第17話 所詮得意なのは机上論



 アーケードの西側には、バリケードの類は設置されていない。

 理由は数多くあれど、決め手となったのは漂泊協定だ。


 人の往来を妨げてはならない。


 有名無実の漂泊協定の中で殊更に遵守が困難な事柄の一つであるが、徹進はそれすら見逃さない。

 守れる協定は必ず守り、守り難い協定は解釈を変えて守る。そうすることで世界を敵に回さずに、十全の恩恵を享受してきた。


 幸運。

 想像力を凌ぐ応用力。

 戦場を従える才覚。


 徹進が世界の枠に自らを当て嵌め一時の制限を甘んじて受けることが、誰よりも広く深く、世界を知ることに繋がった。

 そしてそれらの恩恵は、徹進の背中を追い戦う者たちに伝播していく。


「私に続け!」


 椿が薙刀を掲げ壬生狼に吶喊すると、彼女のグループに属する若者たちがそれに追従する。

 壬生狼と椿たち――互いに走り出し、すれ違いざまに刃を交わす。


 協定遵守の有無は、戦いには関係ない。

 どれだけ協定を守ろうと要石を割られると負けるし、協定の一切を無視して勝ったとしても直接的に世界からは糾弾されない。

 故に、協定で空いた穴は塞がなければならない。

 徹進は三岳建設の二十人弱と要石付近に配置した予備兵――高村道場門下生十数人と手空きの住民を惜しげなく投入した。


「川端さん、出すぎです。姉さんの周りには五人いれば十分です」

「おう!」

「畠山さんは打属性の皆を纏めてその位置で。引っ掛かる敵だけを討ち、深追いは必要ありません」

「任せろ!」


 西側を指揮するのは楓――三岳姉弟の弟の方で、一メートルほどの台に立ち遠くを睨んでいる。

 無骨なメイスをギュッと握った楓は、何重にも張り巡らせた防衛線を巧みに操り突破してきた壬生狼を確実に討ち取っていく。


「斬れ! 斬れェ!!」

「京で磨いた我らの剣技を見せてやれ!」


 四十人からなる壬生狼の本隊は、三つに分けられていた。

 アーケードの外で指示を出す近藤の傍に控える壱乃隊。

 先陣を切って駆け出した弐乃隊。

 そして弐乃隊を突破して近藤を狙う椿たちを捉えた参乃隊。


「死ねえええええええええええ」

「お前が死ね!」


 随所で斬り合い、そして死ぬ。

 一時的に人数が減っても住民側と壬生狼側、双方一定時間後に人員が復帰する。

 ほぼ互角の消耗戦。

 それは本来、起こりえない現象だった。


「これは……、やはり本命とは別に中継の要石がありますね」


 倒し倒され、その比率が同程度の消耗戦ならば、住民側は絶対に負けることはない。

 要石までの距離が違う。

 壬生狼側が要石に戻されて戦線復帰するまでにかかる時間と、背後に要石があり戦線復帰が容易な住民側が費やす時間は致命的に違う筈なのだから。


「あ、姉さん」

「ん、なに? どしたの、楓」


 何度目かの戦線復帰に向けて走る姉を、楓は呼び止めた。

 伝えるべきである。本命とは別に、壊さなければならない要石があると。


「好きなだけ暴れて、殺し回ってください。今日を逃すと、下手すれば七月の予選までないかもしれません」

「予選?」

「インタースクールの予選です」

「オッケー、忘れてた!」


 しかし敵の中継を壊すには壬生狼の攻勢を跳ね除け、その奥深くすらを突破しなかればならない。

 椿だけでは足りない。

 戦意を帯びた双眸を炯炯と輝かせる椿に特別な指示を与えることはせず、楓はその背を押すに留まる。


 現状で互角ならば、何の問題もない。


 西側に集まった戦力ならば均衡を崩して前線を押し上げるのは容易ではあるが、もう一押しにはギリギリ足りない。

 そのように人員を配置したとなれば、均衡を崩す機がくれば徹進が連絡を寄越すだろう。

 楓は眼前の戦場を睨み続けた。



 ⚓



 やはり、朝霧にするべきであった。


「スルーしろ」


 その指令を聞き逃したか、敢て無視したのかは定かではないが、ツバメと斗貴子は徹進の捜索に出た壬生狼と遭遇して、大いにこれを打ち負かしそうになった。

 恐らく前者だろう。

 三人目を倒した辺りで警告の遠距離射撃が鼻先を掠めた。

 それで初めてツバメは正気に戻り、斗貴子を連れて離脱した。


「代行、すみませんでした」

「もう遅い」


