第36話 不屈の心




 朝霧とハミィが泥臭い逃走劇を繰り広げている最中、もう一つの戦端が開いた。


「――っ!!」


 椿の斬撃を受けた立夏が、防御の姿勢のまま弾き飛ばされる。

 二日前とは別人の攻撃速度、そして人間離れした破壊力を獲得した椿を前に立夏は戸惑う。


「妙に自信ありげに歩いてたけど、中一日で修行してきたって訳ね」

「修行? ちょーウケるんですけど」

「あん?」


 したり顔で頷く立夏を鼻で笑い、椿は薙刀を下段に構える。


「私は元から強い」

「……は?」

「テツ先生曰く、私は元から強かったらしい」


 大鎌を上段に掲げた立夏は、眉を顰める。

 頭を真っ二つにした所為で中身に悪い影響が出たのだろうかと本気で心配するが、当人の言葉には一切の迷いが感じられない。

 本心から、そう信じている口振りだ。


「まず技術の基礎が出来ている」


 薙刀を構えたまま不敵に笑う。

 幼少期に祖父から仕込まれた薙刀術は遠属性以外の相手に幅広く対応可能で、持ち前の集中力がそれを後押ししている。

 武術や武道の心得がなくても戦える漂流世界では、誰もが自らの心象に則った武器を手に戦いの世界に身を投じる。道場に通い師をつけて基礎を磨くよりも、経験則や自己流と言う素人戦法を重視して個性を伸ばしてきた人種の方が大きな大会で実績を残している。

 徹進もどちらかと言えば経験則で伸びた方であるが、指導する側に回ってからは同様の能力を持つ後進には基礎を徹底的に叩きこむ。

 その方が伸びが早いのを知っているからだ。


「次に超人的な身体能力ね」


 苛々し始めた立夏を無視して、椿は特訓後の総評を誇らしげに語る。

 突属性は平均的に身体能力が伸びる傾向にあるが、椿は特に高い水準の身体能力を持ち、直感を始めとした戦闘センスは天性のものがある。一週間みっちりと鍛え抜けば朝霧と互角の戦いが出来るだろうと徹進が太鼓判を押したほどで、兄の桜と弟の楓も豊かな才能を持っているが、三岳三兄弟では椿が傑出していた。


「そして最後に――」


 言い終わる前に、一足飛びで距離を詰めた立夏が大鎌を振り下ろした。

 頭蓋を真っ二つに出来る大鎌を前にしても椿は冷静さを保つ。

 避けることも受けることもせずに、踏み出した立夏の右足を薙刀で狙う。


「ヤバッ!」


 迅速で正確な一撃に立夏はギョッとする。

 椿の淡泊な攻撃は、大鎌が頭蓋を勝ち割るより先に立夏の足首を刎ね飛ばすポテンシャルを秘めていた。


「とった!」


 攻撃に踏み込んだ足を狙う一撃、回避不能のタイミングだ。


「甘い」


 椿の期待を打ち砕くように、力を込めて振り下ろされた大鎌が不自然に止まる。

 そして空中で制止した大鎌に掴まるようにして跳躍した立夏が薙刀の刃先から逃れる。


 現実世界では起こり得ない挙動。


 超常的な回避行動に気を取られた椿は、制止した大鎌が振り下ろされていることに気付き慌てて横に飛ぶ。

 間一髪で躱した椿は、転がりながら距離を取ろうと試みる。


 ボンッ!


