第1話 ようこそ、新世紀へ(6)

二、ハルとカスミ。オリヴェルと青い彗星。(2)



〈声明文。あー……。

 宇宙世紀0121年8月31日。グリニッジ標準時午前5時30分。我がコロニー国家連合は、地球圏国家連合に対し休戦協定を破棄することをここに宣言する。

 繰り返します――。

 宇宙世紀0121年8月31日。グリニッジ標準時午前5時30分。我が、コロニー国家連合は――〉


 壁面の巨大なオーロラビジョンが、声明文を読み上げる白髪の老人を映し出した。

 非常警報のサイレンが絶えず鳴り響き、繁華街を通るバンコク街大通りの交差点は、人で混雑していた。

 

 ショッピングモールや、デパート、アミューズメントビルが立ち並ぶ大通りは、普段、若者や買い物客で賑わうが、今朝の喧騒はそれとは種類が違っていた。

 

 複数あるシェルターの入り口付近は人や車両で混雑していた。

 それぞれの入り口に、色とりどりのオスカルスーツを着込んだ市民が、数百メートルの列を作り、迷彩柄のスーツを着た重装備の治安維持軍兵士が、それを誘導する。

 装輪式装甲歩兵戦闘車両が、大通り沿いを何台も続けて行きかい、数十名の兵士を、後部のハッチから降ろして去っていく。


 朝日は、上がってまだ間がない。

 繁華街の大通りとはいえ、いつものこの時間この辺りは、人影もまばらだ。

 わずかな通勤客が、セントラルステーションへ向かう始発のモノレールに乗り込む為に、駅に続く地下への入り口に吸い込まれていくぐらいである。


 コロニーは、三つの「陸」単位で区分け管理されている。

 それぞれ中心部に一区画ずつ、セントラルエリアといわれる、行政中枢機関を置いた高さ200メートルほどの高層ビル群があり、そのビル群を中心に、オフィス街の高さ100メートル未満のビル群が立ち並び、その外に繁華街さらに外にベッドタウンと、外に向かって計画的に都市が建設されていった。

 シェルターが設置してある特別避難区域は、各々「陸」の比較的人口密度が高い地点を選んで、百ヵ所ほど設置してある。それぞれの避難区域には、15~25基のそれぞれ千名程を収容できる、地下シェルターがある。


 ――セントラルステーションのタクシー乗り場で見る、次々に客を乗せては降ろす、無駄のないローテーションのようだ。


 列から少し離れたメインストリートの交差点で、友人を待つカスミ=アンダーウッドは、たくさんの兵士が次々と装輪式装甲歩兵戦闘車から降りてくる光景を見て、そんなことを考えていた。


 方々から次々とオスカルスーツを着込んだ家族連れが、シェルターの入り口にぞくぞくと集まり、「定期、不定期」に高い頻度で行われる避難訓練の通り、あらかじめ決められたシェルターの入口へと続く長い列に組み込まれていった。


 普段と違うのは、オーロラビジョンの速報ニュースで、演説台に立つ一人の白髪の老人が、偉そうに何かを言っているくらいのものだ。


 カスミは、クッと少しずれた赤い縁の眼鏡を人差し指で直す。


「そっちの都合ばかり押し付けて。

 余裕がないのはアンタ達だけじゃない。こっちも一緒なんだから」


 カスミは、気分を不愉快にする演説に向かいそう心の中でつぶやく。

 まるで「苦労しているのは自分たちだけで、だから仕方なく戦争しますね」と言っているように聞こえた。

 大義名分があれば、どんなにバカバカしい言い分でも戦争するための理由になる。

 仰々しく、ご立派な言葉を並べているが、これは戦争がしたいだけの狂人の言い分だ。


 それを言うなら、私だってこんな事さえなければまだ眠っていられたし、普通に学校に行き、帰りに流行りのスイーツを食べに行くこともできた。


 ――スイーツが食べたいからお前の戦争には付き合わない。


 そういう選択肢がもしあれば、ここで避難している人たちは喜んでそれを選んだだろう。

 しかし現実には、そのような選択肢はない。


「じゃぁ何かしら?

