第5話 手のひらは語る


 外観は、普通の中華料理屋だ。

 商店街の一角にひっそりと構え、目立つことはないが視界をぐるりと巡らせると必ずその存在を知覚させる不思議な佇まいだ。


「ここか?」


 鳳凰飯店の戸口では営業中の札は裏返り、ランチタイムが終わった店内に人の気配はない。

 平日の昼下がりに人通りが疎らな商店街の、営業の終わった中華料理屋の前で立ち尽くす。

 動かないのは不自然この上ないと分かってはいたが、それでも磨り硝子の扉に手をかけることはしなかった。


「いいよ、開けなくて」


 頭上から不意に届いた声に、朝霧は戸惑いを隠せなかった。

 元警察官の朝霧は警察時代に培った特殊な経験を活かして探偵業を営み、これまで様々な依頼を完遂してきた。警戒心と責任感は人一倍あると自負しており、実際にそれに違わぬ実績と信頼を勝ち取っている。

 朝霧は自らに向けられる視線を敏感に感じ取ることで、危険に対する直感を磨いてきた。

 自身の纏う雰囲気が堅気でないのだから、こちらに意識が向くのは至極当然である。その視線の種類を分析することで敵意や興味を先んじて知ることが適えば、どんな相手であっても後れを取ることはない。

 現在もこの中華料理屋を遠目で見張る複数の視線に気づいている。

 三人、全員素人だ。

 しかし素人三人とは違い頭上の視線にはまるで気付かなかった。


「そうか」


 朝霧は察する。

 二階から見下ろす男は、あの下手糞な監視の中に自らの視線を紛れ込ませていた。

 一定の技術水準を満たせば、気配を消すことは容易い。しかし他人の視線を隠れ蓑にするなど、どのような技能を用いてるのか皆目見当がつかない。

 ただ分かることは、かなりの経験を積み技を磨いてきているということだけであった。


「向こう側で落ち合おう。お互いに、用がある筈だ」


 声を小さくしようとする努力は伝わる。

 けれど徹進の声はよく通り、朝霧の耳にはあまりに鮮明に聞こえすぎた。



 ⚓



 漂流世界へと潜り込んだ朝霧は、自身の愛槍を手に現実世界と何一つ変わらない中華料理屋の二階を見上げる。

 ピンと張り詰めた空気の中に幾つかの気配が生じてきた。


「迂闊ですね」


 先んじた朝霧に続き漂流世界に現れた気配は中華料理屋内部に複数、そして背後で監視していた男たちが数人。

 普通なら、尾行を撒く際に選ぶのは現実世界だ。

 漂流世界では大多数の人間が五感を始めとする身体能力を強化されている。慣れた者ならば百メートル離れた場所から呼吸音を聞くだけで個人を特定し追跡することも出来る。逆に逃走や撹乱に特化した者もいるが、そんな彼らもまずは現実世界で追手を撒くのが定石だ。


「別に、迂闊じゃないさ」


 扉が横にスライドし、三人が姿を現す。

 何も持たず軽装のままの徹進、木刀を手にその背に隠れる斗貴子、そして簡素な作業服に着替え細い鉄棒を握るケイ――三人の装いを見て、朝霧は察する。

 この三人は監視を撒こうとしていない。

 やる気だ。

 追ってきた相手を叩き潰し、監視そのものを機能しなくしようとしている。


「帆高だ」

「私は朝霧です。斃れた知人の代わりに来ました。彼の書簡もここに」


 差し出された徹進の手を握り返し、見た目以上に厚く、そして硬い手のひらに朝霧は驚く。

 警察として数年勤めた朝霧は、敵味方問わず多くの手練れを見てきた。

 常に実戦に身を置いて武功を立てた者は、高い水準に上がれば上がるほどに全容が見えなくなる。唯一実力の一端を掴めるのが武器を振るう両腕であり、その先端である手のひらは何より多くを語ってくれる。


