第12話 地獄のような職場へようこそ
窓のない室内をLEDライトが照らす。
室内にはパイプ椅子と机が並び、向かい合って座る二人と直立して見守る二人の計四人が存在した。
片や視線で殺さんとばかりに相手を睨みつけ、もう一方はそれを飄々と受け流している。
「それでは勝利条件と報酬の確認を行います」
明乃島の中立地帯として成立しているのは、中心街の外れに広大な敷地を併せ持つ明乃島第一中央病院である。
島西部のように各勢力が拮抗した結果で生まれた中立地帯ではなく、十分な戦力と暗黙の了解によって独立を為しえた勢力としての中立だ。
完全中立勢力として本土では警察が担っていた役割を請け負っている。
「互いに勝利条件は相手陣営の要石の破壊、もしくは大将の降伏。相違ありませんか」
「ないね」
「近藤様は」
「……ない」
場を取り仕切る若い看護師が丁寧な口調でハキハキと進めていく。
年頃は二十代前半だろうか、緊張で引きつる頬から場慣れしていないのが見て取れる。
「壬生狼の勝利報酬は、帆高様の協力者様が偶然に拾ったハードディスク。現在は当方でお預かりしています」
「警察に届ける前に持ち主が分かって良かったよ」
「貴様、よくも抜け抜けと……!」
「不要な私語は慎んでください」
へらへらと軽薄さを押し出した徹進は、壬生狼総隊長近藤の感情を逆撫でする。
一触即発の雰囲気になる度に若い看護師はもう一方の看護師に縋る視線を向けるが、先輩看護師は後輩の成長を期待して手も口も出さないでいる。
本来の目的を隠匿する為なら、より多くの人間を巻き込んで会話を行うのが常であるが、徹進は頑なにそうしようとしなかった。
最初に会議室で顔を合わせて以降、話題を振るのは勿論のこと顔を向けようとすらしない。
背中に突き刺さる視線に耐え、誰にも見せないが掌には滅多に出ない冷や汗すら滲んでいる。
「西部レジスタンスの勝利報酬は壬生狼の身柄の確保。これはフェリーで日本本土の警察に引き渡すまでとします。帆高様は本国の警察に確実に届けること、と条件を提示されましたが、我々の力でそれは成しえません。よって島の内部で完結する条件としました。よろしいでしょうか?」
「よろしいも何も、我々が負けることはないのだから考える必要もない」
ふんっと近藤は鼻を鳴らして徹進を挑発する。
何事もなく場が纏まりそうと見た若い看護師はホッと胸を撫で下ろしたが、その弛みを先輩看護師に睨まれ再び背筋を伸ばす。
「概ねよろしいが、一つ確認いいかな」
「はい」
「残党狩りは?」
「……はい?」
「残党狩りは手伝ってくれるって認識でいいのか」
若い看護師は何を聞かれたのか分からず唖然とする。
「だからさ、俺たちが勝つだろう? そしたら壬生狼は生まれたてのクモの子供みたいに四散する。散々悪いことをしてきて、指名手配されている一団だ。当人たちも捕まる自覚はある。逃げるさ、当然」
挑発だ、と若い看護師は勿論理解できる。
しかし徹進の瞳に浮かんだ色は紛れもない憂いであった。戦いに勝利した後に増える手間、それを少しでも取り除きたいと願っていた。
「俺たちも掃討戦の準備はしておくけど、他の勢力圏に逃げられると厄介なことになる。他所に介入されたくないし。あんまり時間かけたくないんだよね。そちらさん、無駄に数いるでしょ」
「貴様はっ!!!」
言葉の端々に散りばめた挑発に耐え兼ね、ついに近藤は挑発に乗ってしまう。
机に拳を叩きつけ立ち上がると、中立地帯であることを忘れて腰の刀に手を添え徹進に詰め寄ろうとする。
「叩き斬る! 貴様、どこまで我らを愚弄すれば――!!!」
そして柄を握り、鞘から白刃が覗いた瞬間。
「いい加減にしなさい」
背後から襟首を掴まれた近藤は、力任せに床に叩きつけられた。
ダンッと鈍い音とともに部屋全体が震える。
呆然と天井を眺める近藤を無視して、先輩看護師――北条真白は徹進の真正面に立つ。
「帆高先輩、当病院は残党狩りを行いません。その辺りの塩梅は当事者同士で協議してください」
「俺はあなたの先輩じゃないです」
「真白の顔、忘れましたか? 北条潮の妹ですよ」
「知ってます」
「もっとよく見てください。成長しましたよ」
