第9話 珍しい気の使い方


「すみません、私たち、どこに向かっているんですか?」

「じきに分かる」


 西部の中心街を抜けた三人はここまでの道のりを徒歩で、二時間近く費やしていた。

 このまま北上を続けたなら待ち構えるのは閉鎖された鉱山と島北部の中心街である。その中間には民家も少なく、拓かれていない森林が広がる。

 北部と西部は山と森に遮られ二つの街を繋ぐのは幹線道路が通っているだけで、人の交流も盛んとは言えない。


「本当に道、合ってますか?」


 朝霧がポツリと漏らす。

 逃げ出した壬生狼の追跡――朝霧が徹進から聞かされていたのはそれだけである。


 潜伏先の目星はついているのか。

 追跡に使う足の用意は。

 追跡後の動きはどうするのか。


 朝霧の疑問は、あまりに秘密主義が過ぎるのではないか、との不満が言葉となった現れたものであった。

 具体的な展望を何一つ聞かされないまま付いてきて、手の届かないところで空振りに終わるのではないか、という虚しさを少しでも払拭したいのだ。


「不安になってるだろ? 正直に、怒らないから」

「はい、実は」

「私も」

「黙っていたが、実は意図的に回り道をしていた。壬生狼の潜伏先ならここから少し行った横道に入って、そこから十分と掛からない距離だ」


 徹進は森の奥を指さすが、木々に阻まれ建物は見えない。


「さて斗貴子、少しは落ち着いたか?」

「え?」

「ずっと苛々していただろう? 焦っているのかとも思ったが、それにしては少し感情が外向きだった」


 斗貴子が苛立っていたのは事実だった。

 壬生狼の悪逆を前にしても煮え切らない大人たち、そしてこれまで見て見ぬ振りをしてきた自分自身に苛立っていた。

 自分たちの街をより良い方向に導く切欠を、他所から与えられなければならなったことにも。


「焦りや苛立ち、俺は大歓迎だ」


 徹進の一言は、蜜のように甘かった。

 斗貴子は苛立ちを感じると同時に、それは抑制されるべきだという認識に囚われていた。

 怒りや悲しみ――そういった感情に振り回される人間は愚かで、感情のまま動く人間は獣と変わらない。

 節度を持たなければならない。

 そう教えこまれてきた。


「感情の抑制とは牙を抜き、首輪を嵌める行為だ」

「首輪……?」

「焦りや苛立ち、怒りや嫉妬、所謂負の感情は抑えなければならない。そう教わってきたはずだ。だがその根拠は何だ? カッとなり周りが見えなくなる。足元を掬われる。歯止めが利かなくなる。そんなこと、大した問題じゃないんだ。誰かが激情に駆られても周りの仲間が目を光らせたらいい。行き過ぎたなら制止する。別に難しくはない。

 感情はエネルギーだ。ちょっとした手間を惜しんで捨てるには、あまりにも惜しい。もしそのエネルギーが溢れ出て身動きが取れなくなるなら、今回みたいにガス抜きしたらいい」

「私、そんなに固くなってましたか?」

「俺が気を使って遠回りする程度には、な」 



 ⚓



 壬生狼は鉱山の管理会社が使っていた古い建物を不法に占拠して、数か月間集団生活を送ってた。

 ガス電気水道等のライフラインも止まっていない建物を偶然に見つけたとは考えづらく、誰かが宛がったと見るのが自然である。


「実は、奴らにも監視がついている」


 徹進はそう言うと雲が点々と残る青空を指さす。

 朝霧と斗貴子は指先を追ってみるが、どれだけ目を凝らしても怪しいものは何一つ見えない。


「潮の……、俺の昔馴染みの刑事が部下に探らせた情報の中に、似たような能力の奴がいた。監視はそいつの仕業だろう」

「情報って、私が届けた書簡ですか?」

「アレは敵味方のリスト、明乃島の大まかな勢力分布だな。欠けが多く参考程度の代物だが、あるとないとじゃ大違いだ」


 徹進が手にしたリストでは、明乃島は四色に分割されていた。

 南部から中央にかけて管理局の青、東部は赤、北部は紫、そして西部は空白地帯を意味する灰色。

 明乃島は一枚岩ではない。

 リストから、管理局を追い出すための糸口を読み解くのは容易であった。

 優れた戦術眼を持つ徹進にしてみれば、西部の空白を望んでいる勢力がどこであるのかは一目で分かる。

 次はその勢力が求めているものが何かを見定めなければならなかったが、今すぐに必要なものではない。


「まあ、それは置いておくとして」


 話している内に三人は壬生狼の潜伏先に続く横道に辿り着く。

 道にはかつて鉱山が稼働していた時にトラックの往来でできた轍があり、生い茂る雑草は端に寄っている。雑草の分布に差があるということは、今も定期的な往来がある何よりの証拠だ。


