第22話 戦利品



 大きく息を吸い、時間をかけて吐き出す。

 ツバメが戦闘前に行うルーティンは、ただそれだけであった。

 呼吸法に特別な効能がある訳ではなく、最初の呼吸は能力にも関係ない。


 呼吸は貴重だ。


 人間が当然のように行える呼吸が、どれだけ貴重なものかをツバメは知っている。

 生まれてすぐに肺を患い、未だに後遺症を引きずるからこそ、一連の動作を誰よりも大切に思う。 


「あの鳥籠を楽園と呼ぶあなたは可哀相」


 ピクリ、と赤髪の少女が眉根を寄せる。


「大空を知らない。ツバメがその足枷を外してあげる」

「やってみなよ。小さな羽ズタズタに切り裂いて二度と飛べなくしてやるから」


 足元の壬生狼を疎ましく思った二人は、対峙したまま真横に移動する。

 十分にスライドしてから互いに飛び込むタイミングを計り、ピクリとも動かなくなった。


「――」

「……」


 ツバメは相手の武器を見た時から、自分と同種の使い手だと推測していた。

 素早さに特化した斬属性。

 そういった使い手が打たれ弱いのは常識だ。

 懐に飛び込まなければ満足に戦えない斬属性で更に打たれ弱いとなれば取れる手段は二つ――手数を増やすか、回避に特化しているか。

 前者だろう、と壬生狼の傷跡で推測を裏付ける。


「何をしてんの」


 睨み合う二人の間に、精悍な男の声が割り込む。

 イントネーションに若干関西訛りが混ざっているためか、どこか軽薄な印象が耳に残る。


「ツバメ、剣を収めろ。そっちの小鳥ちゃんは兎も角、あっちのカウボーイとか会話ができそうだ」


 徹進が斗貴子を背に隠して現れる。

 小鳥呼ばわりされた少女は蟀谷をひくつかせるが、臨戦態勢のツバメが邪魔をして感情のまま襲い掛かることは出来ない。


「ハミィ、お前もや。そこの三人とやり合っても旨味ないわ」

「クロス、でも」

「目的はこっちやろ。忘れたんか。うちに戦闘狂はいらんて毎回言うとる筈やけど」

「ごめん」


 カウボーイの男――クロスの叱責を受け、ハミィと呼ばれた少女はレイピアを収める。

 ツバメも短刀を腰ベルトに戻して距離を取る。


「三十半ばに髭、顔に傷。揃いのメッシュも入れてるやん。白髪ちゃうやろこれ」

「こいつらで合ってる?」

「良く見つけた、ドンピシャやん」


 クロスは徹進たちを気にもかけず、倒れた二人の壬生狼の胸倉を掴み顔を近づける。

 顔や年齢といった特徴を照らし合わせると壬生狼を放り出し、立ち上がってハミィの頭を優しく撫でる。


「すごいなー、流石ハミィや。飴ちゃん食べる?」

「子ども扱いしないで」

「子ども扱いが嫌? よっしゃ、なら一人運んでもらおか!」

「冗談でしょ、運ぶなら人呼んでよ」


 二人はわいわいと楽しそうに壬生狼の身柄を弄ぶ。


「ちょっと待て」


 当然、徹進は待ったをかける。


「そいつら壬生狼は、俺たち西部レジスタンスの戦利品だ」


 胸元から茶封筒を取り出して、ひらひらと挑発的に揺らめかせる。

 朝が迫っているとはいえ周囲はまだ暗い。

 それが何の紙なのか察したクロスは「しまった」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、それに気付かないハミィは無遠慮に歩み寄る。