 私がスイーツを食べる権利は、アンタ達が戦争を吹っ掛けて人を殺す権利より下ってわけ!?」


 ――理不尽だ!


「頓珍漢なアンタらの都合で、私たちを振り回さないでっ!」


 そこまでのセリフが頭の中を埋め尽くすと、イライラが最高潮に達する。

 自然とカスミの眉間にしわが寄る。


「カスミー!」


 雑踏を貫く聞き覚えのある声が、自分の名前を呼んでいるのが聞こえる。

 声の方を見ると、小走りで人ごみをスルスルとかき分けてやってくる、同級生のハル=シークェルの姿が見えた。


「ハルー!」


 カスミは全力で腕を振る。


「こっちこっち。おそいー!」


 次第に力を失いヘタリ出す小走りが、カスミの一歩手前まで来てついに力尽きた。


「ハヘェ! ……ハヘェ! ……ハヘァ! ……ごめーん。遅くなっちった。

 オスカルスーツ着て……走るの、めっちゃ辛すぎ……」


 ハルは、両手を膝につき中腰になって息を整える。顎と前髪、鼻を伝って、ポタポタと大量の汗が歩道の石畳に滴り落ちて新しい模様を作り始めた。


「アンタ、まさかずっと走ってきたの? ……ほら、これで顔拭きな」


 カスミは小さく上下する背中を見ながら、腰の携帯バッグからアルコールがしみ込んだ制汗シートを、パッケージから二、三枚まとめて抜いてハルに差し出した。


「……サンキュ。

 ――わぁ! ヒィ! 冷えるぅ!」


 制汗シートが汗が滴るハルの顎を覆うと、一瞬で火照った体温がギュッっと下がる。

 長いまつ毛に覆われ、年よりも幾分か幼く見える大きな彼女の瞳が、さらに一回りほど大きく見開く。

 続いて両手で頬っぺたを覆い隠すようにシートを押し当てると、充足した心地よさが、大きく見開いた両目をすぐに恍惚のまなざしへと変える。


「ふへぇ……」


 そんな台詞を吐き出して、ようやく一息ついた。


≪――ナビゲーションを終了します――ハルちゃん。お疲れ様≫


 ハルが上体を起こすと、左腕のソケットに差し込んだヴィヴィが声を出した。


「いやぁ。置いてかれたと思ってさ。どこも通行止めだし。

 通話もできないし、どんどん時間が遅くなって……もしかして……その、ごめんね……怒ってる?」


 汗ばんだ額に制汗シートをあてながら、ハルは眉間にしわを寄せたままのカスミの顔色を窺う。

 そういわれて初めてカスミは、不機嫌な自分の顔がハルを不安にさせたことに気づいて慌てて否定する。


「違う違う! バッカね。アンタみたいなの、置いていけるわけないでしょう。鈍臭いし生活力ないのに。

 アタシが気に入らないのはアレよ。アレ」

 

 指さした方に巨大なオーロラビジョンがあった。


「――アレって? え? 誰あのおじいさん。

 でもよかった。待ちぼうけして怒ってるのかと思ったから」


 ハルは安堵した表情を見せる。


「ほんと暢気ね。

 ママが、搭乗受付の列に並んでくれてるわ。

 他のみんなとはやっぱり連絡がつかないのよ。非常回線も役に立たなくてさ」


 カスミは、携帯情報端末をバッグから取り出し、新しいメッセージを受信していないか確認する。


 「搭乗受付」と言ったのは、侵略や事故でコロニーに致命的なダメージが発生した時に避難用シェルターがそのまま脱出用の「救命シャトル」として、宇宙空間に射出される仕組みになっているからである。

