第1話 ようこそ、新世紀へ(7)

二、ハルとカスミ。オリヴェルと青い彗星。(3)



 スペースポートは、円柱形のコロニーの先端部にあるエントランスブロックに設けられたコロニーの出入り口である。

 コロニーを機械的にコントロールする施設の大部分が、集中しているこのブロックに資材を搬入出するための港湾施設や、船を整備、修理するドックが設けられた、1キロメートル四方、深さ2キロメートルほどの正方形の巨大なベイエリアと呼ばれる5つの穴が、ぽっかりと開いていた。

 

 そこに大量の物資を満載した、全長1000メートルを超えるコンテナ船や、さらに珍しい時には、それよりもはるかに大きい木星往還船が停泊することもあって物資の積み込みや積み下ろし、補給、船の定期検査などに頻繁に使用されていた。


 エントランスブロックとコロニーの居住ブロックとは、巨大なマグネティックベアリング(磁気軸受け機工)を介して接合され、試験管型の居住ブロックの自転から独立して、無重力を保つ事ができた。


 実験艦「イクリプス」は、ベイエリアのドックに入渠してその身を潜めている。

 

 船全体が艶を消した黒色で塗装された、全長350メートルの小型の駆逐艦クラスの大きさである。

 「シュトゥリングルス」と対照的に、直線的な多面体で構成された装甲で覆われ、その複雑な形状と全身を覆う黒色の特殊な塗料でレーダー電波の反射を大きく低減している。


 分厚い装甲を傾斜させ、ブロックモジュールとして船体から独立して搭載された「大型熱核融合エンジン」が前後に八つ、その直線的な船のシルエットからはみ出し独特の個性を醸し出していた。

 

 地球圏国家連合統合宇宙軍の艦だけあって基本的なデザインが、地球の洋上で運用する「イージス艦」や、「空母」とどことなく似通っている。


 アクティブカモフラージュシステムを搭載した装甲に文字通り「実験的」に換装が行われ、理論上は完全なステルス航行が可能である。


“戦闘が安定してきている。

 今なら例えバレても、いきなり核で沈められることはなさそうだな”


 マシュー=ホワード大尉は、既に減圧が完了し戦闘配備のイクリプスの狭い艦橋から、ベイエリアの外の様子をうかがっていた。


 ベイエリアの深い横穴に、バラバラになった大小ランディングピア(桟橋)や艦船の残骸が流れ込んできていた。

 

 一時間ほど前に数回、大きな爆発があって同時にエントランスブロック全体、いやコロニー全体で瞬電がおきた。


 おそらく先制攻撃は核だろう。


 その後、何度か穴の外で中規模な爆発を観測したが、瞬電は最初の爆発の時だけだった。


 穴の外では、コロニーの防衛部隊と第二艦隊の残存兵力が、奇襲を仕掛けたセレシオン部隊と入り乱れて激しい戦闘を繰り広げている。


 戦場の正確な情報を得ることはできないが、ランディングピアに停留していた第2艦隊がほぼ壊滅した事と、今はコロニー防衛部隊が主力となってギリギリで奇襲部隊のコロニーへの侵入を食い止めている――。

 

 と言ったところだろう。と簡単に想像がついた。

 いや、もしかしたらすでに何機か敵のセレシオンがコロニーに侵入したかもしれない。


 いずれにしてもやはり、戦況は芳しくない。


“奇襲部隊といえども、エントランスブロック周辺ではさすがに慎重だな。

 エヴァンズ機関長。準備は?”


 ホワードは副長席から、エヴァンズ機関長に短く尋ねた。


“推進剤の充填は完了しています。

 主機、補機、ともに準備整ってます。問題なし。いつでも出れます”


 同じ艦橋内の左舷側面に配置されたシートに座るエヴァンズが、機関コントロールパネルに向き合いながら答える。

 

 減圧が完了した真空の艦内では、オスカルスーツのヘルメットに装着されたヘッドセットを介してコミュニケーションがとられる。


“よし”


 ホワードは相槌でそれに答えた。


<ビッービッビッ>


 独特のコール音がヘッドセットのスピーカーを震わせる。


“こちらCDC、砲雷長マキタです。副長。補給が間に合いません。残弾が全体の20%です”