「本題に戻ってください」
「……分かりました。当病院は残党狩りを行いません。よろしいでしょうか?」
北条真白は少しだけ悲しそうに目を伏せるが、徹進はそれすら見ようとしない。完全な拒絶である。
若い時分に植え付けられたトラウマ――北条姉妹に対する根源的な恐怖は、消えることなく徹進の心に巣食っている。
高校と大学、学生時代に出場したインタースクールと全日本統一戦では必ず当たった相手だ。その都度執拗に狙われ、フィールドの隅から隅まで追い回されてきた。白刃は何度も首を掠め、飛ばされた腕の数は一本や二本では済まない。生存率の異様に高いチーム内で徹進の死亡数が妙に多いのは、この二匹の獅子に追い回されたからである。
何年経っても気配を感じるだけで震えあがる。
徹進のようなか弱い草食獣が、獰猛な肉食獣の牙を恐れるのは当然だ。
上体を起こした近藤と若い看護師も、両者の不思議な力関係に何も言えずただ茫然と眺めていた。
「近藤さん」
「……何か」
「明日、いや、今日から何日費やすかは分からないが、お互い協定を遵守して精一杯戦おう」
バチバチと火花を飛ばし合い、あわや一触即発の状況までいったにも拘わらず、今は火花を散らすどころか目すら合わせない。近藤の傍に立つ真白が視界に入るからだ。
挑発的な口調を一転、今は落ち着いた年相応の口調に戻っている。
役者だな、と近藤は感心する。
感情に緩急をつけ、相手に隙を晒すことで油断を誘う。自らのペースを終始崩すことなく、相手から得るものを得たらそそくさと退散しようとする身替わりの鮮やかさ。
「敵ながら驚嘆に値する」
「?」
「ふっ、戦場で色々と学ばせてもらうとしよう。よろしく頼む」
近藤は手を差し出し、徹進は握り返す。
闇討ち、衆目で辱め、集団での暴行、不法侵入による証拠品の奪取――両団体の間には埋められない溝があり、そこに流れているのは言いようもない汚濁である。
しかし握手を交わす今だけは、清々しいものに見えなくはなかった。
「ああ、そうだ」
部屋から出ていこうとする徹進がふと立ち止まり、ギリギリ北条真白が見えない所まで振り返る。
「万が一、逃げる事態になったら北へいけ。最悪でも南だ。東の方へ、島の中央には絶対に近づくな。中立だからと言って、ここに逃げようともするな。辿り着く前に攫われる」
「攫われ……なんだと……」
「仲間にも徹底させておけよ。本当に、この島はヤバイから」
「……」
「協定に則って戦うならば俺が以後の安全は保証する。じゃあな」
徹進はそう言うと部屋から出ていった。
部屋で佇む近藤は徹進の言葉を吟味する。
剣を鈍らせる狙いがあるのではと警戒が脳裏を過るが、それにしては声色が迫真であった。
「この島は、ヤバイ」
改めて言葉にしてみると新たな事実も見えてくる。
近藤も笑みを浮かべ、部屋を出る。
「この世界はずっと、ヤバイままだろうに」
⚓
「ああ、分かった。フェリーがついたら連絡くれ。都合が合いそうだから迎えに行く」
明乃島第一中央病院の玄関口の近くのベンチで電話をしていた徹進は、玄関口から見慣れた背格好の男が出てくるのを見つける。
朝霧だ。
いつも笑顔を絶やさないキャラではなく、どちらかと言えば仏頂面でいる時の方が多いと知ってはいた。だが暗鬱とした表情は強い日差しの下で更に暗く見え、何かあったのかと徹進は不安になる。
「よう、おはよう」
「あ、帆高さん。おはようございます」
徹進の顔を見て、朝霧は軽く会釈をする。
「元気がないな。昨日の呑み会、参加できないのが悲しくて夜通し泣いて脱水症状。違うか?」
「全然違います。泣きすぎで救急搬送は恥ずかしくて生きていられないですよ」
徹進の冗談で気が紛れたのか、朝霧の表情は明るくなる。
二人は大通りに向けて歩き出す。バスを待つには時間が掛かりすぎるからだ。
「今日は知人のお見舞いに来たんです」
「お見舞い?」
「昔の同僚です。帆高さんが来る数日前にフェリー乗り場で斬られました。彼が事前に危険を察知して私に書簡を託し、それが帆高さんの手に渡りました」
「潮の言っていた現地協力者か」
