第31話 風の噂



 夜通しの秘密特訓を終え、三岳姉弟を家に送り届ける役割を朝霧とケイに押し付けた徹進は、眠たそうに欠伸をするカキを宿に返して喫茶店でコーヒーを啜る。

 すっかりと行きつけになった喫茶店の店主は聞き耳を立てることなく、コーヒーとトーストを置いてからずっとカウンターの向こう側で暇そうに新聞を捲っている。


『策略も何もないで』


 客は徹進しかいない。

 普段ならマナーを遵守する徹進だが、今日は店主に断りを入れ通話を行っている。


『申し訳ないが4on4の真っ向勝負や。けど俺が管理局を捨てるのに必要な最後の一押し、それはおたくらにやって貰う』

「問題ない。俺たちは強いからな」

『ならええよ。うちの戦闘員から従業員まで、全員がそっちに付けば勝てる。そう思うだけの強さを見せてくれ』


 クロスが管理局に不満を持ち、管理局がクロスの離反を警戒している。

 この対立構図を知ってすぐに作戦を立てた徹進は、わざわざ参謀のアコールに精査してもらい、達成までの道筋を確立させている。


『それより、大丈夫なんか?』

「なにがだ」

『いや、主力がこっちに集中した隙に本拠地襲われたらどうするんや』

「心配しなくても、奴らにそんな度胸はないさ」


 電話越しにクロスの笑い声が聞こえてくる。

 徹進の見立てでは半々、参謀のアコールは何事もなければ絶対に攻めて来ないと踏んでいた。


 自信過剰な者は多いが、徹進らに釣り合うのは管理局でも一握りだ。

 機を違わず攻めて来れるのは序列十二位以上――『十二将星』と呼ばれる化け物たちだけだ。


 管理局が誇る十二将星が極東の日本の、更に辺境の島にいる筈もない。

 何より管理局は高位序列者の損耗を恐れている。

 明乃島のような最前線には、悪夢が巣食う未踏破領域との境界には送りたがらない。


「当然、対策はしている」

『どんな?』

「説明するのが難しい。地図と模型で戦力分布を動かしながらじゃないと説明できない」

『そんな本格的なんか』

「電話で地名を言っても伝わらんでしょ」


 徹進は正論で茶化す。


「管理局側にリークすれば、どうなるか分かるぞ」


 そして本命をぶつける。

 徹進と参謀のアコールは、事前に抑えた要所に仲間内での最高戦力を据えていた。


 オセロットと呼ばれる黒猫、又は猫耳の少女。


 今も徹進が指示した高台に独り座り、ジッと明乃島中央部の森林地帯を睨んでいる。

 オセロットが機能するかどうかは、相手の性質に依存する。

 敵の急襲部隊がオセロットを遭遇して、その防衛機構を突破することは万に一つもないだろう。問題は正真正銘の化け物であり、手加減を一切することなく殺して回る無邪気な少女を相手にした時、相手がどう考えるかである。


『ええんか?』

「勿論。俺たちは強いからな」


 戦いを避けるのか。

 攻略しようと躍起になるのか。


「まあ、見ていろ」


 それを徹進は知りたかった。



 ⚓



 喫茶店を出た徹進を出迎えたのは、燦燦と輝く初夏の太陽であった。

 コーラルサファイア号に乗り世界各地を渡り歩き、戦い抜いてきた仲間たちは環境の変化には強かった。赤道直下の肌を焼く熱気も、北極海の刺す冷気も、漂流世界の肉体強化もあり平然と耐え抜くことができた。


「あつい」


 唯一の例外は徹進だ。

 自身の異能力である触覚糸の扱いに長ければ長けるだけ、環境の変化に弱くなる。

 五感を変換する触覚糸は情報収集の効率を格段に上げるが、得られる情報がいつも取捨選択できるとは限らない。日差しの眩しさや日常生活で起こりえない爆音、卒倒しそうな悪臭や生身で触れれば無事で済まない危険物など、意図せず拾ってくる情報は数多くあり、漂流世界の特性に引っ張られるようにして現実世界も環境情報を敏感に感じ取る。切り離せないので漂流世界よりタチが悪い。


「……見た顔だ」


 根城にしようと貸し切ったペンションに戻ろうと歩く徹進は、ふと対面からやってくる人影に足を止めた。


 金髪の男だ。


 身長は徹進より僅かに低いが、タンクトップから覗く両腕は丸太のように太い。だぼだぼのカーゴパンツを履いているにも拘わらずだらしなく見えないのは、引き締まった筋肉と鋭さを絶やさない眼光の所為だ。

 恭一の後ろを歩いていたキャスケット帽を被った少年は、青年の足を止めた原因を睨んでいる。


「やっぱりお前か」

「三年ぶりだな、恭一」

「風の噂で聞いてたが、くそっ、本当に居やがった」


 のんきに手を上げる徹進と裏腹に、恭一と呼ばれた青年は心底嫌そうな表情を隠そうともしない。


「俺に何か用か?」

「帆高徹進、昨日てめぇを見かけた」

「おいおい、昔みたいに先生って呼んでもいいんだぞ」

「くっ……!」


 快活に笑う徹進と、怒気を噛み締め我慢する。

 食って掛かろうとするキャスケット帽の少年を押し止め、恭一は徹進を睨む。


「ネット配信で見たんだよ。椿が戦っているのと、観客席にてめぇが映ったのがよ」

「それで態々会おうと探しに来たのか」

「ち、ちげぇよ! ……いや、俺はてめぇにビシッと言わなきゃならねえ!」

「どうせ椿と楓を巻き込むな、とかだろう。ビシッと言われずとも分かっているさ」

「……知ってたのか、てめぇ!」


 恭一は沸騰しかけるが、三年前、徹進の性格とやり方を思い出す。


「アニキの、あいつらの実の兄の、桜さんがやられたのも知ってんのか。アニキがあんな目に遭うと分かって、三年前に島を離れたのか」


 徹進は黙る。

 三年前、半ば無理矢理に徹進たちは排斥された。

 拒否は出来なくもない立ち位置であったが、趨勢は既に決し、残存勢力で十分に勝利できると踏んでいたからこその離脱を許容したのだ。

 だからこそ半年後、管理局に巻き返されて負けたと知らされた時は驚いた。碌な戦闘記録すら残されていない。どうやって巻き返されたのかを知る現場指揮を執っていた者の多くが、今は入院していて寝たきりの状態のまま目を覚まさない。


 北部の島民を指揮していた桜も、その一人だ。


「敵側に俺の知らない奴がいた。もしくは俺が離れた後に何者かが来た」

「……確かに、奴らが出てきたのは最後の最後だった」


 壬生狼との戦闘を終えた後に中立地帯の病院を訪れ、実際に意識の戻らない青白い顔を見てきた。潮の伝手で三年前の戦闘に参加した警察関係者に同様の症状が出ていないかを聞き、その状態も確認している。

 極めつけは、朝霧の知人の存在だ。

 徹進の出迎えにフェリー乗り場を訪れ、そして襲われた。症状は桜や警察関係者と同じく昏睡状態、同一人物の仕業と見て間違いないだろう。

 つまりは、下手人はまだ島にいる。


「名前は分かるか? 背丈や顔は、属性まで分かれば完璧だが」


 恭一のいる北部は、未だに管理局と敵対関係にある。

 三年振りに訪れた徹進よりは島内の事情に精通している。


「分かんねえが、恐らく」

「恐らく?」

「四天王の誰かだ」




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