 CDCのマキタ砲雷長から不測を伝える通信だ。


“構わん。イクリプスなら足とアクティブカモを使って脱出できる。

 推進剤の補充を優先して、よくそこまで補給してくれた。

 ベイエリアを出たらすぐ対空戦闘が始まる。今はまだバレたくない。レーダー、センサー等は全てオフラインで待機。

 VLS(Vertical Launching System=垂直発射システム)に、あるだけ誘導弾を装填しておけ”


 想定外の襲撃ということもあり実験艦イクリプスには、もともと予定されていた試験課程をこなす分の物資が積んであるだけであった。


“CDC、マキタ了解”


“ホン通信長。第2艦隊で哨戒に出ていた艦が、何隻かあったはずだ。

 味方の通信から座標を特定できるか?”


 艦橋右舷側の通信コントロールパネルにかじりつく東洋系の顔で眼鏡をかけた、やせ型中年の通信長にホワードが確認する。


“おそらく座標80.260.-40付近。電波障害が酷く、正確な位置ではありませんが。数分前に三度、秘匿回線で友軍と交信したログが残っています”


 ホンが答えた。


“脱出するとしたら、その方角か”


<ビッービッビッ>


 再度、独特のコール音が短くヘッドセットのスピーカーを震わせた。


“こちら保安室です。ホワード副長。

 避難民が数名、救助を求めて乗艦を希望しています。どうされますか?”


“こちらブリッジのホワードだ。ノルデン艦長の指示に従え”


“しかしノルデン艦長から、ホワード副長の指示に従う様にと命令を受けました”


「チッ……」


 舌打ちするホワード。


“……分かった。乗せてやれ。

 ただし船員室に閉じ込めて見張りをつけとけ。余計なものを見なくてすむし、区画的にもその方が安全だ”


“保安室、了解”


 ホワードは「フゥッ」と一つ大きくため息をつき、副長室に深く背中を預ける。

 

 右のアームレストから張り出たA4サイズほどの透明タッチスクリーンにある、「コールボタン」を浮かない顔で見る。


 トントンと二回、人差し指でタッチスクリーンを叩くと三回目に「コールボタン」をタッチした。


“ノルデン艦長、ブリッジへお越しください。出撃には艦長の承認が必要になります”


 ホワードは第一声で結論から話した。


“バカ言うな! 目の前の戦闘が見えんのか? イクリプスを沈める気か!”


 ヘッドセットの向こうで、若い男の声が激しく反論してみせる。


“沈められないように、最善を尽くします。今ここにいても、じきに露見します。

 イクリプスを無傷で相手に渡されるのですか?”


 冷静沈着に事態を説明するホワードと対照的に、若い艦長は感情的になる。


“なんで! こんな事に! クソッ! クソッ!”


 ヘッドセット越しにドンッドンッと二度、執務机を激しく叩いたであろう音がする。


“出撃は絶対にありえん! セレシオンもろくに積んでいないんだぞ!

 艦を傷物にしたら、統合幕僚本部になんて言い訳するつもりだ!”


 ――カタチだけでも艦長として「華」を持たせてやろうってのに、とんだクズ野郎だ!


 ホワードは出かかった言葉を飲み込んで、あくまで冷静に説得を試みる。


“艦載機はテストベッドも動けますし、アグレッサーのスコードロン「F-15Ag」3機も動けます。

 幸い、テスト過程がセレシオンによる模擬戦闘データの収集だったので、装備もある程度揃っています。

 わが軍が誇るエリート部隊ですよ。彼らならイクリプス一隻くらい防衛できます”


“話にならんっ! 統幕と今から協議する! 少し待て”


“今を逃せば脱出は難しくなるかもしれません。

 ――艦長? 艦長!”


 唐突にノルデン艦長と通信が途絶える。


“クソッ! コロニーの連中の前にブン殴ってやろうかっ!!”


