第34話 天秤



 開始のゴングが鳴り、アリーナが沸き立つ。


「――――ッ!」


 始まる前から走り出していたハミィの細剣が、真っ直ぐに突き出される。

 朝霧は余裕をもってそれを躱し、槍を巧みに捌いて懐に飛び込もうとしたハミィを牽制する。

 フライング気味の突進を審判役の男は無視する。観客も気にしない。


「配置換えの一環、ならルールの範囲内ということですか」

「察しが良いね、おっさん!」


 獣のような低い姿勢でハミィが突っ込んでくる。

 槍の中程を握った朝霧は同じく姿勢を落として、防御を優先した戦い方でハミィを迎え撃とうとする。


 ハミィが腕を振り抜き、待ち構える朝霧を切り刻まんと細剣が撓る。


 速度と手数を重視したハミィの連撃は一つ一つが鋭く、初見では避けることも捌くことも儘ならない。

 足を止めて迎え撃つなど以ての外だ。

 ハミィのような斬属性をタイマンで相手するのなら、突属性は距離を取りつつ間合いの外から攻撃するのが定石だ。朝霧はそれが実行可能なだけの敏捷性と技能を備えているが、足は止まったままだ。


 その戦法を取らないのは、徹進の方針に反していたからだ。


「嘘でしょ!!」


 故に、朝霧は一歩踏み込んだ。


 鋭い刃を微塵も恐れない踏み込みに一時は驚愕したハミィであるが、外されたタイミングを即座に合わせて斬撃を繰り出す。

 一閃。

 踏み込んだ朝霧の膝を裂く。

 一閃。

 無防備な右の肩口を。

 一閃。

 眼前に迫る脇腹を――――


「遅い!」


 裂く寸前、朝霧の太い右腕がハミィを押し飛ばす。

 体当たり同然の打撃にハミィの矮躯が宙を舞い、裂かれた朝霧の右腕から噴き出した血が後を追う。


「このっ!」


 ダメージを振り払い、受け身を取ろうと無意識に身体を捩る。


 ザンッ!!