 要石の護衛に残った壬生狼十人の内、七人が徹進の捜索に出ていた。

 徹進はその七人を可能な限り遊兵――つまり役立たずな戦力として離し、北側のバリケードを出た八人とツバメ斗貴子の計十人で要石の三人を襲う算段を立てていた。

 十人で三人なら物の数秒で片が付く。

 けれども二人が合流出来ずに八人と六人がぶつかれば結果はどちらに転ぶとも分からない。

 更に援護射撃を入れたことで大体の位置がバレてしまった。方角から位置を割り出した壬生狼が徹進に殺到してくるのは時間の問題だ。


「お前たちはそこで待機だ。吉見たちの案内はオセロットにやらせる。要石付近の制圧もツバメ、お前よりも上手に出来る」

「代行……」

「待機だ。何をするかはすぐ分かる」

「分かり……ました……」


 後悔で掠れるツバメの声を聞き流した徹進は、素早く的確かつ簡潔に指示を出す。

 壬生狼との戦線を維持する楓。

 楓と連動して動くため待機していた朝霧。

 叩き起こされて不機嫌なオセロット。

 三人は徹進の言葉を聞いただけで指示の意図する所を理解することが出来る、得難い存在だ。


「悪癖だ」


 徹進は、かつて上司から指摘された言葉を繰り返す。


 寛容にならなければならない。

 誰もが求められる水準を満たすことは出来ない。

 だが慣れれば出来る。お前が出来ることを、他の人間が出来ない筈がない。


 新入りであるツバメも、コーラルサファイア号の――徹進の流儀に教化していけばいい。


「いた、見つけたぞ!」

「帆高徹進、敵の大将だ! 殺せ!!」


 非常階段を上り、壬生狼が現れる。

 ツバメと遭遇して生き残った四人に、斥候として動き回り十分な情報を持ち帰るまで徹進に散々狙撃され続けた五人の合計九人が建物の周囲に散っている。


「いきなり殺せ、は流石にないだろ」


 徹進は時間をかけて伸ばした糸の一部を断ち切って、現れた壬生狼と向かい合う。

 散らばった五感が肉体に戻り、鋭敏な感覚が溢れ出る。


「……っ!!」


 密な気配を感じ取った壬生狼の一人が後退る。

 目の前に何百人もの人間が林立している感覚に襲われたのだ。


「学者なんて人種は、どんな事柄であっても型に嵌めたがる。無理矢理に境界線を引き、さも当然のように扱う。漂流世界で俺たちが得た力も同様だ。考えたことはないか、この武器について」

「何を」

「大きく分けて三種類――武器型、強化型、そして群体型。数十年も前に、チェイス・グレイハート博士の研究チームが報告書を纏め上げ、国際連合に提出している」


 初めて聞く単語の数々に壬生狼たちは戸惑う。


「武器型は単純だ。妙な能力が備わっている武器を持っている輩は、大概武器型だ。強化型は逆に武器は普通で身体能力が異常に高い。漂流世界で武器を創り出さず、現実世界から持ち込んでくる奴もいる。群体型はそれ以外だ。どうせ滅多に目にすることはない。戦い続けている限り、お前たちもある日突然、今までにない能力を得ることになるだろう」


 朗々と響く徹進の言葉を耳にして、壬生狼たちは自らの武器をチラリと見る。


「さあ、ここで一つ疑問が沸いただろう?」


 シュルシュルと手のひらから糸を紡ぎ出す徹進は、挑戦的な笑みを浮かべる。


「俺は、どれだと思う?」


 どれだ、と問われた所でどれにも見えない。

 そもそも半透明の糸状の何かが武器なのかどうかすら定かではなく、どういった戦い方をするのか見当もつかない。


「分かった」


 壬生狼の一人が気付き、刀を握りしめる。


「時間稼ぎだ!!」


 顔を真っ赤にして斬りかかる仲間に他の三人は呆気にとられる。

 ここは七階建てのビルの屋上であるが、流石に敵の増援が来れば気付く。下には斥候に出ていた五人が周りを固め、送り込んだ四人を待っている。敵は必ずその五人と衝突し、静かな屋上で戦闘音を聞き逃すことはない。


「こいつの狙いは、包囲を崩すことだ!」

「正解」


 徹進は編み込んだロープを鞭のように扱い、壬生狼の斬撃を捌く。


「下が静かなのは安心材料だが、上が静かならどうだ? 瞬殺された、もしくは瞬殺した。戦闘音が聞こえない状況で、尚且つ苦戦を強いられている。どちらにせよ、誰も降りてこないのならば上に何らかの異常が発生したんだと考えるのが妥当だ」

