第1話 ようこそ、新世紀へ(2)
一、夜明け(2)
AM5:00
コロニー内は、静かな朝を迎えようとしていた。
生命維持および環境コントロールシステムで気温に湿度、天候や季節を一元管理されたコロニー内の晩夏はグリニッジ標準時でAM5:30ちょうどに、コロニーの中心軸を縦に走る人工太陽が徐々に点灯する。
いわば「日の出」が人工的に演出される仕組みになっている。
コロニーの三つの陸のそれぞれの中心部に連なる、オフィスビル群やそれを取り巻く繁華街、何百万戸もの大小住宅が密集する住宅街にも、まだ人がいると感じられる灯りはついていない。
わずかにシェルターの入り口、ビルの屋上にだけ緑や黄色、または赤色にゆっくりと明滅する、誘導灯があるだけであった。
しかし暗闇に包まれているかと言われるとそうでもない。「本物の太陽」の薄ぼったく、ぼんやりと拡散された光が「河」から差し込み、早いペースで日の出と日の入りを繰り返し、クルクルと「陸」を薄暗く照らしていた。
人影もなく、車も走っていない。
道や建造物の合理性を追求した都市デザインが、かえって冷たさを感じさせゴーストタウンのそれを想起させた。
人の活動しない時間に、必要最低限の資源とエネルギー以外をできる限り節約することは、宇宙に生きるものとして当たり前であったし、それをしないことは自殺行為と同義に捉えられるほどに罪深いことである。
想定外の不測の事態に神経質に耳をとがらせ、過剰なほどに敏感になった結果、宇宙都市の夜明け前をその様な印象にしていた。
繁華街の一角にある、古いホテルの一室。
蝋燭の灯りが、キャミソールを脱ぎ捨てて露になった女の乳房の陰影を、艶めかしくゆらゆらと揺らしていた。
「綺麗だよ。アイーシャ」
若い男が、女の乳房に顔をうずめ、満たされた顔を見せる。
全てを手に入れたような、そんな征服感で男は溢れ出しそうになった。
「大佐、可愛い。赤ちゃんみたい。ねぇ……」
若い女が、吐息の混じった声で男の耳元でそう囁く――。
そのホテルの正面玄関から道を挟んだ向かいのまだ薄暗い路肩に黒のセダンを停め、運転席でハンドルにうつ伏せに両肘をかける一人の男がいた。
右耳のイヤホンから流れて来る、男女の行為の音声に無機質な表情で聞き入りながら、貧乏ゆすりで右ひざを小刻みに揺らしている。
これでもかと不機嫌そうな顔をして、彼は右の鼓膜を揺らす男女の営みに意識を集中している。
彼の名前はマシュー=ホワード。今年で44になるという割に、角度によっては年端も行かぬ青年に見えなくもない童顔のその顎に、何とも不釣り合いな手入れの行き届いた顎髭を生やしている。
僅か十七歳で統合宇宙軍士官大学校を首席で卒業。
その後の四年間の地球火星間戦争は、少尉として巡洋艦の艦橋に立ち何度もコロニー国家連合の地球圏への侵入を防いできた功績を持つ。
彼の頭の回転の速さは稲妻を超えるとも言われ「切れる変わり者」とは、彼の事を評し名付けられた異名である。
世界のスピードが遅すぎる。往々にして、苛立ち、癇癪を起こす彼にとっては何故か思い通りに回らない世界のもどかしさにストレスを感じることもしばしばであった。彼の癇癪と突飛な考え方をからかって「キレる変わり者」と揶揄されることもあった。
その功績を買われ今は表向きは実験艦の副艦長を、裏の顔として統合軍幕僚本部情報局つきの諜報部局に籍を置き、地球圏内外の動きを監察しその鋭い洞察力で地球に生きた情報を流している。
地球圏の「千里眼」。数少ない「ホークアイ」のうちの一人である。
若い男が、乱暴に脱ぎ捨てたオリーブ色の軍服の裏ポケットには、高性能超小型収音マイクが一つ。そこで拾った音声が、助手席に置いてあるハリネズミの様にアンテナを伸ばした受信機に届き、そこから黒色のコードでホワードの右耳と、薄いカードのような形状の携帯型AI端末に繋がり録音されていた。