 思わず、気持ちを口にしてしまった。


“はぁー……。

 艦長室に説得に行ってくる。エヴァンズ機関長。ブリッジを任せた”


 安全ハーネスを外し、副長席から立ち上がりフワッと一度宙返りすると、艦橋後部の厳重に閉まったハッチを開き後にする。


“――ご武運を”


 エヴァンズは「ヤレヤレ」といった表情でホワードを見送った。



***



 イクリプスのカタパルトデッキでは四機のセレシオンを、格納庫からパイロットが搭乗に使用するタラップが設置してあるポイントまで、マニュピレータークレーンで運ぶ作業が行われていた。


 宇宙艦に搭載された艦載機は、セレシオンも含め基本的にカタパルトに接合され発艦する直前までは、全ての工程において頑丈なチタンフレームと透明な強化アクリルボードでできた直方体の「ケイジ」と呼ばれる檻に、うつ伏せに収納された状態で運用される。

 そうすることで無重力空間での整備中に部品の紛失、飛散を防ぎ作業の効率化を図ると同時に、飛散した部品で船体への内部からのダメージを防ぐ仕掛けになっている。

 うつ伏せに運用するのは格納庫、およびカタパルトデッキの高さを抑え、結果的によりコンパクトな船体で被弾面積を減らす事ができるからだ。


“おう! アンダーウッド機付き長。

 X-19Aの準備はどうだ?”


 フライトスーツを着たリアム=シークェル中尉が、タラップにぶら下がりながら身を翻しエーター=アンダーウッド軍曹(X-19Aテストベッド整備責任者。機付き長)に明るく問いかけた。


“あぁ。シークェル中尉。ギリギリで出撃準備は整いましたが、出撃許可がどうにも下りていないようでして。

 いまだ!! 降ろせ!”

 

 アンダーウッド軍曹は、X-19Aを収めた巨大なケイジに張り付きマニュピレータークレーンの誘導をしていた。

 タラップにいるリアムを見下ろす形で、そう答えた。


“そうか。搭乗できるか? コックピットで待機する”


 アンダーウッドが、両手の平から肘まで黄色く光るLEDライトのハンドサインで合図を出すとケイジ底部のシャッターが大きく開く。

 中からうつ伏せに吊るされた状態で灰色に塗装された「X-19Aテストベッド」が、グングンとタラップの高さまで降りて来る。


“OK! ストップ!! カタパルトの固定作業に入れ!

 イーガン伍長、後を頼む!”


 アンダーウッドはケイジのフレームをトンと蹴ると、タラップで搭乗待機しているリアムの元に体を泳がせた。


“いつでも搭乗できますよ中尉。『CPライフル』と試験中の『CBADS(シーバッズ)』を装備してます。今ある中じゃこれでフル装備です”


“おーけー。分かった”


リアムが短く答える。


“今頃、うちの家内が

 娘を連れてハルさんと一緒にシェルターに避難してるはずです。

 心配はいりませんよ。存分に暴れてください”


 アンダーウッドはリアムに笑顔で、軽くウィンクしてみせた。

 

 「パイロットの気がかりを全力でカバーする。」アンダーウッドが部下によく言って聞かす、機付き整備士とはそういう仕事だ。


“うぃ! いつも、すまんな”


 リアムは、アンダーウッドの肩を二度ポンポンと叩くとX-19Aの胸部スライドハッチからコックピットに滑り込んだ。


 X-19Aの内部は、オレンジ色を帯びた常灯のみで薄暗い。

 

 シートに着席すると、フライトスーツとシートが自動的に固定される。

 リアムはまずシートの横から伸びた酸素供給ホースを、フライトスーツ脇腹にある供給口にねじ込んだ。


 続いて、全天周囲モニターに電源を入れる。

 薄暗かったコックピットが、――ブロックごとに、いくつかに分割して全天球を構成しているモニターが、バラバラのタイミングで光を宿し――急に明るくなる。


 数秒間のブルースクリーン状態を経て、次第に外の様子が継ぎ目無く滑らかに浮き出てくる。


 各種CPU、電子機器、を目前に浮かび上がる仮想タッチスクリーンを操作して手早く立ち上げる。

 

 両アームレストに垂直に伸びるフライトスティックを、グリグリと左右に四、五回まわしたり、両足で操作するフットペダルを勢いよく二、三回踏み込んで感覚に違和感がないかしっかりと確認した。


