第13話 人類は一度しっかりと罰を受けている



 フェリー乗り場に止まったタクシーは、二人を下ろして早々に走り去って行った。

 徹進と朝霧は、二人して波止場から海を眺める。

 天気は良いが、風は強い。

 防波堤には何度も飛沫が上がり、その先に広がる大海原も荒れ模様だと分かる。


「ちょっと遅れているな」

「でも見えますよ。水平線に豆粒っぽいのが」


 船舶の位置情報を表示するアプリがフェリーの現在位置を教えてくれる。

 水平線に船影が見えたとして、その位置から接岸するまでは一時間以上は掛かるという事実を朝霧は知らない。


「喫茶店でもいくか。コーヒーくらいなら奢るぞ」

「そんな、悪いですよ」

「気にすんなって。船乗りって人種は気前の良さが売りなんだから」


 快活に笑う徹進を見て、朝霧は目をパチクリさせる。


「帆高さんって船乗りなんですか?」

「言ってなかったか? いや、寧ろなんだと思ってたんだ」

「PMCの類かと」

「似たようなことはやってるが、結局メインは海運業だ。荷物を積んで下ろしての繰り返し」

「私の知らない世界ですね」

「お前ならすぐに馴染むよ。俺の船は特に雰囲気が良いしメインの年齢層も近めだ。ちょっとだけ、ちょーっとだけ実力主義な気合いはあるけど、それはどこの業界でも同じだな」

「努力します」


 近場の喫茶店に向け談笑しながら歩いていると、ふと何かを思い出した徹進が携帯端末を取り出す。


「あ、ちょっと電話してもいいか?」

「はい」

「すぐ終わるから。……もしもし、お、カキ、電波届いてる?」


 電話先の相手はフェリーに乗っている仲間だろうと朝霧は推測する。


「うん、俺たちはもう着いてる。ちょっと前に話した見込みのある奴、そうそう、近くの茶店で待ってるから、うん」


 見込みのある奴、と徹進の評価を直接だか間接だか分からずに伝えられ朝霧は気恥ずかしくなる。

 そもそも徹進の声量がおかしい。盗み聞き云々以前に、電話口で話す大きさではない。


「いたよ、しっかり。人数までは確かめてない。現実世界の方だったから。そうそう、じゃあ襲われたら電話して」

「んんん?」


 電話先の声は聞こえなかったが、徹進の口から出た幾つかに朝霧は眉を顰める。


「いやあ、仲間を餌にするのは胸が痛む」


 言葉とは裏腹に顔は嗜虐に歪んでいた。

 前日いれた籠に大量の獲物が入っているのを確認した時の漁師の表情に近い。


「なんだ、気付いてなかったのか。敵の待ち伏せだ」

「待ち伏せ?」

「白いバンが二台、離れた位置に止まっていただろ。見ていないか?」


 波止場周辺の状況を思い出そうとするが、朝霧は諦めて首を振る。


「明乃島への交通手段は実質フェリーのみ。となれば向こう側で、日本の方で乗った奴を見張って目当てが来たらこっち側に人員を置いて襲わせる」


 喫茶店の扉を開きながら受けた説明に朝霧は感心する。

 明乃島に敵が入ってくるのを、文字通り水際で防ぐというのだ。


「ブレンド二つ」


 マスターに注文して、海の見えるテーブル席に座る。

 他に客はいないが徹進は少しだけ声のトーンを落として喋る。


「猿知恵以下だ」


 座って早々、徹進は敵の戦術をこき下ろす。


「着眼点は悪くないが、そもそも水際防御でやるには不特定多数の流入がありすぎる。俺はどうやら待ち伏せされてたみたいだが、ケイやメイは素通りだった。これが致命的な欠陥に見えないなら、相手の指揮官は自分に酔っている」