「イクロー」
不意にホワードは、誰かにそう呼びかける。
≪ガッテン?≫
急に目覚めたAI端末がロボット調の合成音声でそう答える。
ホワードは端末にイクローと名前を付けていた。
「ワシントンの統合軍幕僚本部情報局、ダイソン副局長を呼び出せ」
≪ガッテン! ……コール中。
――Calling――ただいま呼び出しています――Calling――≫
気前の良い返事のすぐ後に、事務的で機械的なしゃべり方になるのは、人に寄せようとして不気味の谷に陥ったAI特有の、チグハグなギャップのある喋り方である。
≪しかし、あまりいい趣味ではありませんね。
この音声データは『ハメツテキ』です≫
どうやらイクローは、少々おしゃべりに性格付けしてあるようだ。
「それを言うなら、『破廉恥』だろ? これも仕事だ少し付き合え」
≪いえ、バレたらの前提で奥様との関係の話です≫
想定外の返しにホワードは、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。
「そりゃ。親切な忠告をありがとう。
だとするとお前と俺だけの秘密ってことだ。
バレたら俺はもちろん、お前もひどい目にあうぞ。わかったな?」
≪……≫
イクローは黙り込み、自らのタッチパネルスクリーンに――この音声データを最重要機密としてロックしました――とテキストを表示させた。
ホワードは、イクローとのやり取りが好きだった。長く地球に残している妻と息子に少し思いを馳せる。
≪――ガッテン。ダイソン副局長に繋がりました。≫
端末のベゼル部LEDが2度、明滅する。
仕立ての良いスーツを着こなし、オフィスチェアに座る電話中のダイソン副局長が端末のスクリーンに映し出された。
普段慌ただしい情報局の中で、彼のオフィスは不思議といつも落ち着いていた。
“またあとで電話する。
あぁ、分かった。じゃぁ”
受話器を置きカメラに向き直る。
“ホワード大尉、よく連絡してくれた。報告を聞くとしようか”
短く一度敬礼して、ホワードが答える。
「時間がないので手短に報告します。
内容は、大きく分けて3つあります。
一つは、3か月前に火星付近の公転軌道上のデブリ帯で、行方をくらませた旗艦バーリンゲン率いる敵第5艦隊です。10日前に我がL3の距離20万5000㎞付近でリバース推進と思われるプラズマを噴射する姿をこちらで捉えました。
その後も、減速しながら距離を縮めている模様です」
ダイソンはフムと軽く頷く。
“休戦協定で定められた、停戦ラインのギリギリだったな。
それに関しては、コロニー連合宇宙軍お得意の演習を兼ねた挑発行為であると既に分析されている。
念のためにL4宙域で演習中だった第2艦隊をそちらに配備させて、防衛戦力を増強し対応している”
ホワードが続ける。
「二つ目は、これです」
「最重要機密」のパスワードを入力して、音声データを再生する。
若い女の喘ぎ声が車内に響く。
ダイソンの表情は動かない。
「その第2艦隊に関してです――
すでに二か月ほど前に、艦隊の若い将校の間で不自然な異性問題に関する疑惑やトラブル、薬物による問題行動が頻発していると報告いたしました。
監視対象者はL3の各コロニーの繁華街で、複数の高級風俗店を経営しているグループ企業の関係者。第2艦隊の若い将校、およびその部隊に所属する士官、下士官を含めて計247名です。
昨晩からその艦隊内の艦長職や将校を含めた監視対象者の四割以上と、音信不通で連絡が取れず、現場でかなりの混乱が起きています」
“……確かか?”
