第7話 美しい船



「ほーら、さっさと歩け」


 明乃島の西部、メインストリートを市街地に向けて練り歩く奇妙な集団を街の住民は訝し気に眺めていた。

 その光景は異様である。

 知識のある者が目にしたなら、その様相を南北戦争前のアメリカだと言うだろう。手足を鎖に繋がれ、荘園へと売られていく奴隷たちの行列。

 そうでない者――例えば小さな子供なら、不格好でやる気のない百足競争のようだと笑うに違いない。街中には馴染めない間抜けな姿。

 付近の漁師からロープを譲り受けた徹進は巧みなロープワークで十人以上の男たちの足元を束ね、連なって歩くようにと仕向けていた。


「さっさと歩け! 日が暮れるぞ」


 倒れた一人を無理矢理に立たせた、わざと注意を引くようにと大きな声を出す。

 左右の足を前後の人とロープで繋がれ、一人でも歩調を乱せば転倒する。百足競争の時ほど前後の感覚は狭くないが、何度も躓き、歩調は遅々として前に進まない。

 衆目に晒され、嘲笑を受ける屈辱に耐えかねて泣き出す者もいた。


「自業自得だ」

「惨めな奴ら」


 メインストリートに入った頃は酷い仕打ちを受けている彼らを見兼ねる者もいた。しかし彼らが明乃島の西部を、自分たちの領域を無遠慮に荒らし回っていた一団に所属していると知るや否や同情は消え、石を投げる者すら現れた。

 報いだ。

 三年前の騒乱で島は東西に分かれて争った。

 日本政府の後ろ盾を持つ西部は、管理局の介入を受けた東部に敗れた。その結果として明乃島の支配力を強めた管理局から警察機構や行政機能を弱める報復行為を受け、決して表沙汰にはならないが積極的に無法者を呼び込み治安を悪化させる嫌がらせも定期的に行われていた。少しずつ街の免疫力と言える自浄作用を麻痺させ、自らの足で管理局の軍門に下らせようとしている。

 自らを『壬生狼』と名乗った浅葱色の法被を揃えた男たちも、そうして招かれた無法者の一団だ。


「お前たち、何をしている!」


 十分ほど歩いた所でサイレンを鳴らしたパトカーがやってくる。何人もの警察官がその異様な光景にぎょっと目を剥き、惨い仕打ちを受けている奴らが誰なのかを知り更に仰天する。

 警察も壬生狼の対処には手を焼いていた。

 壬生狼の活動当初、警察は市民を執拗に狙う彼らを追い、何人もの隊員を逮捕してきた。しかし事態は沈静化することなく、壬生狼は市民から警察官へと闇討ちの標的を変えた。警察官のプライベートをつけ回し、単独でいる時や家族と共にいる時に複数で襲うようになった。彼らのやり口はどこまでも残忍で、最後には飢えた狼を追う狩人は時の流れと共に数を減らしていった。


「よお、警察の兄ちゃん。また俺たちを逮捕してみるか?」


 先頭の壬生狼がニヤリと笑う。

 声を掛けられた若い警察官はびくりと体を震わせた。そろそろ日も落ち、気温も下がろうかという時間帯なのに額にはびっしりと汗の雫が浮かんでいる。

 他の壬生狼からも含み笑いが聞こえ、現場に現れた警察官が委縮していくのが分かる。


 その状況を面白く思わない者は数多くいた。

 警察も、街の住民も、誰もが壬生狼には憤りを感じていた。


「お前さ」


 しかし声にならない悲鳴を受け取り、憤りを行動に移した者は一人だけであった。

 力強い歩調で歩み寄った徹進は、先頭の男の胸倉を掴み強引にぶん投げる。

 横倒しになった先頭に釣られて残り全員も倒れこむ。何が起こったのか理解できない壬生狼たちに立ち上がる隙すきすら与えず、徹進は切れ味を強めていく。


「人が少し優しくしてやったら調子に乗ってさ。誰に口利いてんだよ。なあ、おい!」


 先頭の男の腹に、徹進の爪先が突き刺さる。

 二度三度、口と連動して足先が動き続ける。


「協定を守らないお前らをよ、警察に突き出す優しさが理解できねえのか? それとも義務教育すら終えてないのか? ああ? なんとか言えよ。聞こえねえのか、おい!」

「テツ」

「警察に渡すってことは日本の法律で裁いてもらえるってことだ。それが嫌なのか? なあ! 嫌なら俺がコンテナに詰め込んで沈めてやろうか! 誰も助けない来ない海の底でコンテナが水圧で潰れる恐怖を――」