 よって「避難用シェルターに搭乗する」という言い回しが、一般的である。


 不通状態の携帯端末をバッグに直しながら、ハルに向き直る。


「さ、列に並ぼ? アンタの分も場所とってあるから」


「はい! いつも悪いっすね。

 カスミがいなきゃ三万回は死んでるよ。天使だね」


 大きな瞳の長いまつ毛をパチパチさせて、ハルが人懐っこい笑顔を向けて来る。


「あーハイハイ。冗談言ってないで。さっさと行動する。

 ……アンタまさか忘れ物してないでしょうね?」


「してないよ。ちゃんと確認しましたから」


 エヘンと鼻を高くして少し背伸びをした。


「……不安だわ。

 明日提出の課題も? ちゃんと持ってきた?」


「え? ……課題? そんなの持って来るわけないじゃん」


「はぁっ!? アンタ単位ギリじゃなかった?」


「そりゃそうだけど。

 まさか、要らないでしょ? それは」


「おバカねぇ。マジで暢気すぎるって。

 アンタのパパに報告しとくから」


「いやいや! でもさ、こんな状況だし!

 シェルターの中でも課題やるとかありえないよ。

 普通さ。命、大切にでしょ? きっと明日は学校もないって――」


「――報告しときます」


 ヒシッと切り捨てフイッとそっぽ向くカスミ。


「ええ! 酷いよっ! 鬼! 悪魔! 鬼畜にもほどがある!!」


「あらあら。天使じゃなかったっけ?――」


 ――ゴーォォ……


 子供のハルと、まるでその保護者のようなカスミのいつも通りの、日常的なやり取りに一瞬の間が開く。


「「お腹、すいた?」」


 二人して同じセリフを、同じタイミングで発してしまう。

 最初、お互いがお互いのお腹でも鳴ったのかと思ったが、それはすぐに違うと分かった。


 聞いたことのない、コロニーの内壁に反響する不気味な低い音だ。

 遠くから辺り一面に響き渡る警報の音に交じって、確かに聞こえる。


 異常を察知した数千の市民、兵士も何事かと一斉に空を見上げる。

 繁華街の背の高い建造物群に、四角く切り取られた人工太陽の灯りとそのはるか上空にある対面の河が、頭上を覆っている。


 ――ゥオオォオー……


 何だろう。咄嗟に例えが思いつかない。

 昔観た映画に登場する、怪獣の咆哮が遠くで聞こえるような、そんな音だ。


 言いようのない不安が、辺りを覆い繁華街を埋め尽くしていた人々の喧騒が一瞬にして沈黙へと変わった。

 

 警報の音と、オーロラビジョンのステレオ音声だけが、静かに響き渡る。


 ――ァォォォオオ……


 次第に大きくなる低音のうねり。

 小刻みな振動が、地面から伝わってくるのがわかる。

 

 装輪式装甲歩兵戦闘車のサスペンションが、「キッ、キッ、キッ」と音を立てる。

 運転士が何事かと、窓から顔をのぞかせて様子をうかがった。


 列に並んだ家族。クマのぬいぐるみを抱えた子供は、ギュッと強く母親の太ももにしがみつき、母親はそれにそっと両手を添える。


 ゥゥゥゥ……――ピーヒーーーー


 サイレンが不自然なハウリングを起こして唐突に停止する。


 ――パンッ!

 

 ハッとして振り向くと、オーロラビジョンがショートして火花を散らしていた。


 次々と街の灯りが消えていく。

 短く瞬電を繰り返す人工太陽。


 ――カタ……カタッ……カタ

   ――カタッカタカタカチカチカチカチ


 いつまでも消えないサイレンのコダマに交じり、繁華街を囲むショッピングモールや、アミューズメントビルのガラス張りの壁面が、一斉に音を立てはじめる。


 ――ッゴゴゴォォォォオオオオオオーーーーー!