≪こんにちは。リアム=シークェル中尉。ようこそX-19Aテストベッドへ。

 ――このソーティには艦長、および作戦責任者の承認が必要です。

 ――現在、起動シークェンスの25%がオフラインで待機中です。

 ――このシークェンスを完了するには艦長、および作戦責任者の承認が必要です≫


 AIの無機質な合成音声が発する警告が、ヘッドセットから聞こえてくる。


 コックピット側から見ると、全天周囲モニターに空いた穴のように見えるスライドハッチの縁から、顔を覗かせて中の様子をうかがっているアンダーウッドに、両手の親指を立て面前に押し出し準備が整ったハンドサインを出した。


 ハンドサインに少しうなずき軽く敬礼をすると、アンダーウッドは胸部装甲板を蹴り機体から離れる。


 アンダーウッドの体が、機体から十分離れたのを確認してタッチスクリーンを操作しスライドハッチを閉鎖した。

 スライドハッチ内側のモニターは、赤いLEDによって囲われていて、他のモニターと同化せず、あえて継ぎ目を浮き出させてある。


 シューーーーー……

 

 という音が、次第に近く大きくなって迫ってくる。


 デジタル気圧計で十分に与圧が済んだことを確認したリアムはヘルメットのバイザーをあげた。


 全天球周囲モニターの外で慌ただしく動く数十人もの航空要員が、機体の前を行き来するのを目で追う。


 リアムは、より深くシートに背中を預けると足を延ばしくつろいだ。

 この姿勢だとやたらスースーする肩甲骨の寂しさが、少し和らぐ。


 ここから先は待つしかない。



***



 年はまだ20代前半であろう艦長のノルデンは、気持ちが憔悴しきっていた。


 イクリプスの艦内に数百ある部屋の中でも艦長室だけは、来賓やVIPがいつ訪れても良いように絵画や調度品といった飾りと、応接スペースが備わっていて特別に広いつくりをしている。


 今はこの広すぎる部屋に一人、木製の執務机に備わった椅子に深く腰掛け五点ハーネスでがっちりと自らの体を、その椅子に縛り付けていた。


 背後には、一番、二番カタパルトデッキを一望できる大きな強化ガラス製の窓が備え付けられていて、そこからは慌ただしく数十人の航空要員たちが動き回り、四機のセレシオンが発艦準備を整えつつあるのが見える。


 ――ノルデンはゾッとした。


「バカな!! 出撃など、冗談じゃない。

 みんな死んでしまうぞ」


 脂汗が額を伝うのがわかる。


 彼は幼い頃から、ありとあらゆる物全て軍人になるために犠牲にしてきた。


 子供らしい時間も、思春期の思い出も、輝かしい青春の日々も、選ばれた人間として他よりも優秀な軍人になるために。


 そのためだけに我慢と努力を繰り返し、充実した日々を送っているように見えた他人を横目に必死に耐えてきた。


 作戦の概要書とともに電子決裁書が、執務机のタッチパネルに「早く承認しろ」とばかりに表示される。 


「決断しろというのか……私に。

 そんな事……」


 ――私には、とても無理だ。


 しかし、それを認めることを彼のプライドが許さない。


 人類の70%を失った戦争が、一区切りを迎えて5年目。

 「再生」「再興」「再建」を謳った計画の一つに、当時圧倒的に不足していた人口を、英才教育を受けて特殊な能力、資質、才能を開花させた若年層で補うという「導きし者たち」計画がある。

 

 その計画で生み出された十代から二十代の若者たちが、国家の基幹組織、政治、経済、そして特に軍事組織のトップに多く配属されていった。


 ノルデンもそうして配属された、多くの若者のうちの一人である。

 しかしノルデンを見れば語るまでもなく、子供がもともと持つ適正や性格とは関係なく、一律に施された政策はその一部の成功例を除いて、多くが決定的な問題をはらんでいた。


“ノルデン”


 艦長室のドアが開く。

 一人の女性が、艦長室に不躾に入ってくる。


“リタ……伍長。どうしてこの艦に?”


 女は後ろ手で、艦長室のドアにロックをかける。


“ノルデン……可哀想に。怯えているのですね”


 執務椅子に硬く体を固定したまま、動けないでいるノルデンにスーッと体を流す。


“まて! こんなところを誰かに見られでもしたら!”


