第35話 刺すような視線


 徹進らが定める分類に置いて、朝霧は第三段階に達している使い手だ。

 異能力を持ち、何年もその能力一本で戦い続けてきた。

 故に朝霧は良く知っている。

 相性の良い相手、悪い相手、自分の能力の限界に対応できる相手の範囲まで。


「……やり辛い」


 小柄で速くて手数の多いハミィは、朝霧の苦手を詰め込んだような相手だ。

 飛び込んでこられたら最後、今度は不意を打つ間もなく切り刻まれるだろう。


 苦手ではあるが、華奢な斬属性との対決で有利なのは朝霧の方だ。


 しっかりと間合いを計り、相手のペースを狂わせながら致命的な一撃を喰らわせる。

 間合いの広さと属性の相性を考慮するなら、斬属性と打属性がヒット&アウェイに徹した突属性を捉える可能性は低い。斬属性と打属性も対応策を用意しているだろうが、それを込みでも単純な斬り合いなら朝霧に分がある。


 しかし、異能力が絡むと話は変わる。


「出し惜しみはしない」


 細剣を握る右と無手の左、両腕を高く掲げたハミィは深く息を吸い込み、肺を空にせんばかりに吐き出す。

 観客が固唾を飲んで見つめ、戦意を滾らせる立夏と椿もハミィの動向を注視している。

 相対する朝霧も、無粋な真似はしない。

 徹進のように入念な覗き見、もとい情報収集による対応策の構築ではない。ハミィがどんな異能力を繰り出そうとも、朝霧は大抵の事柄に対処できる自信を持っている。

 一対一の戦闘に於いて、朝霧の異能力は無類の強さを誇る。

 戦闘開始早々に手傷を負い、ズキズキと痛みが全身に響き渡る。それでも冷静に対峙する少女と向き合えているのは、負ける筈がないと確信しているからだ。


 だからこそ、ハミィの一手に朝霧は動揺した。


「っ!」


 衆目に晒されながら、ハミィは自らの左手首を切り裂いた。

 生々しい自傷行為に、血肉舞う戦闘を心待ちにしている筈の観客すら顔を背け、ざわつく会場内に痛みを堪えるハミィの呻き声が妖艶に響き渡る。


 はあはあ、と荒い息遣いの最中、纏う雰囲気ががらりと変わる。


 そのことに真っ先に気付けたのは、対峙する朝霧であった。

 指先を滴り落ちる血が止まり、氷柱のように足元の血だまり諸共固まっている。

 自然現象ではない。

 戦意を滾らせたハミィの瞳が、指先の血柱こそが本来の武器であると物語っている。


「顔が青白いですよ」


 小柄なお前が血を武器に変えて満足に戦えるのか、と暗に非難する。

 ふらふらとした足取りでは逃げに徹した朝霧を追いかける途中で倒れてしまう。満足に刃を交えることなく、勝者が決まりそうな有様だ。


「黙れよ、おっさん」

「おっさ――、私はまだ二十代半ばですよ!」

「……うざっ、おっさんじゃん」


 ハミィは律儀に待ってくれる朝霧を斬って捨て、胸元から取り出した錠剤を口の中に放り込む。

 水も飲まずに嚥下したかと思うと顔を顰め、衣服が血に塗れるのを厭わず武器を握ったまま両腕で自身の身体を抱く。


 強烈な視線が向けられていることに朝霧が気付けたのは、偶然であった。


 周囲を軽く見渡してみるが、観客席にはそれらしい反応はない。

 遠目で見ている観客は、ハミィが錠剤を口にした場面を見ていない。今のハミィの姿を見ても、意味不明な自傷行為が祟っている程度の認識でしかないだろう。


 この刺すような視線は誰のものだ、と慎重に辿る朝霧は、二つの出処を見つける。


 一人は言うまでもなく徹進だ。

 五感を不可視の糸として放つ触覚糸を広域にばら撒く徹進は、常に隣に立っているのと遜色ない知覚能力を持つ。

 ハミィが錠剤を口にした場面を見逃すことはない。その証左として、ハミィの変化を訝しんでいる。

 何かを掴んでいるが、確証はまだない。

 故に手も口も出さずに静観しようとする心積もりが見え透いている。


 包み込むような徹進の重厚な視線の中に紛れ、直線的な視線を向けているのは反対側にいた。

 クロス・ジャスティン――カウボーイハットを被ったガンマン気取りの青年だ。

 驚愕。

 疑惑。

 憤怒。

 表情は転々と移り変わり、最後は悲哀の色を強めてハミィを見つめていた。

 少し間を置いて副官の堂島に小声で何かを呟いたが、徹進のような優れた諜報能力を持たない朝霧には知る由もない。


「余所見とは」


 代わりに感覚を埋め尽くしたのは真紅の閃光。


「余裕だな、おっさん!!」


 空気を切り裂く音が耳に届き、遅れて左腕に焼けるような痛みが走る。

 知覚外からの攻撃に慌てた朝霧は後方に飛びのいてハミィの攻撃を把握しようとするが、その行動は無駄だと言わんばかりにハミィの攻撃が朝霧を襲う。


「っ!!」


 不意を討ち相手を倒そうとする攻撃ではない。

 ハミィの攻撃の本質は、防ぎきれない手数と火力で相手を斬り伏せることにある。


 ミドルレンジに対応する真っ赤な鞭剣。

 細剣の先端と左腕の五本――計六本の自由自在な斬撃の暴風。


 威力に欠けるが、喰らい続けたら一溜りもない。

 足を止めて相手にするべきではないと認め、朝霧は従来の戦法に移行する。


「逃げんなよ!」


 唾を巻き散らしてハミィが飛び込んでくる。

 背面で走りながら朝霧は器用に連撃を捌く。

 時折攻撃を喰らうものの、負傷は薄皮を裂かれる程度で継戦能力が落ち始めるにはまだまだ猶予がある。


「この程度なら問題ないか」


 自分に言い聞かせるように、ハミィを挑発するように、朝霧は呟いた。


 漂流世界では底上げされるとは言え、十代の少女と二十代の青年とでは身体能力に明確な差が現れる。

 薬物で自傷行為の代償を誤魔化しながら攻勢を強めるハミィとは逆に、朝霧の呼吸に乱れはなく、初期に裂かれた傷は乾いて既に塞がっている。


「絶対に殺す!」


 有り余る体力と頑強な精神力を武器に朝霧は逃げ続け、ハミィは息も絶え絶えで追いかける。

 勝負はついた。

 互いの攻撃は致命傷に届かず、一方だけが消耗を強いられる詰んだ盤面。

 誰の目で見ても分かる事実に落胆を顕にする観客もいた。


「逃げるな!」


 悲鳴のような叫び声が虚しくアリーナに響く。

 逃げるな、と言われて立ち止まる輩は現実世界にはいないのだ。


「いいですよ」


 奇しくもここは漂流世界――現実世界ではない。


「満足するまで、私が相手します」


 逃げ一辺倒の足を止め、朝霧は槍を構えた。

 肩で息をするハミィは一瞬攻撃を止めて、方針を180度転換した朝霧を警戒する。

 瞳孔の開ききった双眸が槍使いを映す。


「ぶっ殺す!」


 しかし止まったのは一瞬。

 壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返すハミィは、躊躇なく斬りかかる。

 徹進の要望を終えた朝霧は槍を強く握り、我武者羅に向かってくる少女を迎え撃った。

 



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