 その首先三寸の所を、白銀の穂先が通過する。

 ハミィの真紅の長髪は殆ど切り裂かれて舞い散るが、首と胴体は繋がったままだ。


「――――髪がっ!!!!」


 声に鳴らない悲鳴と怒号が口元を破り飛び出す。

 中程で握られていた槍は突きに合わせて滑り出し、伸ばした右腕を延長するかのように石突の付近が握られていた。

 喰らえば即死の鋭い突き。

 間一髪で躱したが危険が頭上に留まっていることを知ったハミィは、咄嗟に体の前に両腕を重ねる。


 朝霧の槍はハミィの頭蓋骨を砕ける位置にある。


 伸び切った右腕が無慈悲に振り下ろされる。

 槍が撓り、白銀の穂先が少し遅れて身体を裂かんと迫る。


 スローモーションで流れる視界の内で、ハミィは屈辱を噛み締める。


 朝霧は、自分を見ていない。

 視線は遥か先を見据えて、負傷を気にも留めず前に進もうと身を乗り出している。

 実力や経験――それ以上に戦いへの理解が段違いだ。


「手間のかかるお子様!」


 朝霧の槍とハミィの体、その中間に一本の大鎌が割り込んだのは、ちょうどハミィが諦めて目を閉じようとしたその時であった。

 背中を追っていた立夏がギリギリで辿り着き、骨を砕く一撃を受け止めたのだ。

 巧みに力を逸らしてハミィへの直撃を防いだ立夏は大鎌を振り上げて朝霧を牽制すると、倒れたハミィの襟首を掴み強引に背後に放り投げる。

 大鎌を軽快に振り回す立夏は、朝霧を前に冷や汗を流す。


「二人掛かりで正解ってことね」


 観衆が沸き立つ。

 普段のアリーナは見られない水準の戦闘だが、当人に会場のどよめきは届いていない。

 朝霧は滴る血など気に留めることなく真っ直ぐ立夏を睨み、そして緩慢な動作で槍を構えると眼光は一層鋭くなる。


 大鎌と直槍。


 長柄同士の対決だが、直線の刃先と歪曲した刃では取り回しの自由度が違う。

 しかし朝霧は迂闊に飛び込まない。

 大鎌は攻めるより、返す刃で迎えた方が有利になると知っているからだ。


「さっさと起きろ、クソガキ」


 朝霧から沸き立つ殺気に耐え兼ねて、後方で呆然とするハミィを呼び戻す。

 ハミィは両膝を突き、後頭部に手を当てて散らばった赤髪を眺めていたが、立夏と対峙する朝霧を見て沸々と沸き立つ怒りを感じる。

 長髪を特別大切していた訳ではないが、それでも散らばる赤髪を前にすると半身が割かれる思いがする。


「どいて」


 ふらふらと歩きだしたハミィは、睨み合う両者の間に立つ。


「傲慢なことを言いますが、私の相手は二人掛かりでちょうどいいと思いますよ」


 小さなハミィの背丈越しに、ちょいちょい、と指で立夏を挑発する。

 目に見えた挑発であろうと平時ならば血管が切れる寸前まで行くだろうと立夏は冷静に考える。


「私一人でやる」


 客観視できたのは、目の前で既にプッツンした奴がいたからだ。

 立夏は二歩下がって構えを解く。


「死なない程度で頑張れよ、クソガキ」


 二人を釘付けにしたい理由があるのだろう、と立夏は周囲を見渡して見つける。


「私の相手は、やっぱりお前か」


 獰猛な笑みを浮かべて歩き出す。

 目先には先日真っ二つにしたばかりの少女が、三岳椿が薙刀を手に立夏を見据えていた。



 ⚓



 最初に想定していた通りの配置になりホッとしたのは、徹進だけではない。

 クロスもまた、徹進が配置を分けた時点でこの形になることを望んでいた。


 真剣勝負と銘打っていたが、勝てないことは誰よりもクロスが知っている。


 椿は兎も角、メイの実力はアリーナで、朝霧の手腕は壬生狼との決戦で確認している。そこに徹進も加わるとなれば、たとえ島にいる管理局側の人間全てを使えたとしても、厳正に人員を選び抜かなければ勝てないだろう。

 通常の戦闘と違い、アリーナの戦いは死んだら終わり。

 実力差のある集団――徹進らのように、一人で複数を相手取り勝利を掴める相手には、まぐれ勝ちすら夢のまた夢。一人一殺で差し違える前の段階で止まっているのだから。


 だからと言って無抵抗で負けるのは論外だ。


 徹進にとって、島の侵攻作戦は戦後処理を見据えたリクルートだとクロスは察している。

 誰がどの程度使えるのか、その有用性を実戦の中で見極めようとしている。


 勝利を前提に行動している。


 傲慢にも程があると顔を顰めたくなるが、明乃島に浮ついた徹進の足元を掬える存在がいないことをクロスは知っていた。

 ならば出来ることは自身の有用性を示すことのみである。そうすればパイのように島を切り分ける段階で、切り分けられる側にいなくて済む。更に言うなら大きな分け前を手にできる可能性が生まれ、――クロスが心血注いで作った小さな居城を拡張していくことも夢ではなくなる。


「待っとれよ、帆高徹進」


 隠してきた爪を見せる時が来た。

 朝霧と立夏、ハミィの殺し合いに割り込もうとする椿を横目に、クロスは腰のホルスターから二丁拳銃を抜く。


「行きますか、ボス」


 武器を構えたクロスを見て、副官の堂島も懐からメリケンサックを取り出す。

 椿が離れて一人中央に取り残された徹進が、二人の正面にいる。

 メイは闘技場を区切る金網に身を預けたまま動こうとしない。

 このままいけば、二対一。


「待機や」

「いいんですか、好機をふいにして」

「今が好機の真っ最中やろ。……勝利よりも大切なもんがあるっちゅーことや」


 アリーナの観客は今、残らず立夏たちに注意を向けている。

 固唾を飲んで一挙手一投足を逃すまいと前のめりで見つめ、血飛沫が飛び散る度に歓声が沸き立つ。

 ここで新たに戦端を開くことはご法度。

 たとえ勝てる可能性が僅かに生まれたとしても、支配人の立場では看過できない事柄だ。


 暴力の過剰供給は、時と場合を選ばなければならない。


 故に徹進は動かない。

 飽きられ、客が離れると取り返しがつかないからだ。

 ショービジネスの鉄則を理解して、尊重出来る相手に二人は敬意を払う。


「観客第一、それが信条やろ」

「管理局の奴らならこうはいきませんね」

「ほんまそれや、得難い存在やな」


 深い教養と踏んだ場数が人の形を取り、最善の選択を迫ってくるようだ。

 最も欲しかったものをチラつかせ、大事なものを捨てろ、と。


「手に入れる為の犠牲は、必要な犠牲や」


 槍使いの青年相手に奮戦する赤髪の少女を天秤に乗せ、傾きを見る間もなく片方を取る。


「すまんな、ハミィ」


 


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