 体が一瞬飛び上がる。地面が割れるほどの地鳴りが辺り一帯を襲い、その衝撃でひずんだガラスが、一斉に割れて空中にまき散らされた。


 キャーーーーー!

     うあぁああああ!!


 方々で重なり合う悲鳴。阿鼻叫喚。混乱。

 それを押さえ込もうと、慌てふためく重装備の兵士。


≪――ハルちゃん。危険よ。≫


 ヴィヴィが警告を発する。


「カスミ! ハルちゃん! こっちよぉ!」


 混乱に交じり、誰かが呼ぶ声がかすかに聞こえた。

 

 声の方を見ると、吹きすさぶガラス片の向こうに両腕を大きく振るカスミの母が、シェルターの入り口から続く長い列に混じり、大声を上げて呼んでいるのが小さく見えた。


「――おばさんっ!」


 ――ヒィィィィイイイイイイーー!


         ――ズッッッ!!!!


 両耳を劈く金切り音に似た高音に続き、短く天地がひっくり返る突発音がした。


 同時に巻き起こった巨大な砂煙が、大通り沿いに並んだ建造物を凄まじい速さで貫いて順番を待つ人々の列や兵士、装甲車両を直撃して飲み込む。


 視界が一瞬スローモーションになり、遠くで両腕を振り続ける人影が、巨大な砂煙に巻き込まれて消えた。


「――ひぃっ!」


 ハルは短く悲鳴を発した。

 と同時に凄まじい衝撃波を全身に受け、思わず目をつぶる。


 ――瞬間的に重力が消失し、最初に何か硬いものが背中にぶつかる強い衝撃! 

 二度目はオスカルスーツの胸部保護プレートを引きちぎらんとするほどの凄まじい摩擦! 

 ふわりと体重を失い、三度目に再び背中とヘルメットの後頭部を、何かが激しく打ち付けた。

 

 その度に「あぅっ!」と短く声が漏れる。


 悲鳴を上げようとして


「ゴフッ! ゲホッ! エホッ!」 


 と激しく咳込んだ。

 何が起こったのか理解できない。


「ハァ!……ヒィッ!……」


 気づくと吸った空気が、うまく吐き出せない。

 まるで陸に上がった魚のように、口をパクパクさせる。

 

 ――なにこれ? 呼吸の仕方がわからない!

 

 酸欠でパニックに陥る。つぶった目を大きく見開く。

 目前には視界一杯に猛烈な速さで迫る砂煙。

 音もなく体が飲み込まれ、上下左右、地面と宙、自分が立っていたのか座っていたのかすらも分からなくなる。

 

 保護プレートの上から自分の胸を激しく掻きむしる。


 生まれて初めて間近に迫る「死」を実感した。


 どうにか呼吸をしようと、必死にもがく。


「ハ……ル……」


 ひどい耳鳴りの奥で誰かが名前を呼び続ける。

 灰色の砂煙に包まれた視界は、次第に彩度が衰え狭窄して白くなる。


「ハルちゃん」


 ――また。


 目から自然と涙が溢れ、白い光がにじむ。掻きむしる手に力が入る。

 

 ……ィィィィィィイイイイイーー!


 耳鳴りが次第に大きくなる。


≪――ハルちゃん!≫


 ハッとした。

 突然、耳鳴りが止む。


 ――どのくらいの時間が経ったのだろう。一瞬だったかもしれないし、一時間だったかもしれない。


 いつの間にか閉じたバイザー越しに、濛々と立ち昇る砂煙に包まれた灰色の世界。音は聞こえない。

 

 細かいガラス片とコンクリートの塊。巻き上がった粉塵が降り積もり、アスファルトを覆いつくしている。


 自分がそのアスファルトを覆う粉塵の上に、いつの間にか横たわっていたのだと初めて気づいた。


 まだ朝だというのにひどく暗い。

 仰向けになると、巨大な灰色の煙が厚い雲のように人口太陽の光を遮っている。


≪落ち着いてハルちゃん。しっかりとゆっくり呼吸なさい。

 どこも怪我してないわ≫


“――ハァァッ! ハァ……ひゅぅ……! ハァ……ひゅぅ……!”


