第32話 小競り合い
「……四天王!」
その言葉を聞いた瞬間、徹進は小さく悲鳴を漏らして肩を震わせる。
「そんな恥ずかしい括り、俺には耐えられない!」
「知らねえよ!」
一通り笑い尽くした徹進は、呆れ顔の恭一とキャスケット帽子の少年に事情を説明する。
「管理局の奴らはこんな感じだ。殆どの支配地域に各属性から一人ずつ選び抜きトップに据える。なんの意味があるのか知らんが四天王だなんて、ふふっ、いや、悪い。四天王だったな」
「そんなに面白いことか?」
「ああ、面白い。トップに力関係を等しくする者が四人もいて、組織が正常に機能するはずない。俺と相対したら、大概途中から同士討ちが始まる。……そういう風に仕向けてるのもあるが」
「舐めてると痛い目に遭うぞ」
「舐める?」
脅し文句のような忠告を鼻で笑う。
「舐める舐めないは逼迫する実力差でこそ気を付ける要素で、俺たちには縁のない話だ」
「……」
「俺がしている行為は、小さい子供の遊ぶ砂場に踏み込む大人のそれだ。楽しそうにしている横から忍び寄り、大きな足で出来上がった砂の山を踏み崩す。特に難しくも、足を取られる心配もない。自分達が如何に脆い物を作っていたのかを知り悲しむ子供たちを見て少し罪悪感が沸く程度だ」
「変わらねえな、てめぇはよぉ」
兎に角、と恭一は咳ばらいを挟み、仕切りなおす。
「椿と楓を、桜さんの妹弟を巻き込むな」
「それは」
大きな溜息と苦々しい表情。
徹進が仲間たちの前でまず見せない、貴重な困り顔だった。
「恭一、お前からもしっかり言ってくれ」
「は?」
「戦闘に参加するのは自由意志に委ねている。あの姉弟も例外じゃない。貪欲に強さを求める姿勢は最近の若者にしては好ましくすらある……が、問題はその才能だ」
才能、と聞き恭一の脳裏には三年前の徹進の言葉が蘇っていた。
有る無しに拘わらず、才能は厄介な敵を引き寄せる。
集団の中で際立った才能は、討てば大きな動揺を引き出せる。逆に無能は討ち易く、その楔は集団をズタボロに引き裂くまで残り続ける。
二人の兄である桜がそうだったように。
「……どっちだ、先生」
平凡な奴に厄介な敵は寄ってこない。
だからこそ、恭一は今日まで戦い抜いてこれたのだ。
「見に来い、アリーナに。明日やるから」
徹進は微笑み、立ち竦む恭一を置いて離れていく。
そして十分に距離が離れてから、振り返り叫ぶ。
「戦える奴、絶対に数人は連れて来いよ!」
有無を言わさぬ徹進の要請に、恭一は手を上げて応えるしかなかった。
⚓
後手に回っている。
明乃島にいる管理局の中でそれを正確に理解しているのは、五条司ただ一人であった。
少年のような顔立ちに細い身体、それに不釣り合いな三白眼を持つ二十代半ばの青年は、八十三位という序列を持つ管理局の幹部である。三年前の抗争が始まる少し前に明乃島に訪れてから現在まで、全体の戦力分布を大まかにだが把握してコントロールしてきた。
「いかんでしょ、これは」
執務室に座り、目の前のモニターを睨む。
遠属性の四天王として、明乃島の実権を握っている一人として、現在の戦況は看過できるレベルを超えていた。
明乃島の勢力図は四色に分類されている。
赤、青、紫、緑。
南部と中央部の青は管理局の支配領域で一蓮托生、強請ネタを加味しなくても住民が裏切ることはない。
東部の赤は三年前も現在も中立を貫いてきた。未開拓の地が多く、住民は他所の抗争には無頓着だ。警察等とは別種の政府機関直属の武装集団が滞在しているが、旗幟を目的も明らかにしていない。しかしながら頭領は溢れる野心を隠しもしない男で、危険だが、扱いようはいくらでもある。
北部の紫には最後まで抵抗を続けている武装集団がいる。しかし求心力のあるリーダーが無残に討たれてからは勢力を縮小させている。散り散りになった勢力を再集結させるだけの錦の御旗が存在しない現状、立ち上がっても一捻りだ。それが分かっているからこそ、住民たちも本格的な反攻に出ない。
息を吹き返した西部は、空白を示す灰色を緑に塗り替えた。住民を骨抜きにしようとする策略が失敗に終わり、不満や怒りなど、溜め込んだ力が外向きに拡散している。外部の勢力が介入していようが、じきに騒動は終息する。それから和解という形で現在の支配体系に取り込めばいい。
「考えが甘かった」
五条司は島全体にばら撒いた式神から絶えず情報を吸い上げている。
呼び込んだ壬生狼、身勝手に動く処刑人たちには監視を付け、各地で起こる小競り合いは把握している筈だった。
しかし高高度を舞う式神は一機また一機と撃ち落とされ、島の西部と中央に広がる森林地帯は暗黒へと立ち返った。僅か数日で壬生狼は討たれ西部は平定、森林地帯には並々ならぬ気配を持つ何かが居座るようになった。
「あの鳳明が」
昨夜アリーナに現れた女は、管理局のデータベースにいる危険人物の一人だ。
鳳明。
双子の妹である鳳慶と合わせ今は無き鳳家八仙の一家として数えられる名家の出身で、鳳家八仙が凋落してからは用心棒としてマカオや香港、シンガポールなどのカジノを渡り歩いた強者だ。十年前に表舞台から――カジノの用心棒も決して日の当たる家業ではないが――姿を消したが、五年前に管理局の敵として現れ、世界各地を荒らし回っている。
強さなら序列二十位台相当。
