃん。どうした?」


 ゴシゴシと、手の甲で両眼を強くこするハル。


「泣いてない。泣いてないもん!

 こけた時に、ちょっと目になんか入っただけだもん!」


 グシっと鼻を一度鳴らすと、川面をすくって顔を何度も強引に洗う。

 洗うたびに細く干からびて、やもすれば折れてしまいそうだった心が少しずつ元に戻る。

 

「そか。行こう! もう少し。

 あの山の向こうでしょ? ハル!」


 パンッ!パンッ!

 冷たい川の水を掬った両手で頬っぺたを二度叩いた。

 水面に映る顔。

 

 ――大丈夫!きっと大丈夫だよね。

 

 コクっと一度頷く。


「待って! 今行くよ。カスミ!」

 

 歩き出したカスミの後についていく。 


***

 

 山の頂上からは、見える範囲がすべて人工林だ。

 灰色の霧がいよいよ濃くなり、視界を遮る。気をつけなければ、方向感覚を見失いそうだ。

 しかし心も足取りも、さっきよりずっと軽やかに感じる。


 灰色の霧に見え隠れする、直線的に不自然な形で木々をなぎ倒し、深く土をえぐってできた、長い一本の道が眼下に見える。 


「――不時着の痕」

 

 ハルが呟く。

 その道をずっと目で辿って行くと、一層濃い灰色の煙の塊から、巨大な青色の猛禽の爪先が突き出ているのが見えた。


「GT/F-27ヴァンダーファルケ。

 コロニー連合のセレシオン。多分その改良型ね」

 

 カスミは、そう言うと小高い山の頂上から続く、なだらかな土の斜面を滑り降りる。ハルもそれに続く。

 

「ハル。あれ操縦できる?」 

 

「え? うん。大丈夫だと思うよ!多分……。

 宙間飛行訓練過程のシミュレーションで乗ったことがある……かも知れない。

 ――ああぁ……だけど……評価は、そんなに良くなかったかもしれない――ハハハ……」


 だんだんと自分の発言に自信がなくなっていく。 


「おけー! 

 じゃさ、あれに乗って、一気にエントランスブロックまで脱出しようよ!」


 斜面を滑り切り、直線に続く不時着の痕をしばらく辿ると、ショルダーアーマーと頭部に大きく被弾した痕が残る、ところどころに薄く灰を降り積もらせたGT/F-27Cヴァンダーファルケの青い巨体が、ほぼ原形をとどめたまま仰向けに倒れていた。

 

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