「……まさか!」

「当然、様子を見に来る。俺の話に聞き入って、戦いが始まっていないなんて露にも思わない」


 徹進の予告通り、下で包囲を固めていた五人が階段を上る足音を響かせる。

 壬生狼たちは徹進の先読みに驚愕した。

 けれど実際に五人が辿り着いてからは、凄然とした事実に気付く。


「馬鹿が。逃げ場のないお前が、下の包囲を気にしてどうする」

「口はよく回るらしいが、所詮得意なのは机上論」

「間抜けめ! 切り捨ててくれる!」


 背には柵、前には鬼気迫る白刃の壁。


「訂正が二つ」


 徹進はそれらを障害とすら思っていない。


「俺は机上論を振りかざすタイプじゃない。こう見えてもバリバリ前線に出ていくタイプだ。敵を追うのにも慣れているし、追われるのにも慣れている」


 蹴り飛ばすには大きすぎる石が転がっている。一つ二つ増えた所で避けて通ればいい。

 屋上に上ってきた壬生狼に対する印象は、精々その程度である。


「次にそこのお前」


 怯まず、恐れず、毅然と指をさす。

 人数の不利など微塵も感じさせない。


「戦況の楽観視、不確かな情報で仲間の緊張を緩める無駄口、仲間の明察を無下にする断言――致命的にセンスがない」

「なっ!」

「この状況の何処に逃げ場がない? よく見てみろ。俺の背中は、後ろ半分はぽっかりと大穴が空いているんだぞ」


 徹進はニヤリと笑い、反転する。


「跳ぶ気だ……」

「追え、斬れ! 殺せ!!」


 走り出した徹進の背中を黙って見過ごす道理はない。

 一人二人と足を回し、無防備な背中を晒した徹進を逃すまいと迫る。

 元々広い屋上で、斬属性の壬生狼たちと遠属性の徹進の距離は見る見るうちに縮まっていく。


「覚悟!」


 頭頂に振り下ろそうと先頭の壬生狼が刀を振り上げた瞬間、徹進は再び反転する。


 徹進と壬生狼――コンマ数秒の差で、二人の明暗は分かれる。


「そら、穴が開くぞ」


 刀を振り下ろすよりも早く、驚愕の色を浮かべる間もなく、先頭の壬生狼は投げ飛ばされた。


 人が宙を舞う。

 何人も。

 鮮やかに。


 それは蓄積された経験から得た技術と強化型由来の力業であった。

 徹進は編み込んだスリングを巧みに手繰り、迫る壬生狼の足元を掬っていった。

 刀剣を主武器とする壬生狼は腰から上の攻撃には対処できるが、それ以下の部位を狙って繰り出される攻撃に慣れていない。蛇のように這い、狼のように鋭い徹進のスリング捌きを防ぐことも躱すことも適わず、空中へと放り投げられ、背後の虚空へと消えていく。


「間抜けどもめ」


 徹進は跳ぶ気などなかった。

 挑発と集団心理を利用して、有利な状況に持ち込みたかっただけだ。

 屋上にいる壬生狼の数は半数以下の四人となっていた。

 彼らは徹進に近づこうとしない。近づいた仲間の悉くが投げ飛ばされたのだから当然であるが、数の過多が全く有利をもたらす条件でないと知り、どうすればいいのか分からずに固まってしまった。


「……っ!」


 徹進が傍を通り抜けても、ただ身構えるだけ。

 階段を降りる頃合いになって始めて動き始めたが、陰った戦意は戻っていない。


 ゆっくりと感覚を広げる徹進は、指定した場所から動いていないツバメたちを見つける。


「ツバメ、合流するぞ。迎えに来てくれ」


 懐から無線機を取り出してそう告げると、気色溢れんばかりの返事が聞こえてくる。


「まったく、嫌になるな……」


 ジリジリと触覚糸を伸ばして感覚を広げる徹進は、思わず溜息を吐く。

 ツバメと斗貴子は真っ直ぐ向かってくる。

 屋上では残った壬生狼が徹進を追おうと階段を降り始めている。

 壬生狼の要石付近の制圧も、主戦場であるアーケードの各所も、滞りなく進んでいる。


 ならば残るは、この戦場に入り込んだ異物を排除するだけだ。


 徹進はスリングを右腕に巻き付け、ゆっくりと足を動かした。




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