 地面を穿つはずの大鎌は鈍い音と共に、何かに弾かれたようにして直角に曲がり椿を裂かんと後を追う。

 想定外の軌道に意表を突かれたのは最初だけで、起き上がった椿は回避に徹して距離を取る。


「へぇ、やるじゃん」


 立夏は執拗に追うことはせず、立て直しに成功した椿を素直に称える。

 額の汗を拭う椿は、服に付いた砂埃を払うことをせず薙刀を構え直す。

 頭の中を掻き回して飛び込んできた立夏を仕留める術を探すが、どれも無茶苦茶な軌道の大鎌に対応できるか怪しかった。


 混乱が徐々に顔に出始め、そんな椿を見て立夏は揶揄する。


「仮面はがれてるぞ、余裕なくなって」

「……」

「それで、最後は何? さっき言いかけた、ほら、お前が強い根拠って」


 立夏の問いかけで、椿は本来の自分を取り戻す。

 誰もがそれを欲して心に宿すが、殆どの人が途中で手放してしまう大切なもの。


「最後は、絶対に折れない不屈の心よ!」


 そう叫ぶと、苦労して稼いだ距離を捨て去り立夏の懐に飛び込む。


「いいじゃん、不屈の心」


 呆気に取られた立夏は、緩んだ頬をそのままに大鎌を前に出して防御姿勢で迎え撃つ。


「そこ!」

「うおっ!」

「死ね!!」


 突きと薙ぎをを上中下均等に散らす攻撃に立夏は苦戦していた。

 長柄同士は一定の距離を空けて戦うが、立夏の武装――大鎌に限っては距離を詰めた場合の方が本領を発揮する。


 突き、薙ぎ、叩き――その三つに、引き、という攻撃動作が加わるからだ。


 横に大きな刃が伸びる大鎌だからこそ可能な技だ。

 他の長柄武器と同じ感覚で攻撃を避け、生じた隙に飛び込むと背中から真っ二つにされる。

 初見殺しの一面を持つが、その特別な軌道は知ってても苦労する類の攻撃で、それが突属性の敏捷で繰り出されるのだから近接戦闘の優位は早々に揺るがない。


 それでも椿は立夏に食らいついていた。


 距離を詰めようとする立夏を器用に牽制しつつ、容赦なく致命の一撃を叩きこもうと機会を伺っていた。

 相手の隙を誘う為の動作を取れる実力差ではないことは椿自身が一番分かっていた。

 妙な策謀は、逆に自身の首を落とすことに繋がる。

 巨大な砂山を木の棒で突いて崩すような地道な作業になるが、相手が崩れると信じて続けるしかない。


「……っ!!」


 我慢比べを始めて十分が経った頃から、立夏の動きが目に見えて悪くなる。

 キレのあった斬撃は遅く緩やかになり、前後左右自由自在に動き回る椿に体が追い付かなくなる。

 どちらも致命傷に届かない生傷を抱えていたが、その数的バランスが崩れて立夏の血のみがアリーナを染め始める。


「隙アリ!」


 ついに有効打が刺さり、立夏が大勢を崩して膝をつく。

 即座に薙刀を返した椿が、掬い上げるようにして必殺の一撃を叩きこむ。


 ギンッ!!


 金属を打ち付ける音がアリーナに響き、少し遅れて観客の歓声が空気を震わせる。

 アリーナの覇者、立夏は直前でガードしたものの馬鹿力で宙に弾き飛ばされていた。


「追撃を――」


 落ちてきた所にトドメの一撃を刺そうと走り出した椿の足は、不自然な光景を前にして止まってしまう。

 観客も同じだ。

 歓声は萎み、唖然と立夏を見つめていた。


「ちょっと休憩、悪い?」


 立夏は落ちてこなかった。


 大鎌を足場にして、立夏は空中に佇んでいた。

 高さにして三メートル弱、椿の薙刀なら届かないこともないが、誘われている気がして手を出せない。

 大鎌の固定化――ではなく、大鎌で斬った空間の固定化が、立夏の持つ異能力である。

 敵を押し返す強度は保てないが、足場としてなら十分に活用できる。


「ヤバイ」


 立夏を見上げる形になっていた椿は、突如防御姿勢を取る。

 何事かと振り返ったその時、真紅の暴風が立夏の両足をズタズタに切り裂いた。


「――クソガキが!」


 大地に降り立った立夏の目の前には、目を血走らせ、完全に勝機を失ったハミィがいた。

 右手には細剣の代わりにピルケースが握られ、無造作に二粒取り出して口に放り込む。


「私はクソガキじゃない」


 ガリガリと噛み砕いて飲み込む。

 口の端からは血がだらりと垂れていた。


「私はハミングバード。知らないのなら、身体に刻んでやる」


 咄嗟に大鎌を振り能力で空間を固定化、即興の障壁を用意する。


 ヒュン!


 その障壁を何本もの血の鞭が切り裂き、立夏の身体を細切れにした。

 死に戻る立夏を前に、ぞわり、と椿の身体に悪寒が走る。


「槍使いは殺した。次はアンタだ」


 最初はハミィの殺気に中てられたのだとばかり思っていたが、薙刀を握り対峙した瞬間、悪寒の正体に気付く。


「私さ、超怒ってんだけど」


 戦いを邪魔されたことに。

 仲間を殺されたこと。

 味方を平然と斬る薄情さに。

 そして何より、今にも倒れそうな状態で目の前に立っていることに、椿は激しい怒りを覚えていた。


「私には関係ない!」


 ハミィが叫び、血鞭が椿に襲い掛かる。

 数メートル先からの攻撃を椿は薙刀で振り払う。

 血鞭が霧散しようと構わずにハミィは両腕を動かし続ける。その仕草は駄々をこねる子供のようで、相対する少女は鬼の形相で距離を縮めていた。

 身を差し出す戦い方故にハミィは消耗していて、朝霧の時より斬撃の速度と密度は格段に落ちる。

 それでも距離が詰まれば飛び交う斬撃の数は増える。


「――ッ!!」


 増える手数には速さで応え、その全てを椿は叩き伏せる。

 朝霧も同様の迎撃法を採用していたが、技術を以てそれを為した朝霧と異なり、椿は人間離れした反応速度と身体能力のみで行っていた。

 弾かれる度、薙ぎ払われる度に鞭は形を失い、血霧となって視界を紅く染め上げる。


「……鬼だ」


 それは根源的な恐怖であった。

 自分よりも巨大な生物に出くわした時の、抵抗が全て無駄になると理解した時に生まれる感情だ。


 ハミィは後退り、胸元のピルケースに手を伸ばす。

 震える手で錠剤を出そうと試みるが、その視線は観客席に向けられていた。



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