 次第に呼吸が、リズムを取り戻す。

 目を閉じてゆっくり呼吸の仕方を思い出す。何度も何度も深呼吸を繰り返した。


 小刻みに震える右手で、左腕のソケットにささるヴィヴィをさする。


“もう大丈夫……。私は平気よ”


 自分に言い聞かせるように、荒い呼吸交じりにそう呟いた。


“ありがとう。ヴィヴィ”


≪――どういたしまして≫


 仰向けに見る厚い雲の切れ間から、対岸の「河」とその手前にある人工太陽の光が見える。 

     

 立ち上がろうとしたが、急に膝が抜けて崩れ落ちた。慌てて両手をついて四つん這いになってしまう。


 両腕と両足が、痙攣していてうまく体重を支えられない。

 下顎と上顎の奥歯がうまくかみ合わずに、「カチカチ」と小刻みに音を鳴らす。

 ジトッと粘っこい汗が額にたまり、形の整った眉毛を湿らせた。


 雲の切れ間が次第に大きくなると人口太陽が、次第に光を取り戻し灰色一色だった大通りが少しづつ色を取り戻す。

 コロニーの緊急排煙システムがフル稼働し、厚い灰色の雲をアスファルトの側溝に勢いよく吸い込んでいった。


 凪いだ空気感。自分以外、居なくなってしまったかの様な静けさが、不安を掻き立てる。 


“カスミ……”


「カスミー!!」


 ハルは、ヘルメットのバイザーを上げ力の限りさっきまで横にいた親友の名前を呼んだ。


「カスミッーー!」


 信号機を支える鉄柱に必死につかまり、やっとの思いで立ち上がり、もう一度名前を呼ぶ。


 あたりに反響する自分の声だけが空しく返る。


「……カスミ」


 見渡すと、自分が立っていたはずの交差点がずっと遠くに見えた。

 車体が大きく拉げた装輪式装甲車が、何両も重なり横倒しになって灰をかぶっている。


 ――ギギ……ギギギギ、

       ッギギ……ッギンン!ギギ


 不意に不気味な機械音が、厚い砂煙の中から響き渡った。

 ハッとして音の方に向き直る。


「――なにかいるの……?」 


 地面に吸い込まれる灰色の雲の合間に、緑色の何かの一部が「チラチラ」と見え隠れする。


 ――ギ、ギギ

 

 巨大な何かが、目前に立ち込める雲の中でうごめいている。

 言い知れぬ恐怖を感じ、思わず鉄柱を強く抱きしめた。


 次第に中でうごめくモノの正体が露になる。


 ――深緑色の平面で、構成された金属の装甲。

 見るからに高密度の立方体をつなぎ合わせた硬い胴体。

 黒光りする重機のような、力強い関節。


 30メートルはあろうかという金属の鎧を着込んだ巨大な体躯であった。


 大通り沿いに乱立していたショッピングモールや、アミューズメントビルをまるでウェハースの様に粉々に粉砕してなぎ倒し、仰向けでそこに横たわっていた。


「――統合軍のセレシオン。

 F-15R……落ちてきたの? コイツが」


 巨大な頭部に取り付けられた、バイザー型のメインカメラを青色に滾らせながら、


 ――ギンッ! ギンギンッギッ! ギギ


 ガタガタになった右肩フレームのアクチュエーターで、必死に腕を持ち上げようとする駆動音を、静まり返った大通りに響かせている。


 一見して満身創痍といった巨体は、体中にいくつも巨大な銃創を負っており、左腕は上腕から先がもげ、ひん曲がってちぎれた金属製の骨格構造物と崩れかけたアクチュエーター、それにかぶさる巨大な人工筋肉がそこから露出し、どす黒い液体をドクドクと垂れ流していた。


 ギギギ、ギ……


 時間をかけて右腕を中空に掲げると、その先のマニュピレーターには巨大なライフルが携えられている。


 ――ドォン!! ドォン!! ドォンッ!!


