第1話 ようこそ、新世紀へ(1)

 

 一、夜明け(1)



 宇宙世紀0121年(休戦協定より23年後)

 

 ヒース=ローズウッド艦長は漆黒の宙に浮いている白い蝶の蛹を、難解な顔をして観察しているように見えた。


 艦橋の中は薄暗く、ブリッジクルーが操作する露光性を極力抑えたタッチパネルスクリーンが、唯一緑色に薄く明滅し中年の堀の深いローズウッド艦長の横顔をテラテラと輝かせる。

 普段の愛嬌のある表情からは想像できないほどの緊張感を放っていた。


 艦長席から身を乗り出し、ジッと観察している白い蛹は「コロニー」と呼ばれる、宇宙空間で人々が定住することが想定された人工の大地だ。


 円柱形に成型した金属を白く塗装し、密閉された試験管型をしているコロニーの内部は、空気で満たされている。

 その壁面を縦に六分割して、「陸」と呼ばれる壁面が三面、その内側に都市あるいは農場やリゾート施設、もろもろのインフラが整備、建設され人々の居住地としていた。

 残りの三面は「河」と呼ばれ、125層構造の透明度の高い厚さ1メートルの特殊アクリル樹脂と、2メートルの特殊強化ガラス、圧縮された空気が順番に重なり、厚さ約500メートルの層を構成している。

 それによって人体に有害な宇宙線を大幅に防ぎ、なおかつ太陽の光をコロニー内に取り込む。地球で言うところの大気の役割を担っている。

 「陸」から見上げる「河」は、多少の屈折はあるがそれでも辛うじて透明を維持する。

 その濁った蒼天に、――コロニーの円柱の縦軸を中心とした、約1分42秒周期の絶え間ない自転に合わせ――回転するうすぼけた太陽光がクルクルと目まぐるしく、日の出と日の入りを繰り返していた。


 ローズウッド艦長からは、コロニー全体が小指の先ほどの大きさにしか見えない。

 実際は円柱の高さが40キロメートル以上、直径は6キロメートル以上もある。約500万人が居住する巨大な建造物だ。

 特殊揚陸艦「シュトゥリングルス」から、そのL(ラグランジュ)3-No.5コロニーまで1万7千キロ以上離れていたが、艦橋を守る厚さ50センチの強化ガラスを挟んでも、肉眼ではっきりと同軸状に回転するその「陸」と「河」の様子が確認できる。

 さらには手を伸ばせば触れられそうに思えるのは、宇宙空間の真空が遠近間隔を狂わせているからである。


 特殊揚陸艦シュトゥリングルスは全長500メートル。大型の駆逐艦並みの大きさである。

 船体は特徴的な美しい曲線を帯びた灰色の鋭い二等辺三角形。ちょうど矢尻のような艦影の先端が艦首。しばらく行くとV字の切れ込みに強化ガラスで保護された艦橋がある。 

 艦種が「特殊揚陸艦」となっているのはアクティブ・カモフラージュ・システムと言われる。カメレオンの様に背景と擬態する装備を有しているからだ。

 特殊電磁メタマテルアルのマイクロ繊維を装甲表面に織り込む。そこに特定の波長の電圧をかける事で、本来反射するはずの電磁波(普段我々が光と呼んでいる物の総体)を捻じ曲げ、船体の後方へ迂回させる事が出来る。

 ――まさに見えない船。

 核融合プラズマ推進を止めてしまえば、10メートル先に存在していても気づかないほどに完璧な擬態が可能なステルス艦である。

 この特殊能力を活かし目標拠点に接近、奇襲攻撃を仕掛け敵防空施設を無力化し、搭載した18機のセレシオンを侵入させ一気に制圧する。

 守りの硬い拠点を攻略する事に主眼を置いて建造された揚陸艦。それが「特殊揚陸艦」と言われる所以であった。


 今はその擬態を施した状態で、曲線の美しい、その二等辺三角形の灰色の船体は宇宙に紛れて識別する事が出来ない。

 唯一、強化ガラスで守られた艦橋のみが薄明かりをわずかに漏らして、まるで宇宙空間にぽっかりと、V字の穴が開いているかのように見える。


 そんな特殊揚陸艦は、L3-No.5コロニーとの距離1万キロまでのカウントダウンと、艦内各部署の状況確認と連絡が狭い艦内を錯綜し、今は非常に慌ただしい。


「第5艦隊旗艦バーリンゲン、まだ動きがありません!」


 前かがみにコロニーを観察していたローズウッドが上体を起こす。

 深く艦長席に背中を預けるとほぼ同時に、まだその顔にどこか幼さを残す副長のユーシュエン=ザーガソンが、床面に空いたハッチから手すりの衝撃緩衝材を手繰り勢いよく飛び出してくると早口にそう報告した。