 執務机を飛び越え、ノルデンに体を寄せた女は硬くなったノルデンの指に、自分の指を絡ませようとする。


“誰も見てないです。

 ――ノルデンと私だけ”


“私を笑いにきたのだろう。情けない男だと!”


 必死に手を振り払おうと抵抗するノルデン。

 お互いのスーツを着た分厚い布越しに、しばらくいびつな指相撲を続けたが、最終的には女がもう一方の手でノルデンの手首を制し


“笑うだなんてまさか……。

 私はノルデンを心から愛しているのに”


 力強くつかんだその手首を、自らの胸に押し当てた。


 

 ――艦長室に、しばらく無言の時間が過ぎる。



“――楽になりましょ?”


 沈黙を破るように、女は静かに切り出した。


“なんだって?”


***


 ホワードは、艦長室に繋がる最短経路を、焦る気持ちを抑えて泳いでいる。

 通路の壁に障害物のように突き出した機材や、パイプから張り出したいくつものバルブが何とも煩わしい。

 

 艦長室での一部始終を、盗聴器でモニターしていた。


 ――まずい! まずいぞ!


“ホワードだ! 保安室っ!! 緊急事態だ。

 衛兵を至急、艦長室に! 至急だ!”


 艦長室のドアを焦る気持ちのまま通り過ぎそうになるのを、通路の壁に複雑に張り出した機材や、通路に沿って何本も配置されたパイプを器用に利用して体重を受け止める。


 ドアを勢いよく開けようとしたが、内側からカギがかかっていて開かない。


“ノルデン艦長! ホワードです!

 ドアを開けてください!!”

 

 ホワードの願いは、いまや真空に満ちた艦長室にいるノルデンには到底届かない。


“テストベッドの出撃コードを教えてください――”


 ヘルメットが、ぶつかる距離まで顔を近づけた女が囁く。


“え? なに! それは、できない!

 リタ……君までそんなことを言うのかい?”


“それで楽になれるのよ。ノルデンも私もずっと悪い夢を見ていたの。

 これで、その夢も醒める。一緒に目を覚ましましょ?”


“ノルデン艦長っ! その女の言いなりになってはダメだ!!”


 不意にノルデンのヘッドセットのスピーカーを揺らす声。


“ホワード大尉っ! 私は――!!”


 女は強く握ったノルデンの左手首にある注入口に、液体の薬品が入ったメディックガンを強く押し当てる。


“リタ……これは……”


 メディックガンのトリガーを引くと、シリンダーに入った薬品がノルデンの左手首に注入されていく。


遠く、海底の奥深くに沈んでいくノルデンの意識。


“楽になりましょ。ずっと、ずぅっと一緒にいますから”


 吐息の混じった声でそう言うと、


“……あ……あぁ……あ。そうか。

 これは夢。楽になれる。

 ……目が覚めたら……私は”


 薬品が効果を発揮するのに時間はかからなかった。

 意識が混濁したノルデン。うわごとの様にそう繰り返す。


“クソっ!”


扉を一度蹴り上げたが、ビクともしない。


“愛してるよ……リタ。私を……どうか……楽に……楽にしておくれ”


“そう……。いい子ね。

 ノルデン。いま、楽にしてあげるわ。

 ――テストベッドのコードを”


“……『33F15L78』だよ――さぁ……どうか

……わたしを楽にしておくれ”


“愛していましたわ……大佐”


“は……ハハハ。楽に――

 …………

  ――……ギャッ!”


 ――ノルデンの短い悲鳴を最後に、艦長室内に沈黙が続く。


“ダメだ!! しっかりしろっ!

 ノルデンっ!!” 


 力任せにもう一度、扉を蹴るがビクともせず、むしろ今度はホワードの体の方が反動で跳ね飛ばされて通路に強く背中を打ち付けた。


“ホワード副長!”


 サブマシンガンを備えた十数名の衛兵が、通路の逆側から一塊になって泳いでくる。


“扉が開かん!! 女だっ! 

 できるだけ生け捕りにしたい”


“ブリーチングします! 下がってください!”

 

 衛兵隊の隊長が短くうなずくと、数人の部下が扉の縁にテルミット成型炸薬を設置した。


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