「はい。彼は現在昏睡状態です。壬生狼を捕まえて罪を償わせることが出来たなら、少しは彼の無念も晴らせると思いますが」
「無念? 何の無念だ」
「……私、何か妙なことを言いましたか?」
怪訝な表情を浮かべた徹進に朝霧は尋ねる。
たった数日の短い付き合いではあったが、徹進が何らかの引っ掛かりを見せる時は相応の何かがあると朝霧は知っていた。
「いや俺の予想だと、それは壬生狼の仕業じゃない」
「と言うと?」
「壬生狼に警察の内偵網を探り当てる組織力はないし、漂流世界で切り刻み昏睡状態に落とすだけの技能もなさそうだ」
「ショック死的なアレかと思ったんですが、違うんですか?」
「理屈は同じだが、漂流世界でそれをするのは結構難しいんだ。致命傷のラインが、死に戻りの判定は人それぞれ違うからな。それを見極めて限界ギリギリかつ最大の痛みを与えなければならない。壬生狼にそんな拷問に特化した人材がいるかってんだ」
大通りに辿り着き、徹進はタクシーを呼び止める。
「ちょうどいいから乗ってけよ」
躊躇する朝霧を強引に引き込み、フェリー乗り場までと行き先を告げる。
「すいません、今あまり持ち合わせが……」
「金は気にしなくていい。というか、私立探偵だったか? 儲かるのか?」
「いえ、私の実績だと依頼料は基本後払いですし……あと、最近は依頼もありませんでしたので」
「カツカツ?」
「はい、もう干上がる寸前です。今回も知り合い価格でタダ働き同然です」
元警察という肩書で始めた探偵業は警察の尻拭いや下働き程度の依頼しか来なかった。日々依頼をこなす傍らに営業など出来る筈もなく、かといって名を売れる機会も巡って来ないまま毎日を浪費していた。
今はギリギリ食っていけるが、依頼を回してくれる伝手は月日を重ねるごとに減ってきている。
潮時かもしれない。
口には出さないが、朝霧はヒシヒシと感じていた。
「懐事情については一考の余地ありだな。今回の件、お前にとって渡りに船かもしれん」
「帆高さんが依頼をくれるんですか?」
「依頼と言えば依頼になるが」
探偵としてではない、とはっきり口に出せずにいる。
今回の一件は戦力の現地調達が必須である。そんな中で朝霧の戦闘技能は申し分なく、手放すには惜しい人材だ。
依頼するなら、傭兵としての依頼になる。
だが、そこで問題になるのが明乃島西部の住民たちだ。
肩を並べて戦うにあたり、徹進は朝霧と住民の区別はしない。能力と適性を見極め、柔軟に人材を運用する心積もりである。
両者が同様の働きをして、一方が傭兵として報酬を貰えば必ず不平不満が湧き出るだろう。
住民たちの報酬は生活の向上と安寧――けれども、即物的な報酬には人を狂わせるほどの魅力がある。
「アコールに上手いこと調整してもらうか」
「はい?」
「適正な働きに適正な報酬を。数日行動を共にした分は俺が払う」
「払うって、何をですか?」
「お金、マネー、お給金。一日これくらいだな」
「いちじゅうひゃくせんまん……、日当でこんなに貰えるんですか!」
朝霧は今の収入との違いに眩暈が起きる。
毎日徹進の元で働けば年収は何十倍にも跳ね上がる。
「俺の裁量で動かせる金だからこんなもんだ。正式にうちの戦闘員として働くのなら手当諸々込みで大体三割増しになる」
「さんわり」
「高給取りの仲間入りだな」
耳元で囁かれ、朝霧は陥落する。
警察を依頼退職して以降、日々減り続けてきた預金通帳に待ったをかけられる。
未だ見ぬ高収入を脳裏に浮かべて恍惚とする朝霧をタクシーの運転手が羨む。
「いいなあ、お客さん。俺も雇ってくださいよ」
「はっはっは、そりゃ無理な相談だ」
徹進は大声で笑い、無理の根拠を口にする。
「俺の仕事に運転手はいらないし、そもそも舗装された道路すらない場所で仕事するんだから」
朝霧の大口を開けたまま顔を横に向ける。
ギィギィと、潤滑油が足りていない時に鳴る摩擦音が聞こえてきそうなほどぎこちない動きであった。
「過酷な環境に耐えれるのが最低条件だ。何度も死ぬ。運転手さんはさ、ここみたいな天国で働いてた方が幸せだよ」
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