「……」

「分からないか? 奴らは逃げ場のない相手を追い詰めることに躍起になって、自分たちの置かれる状況の危険性に気付いていない」


 徹進はテーブルの上の紙ナプキンなどを使って配置を仕上げていく。


「挟撃ですか!」


 配置を並べる途中で朝霧は気付く。

 待ち伏せた奴らは水際の敵を仕留めようと前に意識を集中させている。そこを後ろから急襲されたなら、前と後ろの二方面から攻撃を受けることになる。有利な状況が一転して不利に、狩人が獲物へと早変わりする。

 挟撃を防ぐには前後どちらにも対応出来るほどの頭数を用意するか、そもそも敵を一人たりとも通さずに背後を取らせないことだ。


「いやでも、私たち二人で大丈夫ですか?」

「背中を三回殴ればビビッて逃げるさ。虚を突き、混乱した相手には満足な迎撃なんて出来んよ」

「なるほど」

「戦いなんてのは、そんなもんなのさ」


 出されたコーヒーを啜りながら二人はフェリーの到着と、救援を要請する携帯端末のコール音を待つ。

 ぼんやりと海を眺める朝霧の正面で、徹進はいそいそと紙を折っていた。

 長く綺麗で、けれど逞しい指が丁寧に一枚の紙を折り進めていく。


「紙飛行機ですか」

「その通り」


 徹進は紙飛行機の翼を広げ、飛ばす素振りをしてみせる。


「これは協定用だ」


 紙飛行機をテーブルの上に置いて、コーヒーカップに手を伸ばす。


「漂流世界で戦闘を始める際には、必ず相手に宣戦布告をしなければならない。この紙飛行機の中にそれが書いてある」

「そんなの、守ってる人いないですよ」

「大問題だな」

「漂泊協定は形だけのもの。破っても罰則が与えられることはない。そんな通説が出回ってますから」


 コーヒーを口に含んだ徹進は、そんな通説を前に苦々しい顔をする。


「この協定は人と人の間に結ばれたものじゃない。人と世界の間に結ばれた協定だ。一方的に破ったとして、人が罰を与える訳ないだろうに」

「でも現実、何も起きてはいませんよ」

「朝霧、勉強不足だな。人類は一度しっかりと罰を受けている」

「罰?」

「アメリカだ」


 徹進はコーヒーを飲み干し、カップを置く。

 かちゃりと食器が当たる音がしたかと思うと、テーブルの上の携帯端末が騒ぎ出す。


「今でこそ暗黒大陸と言われているが、ほんの数十年前は世界一の国家が北アメリカに存在した。学校で習っただろ。祖父曽祖父の代は実際に目にしている。だが今はアメリカ合衆国なんて国は存在しないし、人工衛星を使っても大陸を視認することは適わない。土地が、国家が、何億もの人が、煙のように消えてしまった。当然そこには理由がある。消えるに足るだけの理由がな」


 携帯端末を懐に収め、千円札を一枚テーブルの上に置いて立ち上がる。

 朝霧も温くなったコーヒーを慌てて飲み干して後を追う。


「私は放射能汚染で立ち入りが制限されてるって習いました」

「放射能? そりゃ傑作だな!」


 不意を突かれた徹進は、必死に笑いを噛み殺す。


「放射能程度で人間が死ぬ訳ないだろ」


 人類は、漂流世界に引っ張られるようにして現実世界でも人間離れした肉体を獲得した。

 特に顕著なのが健康面だ。漂流世界が完全に浸透して以降、病気の罹患率は減少の傾向を強め、軽微な体調不良を除けば生涯で医者に罹る回数は両手の指の数で足りるとまで言われている。

 かつて人体に対して強い毒性を発揮していた放射能も、現在の人類は克服している。

 少し考えたら分かることを誰も試そうとしない。

 自明の理から目を背ける。


「なんでそんなデマを流すんでしょうね」

「考えるまでもないな」


 嘘の先には、優しい世界など広がってはいない。

 誰も足を踏み入れたがらない未開の世界。

 手に入れようと望む者は少ない。誰もが皆、手が届くとは思っていないのだから。


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