「代行!」


 ケイが肩を掴み制止する。


「代行、やりすぎよ。これ以上は支障が出るよ」

「――ああ、悪かった」


 徹進は腰を下ろし、何度も何度も、血を吐いても蹴り続けた男に顔を向けた。

 顔こそ蹴られていないが涙と鼻水、そして吐き出した血でべとべとに汚れている。蹴られ続けた腹を抱えるようにして丸まったままの状態で、徹進の方を見ようともしない。

 後ろに連なった壬生狼たちもガタガタと震え、少しでも距離を取ろうと抜けた腰を引きずり後退る。


「蹴って悪かったな」


 蹲る壬生狼の背中をポンポンと優しく叩く。


「心配しなくてもコンテナなんかに詰めやしねーよ。コンテナが勿体ない」


 耳元で囁いた徹進はケイたちに斗貴子の送りを任せて、壬生狼とともに西明乃島警察署に連行されていった。



 ⚓



 機能不全寸前の西明乃島警察署がギリギリの所で持ちこたえていたのは、副署長である高村什造の人徳のお陰である。

 収賄による腐敗、理不尽な暴力、島出身と外部からの出向者の確執。

 彼らを宥め、引き留め、時には叱り、西明乃島警察署の警察官一同は高村什造という旗の下で団結し、雌伏の時をやり過ごしていた。


「お前は珊宝の、……戻ってきたのか」


 徹進は無人の取調室で寛いでいた。

 十人を超える容疑者を検挙した西明乃島警察署は泡を食ったような騒ぎになり、深刻な人手不足が更に加速した。

 比較的罪の軽い徹進は後回しにされ、その結果ただ一人取調室に放置されることとなった。


「はて、どこかで会いましたか?」


 取調室で見つけるや否やわなわなと震えだした高村とは逆に、徹進は眉根を寄せて見覚えのない無精髭の男を眺める。

 徹進が島を訪れたのは三年前。

 今の見た目年齢が40代半ばだ。当時はちょうど40歳くらいだろうか。

 鍛えられて引き締まった肉体に少し痩せこけた頬、白の混じった黒髪――どれも特徴として捉えることは出来るが、個性と呼ぶには足らない。

 しかし珊宝の、と言われれば心当たりは一つしかない。


「三年前に何度か見かけた。お前じゃないのか?」

「多分俺ですね。三年前、この島にいました」

「やはりそうか。北部を荒らし回った助っ人の珊宝海運。お前たちが頭を押さえていたお陰で私たちはずっと攻め上ることができた」


 椅子を引き、高村は向かい側に座る。


「たった六人で高台に座っていただけで、相手が勝手にブルったんですよ」

「そうか。いや、それよりも一つ聞かせてくれ」

「答えられる範囲でよければ」

「なら聞くが、三年前お前たちは、何故途中でいなくなった? あの後、あと一息で敵方最大の要所を落とせるところまで来ていた。しかしお前たちがいなくなった北の高台を回り込まれて側面から攻撃を受けて、そのまま持ち直せずに総崩れだ」


 今の苦境はお前たちのせいだ、と言わんばかりの論調に徹進はムッとする。

 三年前の戦いで徹進ら珊宝海運は助攻――謂わば主力のための囮や少数別動隊を駆逐するために呼ばれていたに過ぎない。自ら前線に立ち大人数を指揮し、敵の出方を見て判断を下す立場にはいなかった。そういう役割を担う主攻部隊は、本土の警察が担っていた。

 戦局が有利に傾き、覆せないほどになった中盤以降、島の奪還を単独の手柄にしようとした本土警察に締め出されたグループは多くいた。徹進ら珊宝海運もその一つだ。

 最も苦労したのが島を去る最中に憤る仲間を宥める時だと言えるほど、理不尽な扱いを受けたのは事実だ。


「あの要地は万全の状態で引き継いだ。それで負けたら、俺達はどうしようもない」

「……っ!」

「それでこの話は終わりなんです。終わりにするしかないんです」


 政府側の敗戦を徹進が聞いたのは遥か海の向こうの地であり、恥知らずにも届いた再侵攻の要請は一蹴した。

 北条潮を通じての謝罪も受け入れなかった。

 明乃島で自分たちがどのような扱いになっているのかは、当時の協力者から聞かされていたからだ。


「しかしそれは前回の話」


 徹進は立ち上がり、右手を差し出す。


「今回は横槍なし、最初から最後まで付き合いますよ。全力とはいきません。どんなに都合がついても連れてこれるのは十人前後、俺たちは元の数が少ない。なので管理局を追っ払うには島の皆さんの協力が必要です」

「協力だと?」

「ええ。戦う意思のない奴らのために俺たちが戦うことはありません。島を正常に戻したいのなら、どうぞ、この手を取ってください」


 戦わないか、との誘いに高村は狼狽える。

 三年前の敗戦の記憶は今も脳裏に焼き付いて離れない。


「俺たちのコーラルサファイア号は泥船とは程遠い。立派で美しい船だ」


 いまだに躊躇う高村の腕を掴み、有無を言わさず立ち上がらせる。


「それをあなたに教えてあげますよ」





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