「そのことについて、少し歩きながら話そう」


 朝霧から書簡を受け取った徹進は中身を見ることすらせずケイに渡す。

 商店街を抜けて西に向け、四人は海の方へと歩いていく。


「あの」


 話そう、と言う割に一向に口を開かない徹進を見兼ねて、斗貴子が口を出す。

 朝霧も同じような感情を抱いていたが、二人の様子からこの散策には特別な意図があるのだと期待して追随しなかった。


「敵の動員力は、予想よりずっと低い」


 足を止めた徹進は向き直り、そう告げる。


「俺の予想だが、今集まってるのは昼に斗貴子を狙っていた奴らと朝霧、お前の身辺を嗅ぎまわっている奴らだけだ。その目的の異なる二組が合流しているだけで、それ以上を引っ張り出せていない」

「引っ張り出す?」

「ああ。引っ張り出して、完膚なきまでに叩き潰したかった」


 徹進は目を閉じ、遠くを眺めるかのように顔を上げる。

 気づけば四人が立っているのは、海へと流れ込む小さな河川に掛かる橋の真ん中であった。幅はは車が行き交うのがやっとで、長さも短い。


「今回は削る程度になりそうだ」


 ここで迎え撃つ。

 敵の姿は未だ見えないが、徹進が立ち止まった時点でケイは既に準備を終えていた。愛用している奇妙な形状の棒を軽快に回し、橋の片側を塞ぐように立っている。


「斗貴子、朝霧」


 どうするべきか、と悩んでいる二人を徹進が呼び寄せる。


「一緒に戦う気があるなら手を出せ」

「手を?」

「即席の要石を用意する。あるとないとじゃ大違いだから、さあ、手を出して」


 状況の理解が遅れている斗貴子の手を徹進は優しく握る。

 すぅーっと、目に見えない何かが斗貴子の身体から流れ出て、少し遅れて身を焦がすほどの熱量が逆流する。

 今まで味あったことのない熱量を受けて斗貴子の呼吸は荒くなるが、その感覚が馴染み始めてからは逆に湧き上がる活力に感動を覚えた。


「公共のものとは大違いだろ?」

「全然違います。すごい、なんでこんなに」

「企業秘密だ。ほら、次は朝霧」


 朝霧は斗貴子ほど驚きはしなかった。受け取る前から、その効能は今までで一番であると確信できていたからだ。

 しかし、と朝霧は疑問に思う。

 徹進は路傍の石ころを拾い力を籠め、いとも容易く要石を作り出した

 本来それを為せるのは一部の限られた人間のみである。俗な言葉を使うなら国家資格の一種であり、習得までに何十時間もの技術指導を受け、それでも適性が足りなければ身につかない難関だ。

 身勝手に作り出すのは推奨されていない。

 時と場合によっては罪に問われ、深刻な事態を引き起こして投獄された事案まで存在する。


 要石とは、字面以上に重要である。

 漂流世界は死と隔絶されている。それは小学生でも知っている常識であるが、それがどういった仕組みであるかを説明できる者は大人にも少ない。

 まず漂流世界で致命傷を負った者は、本来のあるべき場所に――現実世界に帰ろうとする力が働く。そのまま戻れば肉体は損傷したまま、現実世界で同様の死を迎えることになるが、要石を仲介させることにより、肉体のみを強引に以前の姿に戻すことが可能となる。

 公共の要石とは最低限死なないことのみを約束するものであり、純度の高い要石ならば現実世界に帰ることなく漂流世界の要石を復活地点にすることも出来る。

 戦う場合に自前の要石を用意出来るかどうかは、それだけで戦況を決する要素と言える。


「さて、来たぞ」


 海側を背に、手すりに腰かけた徹進が指示を出す。

 橋の入り口の左手側をケイが、右手側を朝霧が塞ぐ。

 この道幅で同時に相手を出来るのは二人か三人がいいところで、万が一背後を突こうと抜けてきた敵がいたらそれを斗貴子が討つ。

 少数で多数を討つには隘路を頼るのが一番である。


「あれ、帆高さんは?」


 指示通り配置についた斗貴子が、ふと徹進の立ち位置に目を向ける。

 左右から現れた浅葱色の剣士たちは警戒を緩めることなくゆっくりと橋の両端を目指している。


「ん、俺?」


 しかし徹進は武器すら用意せず、手すりに座ったまま不思議そうな顔で斗貴子の疑問を受け止めるだけであった。



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