 ――唐突に短く三連射。

 その巨大な銃口から落雷のような発射音が、マズルフラッシュとともに響き渡った。


 一拍の間をおいて


 ――ヴヴヴォォオオオォォォオオオォォォォ!!!!


 巨人の唸り越えのような音が空を切り裂き、凄まじい発射レートの曳光弾の束が、バケツをひっくり返した豪雨のように横たわった巨体に降りそそぐ。 


 深緑色をした巨体の分厚い装甲から、青色の線香花火のような火花を幾千も飛び散らせる。

 

 次第に高密度の装甲が削られていき、遂に耐えきれなくなると、それを構成していた部品を周囲に撒き散らした。


 時をおかずに、蜂の巣になった胴体をめがけて青色の迷彩をまとったズングリとした別の巨体が、


 ヒュッ!


 と彗星の様に落下して踏みつけた。


 周囲に散乱したコンクリートの塊や、装甲車の残骸が、一瞬衝撃で飛び上がる。


 グシャグシャに拉げた緑色の装甲から、ドス黒い液体が周辺に飛び散って、交差点に立ち並ぶビルの壁面や、信号機、派手な装飾の看板をまるで返り血のように黒く染め上げた。


 高らかに掲げた右腕が、ズルリと滑り落ちるように垂れ下がる。


 裂けて歪な形に変形した頭部は、その取り付けられたバイザーカメラがひび割れ、その光を遂に失った。 


 まるで、獲物を捕らえた猛禽を連想させる青い巨体は、太く重厚なその足で深緑色の巨体を踏みしだく。

 その右手に握られた巨大なマシンガンは銃身を真っ赤に灼熱させ、その銃口からは細い煙を燻らせている。

 ――突然。

 グインッとその顔の向きを変えると、今まで灰色の風景を反射させていた両眼を覆う細い漆黒のバイザーに、そこにいた黄色いスーツを着た少女を反射させてヒタッと止まった。


<民間人?>


 グゥッと立ち上がった青色の右肩に、明るい白色で描かれた「いびつに顔をゆがめる幽霊(ゴースト)」を模した部隊章と、左肩に大きく書かれた「B-03」という識別番号が、やたらと目を引く。


<一帯は、さらに激しい戦闘になる。

 すでにシェルターはどこも開いていません。

 私の声が聞こえますか? 

 戦闘に巻き込まれたくなければ、エントランスブロックの「スペースポート」まで歩いて避難しなさい。

 そこまでいけばもしかしたらいずれかの軍が、あなたを保護してくれるかもしれません>


 AIではない若い男のものと思われる声が、スピーカーを通して大通りに響いた。巨大な左手の人差し指で、エントランスブロックのある方を指さす。


<聞こえましたね?>


 念を押す声に、ハルはコクリとうなずいて見せた。


<では。幸運を>


 それだけ言うとコロニー連合のセレシオンは踵を返し、脚部に張り出た大型ブースターと背中の大きなバックパックから、濛々と砂煙を巻き上げながらプラズマジェットを噴き出しフワリと巨体を持ち上げる。

 エンジンブースターが臨界に達すると


 ――ズキュン!