「はい。関連した監視対象のグループ企業は、休戦直後から子供の人身売買を、コロニー国家間で仲介している大規模な組織と繋がりがあります。
売られた子供はその大半が、――『名無しのエージェント』と呼ばれる特殊工作員として育て上げられ、各重要拠点に潜伏させられている――との噂が以前からありました」
端末をスクロールすると、幼児から10代前半くらいまでと思しき、裸の少年少女の膨大な枚数の画像ファイルを提示した。
「『少々手洗い尋問』にグループ企業の幹部の協力を得てデータを押収できました。噂ではなく情報として確かな裏付けを得る事が出来ました。
我々が把握している以上にL3の各コロニー、ないしはNo.5の軍事基地内部、または地球圏の他のコロニー群にかなりの数のスパイが潜伏している可能性があります」
さらにイクローのタッチスクリーンを操作し、比較的クリアな質の音声データが再生された。
「三つめは決定的です。こちらをお聞きください。」
“「距離約6050で、接近する電磁波のひずみを観測しました。
強度『弱』。自律防衛システムが、危機レベル1注意喚起を提議しています」”
“「おかしい。太陽フレアやフィラメントによるバーストが観測された記録は、どの コロニーからも発表されていないぞ」”
“「センサーの故障では?」”
“「にしては波長が鮮明だな。
センター長、念のために危機管理室に連絡を入れます」”
“「頼む。『少し海が荒れそうだ』とな。
港の艦隊に報告を入れる必要はない」”
おそらく三、四人の男の声だ。
「先ほど、L3の24あるコロニーのうち、18のコロニーの宙域監視センターが、距離約6000で原因不明の弱い、電磁場のひずみを観測しました」
ダイソンは何か言おうと思い遮ったが、息をのんだだけで何を言うべきか忘れてしまう。
「続けます。ご存知かとは思いますが、私が乗艦している実験艦イクリプスに最近になって新たに搭載された、アクティブ・カモフラージュ・システムを使用した際に、その周囲に弱い電磁場のひずみをもたらすことが、先の実験で分かっています。
今回、宙域監視センターでキャッチしたデータがそれと一致します。もちろんイクリプスは一部の機能を覗いて、大部分が軍の最高機密です」
“……”
「副局長。つきましては、システムの開発元であるテライマテリアルズ社に事情を聴く必要がありそうです」
そこまで聞いてダイソンは「フゥッ」と一度大きく息を吐いた。プラスティック製のオフィスチェアの背もたれに大きく体をあずける。
“君の危惧はよくわかった。
月のテライマテリアルズ社は、他にも軍の機密を多く扱う基幹企業の一つだ。
私自身も興味がある。すぐに問い合わせよう”
ダイソンは少し間をおいてつづける。
“ことが起こりそうか? ホワード大尉。
君の率直な意見が聞きたい”
「先ほども報告しましたが、第2艦隊は将校の不在でその四割以上が機能を果たさないでしょう。
このタイミングで、イクリプスと同じかそれ以上の機能を持った特殊艦船が、コロニーと距離6000以内に迫っているとしたら、防衛はほぼ不可能です。
後ろには掃討を目的とした、敵第5艦隊も控えています。
私なら休戦協定を破ってでも、このチャンスにL3を地球圏再侵攻作戦の橋頭堡にします」
“……分かった。統幕にはこちらから通告しておく。
他に月で統合軍設立記念式典に参加予定だった第4艦隊を、そちらへ急行させるように打診しようと思うが……とても間に合いそうにないな”
「ありがとうございます。
こちらはイクリプスのクルーに、非常招集を掛けて出港準備を急がせます。
あの艦だけでも、撤退させて見せます」
“ウム。最重要だ。
しかし手の込んだ計画だな。
全容を解明するまでに、まだかなり時間がかかるだろう。
君を頼りにしている”
敬礼をするホワード。
“それから、余計なお世話かもしれんが――
顎髭は剃った方が良い。
君には似合わんよ”
「地球にいる妻の、お気に入りでして……」
友人と呼ばれる者も、意見をぶつけ合うライバルと呼べる者も居ないホワードにとって、唯一無条件に「信じられる物」がこの世に二つある。
一つ目は地球火星間戦争の停戦協定の間際に、自らのミスで唯一地球に侵入を許したコロニー国家連合の戦艦が、燃えさかる流星となり地上に激突した。
その爆心地の僅か100㎞外縁にいた彼の唯一の理解者。妻のマーガレットと、その子宮でへその緒に繋がれた息子のイクローだ。
幸い一命は取り留めたものの、二十三年経った今もマーガレットの意識は戻らず、腹に息子を宿したまま地上の病床にいる。
意識がないので、喋ることはもちろん意思の疎通すらできない。ただ、生命維持装置に繋がれ、生命をこの世につなぎ留められている生きた屍である。時間が止まったように老いることもなく、今となっては童顔のホワードの方が随分大人に見えた。
「いっそ、あの時に死んでいてくれれば……」ホワードは間違いなく死を選べただろうが……。その後の四年間は後悔と挫折が彼を苦しめる。