 一方のローズウッドは、ヤレヤレと言わんばかりに目も合わせない。


「フム。まぁいずれにせよ慣性航行中だ。

 計画通りに動く以外にもうない――」


 言葉の終わりを待たずに、中性的で長いまつ毛が特徴的なザーガソンの瞳が細い眉毛と共にキッと釣り上がる。


「――お言葉ですが艦長! 距離あと2000もすればティーパーティーの開始です! なのに、なのにですよ? バーリンゲンの動きがこうも遅くては」


 身振り手振りを交えて捲し立てるザーガソンに、その視線をようやくコロニーから移しローズウッドは、その太く長い眉毛をどうしたものかと上下させる。


「言わんとしとる事は分かるが、大声を出しても何も変わらん。

 ブーレン中将も優秀な軍人さ。それに彼は、ティーパーティーにだけは遅れたことがない。私の知る限りだがな」


「しかしっ! これでは足並みが――」 


 右手の人差し指をピンと立て、ザーガソンの目前に差し出したローズウッドがそれを遮る。


「――10年」


 台詞が続く。


「この作戦には、準備期間だけでもそれ以上の年月をかけている。

 このシュトゥリングルスも、このためだけに開発され建造された」


 ローズウッドは、ザーガソンのヘルメットをグっと手前に引き寄せ、自分の瞳を見ろと言わんばかりに一気に顔を接近させた。

 お互いのヘルメットが、コツンと音を立ててぶつかる。

 聞き分けのない子供の相手をする様に、ローズウッドはザーガソンに対して時々このような話し方をした。


 優しさと厳しさ、そしていつもの愛嬌が混じったような、複雑な青色の瞳。

 卑怯だ。と、ザーガソンは思う。いつも、私の意見はこうしてやり込まれ決してこの人には届かない。


 私はただ……


 ローズウッドのその瞳が、ザーガソンのすべてを見透かしたように明るく光を反射し、細かく左右に揺れる。


 ドッと自らの鼓動が、高く脈打つのをザーガソンは感じた。


 このような艦長と副艦長のやり取りは、訓練中のシュトゥリングルスの艦橋内では度々起こった。

 その度に艦橋内の他のクルーは皆、「聞こえぬふり」で聞き流すか「見て見ぬふり」をして気まずい空気を内に溜めこむ努力をしなければならなかった。

 それはローズウッドとザーガソン、艦の絶対の「両輪」への信頼の証左という側面ももちろんあったが、二人の間に時折垣間見える艦長と副艦長と言う役職を超えた特別な雰囲気が、他のクルーにそこに割って入ることを許さなかった。


「私を信じろユーシィ。

 我がコロニー連合国家の地球帰還作戦の最初。その一番槍が我が艦シュトゥリングルス。

 そしてそれを援護するのが、旗艦バーリンゲン率いる第5艦隊だ。

 こんな派手で盛大なティーパーティーに招待状を持った戦艦乗りが参加しないはずがない」


「……言われなくても、信じてますよ」


「よろし! さぁ、そろそろ時間だろう。

 いつも通り気を引き締めて、仕事に取り掛かるとしようじゃないか」


「心配いらん」代わりのいつもの決まり文句。

 ポン、とザーガソンのヘルメットを軽くたたく。


 自らの顔面に熱を帯びるのを感じる。全てを見透かす瞳から思わずザーガソンはその顔を少しそむけた。

 跋の悪さが、一瞬の間を30秒くらいの沈黙に感じさせる。


“こちらCDC。ブリッジへ。

 当艦は予定通りポイントαを通過した。

 繰り返す。当艦は予定通りポイントαを通過。パーティー会場まで距離。

 1万5000、4800、4600。1万4400”


 CDC(Combat Direction Center=戦闘指揮所)から艦橋に、アナウンスが流れる。


 ローズウッドは、ニィっと悪戯好きの子供のように唇を吊り上げヘルメットを引き寄せていた腕の力を緩めた。


 ふわりとザーガソンの体が宙を舞う。


 ガチッ!


 ブレーカーが切り替わる音が艦橋内に響くと、薄暗かった艦内の照明が下品な赤色のLEDライトに切り替わる。

 それを合図にクルーたちは各々自らが着込んだオスカルスーツのヘルメットバイザーを下げて密閉し、無線とスーツの機密チェックをはじめる。


“全クルーに通達! 第一種戦闘配備。繰り返す。第一種戦闘配備!

 気密隔壁閉鎖開始。終了と同時に減圧用意。

 各員オスカルスーツ各部の確認を、再度徹底するように!

 セレシオン搭乗員は、速やかに所定の場所で待機せよ!”


 ザーガソンが動揺を隠すように捲し立てる。


“こちらブリッジ。艦長のローズウッドだ。

 これより【オペレーションティーパーティー】を開始する。

 優秀な諸君らの奮闘に、心より期待する! 以上だ”


 ローズウッドのアナウンスが、全クルーのヘルメット内部に仕込まれたヘッドセットのスピーカーを震わせる。


「CDCに降ります。

 中佐……どうかご無事で!」


 ヘルメットのバイザーを閉じたザーガソンが、ローズウッドにビっと敬礼して踵を返す。


「おう。おまえもな」


 ローズウッドはそれに短く答える。


 ザーガソンは、CDCに繋がるハッチをスルリと頭からくぐり、手すりの緩衝材を手繰りながら、オスカルスーツのバイザーに投影されるHMD(Head Mounted Display=頭部装着型多機能ディスプレイ)に走る艦内のステータス情報を目で追っていた。


 まだ心臓の高鳴りを感じている。赤いLEDに感謝した。

 赤面した顔を隠すにはちょうどいい。






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