第28話 赤髪のハミングバード
いつ振りかも分からない感覚に、懐かしさすら感じていた。
気付けば衝撃が身体を貫き、痛みが全身を駆け巡る。胸から下の感覚がなく、何度か息を吸い込んだ後に訪れるのは、地面の底へと引き摺り込まれる抗えない力だ。
活力が消えていく。
眼前に広がる血溜まりが活力なのでは、とぼんやり考えながら意識を落としていく。
「おーい」
ペチペチと何かが頬に触れている。
全身に根を張っていた痛みは既になく、脱力感も完全に抜けきっている。
けれど立夏は朦朧とした頭のまま、自らが横たわる柔らかな感触に身を任せることにした。
「そろそろ起きんかい!」
「ぎゃーっ」
肩を強く掴まれて固い床に転がり落とされた立夏は、呆れ顔で見下ろしてくる男を睨む。
「クロス、私の扱い酷くない?」
「アホ言うな。店の外に放り出されんかっただけでも涙流して喜ぶ場面やろ」
「放り出すって、あんた」
冗談と本気が入り混じった声色に呆れかえる。
ソファに座り体を深く沈めた立夏は飾りっ気のない室内を眺めながら、先の戦闘を反芻する。
「……私は、どうやって負けたんだ?」
何も見えていなかったのか、と言わんばかりの面持ちのクロスは、タブレット端末を操作し始める。
「何処まで憶えとるんや」
「向かい合って、間合いを計って、こっちが仕掛ける前に相手が右腕を高く上げて」
「それから?」
「それから、気付いたら血を吹いて倒れてた」
自身を襲った恐怖を思い出し、立夏は身震いする。
恐ろしいのは死ではない。
復活を前提とした戦いで、死とは、時に自ら飛び込みさえするものなのだ。
本当に恐ろしいのは未知だ。
何にやられたのか分からないことだ。
対策を練らずに挑めば十中八九同じ結果を招く。
何度か戦えば勝機も見出せようが、死ねば負けのアリーナでそれは難しい。
外部の介入があったのでは、と思いかけたが、言い訳染みた思考が嫌になり振り払う。
「見てみーや、これ」
クロスが差し出したタブレット端末には、立夏とメイの戦闘が写し出されていた。
お互い武器を構える以前の状態、立夏が数歩進んだ所で右腕を高々と上げるメイ。
距離は十メートルもない。
何もなかった筈の右腕の先には一枚のトランプが踊り、それが指先から離れた瞬間、立夏の背中が真っ二つになる。
「戻して。あと可能な限りスローに。拡大も。あ、別角度ある?」
「注文の多い奴やな」
「いいからいいから」
クロスが操作するタブレット端末を食い入るように見つめる立夏は、
「見つけた」
と、映像を一時停止する。
メイの攻撃は一瞬だった。
立夏が指さすのは間合いを詰めようと踏み出した時の、右腕を掲げる予備動作の裏で行われた。
「左手に隠したカードを飛ばしたんか。回り込んどるな。死角を突いて背後からグサリ」
「へえ」
立夏はタブレット端末を返して、ソファから立ち上がる。
軽く伸びをして体のしこりを取る最中、瞳に宿った闘志をクロスは見逃さなかった。
「かなりの手練れやぞ」
「種が分かれば大丈夫、次は勝てるかな」
「次はって何処でやるつもりや。闇討ちでもするんかいな」
「そんな下品なことする訳ないでしょ」
「ならどうするんや」
「さあね」
闇討ちをする性格ではないと知るクロスにとって予想通りの返答で、それを為すための方策を考えていないのも想定の範囲内であった。
後はどのように会話を繋げて、こちらが譲歩する形で再戦に漕ぎつけるかのみである。
「クロス」
控室の扉が開き、出ていこうとした立夏の前に小さな人影が現れる。
赤髪のハミングバード。
立夏は小さく舌打ちをして出ていこうとするが、脇を通り抜けた少女の異様さに足を止め振り返る。
「ハミィ」
「クロス、何故戦わないの」
ハミィの姿を見て、その名前を呼ぶ。
クロスはとても許容出来ない変化を直視出来ずに目を伏せた。
「ハミィ、昨日今日何処おったんや」
「クロス、戦わないと。敵がいたよ。中まで入り込んでる」
「ここは中立や。俺が保証しとる」
「あの気味が悪いおっさんたちだ。この島の、管理局の敵対者だよ」
「外の争いは関係ない。ハミィも知っとるやろ」
強力な薬か能力を使った暗示か。
ハミィは精神の均衡を失い、支離滅裂な思考のまま、焦点の定まらない瞳で一点の目標のみを見据えている。
「……大丈夫か、ハミィ」
「私は平気。大丈夫。大丈夫じゃないのはあなた、クロス」
クロスの傍に歩み寄ったハミィは、もたれるようにクロスの上着を掴み、灰色の双眸を真っ直ぐと見据えて言う。
「クロス、あなたは疑われてる」
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