エリートと呼ばれた彼の偉業は地に堕ちた。荒れに荒れた彼の実生活は、現実逃避と時折虚しい期待を込めて妻に会いに行く。冷たい現実が彼を待つ連続であった。
二つ目はそんなホワードを情報局に引き抜いた、ダイソン副局長の「命令」だ。彼の「命令」はホワードに絶えず生きる意味を与え続ける。
「残された者か……」
通信が途切れたモニターを見つめダイソンはそう呟いた。
哀れな男に「命令」を与え続ける。その罪悪感に自らも苦心している。
座ったオフィスチェア―を回転させると、目の前には大きな窓越しに見える地球の蒼天がある。
せめて温かいご慈悲が彼の元にあらんことを――。
ダイソンはそう願わずにはいられない。
AM5:15
同じ頃、同じコロニーにひとけのない住宅街の広大な区画を、同じ顔をしたマンションタイプの地球圏国家連合統合軍官舎が、群れを成し一帯を占有している。
明りのついていないリビングに男が一人、ソファーの背もたれに身体を預け静かに座っていた。
チッ、チッ、チッと時計が秒針を刻む音だけが、やたらと目立つ。
窓にかけられたブラインドの隙間から差し込むうすぼけた太陽光は、規則正しいペースで右から差し込み左に消えていく。家具や家電、大柄な男のよく絞れた筋肉質な体躯と、精悍な顔の陰影を左から右に伸縮させている。
地球圏国家連合統合宇宙軍の薄いワイシャツを着たその男は、ソファーに座り、正面の一点を瞬きもせずにじっと見つめていた。
あまりに身動きがないので、一見ソファーに座ったマネキンか、電源の切れたアンドロイドのように見える。
片耳を塞ぐイヤフォンから電波障害の雑音に紛れた
≪1.3.9..14..45....5.5.8.5.ティ.パーテ..は..開.し.さる.9.4...7.ジャ.ミ.ン..ィー.は..かがかな≫
≪153..81..3...12.5.......5.テ....パー..ィ.は....................34...7.ジャス.ンティー...いかがかな≫
≪.53....――≫
一定の間隔で、繰り返しテキストを読み上げる、合成音声に聞き耳を立てている。
「俺は紅茶など飲まん」
男は一度鼻で笑う。
それだけ言うと腕時計を確認し腰に差したP-19軍用オートマチックハンドガンをおもむろに抜いた。少しスライドを引き、弾丸が装填されていることを確認すると安全装置をかけてスッと立ち上がる。
再びハンドガンを腰に差し、その膨らみを隠すようにオリーブ色の軍服のブレザーを羽織った。
中尉の襟章のゆがみを手早く直すと、リビングの隣室のドアの前に立ち、ドアノブをひねり薄く中を覗く。
シックで大人びた木目調の家具や雑貨、壁にかかったデニム地のカジュアルなワンピース。
チェストの天板にはピンク色の「ぬいぐるみ」といくつかのガラス製の写真たてに飾られた、友人や母の写真。それと壁にぴったりと付けて設置された勉強机。
ブラインドカーテンから差し込む、うすぼけた太陽の光が、右から左にそれらを照らし出しその影を伸ばしては縮めていた。
その窓際には密閉された就寝用のベッドポッドが一台設置されている。そのハッチを構成する強化ガラス越しに、16歳の娘が静かに寝息を立てるまだあどけない横顔が見える。
――迷いと言うものをこの男は感じたことがない。
何が「自分にとって、自分たらしめ、またいつも結果としてそのように感じ、決断する自分とは一体なにものなのか」を吸って吐いた呼吸と同じ数だけ考え続け、実行してきた。
例えば、ある時までの男にとって他者のことを考えるということは、自分のことを考える事と同義であった。
他者を通して自分を見つめ、自分がどう感じどのように判断するのかこそが、男の最大の関心ごとの中心であった。
他者がそこに入り込む余地はなく、他者と言うものは――自分がそう感じ結果として決断するに至る――材料に過ぎない。
自分の感性と感覚をだけを頼りに、ドラスティックに全てを決断してきた。
ゆえに他者よりも段違いに強くあり続ける事が出来る。
――ある時までは、確かにそうであったはずだ。
ここ10年、やたらと背中に違和感を覚える。
よくよく合わせ鏡で確認すると、ある時期まで力強く宙を羽ばたいた片翼が、いつの間にかすっかりと枯れた観葉植物の葉の様に、羽が抜け落ち萎み腐臭をあげて朽ち果てていた。
男は予期せぬ己の内からの変化に戸惑い、心の底から湧いてくる迷いを実感せずにはいられない。
ベッドポッドにスヤスヤと眠る娘の背中に、小さな翼が二枚生えているのを見る。
「身体がやたらと重いと思っていた。
お前だったか……」
まぁ、それも良いかと。
他者を心から許し、受け入れる事が出来る人間になるには少し時間がかかり過ぎた。
もうそんなに若くもない。
男は束の間、目つきを緩ませたが、すぐに迷いを断ち切るように気持ちを引き締め静かに扉を閉めた。
そう時を置かずにエントランスのドアを閉じる音が、居室とマンションのロビーに響き渡った。
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