「俺たちが動く前にあの鬱陶しい監視を落とすか」

「壬生狼に付いてる管理局の監視ですか?」

「ああ。覗き見は俺の専売特許だ。あと覗き方が優雅でちょっとムカつく」


 突入の時を今か今かと待ち構える斗貴子や朝霧と違い、徹進の意識は上空に釘付けのまま微動だにしなかった。

 斗貴子も探そうと顔を上げる。何度見ても優雅な何かどころか鳥の一匹も飛んでいない、真っ新な青空だ。


「優雅な何がいるんですか?」

「紙飛行機だ。ほら、あの辺りだ。朝霧は見えるか?」

「全く見えません」

「斗貴子は?」

「いえ」

「まあいいか。ちょっと離れてろ」


 豆粒のような紙飛行機は人の手の届かない上空を飛んでいた。

 隠密性に優れ、素材の調達が簡単で、撃ち落とすのが難儀な無人偵察機。

 壬生狼に向けられている監視の目が、これから接触しようとする自分たちを捉えない筈がない。


「帆高さんの腕から……」


 斗貴子は目を疑う。

 徹進の右腕から出てきたのは半透明な糸で、それが絡み合い徐々に太さを増していく。

 並行して行われる繊細で複雑な操作――その成果は、指二本分ほどの太さを持つ短いロープであった。


「武器です。しかし、あれは……」

「鞭?」

「分かりません」


 朝霧は驚愕する。

 漂流世界で扱われる武器の殆どは、その持ち主のイメージを基に顕現する。誰もが剣や槍、銃を手に戦えるのはそういう仕組みが存在するからである。

 顕現させた武器は使えば使うほどに成長し、ある日を境に現実世界には決して起こりえない能力を発現させる。不可視の斬撃や相手を固定する打撃、他にも多種多様で使い手の個性を如実に表す能力が溢れている。

 朝霧も修練の果てに独自の能力を得た一人である。

 故に、徹進がどれだけ常軌を逸しているのかが分かる。


 何本も編み込んで初めて見える不可視の糸。

 手にした武器など副産物に過ぎない。


 糸を自在に操る。


 そんな平凡な能力でないのは、一目でわかる。もっと先があるのは間違いない。


「斗貴子、ここからは我儘はなしだ」


 徹進は右手に鞭のように撓るロープを、左手には撃ち落とす為の弾を持つ。

 右手のロープを手首だけで回し始めたかと思うと、ゆっくりとした回転速度は見る見るうちに早くなり目で追えなくなる。


 それがスリングショットだと気付けたのは、銀の弾丸が左手にあったからだ。

 実際に目にしても悩むほどに知名度が低い。遠属性が好む定番の武器、銃や弓と並べるとまず手に取る者がいないからだ。


「朝霧、斗貴子と一緒にここで待機だ。どうやら宿舎の方に人はいても事務所の中は無人に近い。サッと忍び込んで目的のものだけ持ってくる」

「一人で大丈夫ですか?」

「シンカーほど上手く潜り込めないが、まあ問題ない筈だ。万が一バレたらここまで走って戻る。その時は二人で蹴散らしてくれ」

「蹴散らせって……」

「分かりました!」

「それで、何を持ってくるんですか?」

「ぱそこん? はーどでぃすく? まあ、その辺りの何かだ」


 徹進はそう言うと、銀の弾丸を打ち上げた。

 ロープの先端から弾き出された弾丸は、迷うことなく真っ直ぐと青空に昇っていく。元が小さいせいですぐに見失ったが、飛距離は百メートルは下らない。


「落ちてくるまでには戻る」


 青空を見上げていた二人に告げ、徹進は建物の裏手に続く木々の中へと踏み込んでいった。


「あっ、当たった」


 目を凝らし弾丸を追っていた斗貴子が、その軌道上で弾けた何かを捉える。

 数分前には見えなかった距離だ。

 しかし今は、紙の一枚一枚がひらひらと制御を失い舞い落ちていく様がぼんやりとだが感じ取れていた。


「変な感じ……」


 斗貴子の変化を気付いていたが、朝霧は何も言わなかった。

 漂流世界で能力を会得する糸口を斗貴子は見つけている。

 その糸口は日々の鍛錬や己が経験の蓄積を経て自然と見つけたものではない。

 徹進の影響だ。

 安易に自覚させその糸口を掴ませてしまえば最後、一度踏み込んだ道を引き返すことは出来ない。

 振り返り、未だ見ぬ可能性を夢想することは出来る。

 しかし、やり直しは利かない。

 それが漂流世界の掟なのだから。




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