「おっさん、まだいたんだ」


 そして徹進の手から茶封筒を奪い取ると、中身を見ることなくびりびりに破いて投げ捨てた。

 誇らしげなハミィの後ろではクロスが頭を抱えて天を仰いでいる。


「この、大馬鹿野郎……!」


 一組織を統べる将として、クロスはハミィが破いた茶封筒の中身が何であるのかを推測していた。


 協定書。


 漂流世界で戦う前に勝敗条件や禁止事項、戦場として扱う範囲などを文書として残したものである。


 ただの紙切れだ、と軽視する者もいる。

 だが紙切れの後ろ盾になっているのは明乃島唯一の中立組織――明乃島第一中央病院だ。政治的要素を排して、純然たる武力で中立を捥ぎ取った生粋の武闘派集団だ。

 他人の結んだ協定書を勝手に破棄してしまった事実は隠しようがない。

 徹進の伝え方次第では、最悪の結果も起こり得る。


「すまんな、うちのツレが粗相をしてもうた。病院にはこちらから――」

「待て待て待て」


 焦るクロスの様子を横目に、徹進は胸元からもう一枚取り出す。


「協定書はこっち」


 反射的に手を伸ばすハミィを押さえつけたクロスは、訝し気な目を向ける。


「ハミィ、お前は何を破ったんや」

「……ごめん、分かんない」


 左腕でがっちりとハミィを捕まえたまま、クロスは落ちた紙片を拾う。

 徹進は何も言わず、ただ無言で見守っている。


「嘘やろ……、最悪やんけ……」


 苦虫どころの話ではない。顔面蒼白になったクロスは、わなわなと震えながら徹進を見上げる。


「不覚だったな。まさか不意打ちで国税調査官の知人から渡された個人的な依頼書を破られるとは」


 徹進は両手を広げ、仰々しい演技をして見せる。


「新しいのを島まで持ってきて貰うか。お友達も沢山連れて来るかもな」


 国税調査官と聞き、クロスは顔面を青くする。


「か、介入だけは勘弁してくれ」

「介入だなんて話が飛躍しすぎだな。国税局の介入を恐れるのは、脱税してる奴だけだぞ」

「せ、せやな……」

「まさか脱税? いやいや、リストに名前があったか思い出せないな」


 ハッハッハと笑い声をあげ、クロスの耳元で囁く。


「今度ゆっくり話そう、クロス・ジャスティン。きっと、有益な話ができると思うからね」

「お前、何者や」

「何者かは直に分かる。連絡は職場にする。そこの二人は連れて行っていい。脱走した二人は、もう壬生狼じゃないからな」




 ⚓




「何故国税庁を恐れてたかって?」


 帰り道に斗貴子から尋ねられた徹進は、クロスの狼狽具合を思い出して破顔する。


「調査官が介入して悪質な脱税が発覚した場合、文字通り根こそぎ持っていかれるからだ。刑事告発をしない代わりに動産不動産関係なく追徴分を搔き集める。見逃しも手心も猶予も今後の生活の保障も一切なし。恐怖の徴税マシーン、それが国税調査官だ」


 漂流世界の発見により個人が武力を持つようになった社会で、その集合体たる企業が持つ影響力は計り知れない。国家と言う枠組みを必要とする企業がであっても国家による足枷から、つまりは徴税からは逃れたいと望む。

 一つの前例を許せば十が追随し、それは百に繋がる。

 規律とモラルを押し付け、例外なく実力を行使することこそ、国税庁の役割だ。

 警察や自衛隊など、日本の官公庁で武力を抱える勢力は少なくないが、最強の武力を持つのは国税庁であり、個々として突出しているのも国税調査官である。


「代行、あのカウボーイは脱税をしているのですか?」

「しているが、あいつが恐れたのはそこじゃない」


 徹進は真っ直ぐ東を指さす。


「介入を恐れているのは、明乃島東部にいる企業だ。脱税もここ数年の話じゃない。遠く離れているのを良いことに十年単位。上手に偽装していたみたいだが、国外の支援者が行方不明になったのが運の尽き。その際、秘密を管理局に知られて、半ば脅されるように政府に反旗を翻した……と俺たちは見ている」

「カウボーイさんは仲間に報復を受けることを恐れたんですか?」

「ああ。誰だって、周り全部が敵になるのは避けたいだろう?」


 徹進の顔が嗜虐に歪む。


「だからこそ、俺たちは手を組める」


 東に向かって伸ばした指先をぐっと握りこみ、次の標的に向けて突き出した。



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