直接の戦闘では勝ち目のない相手だが、策略や根回しに向いているタイプではない。根っからの兵隊気質で、人の下についてこそ本領を発揮出来るタイプだ。
「何がいるのかを見ないといけません」
敵側の侵攻速度はずっと速い。
西部に入り込んだ外部勢力は、住民を巻き込んだ戦い方の弱点を知っている。
最大の敵は時間だ。
統一戦やインタースクールを経験しているとは言え、住民は長い時間の戦いに慣れていない。度重なる戦の疲労とそれが齎す士気の低下は戦力に直結し、普段は圧倒できる数と質を集めても勝てなくなる。逆に士気と適切な指示があれば素人の集団でも脅威になり得る。
徹進が率いる西部レジスタンスは壬生狼を倒して即座に南部や中央森林地帯に入り込み、空白地帯を悉く支配下に置いていった。今も反管理局の住民が多数合流している。北部まで迎合したなら、戦力比はひっくり返る。日和見の輩も迎合し始めたら島は陥落、管理局は駆逐される。
「対策を、広がる前に挫く手立てを見つけないと!」
五条は島の戦力を、動員できる人員を確かめていく。
騒動が拡大する前に敵の大将を見つけて、討ち取れるだけの人員を用意出来れば、どれだけ兵隊が強くても事態は収束する。
三年前に明乃島の制圧を試みた政府の連中は指揮官級を立て続けに失い、組織だった抵抗ができずに瓦解していったのだ。
問題は、どうやって大将を見つけるか。
新たに索敵の式神を飛ばしたところで残らず撃ち落とされるのは目に見えている。
探ろうと手を出しても相対するのは最前線の指揮官で、鳳明のように手強い駒がいると分かっている以上、下手な戦力ではしっぺ返しを喰らう。
普段なら密偵の一人や二人忍ばせているが、取るに足らないと踏んでいた西部には人員を割いていない。
「奇襲を諦めて病院経由で宣戦布告を……」
だが五条は思い留まる。
正面から叩き潰すのが手っ取り早いが、それが敵の思考誘導に思えて仕方ないのだ。
サクサクと支配地域を広げる手際の良さが疑念を後押しする。島の玄関口を抑えた相手は、三年前のように多大な戦力を島に呼び込もうとしているのではないか、と。
そうなれば宣戦布告は逆効果だ。
政府系の武装集団には前回の記録が残っている。一度敗れた相手となれば油断も予断もなく、迅速かつ徹底的に叩き潰されるのは火を見るよりも明らかだ。
トントン、と扉を叩く音が聞こえるまで、五条は様々な可能性に思いを巡らせ、悶々とした時間を過ごした。
「五条様、クロス様からお電話が」
副官の岡がひょっこりと室内を覗き込み、個人用の携帯端末を渡そうとする。
政務用ではなく、個人用だ。
何故岡の番号を知っているのだ、と五条は副官の女性を疑いそうになるが、五条自身がかつて管理局の序列持ちと現地協力員を対等に扱うなとプライベートの番号を渡すのを拒否したのだと思い出し、黙って受け取った。
『もしもし、坊ちゃん、聞こえとるか』
「何度言えばわかる。クロス、僕を坊ちゃんと呼ぶな」
電話越しでも聞こえるよう、大きくため息を吐く。
年齢も近く、気さくに話しかけてくる相手ではあるが、特別仲がいい訳ではない。クロスは誰に対しても同じように接している。
『まあええわ。昨日のアリーナ、配信見た?』
「ああ、鳳明か。あの立夏を瞬殺した奴がいたな。今まで見かけたことのない奴だった」
『坊ちゃん、立夏知ってんの?』
「……配信で何度か見て知っているだけだ」
『ほーん。それで立夏を瞬殺した色っぽい姉ちゃんな、実は西部の手先らしいんよ』
鳳明が敵だというのは分かり切った事実だが、それをクロスの口から聞くとは思わなかった。
赤髪のハミィ経由でクロスに釘を刺したのは別の四天王だということをクロスは知らない。クロスにしてみれば自身の疑惑を少しでも晴らして後腐れなく裏切ってやろうと密告したのだ。それが五条を余計に混乱させる。
『そんでな、その西部の奴らが明日うちに来る』
「なんだと」
『帆高徹進っつーおっかない奴が昨日病院経由で宣戦布告しよった。協定に則った宣戦布告だから拒否はさせないと強気でな、困ったんでこっちの流儀でいいならって受けたんや』
「アリーナで戦う、と?」
『言ってる意味分かるやろ? ――――邪魔すんなよ、俺たちの』
電話を片手に帆高徹進の名を検索する五条は、それが決別の言葉だと気付かなかった。
データベースから詳細が引き出せた頃には既に通話は終わり、待機していた副官に携帯を返す。
「序列圏外、絵に描いたような指揮官タイプだな」
序列圏外相当の戦闘力、属性は遠属性、雑多な戦績――小競り合いのみを任せられる典型的な雑用要員だ。
戦績はどれも戦地のみしか記載がなく詳細な記録が残っていない。読み飛ばしていく内に興味を無くした五条は、クロスの言葉を思い出す。
『明日、アリーナで戦う』
多少の不興を買ってでも、騒動の種を始末するべきではないのか。
ピンボケした徹進の写真を睨みながら五条は悩み、暫くして副官の岡を呼び出す。
「他の奴らを集めてくれ。無理してでも全員夕方までに連れて来い」
「夕方までにですか」
「兵を動かす。奴らは愚鈍だが、そう伝えれば理解するし動き出す」
執務室を出ていった岡の背を見送り、五条は再び徹進のピンボケ写真を目に焼き付ける。
クロスの流儀は、頭の片隅にも残っていなかった。
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