 

 と弾丸のような速さで、エントランスブロックと逆方向のコロニーの奥へと飛び去って行った。

 

 残ったのモノは。

 

 もはや原形をとどめていない統合軍のセレシオンと、

 ――砂塵が吹き飛ばされて露になった、何百もの人の体だった。


 少しの間、大通りは静寂に包まれた。


「――おーい! だれか! きてくれー!」


 遠くで誰かが、言葉を発したのを契機に

    

     「あぁ! 頼む! ……たすけてくれー!!」

                  

                 「こっちだ―! まだ生きてる!」

    

    「AEDだ! AEDッ! 持ってるやつ誰かいないか?」

「がれきの下に人が!」  「気道を確保しろ! 3! 2! 1! 運べ!」 

  「おかぁぁああさあーん!」 「生きてるやつはいるか?」

        「大丈夫だ! 必ず助かる!」    

                「いたい! いたい。……」

 「だれか手を貸して!!」 

     

        「この子だけでも助けてくださいっ!」  


 ――命を吹き返したように、人々が再び動き始めた。


 瓦礫に挟まって動けなくなった人。装甲車のドアが拉げて体が挟まり、苦悶の唸り声をあげる人。動かなくなった母を起こそうと揺さぶる子供。バラバラになった夫の体を抱いて「助けてください!」と必死に叫ぶ妻。


 助けを呼ぶ人、助けを待つ人、それを助ける人。

 

 ――そして死んでしまったたくさんの人たち。


 やがて、目の前で起きている現実を抱えきれなくなったハルは、力なくその場に座り込み時間が流れるのを呆然と見つめていた。


 すると、灰色に染まった大通りの車道の真ん中で、よく目立つ黄色いオスカルスーツの背中が、ヒョコっと上半身を起こす姿が目にとまった。


「カスミっ!」


 やっと歩き方を覚えた子供のように、力の入らない千鳥足でフラフラとその黄色いスーツに駆け寄る。


 新雪にできる初めての足跡のように、灰色の地面にオスカルスーツのブーツが硬いソールの痕を残してゆく。


 力なく座る黄色い背中に、手が届く距離まで近づいてはじめてその背中が、小刻みに震えているのがわかった。

 震える肩にそっと触れようとする。


「……ママ」


 小さく消え入りそうな声で、カスミがそう呟くのが聞こえた。

 触れようとした右手が急ブレーキをかけて固まる。


 手を振るカスミの母親が、巨大な砂煙に巻き込まれて消える映像が、何度も何度もハルの頭の中で再生される。


 二人の目前には、灰色の世界に巨大な緑色の残骸。

 それとバラバラに散った花弁のように、色とりどりのオスカルスーツ。


 しばらく、沈黙が流れる。


 震えて力なくうなだれるその背中は、どんな時も一緒で姉のように頼りになるいつものそれより、ずっと小さく見える。


 この手で触れてしまえば、全てが崩れてなくなってしまうかもしれない。

 ハルの右手は、石のように硬く動かない。


 ――カスミは親友だ。

 今までも。きっとこれからも……


 勇気を振り絞り小さくなってしまったその背中を、力いっぱいに強く強く抱きしめた。


 背中越しにカスミが、どんな表情をしているのか窺い知ることはできない。 


 グシっ、


 時々鼻をすすり上げる音だけが聞こえる。

 声を上げて泣き出しそうになるのを、必死にこらえている。

 それをハルに悟らせないようにしているのか、カスミは少しうつむいた。


 どれくらいの間、そうしていただろう。


 ――ポン

   ――ポン


 と背中から抱きつくハルの腕を、カスミの左手が優しく不規則になでた。


 こういう時にホントは一番どうしたらいいのか、どんな言葉をかけてあげればいいのか、ハルには分からなかった。

 ただ、背中を力いっぱいに抱きしめるよりほかに何もできない。


 ――ポン

   ――ポン


 「――大丈夫。心配いらない」と逆にハルを慰め励ますように。


 何度も何度もカスミの左手が、強く抱きしめるハルの腕を優しくなでる。

 彼女の精一杯の強がり。


 ――まだ子供なんだと、ハルは自分が無力で何もできない情けない人間なんだと心底そう思った。


 何の覚悟もできないまま、戦争が始まってしまった。

 何の予兆もドラマもないまま、たくさんの人が消えてしまった。

 地獄のような光景が、二人の目前に広がっている。

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